絡む光
何の為に忍びでいる必要があろう。
考えたがその後の時、密命を捨て、抜け忍となったこの身を以前の同胞を斬り捨てて守る。日々は血腥く続く。
尾手院王、日の本を再び戦乱の世に変えようとする悪鬼は、今どうなっているのか。炎魔忍軍の者が拙者の捨てた密命を受け、再び尾手城へと潜入したのか、それとも拙者で最後であったのか。
「にゃー」
今や聞き慣れた声が眠る拙者を呼ぶ。眠りは、追っ手への警戒から浅い。
重い瞼をゆるりと開けてみれば、色さえ違えど拙者と鏡写しの忍びが其処にいる。ただ、その身は人のものとは異なる。
「何用か……ゼンマイは回しておいたが……」
折角の隠れ身の術を剥がしてまで。
「にゃ」
差し出されたカラクリの指から零れ落ちたのは、茸。朝方の暗闇でよく見えないものの、明らかに毒茸が混じっている。
「有り難いが食べられぬものは……」
「にゃ? にゃー?」
首を傾げ過ぎて、人の限界を超えている。
「……そうか、お主は食べられぬ体か」
尾手城でカラクリ源内を討った後、拙者は隠し部屋に気付いた。
中にいたのは一体の人形。人形は拙者を見ると、みるみる姿を真似て、あの猫のような鳴き声を発した。動き回った後は雛鳥のように、拙者の後を付いてくる。安直ではあるが、『カラクリ丸』と一応の名を与えてやった。
屋根裏で尾手軍の話を聞いたところでは、この人形は元々、拙者が受けた密命の目的である要人とすり替える為に作られたもので、尾手の兵器であるという。その為か、拙者の忍術を容易く真似てみせ、カラクリの力を合わせ、拙者でも戦いを挑んで勝てるか否かの力を持っている。
しかしこの人形は、尾手の魔手には触れておらず、全く邪なものが無い。知能はあまり高くないと窺えるが、それだけ純粋という事でもあった。
人形を連れているうちに、己が身への疑念が生まれた。
何故忍びの中にいるのか。忍びの中に身を置く事で、何を求めんとしているのか。
影として動く我が身に、その念は重くのしかかった。
気付いた時には、刀を納め、歩いた道を逆しまに、広がる野原へ足を踏み入れた。人形は、咎めもせず、直向きに拙者の後を付いてきた。
今や光でも影でもない、存在の赦されぬ拙者に、ただ付いてきている。
水と食料を求めて川へと辿り着いた。わざわざ野を探さずに、道中で行商人を襲っても良いのではあろうが、信念に反した。無駄であろうに、信念が残っているらしい。
竹筒に水を入れ、川魚を苦無で捕らえる。カラクリ丸は拙者を真似しているようではあったが、投げた苦無は的外れに終わった。
「カラクリ丸、無理せずとも」
「にゃー……にゃーっ!」
悔しかったらしい。
頭から金属の棒を伸ばした瞬間、頂点から川に落雷が刺さった。痺れた魚が、腹を上にぷかりと浮いてくる。
しかし。
「何も其処までせずとも、足りるであろうに」
「にゃー、にゃー」
褒めてくれとでも言うような笑顔。拙者は笑うとこのような顔をしているのか。
拙者は物心付いた時から、炎魔忍軍に身を置いていた。
親の記憶は無く、名前すら無く、御頭様がこの名を授けて下さった。
朧朧とした記憶、其処から、おぼろ丸と名を付けて下さった。
その御頭様を拙者は裏切り、だというのにこの名を名乗っている。
「見付けたぞ、おぼろ丸!」
今日も炎魔の手の者が拙者の行く手を阻む。数は四。
交わす言葉など無い。
投げられた手裏剣を苦無で払い、素早く懐へ入って胴を刀で二分する。血のにおいがこの身を鬼へと変える。行く手を阻むものを全て斬り捨てる、悪鬼へと。
一人が、火に絡まり踊っていた。カラクリ丸の口の奥からの、火炎放射を受けたようだ。其処へ手裏剣を放ち、とどめを刺す。
これで二人。
逃げ腰の者は、まだ忍びの経験が少ないようで、しかし今、慈悲など無い。
「忍法……夢幻蝶!」
紙の蝶の群れが、忍びへと舞う。幻惑の粉を散らし、途端に蝶は刃となって八方からその体を斬り刻んだ。断末魔が喉を斬られた事によって失せる。
あと一人、視界に姿が映らない。
「隙あり!」
しまった。
背後の忍びが、拙者の首筋に小刀を突き刺そうとした瞬間。
鈍重な音がした。
力を無くした腕は、勢いを残して襲いかかる。体をひねり急所は外したが、肩を少し斬り裂いた。
振り返ると、ゆらりと倒れる体に首は無く、その上からをカラクリ丸が持っていた。
首を千切ったのだ。何という剛力。
「にゃー……」
小さく鳴いたカラクリの体は、赤で彩られている。拙者もそう変わらない。
しかしカラクリ丸の目は、拙者に問いかけをしているように見えた。
「カラクリ丸」
拙者は懐から取り出した、洗っても落ちなかった血色の手拭いでカラクリ丸を拭う。
「お主に、血腥いものは似合わぬ……」
悪鬼は拙者だけで良い。
拙者は、もうあの尾手と然程変わりないのではないか。
血で血を洗う無益な日々に生きる、殺戮の鬼。
いや、最早鬼よりも、拙者は血に染まり過ぎた。
人というものは、時に物の怪を超える。
肩に受けた傷。あの小刀には、毒が塗られていたらしい。解毒剤ならば所持していたが、回復には時間が要る。暫くは苦しみと熱に苛まれるであろうと予想出来た。
カラクリ丸は、木に凭れる拙者を、泣き出しそうに顔を歪めて見ていた。涙など無いのに。何をすれば良いのか、拙者に尋ねているように見える。
「近くに川がある……。これを……濡らしてきて欲しい……」
カラクリ丸は一つ鳴くと、拙者の差し出した手拭いを持って駆けていった。
その後ろ姿が見えなくなった瞬間、狙っていたのか上から声が降った。
「年貢の納め時だ、おぼろ丸」
数える。全部で五。この体で如何程出来るか。
拙者は立ち上がりつつ、素早く印を結んだ。
「修羅!」
拙者の胸元から、半透明の仄白い腕が生え、瞬間忍びの一人の心の臓へ入り込む。吸い取った生命力で幾分か回復し、忍びはその場で息絶えた。
しかし戦うには体が完全でない。思考さえ、熱によってあまり働かないというのに。
剣戟が始まる。
一太刀を苦無で受け、横からの太刀を刀で弾く。しかし思うように力が入らず、鍔迫り合いで負けてしまい、拙者の体は地に捩じ伏せられた。
「随分と呆気無い。だがこれも定め、己が身で受け入れよ!」
忍びが逆手に刀を握り、振り上げた。
しかし、その刃は止まる。拙者も、何が起こったのか、一瞬理解出来なかった。
大きなものが、風魔手裏剣が、弧を描いて忍び達を斬り倒していく。切り倒された木の如く上下を倒す忍び達の背後には、戻ってきた手裏剣と、濡れた手拭いをしっかと握るカラクリ丸が立ち尽くしていた。
「にゃー」
一言漏らし、カラクリ丸は血の海を歩く。拙者はただ血に沈んでいた。
「にゃ、にゃー、にゃあー! にゃああああー!」
泣いているのか、怒っているのか。カラクリ丸は天に叫ぶ。拙者には、結局解らずに終わる。
遂にこの時が来た。
「其処までだ、おぼろ丸……」
そう遠い未来ではなかったと思えども動揺する自身を、拙者は抑え込む事が出来ない。
「御頭様……」
炎魔の手の者を幾ら送り込んでも、拙者を始末する事が不可能であると決が下ったようだ。
炎魔忍軍頭目、ハヤテ。
「まさかお前と死合う事になろうとはな」
これは幼い頃、御頭様と出会ったその時から、決まっていた運命だったのか、それとも。
「何がお前を……いや、言うまい」
御頭様、頭目の目に、迷いは無い。これこそが忍びなのだと。
「忍びの掟に逆らう者の末路は死のみ……」
カラクリ丸は、敏感に反応して既に戦の体勢に入っている。
「刺し違えてでも、お前を葬る!」
拙者も、もう迷う事をやめた。
刃と忍法の、凄まじいぶつかり合いであった。
カラクリ丸の変則的な攻撃も、頭目は最初こそ戸惑いを見せたものの、徐々に慣れを見せてきた。
修羅の印の腕を掻い潜り、懐に入られる。刀で受けきったのは良いものの、力劣りが目に見え、カラクリ丸の強襲が無ければ其処で拙者は終わっていた。
飛び退いた頭目へ、すかさず鎌鼬を放つ。相殺覚悟ではあったが、頭目の体勢が整っていなかった為か、予想より痛手を負わせる事が出来た。
「くっ……、腕を上げたな、おぼろ丸よ」
迷った末、何も答えなかった。
「ならば、この奥義を受けてみよ!」
奥義、あの術。師でもある頭目より教えられたもの。皮肉なもの。
「忍法! 火の鳥!」
双方から炎の鳥達が生まれ、双方へ一斉に飛びかかる。その力は互角か、拙者が少々劣るか。
其処へ、風魔手裏剣が飛んだ。
「ぐおっ……!」
炎で視界が狭いものの、頭目の脇腹を深く斬り裂く手裏剣が見えた。
今こそ。
拙者は炎を突き破り、全身全霊を込めた一太刀を、袈裟懸けに振り下ろした。
手応えがあった時、これで終わると思えた。
日の本の夜明けが来ようと来るまいと、今の拙者には最早関係の無い事。
影に追われ、光にも追われ、いつの時代でも拙者は追われ続ける。
しかし忍びを抜け、戦を抜ければ、穏やかな日々を手にする事が出来る。そう信じて、力を込めた。
「終わった……」
刀を鞘に収め、倒れ伏す頭目に背を向ける。
「にゃ」
カラクリ丸は傷がついているが、動く事には問題無さそうだ。
野歩きは変わらないだろうが、今までよりは安全な旅路となってくれると思う。
拙者の後からカラクリ丸が付いてくる、その姿を見た時、頭目が、生きている事を知った。
「い……、行かさぬわぁ!」
その手には、爆薬が握られていた。
光と音と熱。何も見えなくなった拙者の意識は、一時的に飛んだ。
全てが収まり、固く閉じた瞼を開けてみる。焼き尽くされた草原、残る爆発の跡。そして拙者と鏡写しの。
「にゃ……」
その姿は、右半身、膝下が、千切れ飛んでいた。
「お、お主、まさか」
声が震える、眼が熱くなる。
「にゃー……」
あの、褒めてくれと言う笑顔。無垢な心。
ぼやけた視界で、拙者はそっと頭を撫でてやった。人形は笑い、一声鳴くと、時を止めた。
拙者は、暫くの間ずっと、ゼンマイを回し続けていた。まるで理解出来ないように。
人は拙者を悪鬼と呼ぶのであろう。
血に濡れた拙者を物の怪と表すのであろう。
だが拙者は、悪鬼というには、物の怪というには情が残り過ぎている。
カラクリの心に、拙者は真の己を見出す事が出来たのではなかろうか。
忍びであった頃に抑え込んでいた拙者自身を。
ならば、拙者は生きてみせよう、拙者があの無垢な心を、己が身に宿す事が出来る日まで、生きてみせよう。
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