step by step

 郁の『部屋を借りたい』発言を発端とした喧嘩は、約一月が経った本日無事に終了した。拗ねてごねてふて腐れて、周囲にもだいぶ気を遣われてしまったが、どうにか仲直りすることが出来た。
 しかし今の状況は、その安心感を噛み締めているどころではない。一体どうしてこうなったのか――堂上が言い出したからだ。指環を見る、と。
 昼食を取ったカフェから手を取って連れ出され、すたすたと歩く堂上にひたすらついて歩く。堂上は先ほどからずっと郁の手を握ったままだ。
自分よりも厚みのある手の感触と体温に、仲直りしたという実感がやっと追いついてきた気がする。一歩前をいく堂上の背中を見つめて、内心で安堵の溜め息をつく。
ほっとしたところで、おもむろに堂上が足を止めた。それに合わせて立ち止まると、くるりとこちらに振り返った堂上と目が合う。
「ほら、入るぞ」
 そう言われて初めて、郁は今の居場所がどこなのか認識していなかったことに気付いた。慌てて周囲を確認すると、目の前にあったのはジュエリーショップの入り口だった。
 そうだ、目的地ここだよ! どこだろう、じゃないし!
 自分に突っ込みを入れる間もなく、手を引かれるがままに店に足を踏み入れた。
 店の中は他に客もおらず、外の喧騒とは打って変わってやたらと静かだ。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」
「ええ、婚約指環と結婚指環を」
「それはおめでとうございます。こちらのショーケースとあちらにも様々な種類をご用意しておりますが、いくつかお出し致しますか?」
「いえ、今回は下見のつもりだったので構いません。少し見せてもらいたいんですが、いいですか」
 勿論でございます、という店員に会釈を返した堂上はショーケースの中を覗き始めた。相変わらず、郁の手を握ったままだ。郁としては、一緒になって見るには少しばかり腰が引けてしまう。
 安価なアクセサリーを売っている店などは、買い物ついでに覗いたりすることが時々ある。しかし、このようにきちんとしたジュエリーを扱う店に入る機会など殆どなかった。 戦闘職種なんてものについていると、仕事中に装飾品は邪魔になるだけなので身につける機会があまりない。そうしてどんどん縁遠くなってしまって今に至る。そんな訳で、きらきらしい店内の様子に、自分は場違いなのではと思ってしまうほどだ。
「あの、ほんとに見るんですか? また今度でもいいと思うんですけど」


本文より抜粋。



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