狂・ヴァレンタイン






「わかったよしょうがねーな、今行くから待ってろ」

 受話器の向こうにぶっきらぼうな言葉を投げ、がちゃりと電話を切る。途端、時計の音がいやに大きく聞こえる。
 ふぅと短く息をついてから、さてと腕を組んで部屋を見回した。テーブルの上に置き去りのブラスターとリフレクターが目に入る。
 ・・・・・・戦いに行くわけではない、必要ないだろう。はまっていたゲームは暇なときにやりつくしてしまったし、特にこれといって必要なものはなさそうだ。向こうにないものといえば、酒くらいか。
 おもむろに冷蔵庫の扉を開けると、愛飲の酒瓶を一本取り出した。机に置かれた鍵を空いた手に取る。もう一度部屋を見渡して息をついてから、明かりを消して、ファルコは部屋を後にした。





 ――――・・・プツッ、ザザザ・・・
 誰もいないはずの部屋で、ひとりでにテレビが喋りだす。真っ暗な部屋の真っ黒なテレビに映りこんだのは、妖しく蠢く破壊神だった。

「Ladies and Gentleman, It's SHOW TIME....」

 狂気に満ちた笑い声が響く。テレビはそれだけを伝えてぷつりと役目を終えた。










 手の甲でドアを叩けば、こんこんと硬質な音がした。

「おい、俺だ」
「ファルコか。今開ける」

 重い音と共に開いたドアの向こうに、青い髪の青年が顔を覗かせた。その部屋の主、アイクだ。もう時間が遅いからだろう、いつもの青い服に胸当てではなく、ラフな部屋着であった。同じく、青くはあるが。
 部屋の主の先導に従い、ファルコが部屋に入る。

「鍵かけといてくれ」
「・・・はいはい」

 ファルコは振り返ってかちゃりと内鍵をかける。そのときだった。

「なんだ?!」

 ドドドド・・・と、まるで雪崩でも起きたのかと思わせるような地響き、轟音。寮全体が、底から震え上がったような音だ。一旦かけた鍵を慌てて外し、ファルコはドアを押した。が、扉が異様に重くなっていて、開かない。

「おい、開かないぞ!」
「閉じ込められたか?」

 玄関へ駆け寄ってきたアイクも加勢してドアを押すのだが、わずか数ミリずれただけに終わった。
 一体ドアの外で何が起こったというのか。すぐに状態が回復すればいいが、部屋にある食料のことを考えると、万一の場合このままではまずいらしい。
 彼らは袖を捲り上げ、一斉に力いっぱいドアを押した。いくらか開いた隙間から一瞬廊下の様子が目に映り、何かがどっとなだれ込むのと同時に跳ね返されてしまった。

「はぁ、はぁ、・・・なんだ?」

 部屋の外は酷い有様だった。何か小石のようなものが、ドアの半分ほどの高さまでびっしりと積もっていた。そのせいでドアが開かなかったようだ。
 先程部屋に転がり込んできたものをまじまじと見つめる。ただの石ころのようだが、形は整っていて何種類かあるようだ。丸いもの、四角いものなど様々ある。そのひとつを手に取って眺める。それのひとつずつに、「須磨製菓」と書かれていた。

「・・・須磨製菓? ってことは、菓子か?」
「・・・・・・!」

 ファルコがそう呟いた瞬間、ブツンと電子音が響く。振り返れば、ひとりでにテレビの電源がついていた。
 テレビのスピーカーからは、耳に覚えのある高らかな笑い声が響く。

『ハッピーバレンタイ〜ン!!元気してるゥ〜?
 日頃乱闘づくめのみなさんに今しがたチョコを配ったぜ〜
 もちろん無料(はあと)だから たーんと お た べ☆
 あっ、ちなみに蛇口ひねってみ? それじゃ、よいバレンタインを〜』

 また耳障りな声で笑うと、テレビの電源がぷつりと落ちた。

「・・・・・・クレイジー・・・」

 二人は大きなため息をついた。またか、と。
 クレイジーの悪戯は、今に始まったことではない。春には花見と称して寮じゅうを桜の花びらだらけにしてみたり。夏には流しそうめん大会と称して蛇口からめんつゆとそうめんを流してみたり。秋には読書の秋と称して部屋に入りきらないほどの本を送り込んでみたり。四季折々のイベントにあわせて、なにかしらの悪戯をしてくれる。
 しかし、今日がバレンタインだということはすっかり失念していた。

「まぁ、この前の『勝手に雪合戦大会』よりはマシか・・・」
「食えるなら問題はない」

 なるほど、では先程転がり込んできたものはチョコか。玄関に転がったままのそれを拾うと、さっそく包み紙を開けてみる。中から出てきたのは、案の定黒くて甘い香りのするチョコレートだった。
 それを親指と人差し指でつまみあげると、訝しげに眺める。

「本当に食えんのか? 毒とか入ってんじゃねぇだろうな?」
「さすがにクレイジーもそこまではしないだろう」
「どうだか・・・」

 疑るファルコをよそに、アイクはひとつをぽんと口に放る。同時に口内の温度でじんわりととけ、噛み砕けば甘ったるい味が口いっぱいに広がる。・・・・・・何の変哲もない、ただのチョコレートである。
 やれやれと横で短くため息をついたファルコも、彼に倣ってそれを口に入れた。・・・・・・何の変哲もない、ただのチョコレートだった。

「平気だな」
「・・・だといいがな」

 ファルコは部屋の方へ歩いていくと、どかっとソファに腰掛けた。まだこの部屋へ来たばかりなのに、ものすごく疲れた気がする。重い体がソファに深く沈み込む。
 アイクは、床に転がったチョコを回収し、テーブルに置いた。クレイジーの言ったとおり、コップを片手にキッチンの蛇口を試しに捻る。まさかとは思ったが、予想通り、茶色く濁った水が流れてきた。それをコップに汲み取る。

「・・・ファルコ」
「・・・・・・・・・」

 チョコレートドリンクだ。

「・・・・・・甘い」
「・・・だろうな。あ、俺は遠慮しとく」

 甘いチョコには苦い紅茶、とはいかないようだ。口直しもチョコである。これぞバレンタイン、と言ったところだろうか。

「・・・待て、ってことは・・・」

 思い立ったファルコは、部屋に備え付けられた風呂場へ走る。シャワーを手にとって湯船へ向け、蛇口を捻れば、やはり出てきたのは茶色いチョコレートドリンクであった。
 シャワーを止めるのも忘れ、彼は深い深いため息をつく。

「俺風呂まだなのに・・・」
「風呂に入れなければ、チョコ風呂に入ればいいじゃない。」
「おまえどこでそんなの覚えたんだよ・・・」

 せめてどこか1ヵ所でも普通の水が出れば救われるのだが。

「・・・くそっ、クレイジーの野郎め・・・」

 だめもとでシャワー下の蛇口を開ければ、出てきたのは念願の普通の水であった。

「おっ、普通の水・・・、・・・ッ」
「まぁ落ち着けファルコ。年に一度くらい茶色い風呂も悪くない」

 はて、まだ風呂に入ったわけでもないのに、頭から茶色の水が滴るのは何故だろう。何をしたわけでもないのに、視界の中が茶色に染まったのは何故だろう。
 答えは考えるまでもない。自分の後ろに立つ男が、文字通りチョコレートシャワーを浴びせてくれたせいだ。それ以外、何をどうしたらこうなるだろうか。
 ファルコの頭の中で、血管のようなものが何本かぶつりと切れた。

「おい、ツラ貸せガキ。」
「風呂に入るんだろう? 服を脱いだらどうだ」
「人の話を聞け! ・・・っておい!何でお前が脱いでるんだよ?!」
「よし、次はお前の番だな」
「え? ちょっ待て、やめ・・・・・・アッー」










 部屋じゅうに漂う甘い香り。たゆたう水面は限りなく濁っていて、その褐色は何ものをも映さない。手のひらに一杯掬えば、それは肌を伝ってとろりと流れ落ちる。こぼれたそれを拾い上げて口に含めば、その香りに違わぬ強い甘味が、まるで宇宙のようにどこまでも広がる。その空間は、うっかり眠り込んでしまいそうなほどに甘美であった。

 アイクの提案(?)により、二人は風呂に入っていた。もちろん、茶色いチョコ風呂に、である。仲良く並べた肩をチョコレートに浸け、温まっていた。チョコレートのとろとろとした感触がなんとも言えず新鮮である。
 しかし楽しんでいるのはアイク一人だけで、ファルコはずっとしかめっ面だった。体も、まるで石像のように固まったままぴくりとも動かない。

「思ったよりもさらさらしてるな」
「いや・・・思ったよりドロドロしてるぜ・・・」

 一向にしかめたままの表情を崩さず、その上青ざめてさえいる。・・・・・・もともと青いが、いつも以上に。

「どうしたファルコ、顔色悪いぞ」
「お前にはわかんねぇだろうが・・・すごく気持ち悪い」
「何がだ?」
「チョコが毛に染み込む感覚が・・・」

 ファルコの柔らかな青い毛並みに、褐色のチョコがたっぷりと染み込む。まるで羽毛一本一本がチョココーティングされているかのようだ。
 その感覚が、恐ろしく気持ち悪い。
 汗を流すために風呂に入っているのに、これでは風呂場で泥遊びをしているのと何ら変わりない。

「今ならアーモンドの気持ちがわかる・・・」

 シャワー下の蛇口からは普通の水も出ることだし、アイクが風呂を出てくれさえすれば後でいつでも流せる。もう少し辛抱すれば、この煩わしいチョコを洗い流せるのだろう。
 しかしあまり長くこの水に浸かっていたら、皮の方にまで染み込んでしまいそうだ。さしずめ、鶏肉のチョコレート漬けと言ったところだろうか。考えただけでも非常に不味そうである。

「・・・なぁ、そろそろ上がらねぇか?」
「もう少し浸かれ」
「おまえまだ若いんだからこんな風呂入んなくても大丈夫だよ」
「ファルコの鳥肌が直るかもしれないぞ」
「直んねぇよ」

 はぁ、とファルコはため息をついて、立ち上がった。もうすでに毛が大分チョコを含んでいる。体が全体的にずっしりと重い。
 とりあえず湯から出よう。このまま浸かり続けていたら気が狂いそうだ。ファルコが湯船を跨ごうとした、そのときだった。アイクが、茶色く濡れてしなった尾羽を掴んだのは。

「うおっ?!」
「美味そうだな」
「尻尾に肉はねぇよ、離せ」
「・・・もう少し染み込ませたほうがいいと思ったが・・・」

 尾羽をぺろりと舐める。

「もう十分そうだな?」
「・・・っ」

 クレイジーなバレンタインは、まだ幕をあげたばかりだ。















チョコ風呂って、正直どうなんだろう・・・あっ自分泡風呂でいいです。