空に抱かれて どうしても伝えたいことがあって、彼を屋上へ呼び出した。 もう季節は夏も終わりに近づき、真夏のあの暑さは大分衰えてきている。すでに秋の片鱗があちらこちらに見え始めていた。少し前までは、毎晩朝まで冷房を効かせていたが、もう朝と夕方はずいぶん涼しくなってきた。それでもやはり昼間はまだそれなりに暑いのだが。 ひゅうと冷たい夜風が通り過ぎた。頬の青い羽毛を逆撫でられる感覚に少しの不快感を感じながらも、その暑さを含まない澄んだ空気は心地よかった。冷房の、刺すような風とはまるで違うやわらかい風だ。 風につられて空を見上げる。どこまでも続く暗い藍色を背景に輝く月は鋭く、白い。数日前にここから見た月は満月で、綺麗な金色をしていた。三日月の月明かりは満月のそれに比べれば弱々しいが、それでも十分であった。それどころか、その他の光源のないそこでは直視すれば眩しいほどだった。 眩しさに目を閉じて満月を思い出す。彼の言葉を思い出す。 ギィ、と重い扉が開く音にはっとして向き直る。後ろ手にドアを閉める彼のマントが夜風にさらわれてばたばたと翻った。 「――――答えが決まったのか、ファルコ」 マントと一緒に揺れる、自分の羽毛と似た青色の髪。透き通った青い瞳。青い服。アイクだ。彼はファルコの方に数歩歩み寄る。近すぎず、遠すぎない距離。適当ではあるが、しかし微妙な距離だった。 彼のその低い問いに、ファルコは言葉も無く頷いた。頷いて、背後のフェンスに寄りかかる。ぎしりと軋んでファルコの背中に沿ってしなった。 目線をアイクの足元に落として。一息ついてから、ファルコは口を開いた。 「・・・・・・認めたくねぇけど・・・嫌いじゃないぜ、おまえのこと」 「そうか、じゃあ・・・」 「おい、嫌いじゃないってだけじゃねぇか」 「・・・好きでもないのか?」 「・・・・・・・・・」 ファルコは押し黙る。彼に傾きかけている心ではその問いに頷くことはできないが、かといって首を横に振れるほど素直でもなかった。 心の中では幾度でも呟ける、ただ“す”と“き”の二文字の組み合わせ。しかし、彼本人を目の前にしてその二文字をつむぐことはできなかった。彼の前でなくても怪しい。どうしても、本心に抗うもう一つの心が、頑なに本心をさらけ出すことを嫌うのだ。 「嫌いじゃないなら、好きにさせてみせる」 「・・・大した自信だな」 「・・・だから、きっかけをくれ」 「でも、俺 “トリ” だぜ?」 泥水を注ぎ込まれた水のように、目が、すうと濁った。 「俺とおまえは根本的に違う。違いすぎる。おまえは人間で、俺はトリだ。おまえは綺麗な顔も肌も手足も当たり前みたいに持ってやがる、でも俺は生まれたときからこの体だ。全身びっしり毛が生えてる、毟っても毟ってもすぐにまた生えてきやがる。こんなでかくて邪魔なくちばしだってついてるし手なんてこんな翼じゃ飛べやしねぇ。足もちゃんと木を掴めるようになってる、それだけじゃない、朝は嫌でも早くに目が覚めるし、夜は早寝で暗いところじゃまったく目が見えねぇ。寒いのも苦手だしな」 「ファルコ・・・!」 「俺はトリだ。習性も姿も、何もかも、人間のおまえと違う“トリ”だ。それに、今はこの世界で同じ言葉を喋ってるが、大会が終われば喋る言葉も世界も違う。たとえ好き合っていたとしても、俺たちは深く交わっちゃいけねぇんだよ」 「違う、ファルコ」 「違わねぇさ。ここで深く交われば交わるほど、この種族差も深まる。後に引けなくなってからその差に気付くことほど残酷なことはねぇよ」 「・・・・・・ッ」 一方的に口走るファルコに、アイクは言葉をつまらせる。 アイクにしてみれば、そんなつまらない差など、味の好みの違いと同じくらい小さな問題だ。さほど問題ではない、むしろその差に惹かれるものすら感じるほどだ。そう言ってやりたかったのだが、しかし言ったところで彼にとっては気休めにしかならないのだろう。 これは、アイクがその違いを受け入れられるかどうかではない。ファルコ自身がこの違いがいかに小さなものであるかに気付かなければ解決しない。そのために何をすればいいのか。アイクは考えるのだが、脳では彼の言葉が繰り返されるだけで、糸のかかっていない糸車のごとく空回りする。 答えの糸は、紡ぎ出せない。 「まぁ、でも・・・、もう遅ぇんだけどな・・・」 「・・・・・・どういう意味・・・」 「――――・・・なぁ、」 屋上の、フェンスに登る。この後の展開は容易に読めたのに。 「俺、“トリ” だぜ」 小さな翼を掲げたその姿が、美しくて、儚くて、目が離せなかった。体が動かなかった。言葉が出なかった。 彼は、翔び立った。 あとがき。 |