微風、密やかに
配下自身の管理は配下にさせるべきではあるが、面倒を見きれず放置するのはまた別問題である。
私室へ密やかに招き入れたカラクリ丸は所作こそ落ち着かないが、ハヤテから顔を一寸たりとも逸らさない。緊張は先程の決意のもとにあるようだ。
座るよう促すと跪いたので上下は理解しているらしいが、単におぼろ丸を真似ている可能性も否定出来ない。自我を持って間も無いのでは、赤子は越えても犬猫程の知力しか持たないと考えられた。
犬猫に理解させられない程度では、たかが知れている。
「カラクリ丸、顎を下げよ」
素直に大口を開けてみせる、その隙間を注視した。やはり舌は上顎に触れており、顎の動きをかなり遅れて追う形だ。舌の初期位置と動きの鈍さにより、あの猫のような発音しか出来ないのだろう。絡繰りの構造にはハヤテとて暗いが、人型のカラクリ丸へ人体の構造が通ずるならば矯正は可能かもしれない。
「触れる。閉じるでないぞ」
指をそっと口内へ入れてみる。水分こそ存在しないが、舌や頬肉の硬度に問題は無いようだ。弾力は人のものと何ら変わらず、絡繰りである事を一層隠すように思われた。
触れている内にカラクリ丸の表情は徐々に苦しげなものとなり、不快感を示す。基本的に発声でしか使用しない呼吸こそ乱れていないが、明らかな苦悶は尚も必死に耐えていた。
「……済まぬ、もう良い」
言葉で自身を呪う羽目になろうとは、ハヤテは己が未熟を思い知らされるが、果たしてカラクリ丸が知る由も無い。指を離してやる。
そうしてハヤテはいっとき考える。戦う度に新たな技を身に付けていったとの報告から、鍛錬による向上は期待出来るだろう。その点生物のようで全く以て謎深い存在だ。炎魔忍軍にも絡繰り技師は存在するが、機構の全ては解明出来ないかも知れない。
だからこそ、人としても、影としても扱える。
「カラクリ丸。これからの口元を篤と見よ」
じっと固定されたカラクリ丸の目線を確認してから、ハヤテは口を開いた。
「お、ぼ、ろ、ま、る」
顔を僅かにしかめてしまうのはさておき、確かな発音を大仰に、且つ丁寧に紡ぐ。
「一音ずつ、試してみよ」
頷くカラクリ丸は、まず一字目に挑んだ。
「あ……ぁ、にぇ……、ぅなぉ……」
少しだけ近くなり、カラクリ丸が目を見開く。
「なぉ、んお、ふお……!」
余計な音は付いてくるが、ひとまず三文目まで手が届きそうになった。
「四字目」
ハヤテの指示が飛ぶ。母音としてはあと二種である、其処だけでも克服出来たものならば、今一つ鈍いおぼろ丸にも聞き取れるかもしれない。
「んな、な、な……、んむ」
微かな兆しと共にカラクリ丸の瞳が光を帯びたように見えた。
「む……な、なぅ、う、う」
「其処までだ。指が折れる」
ハヤテに指摘され、カラクリ丸は我に返る。握り込んだ手が軋む音をさせており、もう少しで自ら壊していただろう。
「にゃー……」
絡繰りに痛覚があるかは判断付かないが、手から力を抜いたカラクリ丸は安堵を浮かべていた。ころころ変わる表情だけを見るととてもおぼろ丸に似ないが、先程の迫るような表情と必死なさまは何処か重なる。ただ姿を真似ただけではこうなるまい。
「夜半にまた稽古を付けてやる」
「にゃ! にゃん!」
カラクリ丸は満面の笑みで応える。全く畏れの無いそれに、ハヤテは何処か懐かしいものを覚えていた。
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