燃えるような薔薇色で






 試合を終え、アイクは部屋へ戻った。彼女の待つ部屋へ。
 ノブに手を掛けると急に背筋に鳥肌が立つ。胸が締め付けられるような感覚、熱くなる目頭。優しい彼女の顔と狂気に満ちた彼女の顔が交互に脳裏をよぎって消えた。
 ふると肩を震わせ頭を振ると、ノブを回してドアを開ける。
 と、目の前に広がった光景は。

 ・・・・・・!

 一面の赤。
 急いで視線をめぐらす。この部屋にいるはずの彼女を探す。

「マルス!」

 捉えた。ベッドの上だしかし、胸元は赤に彩られている。
 もしかしてもう、手遅れなのか・・・?
 悪い予感が頭に浮かんだがそれをかき消すようにベッドへ走り出した。
 叫ぶ声に反応したのか、ベッドに横たわっていたマルスは上半身をむくりと起こす。
 まだ眠い、とでも言いたげな表情。アイクがほっと胸を撫で下ろしたのをマルスは知らない。
 アイクはマルスの胸の赤をすくいあげると、大きなため息をついた。

「・・・薔薇、か・・・」
「おかえり、アイク。どうしたの?そんな怖い顔して・・・」
「おまえ・・・!」

 死んでたのかと思ったんだぞ!心配させるな!そう言いたかったのだが、恥ずかしくなって口を噤み赤を握りつぶす。
 部屋、それに彼女の胸を染める赤は、薔薇の花びらであった。
 彼が押し黙ってしまったせいで余計に謎が深まったマルスは、うつむいてしまった彼の顔を覗き込む。
 はっと顔を背けるアイク。何か言って自分から興味を遠ざけなければ。

「・・・どうしたんだ、その薔薇・・・」
「あぁ、これ?」

 起き上がって膝の上に落ちた花びらをてのひらに乗せて。

「オリマーさんが育ててた薔薇、熟したそうで僕らにってくれたんだ。いいにおいするでしょ?」

 言われてはっとして鼻をすんと鳴らす。薄っすらとだが薔薇の甘いにおいがした。
 それと同時に、アイクは自分がどれだけ衰弱しているのかを知った。動揺していたとはいえ、血のにおいもしないのに薔薇の花びらが血に見えた。嗅覚も視覚もおかしくなっているのだろう。
 一気に押し寄せる疲労感に、ふらりと彼女に折り重なるように倒れ込む。

「ふふ、お疲れだね、アイク」
「あぁ・・・」
「少し休んだらどう?夕食の時間になったら起こすよ」
「そう、だな・・・頼む・・・」

 アイクはそのまま眼を閉じて、頭がぐらぐらするような感覚を覚えながら眠りについた。

「薔薇、綺麗でしょ?もっと綺麗な薔薇、見せてあげるよ」

 その言葉を、彼は聞いていたのだろうか。










 なんだろう。体じゅうが酷く痛む。アイクは真っ暗な部屋で必死に考えた。
 部屋に戻ってきたら、部屋中が血まみれで、マルスが死んでて、でもそれは薔薇の花びらで・・・
 それで、自分は・・・、・・・そうだ、夕食までの間、休もうとベッドに横になったんだ。
 そこまで思い出すのに、どれだけの時間を要しただろう。
 それと同時にだんだんと体が感覚を取り戻していく。
 ぐちゃ、ぐちゃと不規則に響く不快な音。鼻を突く嫌なにおい。ゆさゆさと揺れるからだ。

「起きた?もう夕食の時間だよ」

 目を開けるとそこにはマルスがいた。自分にまたがっていた。
 彼女の頬に、赤い液体が伝っている。彼女の手に、赤い液体のついた刃物が握られている。その赤は、確かに黒を含んだ邪悪な色で。薔薇のそれではないのは、すぐにわかる。
 恐る恐る痛むところ、胸元を見てみれば、そこは皮膚がえぐりとられどくどくと血を流し、真紅に染まっていた。
 目の前で、その銀のナイフがドス、と深々と胸に突き立てられ。ざく、と血肉を跳ねのけながら引き抜かれ。跳ね返る血しぶきがマルスの頬を濡らしていく。引き抜かれたナイフから真紅のしずくがぱたぱたとアイクの頬を濡らしていく。

「っ・・・!」
「ほら、言ったでしょ?もっと綺麗な薔薇、見せてあげるって」

 そんなこと、言っていたっけか。霞む頭の中ではどうにも思い出せない。
 血のにおいには、慣れたと思っていた。戦乱の中で幾度となく嗅いできた。そして同じく、痛みにも。だが今不快に感じるあたり、まだ慣れてはいなかったんだと気付く。

「アイク・・・君は、僕だけのものだよ・・・誰も君に触らせはしない」

 ぐちゃ。マルスの頭の高さからナイフが振り下ろされる。びちゃびちゃとおびただしいほどの血が流れ、シーツを、ベッドを、床や壁までもを真紅に染めていく。
  肉と肉の間に、無理矢理ナイフが割って入る痛み。最初は突き立てる、引き抜くの単純作業だったが、愛ゆえか突き立てられたナイフが腹の方へがりがりと引き裂かれる。苦痛で顔がひどく歪み、脂汗が滝のように流れ落ちる。叫び声はおろか呻き声すら出せないその痛みは、どうして絶え間なく与えられるのだろう。いよいよ血は止まらない。
 容赦が、ない。胸にナイフが叩きつけられるその勢いで、赤は流星のように飛び散り、結構な位置にある家具にまで及んだ。
 もう、胸元に肉がない。
 マルスは、とても愛おしそうな、それでいて憎らしそうな目で彼を見つめた。
 綺麗な空色の髪も白い頬も返り血に濡れ、青を一層際立たせている。

「・・・たしかに、きれい、だ・・・」

 おまえのいう、“薔薇”じゃなくて、おまえが。
 そう言おうと思ったのだが喉が潰れたように声が出なかった。かわりに涙が頬を伝った。

「愛してるよ」

 そう聞こえたのとアイクの心音が途絶えたのはほぼ同時であった。
 喉元に綺麗な綺麗なスカーレットの花を咲かせて。



















「あぁ、化粧したアイクも綺麗。」

 マルスは部屋に溢れかえる燃えるような薔薇色で、彼の動かぬ体を、自分の体を、部屋じゅうを染めてまわった。