※別冊I、4章〜5章の間、夏の初め頃の話です。



 なんでこんな事になってんだろう。
 この人こんなことするようなキャラだったっけ?
 ああでもマメな人だから有り得なくはないのかも。付き合う前から――当麻事件が始まった日、初めてカミツレのお茶を飲みに行った日だ――いつもと違う服にもメイクにも気付いてくれたし(あまつさえ褒めてくれた)、伊達眼鏡だって真剣に見立ててくれた。柴崎からバカップルを装えという指示があっての買い物だったが、あれは郁のことを考えながら選んでくれたことは今なら分かる。
 だから、彼氏彼女なのだから、今一緒にココにいるのは何らおかしくない。のだと思う。
 でも、でも、こんな買い物を彼氏とするなんてあたしには恥ずかしすぎる―――!


  彼女と彼の平穏な日常 〜夏の乱〜


 郁が堂上と付き合い始めてから、ほぼ一年が経とうとしている。
 去年の夏は堂上が入院していた為、二人でどこかに出掛けるということがなかった。
 そういう理由から、海や花火や祭といった恋人らしいイベントは悉く逃してしまっている。
 郁も堂上も図書館に勤める身、しかも図書特殊部隊所属ということもあり、世間の恋人達のようなイベントをこなせるとは思っていない。それに去年のことは、堂上が無事元気になってくれたのだから、どこかに行けなかったことを怨むようなことなどあるはずがなかった。
 しかし彼氏モードになると郁に甘い堂上にとっては去年のことがいささか引っ掛かっていたようで、すっかりお約束になっている夜の呼び出しの時、海に行かないかと誘われた。
「公休にレンタカー借りて行こう。茨城辺りなら高速飛ばせばすぐだし、こっちでどこかのプールに行くよりも空いてるだろうしな。去年の夏はデートらしいデートも出来なかったし、どうだ?」
 その誘いはとても嬉しかったので、一も二もなく飛びついた。もう何年も海なんて行っていない。
「いいですね!大洗とか近いですよ。もう少し足伸ばせばもっと穴場もあるんですよー。うちからは遠くてあんまり行かなかったですけど」
「そうか。じゃあ後で調べておく。お前も行きたい所あるなら早めに言えよ」
「分かりました!」
 嬉しいのが聞いただけでバレバレな、明るい声で返事をする。敬礼のおまけ付きだ。堂上はその仕草にちょっと苦笑しつつも、郁と同じく嬉しそうな顔で頭をぽんと叩いてくれた。
 やった、久しぶりの海だ。しかも堂上教官と。彼氏と海でデートなんて、恋人らしすぎるじゃないか。
 もう一年近く付き合って、これ以上ない程に恋人らしいこともしてるのに何を考えてるんだろうと思うが、乙女思考は止まらない。
 何着てこうかな。ビーチサンダルとかあったっけ。そこまで考えて、水着を持っていないことに思い当たった。持ってないと言うのは正しくない。実家に帰れば古い水着はあるはずだ。でも初めての堂上との海デートに古い水着なんて言語道断だ。中身も何もかも知り尽くされてはいるけれど、やっぱり少しでも可愛い姿を見てもらいたい。
 柴崎に一緒に選んで貰おうかな。下着の時も可愛いの選んでくれたし、やっぱりセンスいいし。
 そんなことを頭の片隅で考えていたら、そろそろ戻るか、と声を掛けられた。
 仕事で会えるし同じ敷地内に住んでいるけれど、やっぱり分かれ難い気持ちはある。名残惜しさを感じながらも、少しだけキスをして、夜の逢瀬は終わった。


 郁がいそいそと部屋に戻ると、扇風機で涼みつつくつろいでいた柴崎がおかえり、と声を掛けてきた。次いで、からかいの言葉が飛んでくる。
「こーんなに暑いのに愛しの堂上教官と一緒に居たいだなんて、純情娘らしいったらありゃしないわねー」
「う、うっさい!いいじゃんか別に!」
「誰も駄目だなんて言ってないわよー?ところで嬉しそうな顔してどうしたの」
 今のあんた、あたしじゃなくても嬉しいのばればれよー、と柴崎にまたからかわれる。そんなににやけていたのだろうか、と思わず頬を押さえてしまう。
「あのね、堂上教官に海行かないかって言われた」
「あら、良かったじゃない。去年の夏はお見舞いだけで終わったものね」
 毎日のように病室デートはしてたけどねー、ああ暑い暑い、と混ぜっ返すのを忘れない柴崎がちょっと憎らしい。しかしからかいの言葉に反して柴崎の表情は優しい。応援してくれてるのが分かるから、憎らしいと思った気持ちは置いておくことにする。
「二人で海なんて初めてだし、海自体も久しぶりだからすごい楽しみなんだ」
「全身から楽しみだーってオーラ出てるから分かるわよー。楽しんで来なさいな」
「うん。で、あの、柴崎……お願いがあるんだけど」
「何よ?」
「水着!選ぶの手伝って!お昼奢るから!」
 手を打ち合わせて拝みながら頭を下げる。どうせ奢れと言われるのは分かっているから、先手を打つ。
 ちらりと視線を上げて柴崎の表情を伺うと、チェシャ猫を思わせるようなにやーっとした笑いを浮かべていた。
「そうねー。下着選んであげた時も言ったけど、あんたに一番似合うものを選んであげられますし?デザートもつけてくれれば考えないこともないけど?」
「つける!つけるからお願いします柴崎さまぁ〜〜〜」
「そこまでお願いされたら仕方ないわねー。いいわよ、一緒に選んだげる」
「ありがと〜〜〜!」
 柴崎に抱きついて感謝の言葉を述べると、あっついから離れなさい!と怒られた。そして次の公休は空けときなさい、とも言われる。その通りだな、と思って携帯を握っていそいそとベッドに登る。
 堂上に次の公休は柴崎と買い物に行く旨を伝えるべくメールを打つ。送信して少しすると、「分かった。じゃあ海はその次の公休だな」と書かれた返事が帰って来た。
 最後に「楽しみだな」と書かれていて、堂上も同じくらい楽しみにしてるんだなと思うと笑みが零れた。


***


 明くる公休の日、先日の約束どおりに柴崎と買い物に出る。堂上とのデートは勿論楽しいけれど、気心知れた友人との買い物はまた別の楽しさがある。久々に楽しもうと心の中で気合を入れつつ、電車で他の街まで足を伸ばすべく武蔵境の駅に向かう。駅につくとそこには見慣れた――とても見慣れた、でも見る度に胸をときめかせる姿があった。
 本当は居る筈がない堂上教官が、いつもデート前に待ち合わせをしている時のように券売機の傍に立っていた。今日はデートの約束がなかったから誰かお友達と出掛けるのかな、などと考えているうちに堂上が郁達に気付いたらしく、こちらを向くと軽く手を挙げた。
「来たか。じゃあ行くか」 「え、来たか、って、行くか、って……な、なんで堂上教官がここにっ!?」
 思わず堂上教官を指差して声を上げる。人に向かって指を差すなと堂上に叱られたが、郁にとってはそんなの聞いている場合ではない。
 今日は柴崎と買い物をすることになっていた。その旨はきちんと堂上に伝えたし、堂上もそれを了承していた。出掛けることは知っているけれど、何時に出掛けるかまでは言っていない。何で、どうして、が頭の中をぐるぐるし始めた頃、柴崎から真相が明かされた。
「あたしが堂上教官をお誘いしたのよー」
「柴崎が!?何で!?」
「だって、初めての海デートでしょ?水着でしょ?いくらあたしがあんたに一番似合う水着を選べるっていっても、彼氏が気に入らない水着じゃあんたも嫌だろうなっていう親切心?」
「それ親切心なのー!?」
「親切心よぉー。ねえ、堂上教官?」
 話を振られた堂上は苦笑を浮かべつつ、いつものように郁の頭に手を置いた。
「最初は断ったんだぞ。二人で行けばいいだろうってな。」
 でも、お前と一緒にいられるのは嬉しいしな。
 柴崎がいるにも関わらずそんな甘いことを彼氏仕様の笑顔で告げられて、郁は頬が赤くなるのを止められず、俯くしかなかった。柴崎の様子をちらりと伺えば、案の定ニヤニヤとこちらを見ていた。
 くそう、なんだかしてやられてる。
 そう苦々しく思いつつも堂上といられるのは嬉しいし、柴崎の言うとおり、堂上に気に入ってもらえる水着を着たいとも思う。からかい混じりなのは悔しいが、開き直って柴崎の配慮に感謝しすることにする。
 そう考えたら、このままうじうじと俯いてたら駄目だ。まだ赤い頬を晒すのは恥ずかしいが、顔を上げて堂上の顔を見る。
「あたしも、教官と一緒にいられるの嬉しいです!」
 ああ、これじゃ言い逃げだ――!
 頭では分かっていても、逃げ出す足は止まらない。郁は堂上や柴崎の反応を視界に入れないようにすべく、言いたいことをぶつけるように吐き出してから大急ぎで切符を買いに走った。

 普段のデートならば、暑い中にも関わらず堂上と手を繋いで歩いているが(柴崎にバレたら「強い酒をちょうだいー」と言われそうだ)、今日は柴崎と一緒だ。そこで、郁と柴崎が並んで歩き、その後ろから堂上がついて来る形で目的地を目指す。仕事中やデートではありえない立ち位置だ。仕事中ならば堂上の隣か少し後ろだし、デートなら必ず並んで歩く。彼氏モードの堂上と一緒なのに並んで歩いていない。それがとても不思議な感じがした。
 あれやこれやと話しながら歩いていると、目的地であるデパートに着いた。いざ入る際になって、郁の足は固まった。
 何故か柴崎に手を握られている。自分と比べなくとも一般女子らしく非力な柴崎が、思いの外強い力でがっちりと郁の手を握っている。逆の手は逆の手で、堂上にしっかりと握られている。こちらは男女の差やら鍛え方の差やらで、郁では到底振りほどけるものではない。
 特殊部隊所属で鍛えられた危険察知能力が発揮されている。警戒信号がさっきから鳴りっぱなしだ。  柴崎はチェシャ猫のような笑みを浮かべているし、堂上は悪戯小僧のような顔をしている。そして自分は動きたくないのに、二人にひかれる形でデパートに入り、エレベーターの方へと連れて行かれる。
「笠原ってばどうしたの?入り口で立ち止まると他の人の邪魔よー?」
「どうしたもこうしたもない!なんで手ぇ握ってんのよ」
「それこそ、どうしたもこうしたもないじゃない。いいでしょ、友達同士手を繋いでたって」
「じゃあなんで堂上教官にも手を握られてるんですか、あたし」
「なんでって、何か問題あるか?」
「ないです……ってありますよ!どうして両方の手を握られてるんですか!しかもぎっちりと!」
 そんな会話をしている間にも、エレベーターは目の前だ。
 自分は何故、堂上が同行するのを了承したんだろう。堂上に散々言われている通り、案件を脳まで持って言ってから考えるべきだったと、今頃気付いても遅い。
「ねえ……どこに行くつもりなのか、聞いてもいい……?」
「何でそんなこと聞くんだ。必要なモン買いに来たんじゃないか。ほら、行くぞ」
 堂上と柴崎が、エレベーターの中へと郁を促す。その顔は悪戯が成功した子どもそのものだ。そんなところで息の合ったところを見せないで、と嫉妬する余裕なんて微塵もない。
「待って!堂上教官も!?」
「つべこべ言わずに行くぞ?」
「そーよお、じたばたしないで大人しくしなさぁーい?」
「い、いやあああああああ!」
 必至の抵抗も叶わず、郁は柴崎と堂上に引っ張られるまま連行された――特設水着売り場へ。



to be continued...?

08.07.31. update



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