禁断と作用


 彼女に悟られないように溜め息を呑み込むのも何度目だろうか。
 枯れる事を知らない高ぶりと耐え難い体の疼きを抱えて、まだ両手で足りる日数しか経っていない、その事実が更に身を苛む。しかし病み上がりの彼女を思うと、この堪らない我儘を押し付ける訳にもいかなかった。
 用事や雑事を全て終え、傍らに控えていたユーズトーリュへ休息と労いの言葉をかけて、いざ寝室で一人になると溜め息が止まらなくなる。手が思わず其処へ伸びそうになるが、過去を思うと止めざるを得なかった。彼女を慰み物にする、恐怖と嫌悪の光景が蘇るからだ。
 あまりの忍耐に心身は疲弊しきり、この侭では日常に支障をきたすかもしれない。不能になったのではと考えた過去とは大違いだが、到底喜べる事態ではなかった。
 悩みに悩み、その末に屈し、意を決して、とするとそれは妙だと周囲は言うのかもしれない。考えてみればこれもまた、自分達が手に出来なかった普遍的な日常の形なのだろう。
 力無く、だらしなく、寝台に横たわる。決意すると途端に呼吸が浅くなり、浅ましい己を知るが、止める術はもう無かった。手を伸ばし、前で合わせただけの寝間着から、既に熱を覚え始めている体を外に出してやる。見ないようにしたい、その思いで目を閉じた。
 ゆっくりと焦らすように撫でると、体が自分とは切り離されたものかのように微かな動きをして、自分との繋がりを存分に教えるように強い感覚を寄越す。そしてその感覚は、近頃は彼女と共にあったものだ。
 次第に刺激を増し、溶け始めた意識で感覚の直中へ潜る。その水底へ沈んでしまえば、今だけはそれで良いのかもしれない。沈む途中で意識に浮かぶのはやはり彼女だ。出逢ってから忘れようもない彼女の事を、当初では考えられなかった程に強く想う。
「――おゆるし を……」
 扉越しに背後から突然聞こえた現実に、熱以外の身が凍る。そして酷く遠慮がちに寝室の扉が開き、震える呼吸が聞こえた。
「ユーズトーリュ、どうしたの……?」
 痴態を見られて振り返る事も出来ず、声の揺れも抑えられないが、それでもユーズトーリュの苦しげな様子は気になる。静かに足音が近付き、凍っていた身を温めるように彼女の体は自分を覆った。
「アローネさま……」
 頬に落ちたもので彼女の涙を知る。
「この からだ も、こころ も、とけて しまい そう です……」
「えっ……」
 命の危機ではないとは解るのだが、それとは別の驚愕と疑問が思考を巡る。耳元にかかる呼吸は、自分と同じように揺れてもいて、苦悶を物語っていた。
 言葉を出そうとして躊躇うような吐息を何度か聞く。それがまた身の奥を疼かせる。
「どうか……どうか、もとめる こと、おゆるし を……」
 絞り出された言葉からは早かった。肩を持たれて身を転がされたと認識した時には、求められるが侭に唇を重ねていた。同時に思考の中心で凍り付いていた理性が熱を持ち、どろどろと溶け出して制する力を失う。彼女の口内を探り、何度も絡み合う舌を止められなかった。
 暫くして離した口からは、熱くなった荒い呼吸しか出てこない。
「そんな、事、いいの? 僕は、その……上手では、ないと思う、から……」
 今更遅いのかもしれないが、尋ねずにはいられなかった。彼女の求めに確かな形で応えられるのだろうか、彼女に負担を強いたくない心がそうさせる。
 すると彼女は、柔らかに微笑んだ。
「ふっふふ……。たしか に はじめ は、けんめい でした ね」
 言われて申し訳無さばかり募る。経験が無かったので仕方無いのだろうが、それでも拙さが彼女の負担になるのは喜ばしい事ではない。
 その心を見透かしたのか、彼女の手が頬を撫でる。
「です が、いま は」
 ユーズトーリュの顔から微笑みと余裕が消える。残されたのは激情だけだった。
「その ここち を、むちゅう で もとめ て しまう の です」
 告げて、彼女は首筋に唇を押し当てる。過去、行為を彼女が心から求める事は無かったのだろう。暴力的で一方的な、相手の欲を満たすだけの行為は彼女を真に満たすものにはならなかったのだ。それを今、彼女は彼女の意思を以て求めている。求める程に、彼女の幸福を呼ぶのだろうか。
「君の為に、なってくれてる?」
 そっと背を抱く。寝間着越しの体温はやはり心地良い。
「はい……」
 堪らなさの込められた、窮屈そうな声だった。ならば解放してやりたいと思う。そして解放を彼女から求められている幸福が、忍耐の呆気無い敗北を告げていた。
 彼女の寝間着の隙間から手を滑り込ませる。滑らかな手触りの中で触れる傷痕は痛々しいが、焦らすようにその境目や肌を撫でると、小さく吐息を零した彼女がそれを抑えるように口付けてきた。同時に、熱を持って仰いでいる体へすり付けられるものが、同じように熱を持って待ち詫びている事を知らせる。
「……大丈夫」
 口を離して告げ、彼女の体を丁寧に寝かせた。微笑んで頬を優しく撫でると、やっと彼女は安らかな表情を滲ませる。
 互いに寝間着を取り去る時間も待てない。尤も、緩く絡んだ腰帯が申し訳程度に留めているだけであり、取り去る必要もあまり無いのだろう。
 開かれた足を抱えて、迎えられる侭に体をゆっくりと埋める。奥深くまで繋がり、其処で性急には動かずにおく。
「アローネさま」
 彼女の体が異物に慣れるまでを、彼女から伸ばされた腕に包まれて待つ。幾度かの遣り取りで知った、行為の要領でもあった。何度か口付けている内に内部から刺激を受け、もう充分らしいと知ると同時に、疼きを耐えるのも限界だと思い知った。
「――あ!」
 身を引くだけで彼女の体が跳ねる。続けて、いつか探り当てた敏感な箇所も刺激するように深く突くと、だらしない声が彼女から漏れた。
「はぁっ……ん、んんぅ……」
 彼女の表情に余裕は無く、それを見ているだけでも高揚する自分に気付く。らしくなく乱れているユーズトーリュは、こちらに全てを委ねている事を物語っており、夢中になっても良いのだと、寧ろ夢中で求め合ってしまいたいと願ってもいた。
 一旦身を離して、後ろを向かせたユーズトーリュに四つ足を突かせる。寝間着をまくり上げて晒された其処に再び繋がり、腕を絡ませた。片手は繋がりの上にある小さな箇所を、もう片手はすっかり尖った胸の先端を丹念に捏ねる。するとユーズトーリュは崩れ落ちそうになり、顔は最早突っ伏すに近かった。
「あ、あうぅ、あぁ……っ」
 顔が見えない事こそ惜しいが、そうした彼女の腰が揺らぐさまは酷く官能的だった。体の求めるが侭に彼女を蹂躙してしまうが、肉色をした其処は、指に、体に、そうされる事を望んでいるように反応を寄越す。
 そうして限界を覚えて全ての動きを速めると、ユーズトーリュは熱を帯びた切ない声を上げた。
「はっ、あ、アローネさまぁ……!」
「ユーズトーリュ」
「どうか……どうか……!」
「いいよ……いいんだよ、もう……っ」
 最奥に一段と強く突き入れて、情欲を注ぎ込む。内部がきつく締め付けてくるさまは待ち望んでいたような印象だった。
「ん……、はあっ、はあっ……」
 注ぐ度に強い感覚に襲われ、思考が混濁する。漏れるのはどちらの吐息なのか、判断もあまり付かない。頼りない意識で、欲する侭にユーズトーリュへ注いだ。
 遂に崩れ落ちたユーズトーリュの体を見ると、更に求めるように蠢動しているさまがあった。自身とて高ぶりは寧ろ強くなっており、欲望に突き動かされそうになるが、それをしてもいいのだと語るように、身を転がした彼女が両腕を広げた。拒む理由も無く、素直に甘えてしまう。体を突き入れるとやはり激しい感覚を寄越した。
 突き上げながら身を曲げて彼女の胸元に口付け、先程刺激しなかった片方を舐め上げるとユーズトーリュから甘ったるい吐息が漏れる。そそり立ったもう片方を宥めるように指で捏ねていくと、内部が一層強く締め付けてきた。
「あ、んぅ……はぁあ……」
 激しい感覚に溺れる事の幸福は、何も生まれない、無意味だとされるものであっても、やはり心身を魅了する。同時に、この多幸感を彼女もどうか、そう願う自分がいた。
「アローネさま……あ……」
 彼女が呼ぶ事こそ、その答えにもなるのだが。
 また限界が近付く中、果実を味わうように吸い上げながら舌で其処を転がす。微かな甘さは恐らく錯覚なのだろうが、それでも良かった。
 欲の赴く侭に、彼女の最奥が求める侭に、やがて搾り取られる。熱い内部と、彼女の腕に抱かれて、乱暴な欲望を受け入れられる幸福に浸った。
「ん、くふ……」
 口を離し、詰まっていた息を漸く吐いて、彼女の顔を窺うと目が合う。潤んだ瞳はぬらぬらと情欲に輝いており、口の端に唾液を引いて浮かべる苦悶は次を待ちきれないと物語っていた。その切ない表情がまだ離していない体に更なる疼きを呼ぶ。
「ユーズトーリュ……、僕は君を、ぐちゃぐちゃに壊して、しまうのかも……」
 絞り出して告げると、ユーズトーリュが頬を撫でる。
「ああ……アローネさま……」
 いつになく萎縮した、そして切ない表情だった。
「ユーズトーリュ は、とろけ て まざる こと を ほっして しまう の です……」
 最上の誘惑だった。互いに混ざり合い、隔てるものが無くなる瞬間を何度も味わってきたが、それを、或いはそれ以上を彼女が欲している事実は自分を思うように保てなくさせる。何も考えず、ただひたすらに求め合う事を欲してしまうが、それこそが互いにとって幸福なのだと思い知らされた。
「ユーズトーリュっ」
 大いに身を引いてから、深く突き込む。ユーズトーリュからは目立った声が上がった。番った箇所には多量の欲望が溢れ、混ざり合ったそれらは粘つく糸を引きながら水音を立てる。
 何を口走っているのかをあまり意識出来ず、ただ互いを呼んでいる事だけは薄く認識して、激しい感覚の侭に求め合った。



 気を失って倒れ込んだ体を受け止めたが、まだ互いに欲している事をユーズトーリュは知る。身を転がし、そっと体を寝させる。
「ゆるし て くだ さい ます ね……?」
 止められない己を知り、止まらない体を其処に下ろすと、やはり歓喜の感覚に襲われた。この我儘な行為をして、叱責されるとは思えない。そういった人物だと知っている。
「んう……」
 相変わらず意識は無いが、刺激に小さく呻きが漏れる。その表情に苦悶の色は無く、安堵さえあった。体はますます反応し、ユーズトーリュもまた限界に近付いていった。
 やがてユーズトーリュの体が痙攣し、その奥深くで欲の奔流を感じ取る。其処で漸く高ぶりを失っていく体があった。そっと身を離したユーズトーリュは、続く感覚を味わいながら力無く傍らに倒れ込み、もう一度表情を確認して、悪戯を成功させたように目を細める。疲労感は少々でも、彼女にしては珍しい感覚であり、心地良いなら尚更だ。
 この侭眠れたらこのように快感なのだろう。睡眠を必要としない体で思いながら、傍らをそっと腕に抱いて目を閉じた。



 眼前には彼女がいる。その体を蹂躙しているのは自分だ。そうされる彼女が歓喜に喘いでいる姿が非常に艶やかだと認識した頃に、意識が現実へ舞い戻った事に気付いた。
 いつものようにユーズトーリュの腕の中にいて、それは確かに心地良いのだが、今し方の記憶に顔がすぐさま熱くなる。
「おはよう ござい ます」
「おはよう……」
 彼女の手が宥めるように頭を撫でてくるが、どうにも罪悪感染みたものを覚えて白状してしまう。
「夢を見ていたみたい……、君との……」
 それ以上を言えなかったところへ、彼女は如何にも楽しそうに笑う。
「ふっふふ、それ は そう で しょう ね」
「えっ、どういう事?」
「ユーズトーリュ には、りゆう が わかる の です」
 それでいて、こうとしか言わないのだ。
「う……、教えてくれないなんて狡いよ……」
 拗ねていると自身でも解る。しかしユーズトーリュは、頬を持って俯いた顔を上げるように促した。
「どうか おゆるし を」
 為すが侭に顔を上げると優しく口付けられ、またしても狡いと思いながら、幸福を感じずにはいられなかった。



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