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7-273様

人は女に生まれるのではなく、女になるのだとどこかの偉い哲学者だか小説家だかが言っていたけど、
それだといつまで経っても父離れできない自分はいつ女になれるのだろうな、とぼんやり思う。
昔から年上の男に憧れてきた。それが父親の面影を探している幼い自分のあらわれだということに、
最近は自覚して諦めをつけている。
いつもより少し早く寒空の下に出た。 見慣れた住人達の顔が白い息の下でぼやける。冬だ。
ずくりと下腹部を突き刺す痛みが、寒さのせいでクリアになる。
「あら、アルルじゃない。今日はいつにもまして随分ひどい顔ね」
澄ました顔で彼女なりの挨拶をしたルルーに、気だるさを押し殺して曖昧に微笑み返した。

 *

最近、保健室の世話になることが増えている。今日もそんな流れになりそうだな、と昼頃には
覚悟をきめて一階の隅のドアを叩いた。
ここは責任者が変わって以来、教師も生徒も存在しないもののように意識を閉ざして隔離されている。
学園であって学園でない場所のようだ。
ガラガラと引き戸を開けた。遠慮なんかしない。室内には春から晴れてこの部屋の主人となった
マスクド校長が、備え付けの棚に背を預けて優雅に午後のコーヒーを楽しんでいた。
「おや、アルル君」
ひらひらと手を振る校長に一礼してから、一番奥の寝台に片膝を立てて座り込む。
腹部を折り曲げると、またじくり、と痛みを感じた。こんな時は強い男の身体がうらやましい。
いつもの青い制服の上から腹部を一撫でして顔を上げると、いつの間にかカーテンの中に
校長が入り込んでいた。胡散臭いほどの笑顔だ。
仕切り板に寄りかかる……出て行くつもりは、どうやらないらしい。
「顔色が悪いようだね」
普段のアルルなら勝手に入ってこないでください、と抗議のひとつでもしただろうが、
今はしんどくてそんな気にもなれない。それにこの人は、距離を取るのがひどく上手いのだ。
いつも気に触らないギリギリの至近距離に当然のように陣取るから、気付いたときには今更追い払えなく
なってしまう。
黙っていると、それをいいことに校長の掌がアルルの頭に伸びた。細く骨ばった男の掌が、栗色のアルルの
髪を撫でた。アルルはちいさく溜め息をついて瞼を伏せた。記憶の中にある父親の掌を重ね合わせる。
こんな無邪気な自分でも、忘れていた懐かしさに遭遇すればキリキリと胸が痛むことだってあるのだ。
「君は最近ちょっとばかり、気を張りすぎているように私には見えるのだが」
「えへへ…いいんです、ボクにはこのくらいがちょうど」
深入りを拒む言葉にはいつもほどの棘は含まれていなかった。掌が心地いいからだろうか。
自分でも分からない。
校長に何らかのシンパシーや感情めいたものを感じたことはなかった。だけどこの手だけはちょっと好きだ。
触れられるたびに、焦がれていた父親のかけらを掴めそうな気がする。
それを嫌というほど拾い集めて、大人の男に馴れてしまえば。その時こそ本当に女になれそうな気が
アルルはしている。

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