揺れる水面に映るは


「おとーさん行きまーす」
 冒険者ギルドに響いた緊張感の無い声に誰もが振り返る。水辺の処刑者を一人で討伐せよとの課題を告げられた直後の事だった。これまでも似た課題はあったが、今回は特に軽はずみで受けられるものではない。その難度の高さから、志願者は前回に比べ非常に少ないのだ。
「勝算あんのかよ」
 平気面で椅子に座っているフレイアルトへレイノルエが厳しく問うが、フレイアルトは表情をその侭に淀みなく答えた。
「あります。前回だって大丈夫だったでしょう?」
「はっ、根拠が弱すぎて話になんねえな」
 前回、一人で森の破壊者を討伐せよとの課題を達成したのはフレイアルトその人である。しかし今回の成功を保証するにはあまりに頼り無い事実だ。
「おとーさん、レイノルエの言う通りだよ……。今度はかなりやばいんじゃないかな……」
「フィーちゃん」
 フィエッセの言葉にフレイアルトが困ったように笑った。五人で水辺の処刑者と戦ったのも記憶に新しく、フレイアルトが相手の力を見誤っているとは思えないが、余裕の出所も解らない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。ああ、見栄張ってる訳じゃ無いですよ、秘策ありですから」
「秘策ぅ?」
 レイノルエが訝しげに声を上げる。
「そうです。此処で言っちゃうと他の人にばれちゃいますし、課題から帰ってからのお楽しみです」
 冒険者ギルドには幾人か他のギルドのメンバーもいるが、勿体ぶる理由としては薄い。
「言えねえ程の随分ご大層な策なんだろうな」
「レイちゃん」
 呼ぶ声に振り返ってみると、苦笑を浮かべたウルコールがかぶりを振った。レイノルエは悪態をついて口を閉ざし、ウルコールは続けてフレイアルトに向き直る。
「おとーさん。自信は、あるのね?」
 無茶をする事は多々あれど、無闇に動く人物ではないとも解っていた。だからこそ尋ねる。
「勿論です。明日の朝に行ってきます」
 不意に二名が椅子を蹴飛ばすように立ち上がって外へと駆けた。キルキルが追いかけようとしたところにレイノルエから短く言葉が飛ぶ。
「待て」
 キルキルが言葉に従って足を止めた。静けさが重く漂い、数分が経った頃にクレイサとカシラライドが袋を抱えて戻ってくる。
「おとーさん、これ、使って」
 クレイサが息を切らしてフレイアルトへ袋を突き出した。受け取って中身を見ると、回復薬や補助の道具が詰めてある。
「これって」
「あいつ、殴っても効かないから、ファイアオイルもあるよ」
「それはそうですけれど、自腹で買ってきちゃったんですか?」
「そんな事、気にしないで……」
 身を折って荒く呼吸していたカシラライドがやっと口を開いた。全力でシリカ商店までを往復したのだろう。
 フレイアルトは二人へ丁寧に頭を下げる。
「有り難うございます。おとーさん、頑張るから、きっと帰ってきますからね」
 様子にレイノルエは呆れた溜め息をつくだけだった。



 小柄な背中を見送ってから二日目の太陽が赤くなった。この日には帰還する予定だ。一人で戦う事の証明に、メンバーは全員冒険者ギルドで待機していた。
 アリアドネの糸も念の為持たせているが、鉄の意志で使わないだろう。
 辺りは急速に暗くなっていく。日がいよいよ沈む様子が窓から見えた。そして空の色が濃紺に変わる。時計の音がやけに耳に付き、不安を煽る。
「……来た」
 キルキルが呟いた直後に近付く足音が聞こえ、レイノルエでさえも出入り口へ目を遣った。
「ただいま帰りましたー!」
 開いた扉と共にフレイアルトの声が響き、レイノルエ以外のメンバーが席を立って駆け寄る。
「おかえりなさい!」
 体の至るところに血の滲む包帯を巻いた姿が痛々しく、薬草でも挟んだのか腹の包帯が膨れていた。
「ギルド長、取ってきましたよ」
 蟹の鋏を重々しくテーブルに置く。血塗れの大刃、水辺の処刑者の体の一部だった。
「よくやったな、合格だ。早く治療してもらえ」
 長が満足そうに頷き、歓声が上がる。
「クレイサ、カシラ。道具、使わせてもらいました」
「良かったあ」
 喜ぶ二人の前でにこやかに笑っていたフレイアルトが、次には困ったように告げた。
「けれどちょっと痛いんで、施薬院に行ってきますね」
「付いていこっか?」
 クレイサの提案にフレイアルトは軽く首を横に振る。
「いえ、其処までじゃあないですから。それじゃあ、行ってきます」
 確かな足取りで冒険者ギルドを出て行きながら、フレイアルトは思う。この背中に不安要素は無かっただろうか。



 水面に映る姿は己ではあったが、そうではなかった。
 長らく使っていなかったものを久し振りに使った結果、思うより負傷してしまった。痛みの与える強烈な刺激が、なかなか体の修復をさせてくれない。痛みが余計な記憶を連れてくる。
 もう一度水面を見ると、何も映っていなかった。集中が途切れすぎたその束の間、何処にもフレイアルトの存在は無かった。



 目が覚めると薄暗い場所にいた。傍らを見ると、施薬院の院長が何事かを書いている。
「キタザキ先生」
 施薬院までは辿り着いたが、其処で倒れたらしい。記憶が途切れていた。
「もう目が覚めるとは」
 院長が顔を上げて口にした言葉は、内容とは裏腹に驚きの無い声音だった。手に持っていたペンとカルテを机に置くと、フレイアルトへ向き直る。
「君に訊きたい事があってね」
「何ですか?」
「君の体、特に内臓だ。済まないが少し調べさせてもらった」
 フレイアルトは無意識に腹へ手を当てた。先程まで内臓がはみ出ていた箇所だ。深く斬られていたので調べるのも容易かっただろう。
「温度といい感触といい、どうもおかしい。構造も大小あべこべで、無いものすらあった」
 言い当てられて尚もフレイアルトにたじろぐ様子は無い。
「君は何なんだね。……人間以外の」
 言葉にフレイアルトは軽くかぶりを振って苦笑した。
「プロの目はやっぱり誤魔化せませんね」
 院長はあくまで冷静な視線を寄越している。フレイアルトには有り難いとさえ思えた。
「この事はまだ内緒にしていてくれませんか。いつか絶対に話します、逃げませんよ。でも、大事な事を一つだけ」
「何だね?」
「人間だっていうのは嘘じゃないです。これだけは本当ですからどうしようもないんです」
 院長は沈黙していたが、やがて諦めたように息を一つ吐く。
「君は嘘をつくようには見えないからな……。解った、その時が来るまで口を噤もう」
「有り難うございます」
 礼を告げる微笑みに陰が見えたのは、果たして乏しい明かりによるものなのだろうか。
 フレイアルトはギルドメンバーへの言い訳を考えながら窓の外を見る。曇り空でも朝の到来を告げていた。



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