あの嘘が、嘘にならないように







 まさか、こんなに早いとは思ってもいなかった。



「おはようございます、アイク」
「・・・・・・ん・・・」

 セネリオはいつもどおり、アイクの部屋のドアを開けて中に入る。暗く閉め切られた部屋には生活臭が立ち込めていて、不快感に眉間のしわが寄る。手に持っていた盆を、机の上に置く。アイクが寝ているベッドの脇の窓にかかったカーテンをしゃっと開いた。

「今日はあまり天気がよくないですね」

 差し込んでくるはずの光は一筋もない。まだこの季節、陽射しがないと少し肌寒い。窓の外に広がる空は、一面の灰色。その暗い色がさらに体感温度を下げる。どんより垂れ込めた厚い雲は、今にも雨を降らせそうである。
 ベッドの上で、アイクが体を起こした。

「寒くないですか?」
「少し・・・」
「どうぞ」

 腕にかけていた毛布を、彼の肩にそっとかけてやる。きっと寒いのではないかと思って持ってきていた。どうやら無駄ではなかったようでセネリオは口元を少しだけ、綻ばせた。
 アイクは窓の外をまっすぐに見つめている。その切なげな横顔を幾度見たことか。

「今日も暇、だな」
「・・・・・・・・・薬、飲んでください」
「いやだって言ったら?」

 ふとアイクの視線が、窓の外からセネリオに移る。どことなく恨めしそうな目。あの頃よりいくぶん光を失ったその瞳は、それでもやはり綺麗な青色だった。視線に射抜かれ、セネリオはいささか口ごもる。

「できれば、早く自由になりたい」
「アイク!」

 その言葉に、セネリオは声を荒げた。
 死なせはしない。一日でも、一分でも、長く生きてもらう。
 彼の寿命が一秒でも長くなるなら、どんなことだってしよう。彼の願いなら、できるかぎりを聞いてやろう。しかしそれにも、できることとできないことがあって。

「少しでも長く、生きてください」

 思わず涙がこぼれそうになって、セネリオはうつむいた。

「薬は苦いからな・・・嫌いだ」
「・・・嫌いでも飲まなきゃダメです」
「口移しなら飲んでやらなくもない」
「まったく、あなたって人は・・・」

 アイクに涙を悟られないように、そっと指で拭って顔をあげ、ぎこちない笑顔をつくった。その笑顔は、どこか壊れてしまいそうな儚さをはらんでいて。その頭にアイクの手が乗せられた。
 大きな、骨ばった彼のてのひらが、セネリオの黒髪をならすようにゆっくり撫でる。その手がどうしても愛おしくなってしまって、頭をふるふると振った。

「子供扱いしないでください・・・」

 素直じゃないのは自他共に認めるところだ。
 セネリオは机に置いた盆の上のグラスと薬を手に取った。グラスを傾け薬を口に含むと、そっとくちづけた。セネリオの口内を経て生暖かくなった水と、それに混ぜられた苦い薬が、アイクの口内へ流れ込む。すべてをアイクに注ぎ込んだところで、顔を離した。
 その表情は眉間にぎゅっとしわを寄せて、苦悶に満ち満ちていた。流し込まれた薬を、こくこくと喉を鳴らせて飲み込んでいく。

「まずい・・・」

 こぽこぽとグラスに水差しから新しく水を注ぐ。いまだに苦虫を噛んだような表情のまま固まっているアイクに、そっと差し出した。それを受け取って、一気に口内を洗い流すように飲み干した。
 ほっと息をついて、セネリオは渡されたグラスを盆に置きなおす。

「じゃあ、ゆっくり休んでください。失礼します」
「待て、セネリオ」

 盆を取り上げる。踵を返しかけて、アイクの声が引き止めた。

「なんですか?」
「・・・俺が死んだら・・・」
「アイク、そういう話はやめてくださいって・・・」
「俺が死んだら、どうするつもりだ?」

 彼が、死んだら。
 自分が心を開く唯一の存在がなくなったら。
 幾度か彼の死後の世界を想像した。だがその世界はあまりに恐ろしく、途中で考えるのをやめてしまった。無理だ、自分にあの世界で生きていける自信はひとかけらもない。
 後を、追おうと思っている。
 きっと彼のことだ、セネリオがそういったら激昂するに違いない。セネリオは、はじめてアイクに嘘をついた。

「・・・・・・あなたの分まで、生きます・・・」

 アイクは目を見開いた。どうやら予想外の答えだったようだ。
 しかしすぐに目元はやさしく微笑んだ。

「じゃあ、安心して死ねる・・・」
「え・・・?」

 彼がそう言い終わってすぐ、アイクは咳き込んだ。口の端から、血が、こぼれた。
 ぐいと引き寄せられて、顔の距離が急に縮まる。ふたりはそっとキスをした。そのキスは、悲しい悲しい鉄の味だった。

「生きろよ・・・最後の、約束だ・・・、セネリオ・・・」
「アイク!まだ死んだらダメです!アイク、アイク!!」

























 陽の光がまぶしい、まどろみの昼下がり。セネリオはふらりと外へ出た。
 その足は迷うことなくあるところへ向かっていく。
 青々とした草のじゅうたん。頬を撫で髪を揺らす穏やかな風。小さな花が点々と咲き、小鳥が絶え間なくさえずる。雲ひとつない青い空には、ひらりひらり木の葉が舞っている。
 しかし、そんな場所には不似合いな大剣が一本。台座に突き立てられている。
 セネリオはその大剣の前で膝を折る。

「遅れてしまってすみません」

 あの人のかつての愛剣、アロンダイト。日光にあてられ、少しあたたかくなったその刀身にそっとくちづける。
 それは、他でもない彼の墓だった。
 泣きながら彼の骸を埋め、重い大剣を引きずり、ここに墓として立てた。
 毎日毎日飽くことなくセネリオはここへ通っている。晴れればいっしょにまどろみ、曇ればはいっしょに凍え、雨が降ればいっしょに雨をしのぐ。あの日から、毎日。欠かしたことなど一度もない。
 あの人との最後の約束を守り続けている。あの嘘が、嘘にならないように。
 セネリオは、そこへ横になった。
 この下に、あの人がいる。そう思うとこれ以上になく幸せだった。

「今日は よく晴れてますね アイク」

 あの日から光の宿らなくなった目を、そっと伏せた。













あとがき。
CUDDLY TOY ササコさまの描かれた絵がトライクゾーンど真ん中にきてしまいまして、インスパイアされて恐れ多くも書かせていただきました・・・!
最後のセネの台詞お借りしました。本当にすみませんorz 不快でしたらゴルァしてくだされば修正しますのでご遠慮なく!
唐突にSS書かせて下さいなんてお願いしたにも関わらず快く許可くださってありがとうございました!
そんなこんなで、本当ありがとうございました!こんなものですがササコさまに捧げます。