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流れ星消ゆる前に
 
「いい加減にしろよ、ターニア!」

 夜も更けたというのに、ランドは大声で叫んだ。
 澄んだ空気のせいか星が満点にきらめくライフコッドの村の頂近く。
 美しく、気立てもよく働き者の娘ターニアは、スープの仕上げに余念がない。家の中にはよい香りが漂ってい
た。

「目を覚ますんだ。君には兄貴などいない。君は亡くなった君の両親と三人暮らしだっただろう?」
「ウソよ。私にはお兄ちゃんがいるの。今は、事情があって家を離れているけど――あっ! もうこんな時間?
急がなくちゃ」
 ランドの言葉を無視し、独り言つ彼女は鍋をかき混ぜる手を離し、くるりと踵を返した。


 食器戸棚を開けて
 とっておきの白い磁器のスープ皿と
 レリーフのついたピカピカのスプーンをふたつ
 そうそう
 パンの籠と花模様の小さなお皿も忘れてはいけないわ
 ライ麦のパンを手際よくスライスして籠に並べ、菜園で摘んだハーブのサラダを添えて
 ああ、スープが冷めないうちにお兄ちゃんは帰って来るかしら


「一人が寂しいのは分かるよ、ターニア。でも、俺じゃだめなのか? 俺より、夢の中の兄貴の方が大事なの
かい?」
 哀しげにランドが呟くも、彼女の耳には入らない。まるで自分がここに存在しないかのように、彼女はテーブ
ルに頬杖をつき、窓の外を眺めるだけ。
 ランドは深く息をつくと、そっとドアを閉めた。
 彼女は不思議な夢を見て以来、すっかり変わってしまった。
 夢の中で、彼女はかっこよくて強くて心優しい兄と二人でこの家に住んでいる。
 そして先日、どうやらその兄は世界を救う為に仲間達と旅立ったらしいのだ。
「確かに魔物が出たとか不穏な噂は耳にしたけど、馬鹿げてるよな」
 だって村は平和だし、城の行方知れずだった王子も、最近ひょっこり戻ったそうじゃないか。
 坂を下るランドの耳に馬のひづめの音が聞こえた。
「日も落ちたっていうのに、誰が――」
 どんどん音が近づいて。彼は声を上げそうになった。
 立派な身なりの若者が白馬を駆り、こちらに向かってくる。
 この先にはターニアの家しかない。
「まっ、待ってくれ………」
 若者を乗せた馬は声をかけようとした彼をよけて、まっすぐにターニアの家へと続く小道を駆け上ってゆく。
「お帰りなさい、お兄ちゃんっ!」
 馬からひらりと降りた若者が、ドアを開け、飛びつくターニアを抱き締める。
「ただいま、ターニア……寂しい思いをさせてごめんな」
「私は大丈夫よ。お兄ちゃん、お腹すいたでしょ? 早く入って。夕食の用意出来てるから」
「ああ」

 慌てて戻ったランドはこの光景を見て、目を丸くした。
「一体どうなってんだ!」
 ランドは家の壁にへばりついた。断じて覗きじゃない。あの得体の知れない男と一緒にいるターニアの身に、
何かあっては大変だからだ。そう自分に言い聞かせる。
 耳を澄ますと謎の若者とターニアの会話が壁から伝わってきた。
「やっぱりターニアの料理は最高に美味いな。スープですっかり体があったまったよ」
「お代わりは?」
「頼む」
 知らなければ、本当に仲睦まじい兄妹に見えるだろう。しかし、ターニアは一人娘だった。
 両親がまとまった遺産と土地と家を遺してくれたため生活には困らなかったが、彼女はたった一人で暮らして
いたのだ。彼女の生い立ちは幼馴染の自分が一番知っていた、はず、なのに。
 突然現れた彼女の兄と名乗る若者に、ランドは混乱していた。
「ターニア、話がある。驚かないで聞いてくれ」
「なに?」
 少し不安そうなターニアの声。
「えーっと、何から話そうかな……」
 若者は頭をかいた。
「実は先日、僕と仲間たちは魔王との戦いに勝った。ターニアも分かるだろう? 平和になった途端に清々しく
吹いた風を」
「やっぱりそうなのね! お兄ちゃんが無事で良かった……」
「それで、勝ったらいろいろ思い出したんだよ。本当の自分のこととか」
「本当の……自分?」
「説明が難しいな。バーバラが僕と君の精神の波長が交差した、とか言ってたけど」
 若者は困り果てた末、意を決して「つまり!」と自分を見つめるターニアにウインクした。
「僕はレイドック国の王子だ。ターニア、君の兄じゃない」
「……え……」
 ターニアの息を呑む声と沈黙。
 嗚咽。
 ランドは、かっと体が熱くなった。何て酷い奴だ! ターニアを悲しませるなんて!
 乗り込んでやろうとドアに手をかけようとした彼の双瞼に、窓ガラスに映る二人の姿が飛び込んだ。
 彼女をいとおしげに抱き締める若者。身じろぎもせず、彼の胸の中で瞳を閉じるターニア。
「結婚してくれ、ターニア」


 こぼれ落ちる涙は、世界中のどんな宝石よりも美しくて。
 世界一の俺の幼馴染だから、当たり前だけどな。
「ターニア……おめでとう」
 彼女の耳に届かない祝福を贈り、ランドは彼女の家を後にした。
 走って。上を向いて、彼はただひたすら走った。
 畜生。どうして今夜は星空が霞んで見えるんだろう――。


「すまない。急な話で動転しただろう?」
 ターニアは首を振った。
「私、お兄ちゃんと暮らしているのは夢の世界と気付いていたの。でも気付かないふりをしていたかった」
「僕もそうだよ。妹を亡くした現実から逃げたかったのかもしれない」
「夢から覚めたら……自分が、がらんどうになってしまいそうで怖かったんだわ」 
「一人ぼっちが怖かった?」
「夢を夢と認めてしまった瞬間、お兄ちゃんは消えてしまうでしょう?」
「僕は消えないよ。これからもずっと君のそばにいる」
「ずっと?」 
 手を取り頷くと、彼女はようやく安心した表情になった。 
「明日、僕と一緒に城に来てくれるかい」
「嬉しい……でも、まだ信じられない。お兄ちゃんがまさか王子さまだったなんて……あ、私ついお兄ちゃんて
呼んじゃう」
「しばらくは、お兄ちゃんて呼んでもいいよ。おやすみ、僕の可愛いターニア」


 抱き寄せて、頬におやすみのキス。
 今夜は兄としてここに泊まる、最後の夜。
( 完 )  2005/10/24
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攻略本のターニアたんにハァハァして書いた。
今では反省している。