「どうかされましたか」
かけられた声にグレイグは二度三度まばたきをした。
「今、子供の姿が見えなかったか?」
「こども?」
怪訝そうに部下の兵士は周囲を見回した。目の前では兵士たちが剣を振り回して鍛錬に励んでいる。
「私には」
首を振る部下にグレイグは目を閉じた。
「そうか」
気のせいか。二人の子供が脇道を入って行った気がした。
「お疲れなのではないでしょうか」
遠慮がちに部下は言った。
実際、世界に平和が訪れてからの仕事は以前よりも格段に増えていた。それも苦手な事務仕事が。ペンを握るより剣を振っている方がグレイグの性分には合っている。
「少しお休みになられては」
「大丈夫だ」
グレイグの返答に部下は眉を下げた。しかし、何も言わなかった。
――まただ。
城の中を歩いていたグレイズの視界の隅にその姿が映った。
彼らは絨毯の上を軽やかに走り食堂へと入って行く。その後ろ姿を追ってグレイグは食堂へと足を踏み入れる。
「グレイグ様?」
メイドが首を傾げる。
その後ろで子供のひとりが奥の厨房を指さす。もうひとりの子供がうなずくと彼らは奥へと駆けて言った。その様子はどこか楽しげだ。
「邪魔をする」
グレイグはメイドにそう言うと大股で食堂の中を通る。中途半端な時刻なためか、グレイグたち以外が誰もいない。
厨房の入り口にたどり着いたグレイグは急いでその中を覗きこむ。
「どうしましたか?」
中にいた料理人が目を丸くする。
「いや……」
ぐるりと視線を巡らす。火の付いたかまどに、テーブルを拭く使用人、床に置かれた大きなカボチャ。どこを見ても目的の小さな姿はない。
「ここに、子供がこなかったか?」
「子供?」
料理人は首をひねる。「お前、見たか?」「いいや、気づかなかった」「ねずみ一匹だって見てないわ」
口々に話す人々の前でグレイグは顎に手を当てた。気のせいだったのだろうか。
あ、と古株の使用人が呟いた。
「ちょうどいい。お食べになりますか」
彼女はそう言って皿を差し出す。バターと甘い香りがふわりと漂う。
皿の上にはシンプルな焼き菓子が乗っていた。
「懐かしいわね」
遠くを見るように目を細め彼女は小さく呟いた。
兵士見習いが夏休みでそれぞれの実家に帰る頃、帰る場所のないグレイグたちに厨房で働く人々がくれた甘い甘い焼き菓子。
「あなたたち、これが好きだったわね」
一瞬だけ、グレイグは息を詰めた。
「いや、それは俺ではなく」
ホメロスが。
その名を言いかけて、先ほどの子供の後ろ姿が脳裏へと浮かんだ。長めの金髪を結わいた子供、その後にくっついて行く紫髪の子供。
「いつだったか。盗み食いをしようとして怒られたわよね」
グレイグの様子には気付かず使用人の女はそうそう、と明るい口調で昔を懐かしむ。
世界を救った英雄である将軍の思いもよらない昔話に周囲の人々はクスクスと笑みをもらす。
グレイグはゆっくりと息を吐く。
「そうだったな」
あれはホメロスが言い出したのか、自分が言い出したのか。きっと彼に違いない。昔から甘い物には目がなかった。
――グレイグ、こっちだ。早く来い。
耳の奥で楽しそうに笑うホメロスの声が聞こえた気がした。
【夏のまぼろし】