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* 幻影後のいつか。
* こちら(ペキリ)と対のような。

雪明かりの朝

 剥き出しの肩が寒さで震え、そのせいで目が覚めると、目の前が妙に薄ぼんやり明るかった。
 寝過ごしたかと思って首を曲げると、窓の外がほの白く、ガラスに積もった雪で、明るさはそのせいと知れる。キリコは思わずそれへ向かって目を細めてから、逆の方向へ首をねじって、隣りに寝ているシャッコを見た。
 ひとつ分け合った枕が揺れたせいか、シャッコもぼんやりと目を開け、どうした、とキリコの方へ長い腕を伸ばして来る。
 「雪だ。」
 「・・・寒いな。」
 腕と一緒に体も近寄せて、キリコの鎖骨辺りへ頭を乗せながらシャッコが言う。シャッコの頭を抱え込んで、キリコはまた窓の方へ目をやった。
 こんな明るさに、覚えがあるような気がして、キリコはシャッコの肩に両腕を回しながら、それはいつのことだったろうかとおぼろな記憶を手繰り寄せようとする。
 クメンやサンサ、クエントのはずはない。もっと以前のはずだ。あれはいつだったろう。雪でほの明るい部屋の中、そこには誰がいたのだろうか。
 ひとりではなかったことだけは確かに覚えていて、けれどその他のことは何もかもぼんやりとかすんでいる。
 目覚めたばかりで、まだ完全に醒め切ってはいない眠気のこもる、熱い体。シャッコの広い肩へ掌を置き、キリコは自分も一緒に毛布の下へ肩を滑り込ませた。
 そうして、誘ったつもりもなかったのに、見慣れた部屋の中で、濃い青の幕でも掛かったような明るいとも暗いともつかない、物の形はすべてはっきりと見える風景にふたりは溶け込んで、まどろみに近いぬくもりへ手足を絡めて戻ってゆく。
 決して先は急がない、ゆるやかな手指の動き。終わらせることが目的でもないように、ただ互いの皮膚に触れ、激しさは一向に湧かず、ただ戯れているように、唇も触れ合うだけだった。
 それでも、次第に昂ぶってゆく熱に、手足の絡み合いがいっそう密になり、キリコは自分から開いた脚の間に、シャッコの巨きな躯を引き寄せた。
 開いた唇の間で舌と息が行き交い、夜明けと雪の明るさの中で隠す術もなくすべてをさらけ出して、いつもならひっそりと闇の中で抱き合う仕草のまま、キリコはシャッコのそれへ手を添え、自分の中へ導いてゆく。
 躯は待ちかねたように開き切り、わずかな抵抗の後で、昨夜の馴染みようをまた繰り返す。シャッコが、キリコの耳元で大きく息を吐いた。
 シャッコの肩を、背中から抱え込むようにして、揺すり上げられて上へずれる体を止め、キリコはシャッコにしがみついていた。
 腹や肩がこすれ、引きつれる皮膚がひどく場違いな音を立てる。伸ばした喉同士を触れ合わせると、互いに漏れる声の震えが伝わって来て、わざとその声をそそのかすように、シャッコが不意に下肢の動きを変えた。
 意外と大きく響いた声が、天井へ向かって拡散し、空気の中に溶け込んでしまう。一度そうなってしまうと、もうキリコの声は止まらず、シャッコの下で胸と腹を大きく喘がせて、キリコは吠え続けた。
 その声もけれど、外に積もり続けている雪に吸い込まれ、残りはシャッコの舌と唇に塞がれ、シャッコと繋がった躯は部屋の中の薄青色に溶け出して、ぼんやりと開けた目の中に揺れる自分の脚すら、キリコはもう見分けもつかなかった。
 触れているのと同じほど、目の中にも互いが確かに映っている。こんな時にだけ特殊な動き方をする筋肉や、浮き出る骨の形、夜目は利いても闇の中でははっきりとは見極められないそれを、シャッコは熱に浮かされた瞳の中に焼き付けようとしていた。
 いつの間にか、ふたりが目を覚ました理由の寒さは、交わりの熱にすっかり失せ、はねのけた毛布がベッドの端から床に垂れ下がっている。
 それを、キリコは耐えるように、伸ばした指の先で握りしめた。
 もう一度、痛いほど喉が伸びる。背骨を割り開きながら、脳天まで何かが突き抜けたような気がして、内側の痙攣が神経の深部を轟かせる感覚に、シャッコの慄えが注ぎ足され、次にやって来る虚脱を予想して、すがりつくようにふたりは互いを抱きしめる。
 キリコは、シャッコの肩口へ、大きく息を吐いた。
 まだ震えは治まらず、シャッコはキリコの額へ頬をすりつけながら、ねぎらいのような感謝のような、押し付ける接吻を落として、ねだるようにキリコが上向くと、それは唇へも落ちて来る。
 まるで、この世に残った、ただふたりきりのように、近々と躯を寄せなければ寒さと孤独で死んでしまいそうに、音もなく降る雪がふたりをそんな気持ちにさせ、この部屋から漏れ出てゆく熱だけが延々と積もり続ける雪を溶かせるのだと、埒もなくふたり一緒に考える。
 きっとそうなのだろう。白以外のすべての色を排した風景の中で、ふたりは異質に、けれど白以外の可能性であり続け、ふたりがふたりであることの意味を、ふたりは白だけの風景の中で思い知るのだ。
 色違いの膚、色違いの髪、色違いの瞳、白の中でひと際鮮やかに、ふたりの命がそこに在ると、大声で叫び続ける。
 雪を言い訳にして、熱を混じり合わせて、その熱の中で、ふたりはもう一度眠ろうと一緒に目を閉じる。
 瞬きの合間に、キリコはシャッコの目を近々と覗き込み、まつげの触れる近さで、ほとんど吐息のようにささやいた。
 「・・・目が覚めたら、コーヒーを淹れよう。」
 シャッコが薄目で、問い返した。
 「おまえが?」
 一拍置いて、ああ、とキリコがうなずいた。
 「おまえのために、おれが淹れる。」
 奇妙に力強くキリコがそう言ったのを、シャッコはどう取ったのか、小さな笑みを邪気なく浮かべて、
 「楽しみだな。」
 シャッコの笑みを写して、キリコも淡く微笑んだ。
 青みの失せる部屋の中で、キリコの髪の色が鮮やかに見える。
 雪明かりのおぼろさに、ふと蘇った記憶の断片は、曖昧なままけれど切なさだけを呼び起こし、夢の中に忍び込んだそれをキリコは再び目覚めて覚えてはいなかった。
 異質のふたりの二度目の眠りを、降る雪が音も気配もなく見守っている。

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