snuggle

 郁と柴崎が官舎の堂上家へと河岸を変え、双方に程良く酒が入った頃――もちろんその酒量は段違いだ――「ねー、笠原ぁ」と向かいに座る柴崎から声を掛けられた。
 その声にグラスを口へと運びながら郁は顔を上げた。
「なによ柴崎」
「堂上教官に初めて名前呼ばれたのっていつ? 純情乙女なあんたならちゃーんと覚えてるでしょ。ほーらキリキリ吐きなさーい」
 そうのたまった柴崎に向かって口にしていた果実酒を吹き出さなかった自分を誉めてもらいたい。吹き出すのを寸でのところで堪えて酒を飲み下した郁は、激しくむせながら柴崎を睨み付けた。
 その柴崎はといえば、むせる郁を横目に優雅に自分のグラスを傾けてはにやにやと嫌な笑みを浮かべ、涙目になってるわよー、などとからかってくる。そんなこと自分でも重々承知だと言ってやりたいのだが、うっかり気管に入ってしまったせいで咳がなかなか止まらない。
 普通の水でさえ気管に入れば辛いというのによりにもよって今呑んでいたのは梅酒のソーダ割りで、アルコールとソーダと甘さのトリプルパンチで酷く辛い。
「ちょっ、何言い出すのよ!」
「だぁってこの情報屋の麻子様とあろうものがよ? 物凄ーく大事な所を今の今まで聞き忘れてたって気付いちゃったんだもの。あたしがあんたのことで知らない事が存在するなんてそんなの有り得なくなぁい?」
「有り得なくていいわよっ!!」
 ようやく落ち着いたところで噛み付いてみるも返ってくるのは更に不遜な物言いで、郁は思わずソファに崩れ落ちそうになる。それでも一応突っ込みを入れるのは忘れない、というか入れずにはいられない。
 どこをどう解釈しても無茶苦茶にしか聞こえない理論を展開させた柴崎は、郁の反論など気に留める様子も見せずにチェシャ猫のような笑みを浮かべている。
 くそう、人のことからかって楽しんでんじゃないわよ、などと恨み節を心の中でぶつける。
 実際にぶつけたとしてもあっさり流されるのは目に見えているから口に出せないのが悲しいところではある。
「ああもう、いきなり変なこと言わないでよね!」
「そんなに変なことでもないと思うんだけど」
「十分に変だってば……」
 うう、と郁が唸っていると、柴崎が何の前触れもなくがばりと抱きついてきた。
 柔らかくて細い腕を郁の首から後ろへと回し、ぎゅうっと抱きしめてくる。小さな頭が肩口に伏せられると良い匂いがした。
「な、ななな何すんのよ」
「――ね、聞かせてよ。お祝いだと思ってさ」


本文より抜粋。



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