片時ばかりの白昼夢






 アイクはがちゃと自室のドアを開けた。部屋の奥に据えられた窓から赤々とした陽が差し込んで、部屋はオレンジ色に染まっていた。時刻はちょうど夕刻である。
 ラグネルを置いたら、ファルコでも構いに行ってやろう。そんなことを考えつつ部屋に入る。
 異変に気付いたのは部屋に足を一歩踏み入れたときだった。

「・・・・・・誰だ」

 誰かが、いた。備え付けられたソファに足と腕を組んで腰掛け、こちらを見ている。
 髪は青い。ちょうど自分の髪色とマルスの髪色の中間をとったような青だった。夕陽にあてられて正確にはわからないが肌はいささか白いようだ。目の周りは朱色の化粧のようなものが施されていて。一見すると男か女か判断に迷う。少し、女性寄りだろうか。
 そもそもこんな人が大会にいただろうか。大会が始まってから結構な時間が経つ。自分もそれなりに戦士たちの顔と名前は見知っているが、こんな人は記憶にない。
 部屋の入り口で突っ立ったまま固まり、必死に思考をめぐらすアイク。その人は、よく知っている立ち居振る舞いでソファからすっと立ち上がった。

「わかんねぇか?まぁ、無理もないな」

 男、だろうか。その表情も声も中性的で判断がつかない。
 しかし、その人が立ち上がったからよく見える。その服は、まぎれもない彼の服だった。・・・見たところ、あまりサイズが合っていないようだが。

「・・・ファルコか?」
「ご名答。・・・おかえり」

 ファルコ、は、いまだに固まったまま動き出せずにいるアイクに近付く。真正面に立つと、アイクがいつもより大きく見えた。どうやら結構に背が縮んだようだ。
 対するアイクは目の前の、知っているようで知らないファルコをじっと見つめて、口を開いた。

「・・・・・・・・・誰だ?俺の知ってるファルコはもっともふもふで・・・」
「おいコラ、おかえりって言われたらただいまだろうが」

 当分動き出しそうにないアイクの腕を引っ張って、ファルコは部屋に引きずり込んだ。ここはアイク自身の部屋なのだが。
 背中をぐいぐい押していって、適当な椅子に座らせる。
 そして、自分が“人間”になった理由を話し始めた――――















 ――――本日最後の試合が終わったのは、ちょうど昼過ぎのことだった。
 名前が似ているよしみでファルコンと終点で1対1のバトルを行った。彼のそのすばやさとパワーに苦戦を強いられたが辛くも勝利したファルコは、その足であるところへ向かっていた。
 廊下をすたすたと足早に歩く。
 はたとひとつのドアの前で足を止める。鈍い銀色のノブに手を掛け、がちゃりとひねってドアを開けた。
 真っ白な床に壁、間隔をあけて並べられた真っ白い2床のベッド、風ではためく真っ白のカーテン、そして鼻を突く消毒液のにおい。医務室である。
 ファルコは後ろ手にドアを閉めると、ドクターを呼んだ。

「出てこい、ヤブ医者」
「その声は・・・ファルコか。残念だけどここにヤブ医者はいないよ。・・・有能な医者ならいるけどね」
「はいはい有能なお医者様、患者だぜ」
「連れがいるのかい?」

 ついたての向こう側に置かれた椅子からすっと立ち上がって、ドクターは姿を現した。白衣を着込んだ彼は、赤い帽子に青いつなぎのマリオと瓜二つ、否本人そのものにして別人、ドクターマリオ。
 彼についてはよくわからない。マリオと同一人物なのか、それとも赤の他人なのか。二人が同じ、この“寮”という名の空間の中に存在するからには、まったくの別人なのだろう。しかし他人とは思えないほど二人は似すぎている。
 本人に直接問うても、両名とも「企業秘密だよ」と言うに留まる。真相は彼らしか知りえない。
 さて、そこをあまり深く気にしてはいけない。これは気にした方が負けなのである。ファルコはいつものように斜に構え、青い羽のような腕を組んだ。

「目の前にいるだろうが。他に誰がいる?」
「君が患者かい?随分態度がでか・・・こほん。元気がいいようだけど」
「あぁ。別に怪我も病気もしてねぇからな」
「じゃあフォックスが風邪でも引いたとか?」

 いや、と控えめに否定して、ファルコはドクターに向き直る。
 神妙な面持ちで、話を切り出した。

「・・・・・・薬がほしい。俺を、人型にするような」
「・・・・・・!」
「あるんだったら実験台くらいにはなってやるぜ」
「ファルコ、こっちへ来てくれ」

 ドクターの目の色が、変わった。
 大きな本棚にずらりと並べられた医学辞典をぽんぽんと床へ落としていく。・・・中身は入っておらず、外箱のみの医学辞典だが。本のなくなった本棚の背板に、注意しなければ見落としてしまうほどの小さな傷があり、そこへ爪を引っ掛け背板をぱかと外す。開いたそこは壁をくりぬいた空間があり、その中にいかにも怪しげなボタンがある。それとぽち、と押せば本棚が左右にスライドし、ドアのついた壁が現れた。
 ポケットから鍵を取り出し、そのドアの鍵穴に差し込む。ひねれば、かちゃりと軽い音がしてドアが開けられた。
 ドクターとファルコはその秘密の部屋に足を踏み入れた。

「こんな仕掛けがあったとは・・・まったく、よくやるぜ」
「誰にも言っちゃいけないよ、いいね?」
「あぁ」

 ドアを後ろ手に閉めると、ずるずると本棚が元に戻る音が聞こえた。まったくよくできた仕掛けである。ファルコは腕を組み、感心しつつ部屋の中を見回した。
 山積みになった資料は机の上だけに留まらず床にまで及んでいる。黒板には白いチョークで複雑な化学式が書かれている。いかにもあやしい色の液体が入ったフラスコや試験管があちらこちらに見える。
 医務室で患者を待つドクターの裏の顔は、日夜新薬を開発研究するマッドサイエンティストといったところか。

「えーっと、鍵鍵・・・」

 資料の下や引き出しの中をごそごそと漁るドクター。やがて鍵を見つけたようで、部屋の隅の金庫の鍵穴に合わせて金庫を開く。
 そこから取り出されたのは、シャーレの中でころころと転がるカプセルだった。量産したのか、同じカプセルが数十錠入れられていて、互いにぶつかり合っている。ふつうのカプセル薬よりいささか粒が大きいように見えた。
 ドクターは適当なグラスに水をくみ、薬と一緒にファルコの目の前に持ってきた。シャーレのふたを開ければ、独特の鼻を突く嫌なにおいがする。

「人外の者を人型に変える薬だ。何年もの研究の末にできた傑作だよ」
「本当に効くのか?」
「多分、効くはずだ。危険な薬だし試験していない。確実に人型になるだろうが、どれくらいヒトに近付くのか、どれくらい薬が効き続けるか、どんな副作用があるのかさえわからない。」
「・・・・・・・・・」
「ファルコはもともと人型に近いからほぼ完全なヒトになれるだろう。ただ、いつその効果が解けるかまったくわからないんだ。もしかしたら半日もすれば戻るかもしれないし、逆に1ヶ月も効果が続くかもしれない」

 ファルコは眉間にしわを寄せた。なんとも不安で、なんとも危険な綱渡りだ。
 悩み始めるファルコに、ドクターは続ける。

「飲むか飲まないか、決めるのは君自身だ。僕は強制しないよ」

 この部屋を見たからといって、ね。そう付け足して、ドクターは黙った。ファルコも黙ったままで、研究室にしばしの沈黙が流れる。
 これを飲めば、人になれる。しかしどんな副作用があるかわからない。1日や2日で元に戻ればいいが、1ヶ月やそれ以上人であり続けるなら、それは問題だ。できれば人型になっているときは親しい者以外に会いたくない。そもそもあまり他人の目に触れれば大事になるに決まっている。
 ファルコは長い長い葛藤の末、ドクターの手から薬とグラスを受け取った。

「どんなふうになっても恨まないでくれよ」
「あぁ、・・・じゃあ、行ってくる」

 薬を口に含み、グラスを傾けると、一気に飲み干した。
 彼の意識はほどなくして一度途切れる。










 それからどれほどの時間がたっただろうか。ファルコはぼんやりとだが意識を取り戻した。白い天井が目に入る。ベッドに寝かされていたようだ。かなり長時間寝ていたのかもしれない、ファルコははっとして飛び起き、時計を見る。
 しかしあまり時間は経っていなかったようだ。あれから半刻ほどしか時計は進んでいない。ほっと胸を撫で下ろし、それからまたはっとする。
 自分は人になれたのだろうか。
 ぎしりとベッドの軋む音に気付き、ついたての向こうからドクターが現れた。

「気分はどうだい?」
「・・・・・・俺、は・・・?」
「・・・成功だよ」

 ドクターはファルコに手鏡を渡し、冷たい水の入ったグラスをベッドの脇のテーブルへ置いた。
 ファルコはまじまじと鏡に映る自分を覗き込んだ。確かに、人の顔になっていた。青い羽毛のかわりに青い髪、くちばしのかわりに唇、手も肌色の、人の手だった。
 服の襟を引っ張り、胸を見た。そこには少しの羽毛もなく、するんとした肌があった。
 しかし、何かがおかしい。

「・・・ちょっと向こう向いてろ」
「え?あぁ、ごめん」

 あごで入り口の方を指し、ドクターがこちらに背中を向けたのを確認した後ファルコはベッドの布団をめくった。そして、そっと、恐る恐る、ズボンの中を確認してみる。
 ・ ・ ・ 。

「おいコラヤブ医者!人間にしろとは言ったが女にしろなんて一言も言ってねぇ!!」

 医務室に、ファルコの絶叫がこだました――――















 ――――そして、今に至る。
 もちろん医務室の中の秘密の部屋については話していないのだが、ファルコはあらかたを話し終えて一息ついた。アイクを見遣れば、彼はなにがなにやら、といったふうに口をあんぐり開けたまま一切の動きを停止している。
 まぁ、こんなもんか。
 さすがにすぐ受け入れられるとは端から思っていない。誰かが髪の毛を切った翌日とは比べものにならないくらい変わったのだ。こんな反応が当然である。

「・・・で、どうだ?」
「どうって?」
「俺のこの姿」

 自分で言うのは何だが、それなりに気に入っている。
 背丈が思ったより縮んだのと、性転換してしまった点、これは除く。それ以外は肌の色から髪の色、女性とも男性ともつかない中性的な顔立ち。なかなかうまくできた薬だとファルコは改めて感心する。
 すべてがすべて女性的であったら、それはそれは不満であっただろうが、そんなこともなくなかなかのものだと我ながらに思う。

「まぁ、悪くはない」
「よくもないってか?」
「少し違和感がある」
「そりゃそうだろうな」

 その理由とも言えば、それは今までうっとおしいと思ってきたものが、すべて取り払われたからだ。
 以前は、自分の容姿が気に入らないと思うことなどなかった。自分の姿など顧みず仕事や乱闘に身を打ち込んでいた。
 それがどうだろう。彼と関わりを持つようになってから、自分のその体が恨めしくてたまらなかった。否、彼が“本当の”自分を好いてくれているのは重々わかっている。わかっているのだが。
 たまには、こんなのもいいんじゃないだろうか。
 もっともこんなにもうまくことが運ぶとは思っても見なかったのだが。そして、この先どうなるかもわからない。
 ファルコはすくと椅子から立ち上がった。目の前のベッドに腰掛けるアイクの隣へ座りなおせば、ベッドがきしと軋む。

「・・・おい、今日、・・・泊めろよ」

 いきりなりの誘いに、アイクははっとファルコのほうを見る。しかしファルコはふいと顔を背け、あらぬ方向を見ている。その横顔は、ほんのり紅色に染まっていた。

「・・・急にどうした?」
「いや、その、ちげぇよ!そういうあれじゃなくて、この姿で寮内うろついてたらヤバいだろ!」

 なにを必死になっているんだろう。アイクはふ、と笑みを零した。笑うんじゃねぇ!そんな声が聞こえ、姿は変われどやはり彼は彼なんだな、と内心で安堵のため息を漏らす。
 今の彼に触れるのをアイクは躊躇っていた。手のひらが、本来の、昨日までの彼の羽毛の感触をよく覚えている。
 だが今の彼といったら。自分のそれより綺麗な、なめらかな肌をしている。それはそれはすべらかな触り心地なのだろう。
 本当の彼の片鱗が、少しもない。今までの彼を全否定するようで、怖かった。

「俺は構わないが・・・夕飯はどうする?」
「なんか持って帰ってこれるもの持ってこい」
「わかった」

 しかしアイクは、そっとその手を取る。あの青い羽ではなく、自分の手よりいくぶん白いそれを。

「な、なんだよ」

 細い。小さい。ともすれば折れてしまいそうだ。服の袖を肘あたりまでめくる。そして余分な肉のない腕を見る。何本かの血管が通っていて、それ以外何もない。彼の象徴であった青い羽毛も、ない。確かめるように撫でれば、するりとまとわりつくものがなにもない。それはそれでいい手触りだ。
 これはこれでいいのかもしれない。その指に自分の指を絡めた。

「ファルコ」

 名を呼ばれて、ファルコの頬がまた赤く染まる。
 熱を帯びたその頬にやさしいキスを落とす。

「・・・・・・なぁ、」

 ばさ。
 唐突に、ファルコはアイクを押し倒した。アイクがベッドへ倒れて布団が音を立て、スプリングが軋んだ。
 まるで上気したかのような頬のまま、アイクを見下す。目の周りの赤い縁取りも含まり、その表情はいやに悩ましく見えた。

「・・・笑うなよ?」
「なにがだ?」

 アイクの唇を指でなぞる。

「俺、これがほしかったんだ。ずっとな」

 わからないだろ?そうつけたして、その目は哀しい色を映していた。
 その瞳に吸い込まれそうになる。笑えるわけもない、身動きすらできずにその目を食い入るように見つめた。

「ははは、気持ち悪ぃな。そんな柄じゃねぇよ」

 アイクの視線に、ファルコはそっと目を伏せて。そっと、唇を重ねた。
 瞬間、ぐらりと甘い眩暈がする。どさ、とアイクの胸の上に折り重なるように倒れこんだ。眩暈がいつまでもやまず、心臓がばくばくと音を立てて走る。顔はこれ以上なく真っ赤に火照り、ファルコは肩で息を継いだ。

「どうした・・・?」
「・・・なんでもない、平気だ・・・」

 まったく、ドクターもいい薬を作ったものだ。ファルコは改めてドクターに感謝する。
 そう、以前は自分の姿を恨んだことなど一度もなかった。鳥としての誇りをもっていたほどだ。
 しかしアイクが現れてからはずっとこの姿を忌々しいと思っていた。人でもなければ、完全な鳥でもない。中途半端なこの姿に、幾度苦悶したことか。
 どうして神は自分を人に近づけたのか。どうして自分は人語を操りながら人でないのか。くだらないことを幾度も考えた。答えなど当然見つかるはずもなく、見つかったとしてもこの姿をどうすることもできないのはわかりきっていた。
 彼が、この姿を好いてくれているのは知っていた。たとえ人型になったとして、今までの、自分ではない自分を受け入れてくれるだろうか、そんな不安もあった。
 それでもファルコが薬を飲むに至ったのは、どうしても彼と、対等に付き合いたかったからだ。
 ずっと、こうして自分の気持ちを伝えたかった。

 ファルコはもう一度、アイクにキスをした。

「ファルコ、」
「・・・熱いな・・・」

 むくりと起き上がると、ファルコは服を緩めていく。ジャケットがぱさとベッドの上に落ち、それを倣ってスカーフも、シャツも落ちていく。

「・・・・・・俺も女ははじめてだから、・・・やさしく抱けよ?」

 ファルコのその言葉を合図に、今度はアイクのほうから貪るようなキスをして、ふたりはベッドに沈んでいった。















あとがき。
秘技エロカット
自分くちばしだからキスができなくて悩んでるといい。
ファルコが妙に積極的だけど決して擬人化薬に媚薬が入っていたわけではなく、自発的な(ry