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8-70様
「え」
ルルーが手に持っていたティーカップをガチャリと受け皿に置く。
挌闘家とは思えないその華奢な指に、まだ熱い紅茶が数滴飛び散った。
「ミノタウロス。今、何と言って?」
「あ、あの。ですから、ついにサタンの后が決定したと…」
言って、ミノタウロスは自分でも気付かぬうちに眼前で可憐な薔薇の装飾のトレーを構えていた。
「まさか相手は…」
垂れ目がちなルルーの瞳がつり上がり、怯えたミノタウロスの姿を映す。
ミノタウロスはゴクリと唾を飲んだ。
「…はい、その、まさかです」
◇
ルルーは肩を震わせながら西日が包む紅の森を、サタンの住まう塔を目指し歩いていた。
じょうっだんじゃないわ。まさか、本当にアルルと結婚するつもりなんて!
ふわりと落ちてくる白い肩紐を無意識のうちに掛け直す。
アルルもアルルだわ。今まで散々、サタン様のアプローチを邪険にしていたくせに!
どうして、今頃…!
滲んでくる涙を必死で堪え、ルルーはギュッ…と瞳を閉じた。
…嘘よね?
サタン様のことだもの、これもきっといつものお戯れに決まっているわ。
そうよ、そうに決まってる…
ほんの数日前に見たサタンの姿を思い起こすが、その像はいつもより霞んでいる。
ルルーは思わず頭を振った。
涙で歪む木立を苛立たしげに払い除けながら再び進む。
西日に照らされ、視線を落として歩むその美女を、すれ違った男の鋭い眼が捉えた。
「…ルルー?」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、ルルーはハッと振り返った。
「シェゾ…」
ルルーは少し残念そうにその銀髪の魔導師を見た。
…サタン様かと思ったのに。
「なんだ、元気がないな」
男は手に薄汚れた袋を抱え、きょとんとしている。
「別に…放っておいて頂戴」
ルルーはさり気なく頬を拭い、わざと素っ気無い返事をした。
「…あなたのその手に持っているモノは何ですの?」
「ああ、これか?今日の俺の晩飯さ」
「…兎を殺しまして?」
「ウサギ?ハハ、違うさ。ほら」
男はルルーに歩み寄り、ずっしりとしたその袋の中を覗かせた。
「ディナーがキノコ…ですの?」
「俺は菜食主義だからな。動物は食わん。それによく見てみろ。山菜と豆もあるぞ」
そう言って顔を上げた男とルルーの目が合った。
「ルルー…もしかして泣いたのか?」
「!」
ルルーは思わず男から目を反らした。
「な、何でもなくってよ」
「何かあったのか?」
男はルルーの腕を掴み、自分のほうへぐっと引き寄せた。
「ほら、ここ。濡れてるぞ」
そう言い、ルルーの白い頬を親指でグイと拭うと、ルルーがその手をパシリと叩いた。
「ルルー?」
「ひっく…」
ルルーは明らかに泣いていた。
「…そうやって、好きでもない女に優しくしたりしないで!」
「ルルー?」
「あなたは…いいえ、あなただって…」
ルルーはキッと男を睨み付けた。
「あなただってアルルが好きなくせに!」
ぽかんと口を開けて立ち尽くす男を後に、ルルーは駆け出した。
これじゃまるで八つ当たりだわ…。
ルルーの瞳から大粒の涙がこぼれる。
…シェゾはあの話を聞いてないのかしら…。
掴まれた腕がズキリと痛む。
日は沈み、夏の森はいつのまにか薄暗くなっていた。
ルルーは立ち止まり、くるりと後ろを振り返った。
そこにはまだぼんやりと、佇む白い魔導師の姿が闇に浮かんでいた。
◇
「…少し落ち着いたか?」
ルルーは小さく頷き、ひんやりとした水が喉の奥に染み込んでいくのを感じた。
「悪いな、こんな持成しで。次の買い出しまですっからかんなんだ……コレ以外はな」
男は抱えていた袋をドサリとテーブルの上に置き、本日の収穫を満足そうに確認していく。
「おっコイツはでかいな…む、なんだこれは」
洞窟の中は狭く涼しく、壁の燭台に灯された炎がぼんやりと輝く。
ジジ…と蝋燭が溶ける音に梟の鳴き声が重なり、夜の闇の心地よい静けさが二人を包んだ。
「…素敵なところね」
ルルーが呟くと、男は手を止め小さく微笑んだ。
「さっきは悪かったわ」
「…ああ、別に気にしていない。ん、これはこっちか」
「……ここに独りきりで寂しくなくて?」
男はきょとんとルルーを見やる。
「まさか、俺様は闇の魔導師だぞ。寂しいは愚か、退屈だと感じたこともない」
「……そう」
ルルーは規則的に動く男の指を見つめながら言った。
「私は独りは嫌。常に愛する人の側にいたいわ。片時も離れたくない…」
顔も上げずに少々意地悪く男が笑う。
「いるじゃないか。忠実なるおまえのかわい〜い僕が」
ルルーの脳裏にふと、先刻の哀れなミノの姿が浮かんだ。
「…あのねえ。私が言っているのは」
「ハイハイわかってるよ。゛サタン様"、だろう?」
「……………」
「しっかし、あのサタンのどこがいいのか…むっ」
男は開かれたまま置かれている本のページに目をやり、念入りにキノコを選り分けている。
「ちょっとシェゾ。サタン様を愚弄する気?」
「いや、真剣に訊いてるんだよ。大体、あいつもうじーさんじゃないか。ん…これもか」
ルルーは少し言葉に詰まったが、フン、と髪を後ろへ流すと目の前に放り投げられたキノコの棒を指で弄んだ。
「…真にイイ男は歳を重ねる毎に磨きがかかるものよ。そう、まさしくサタン様のように…」
「おい、妙な真似をしながら言うな;」
「……変なところに反応しないでよ、イヤらしいわね」
「ゴ、ゴホン。………で、結局サタンのどこがいいんだ」
「あーもう、うるっさいわね!全てよ、す・べ・て!あの見目麗しいお姿、お茶目で可愛らしい性格、そしてなんと言っても魔導界屈指の実力者である御方…
とりあえず、あなたと比べるまでもないことは明らかね!オオーッホッホッホッホッ」
「へえ…」
意外にも男は納得したように呟き、作業を続ける。
その様子に満足したルルーはキノコを塊の中に戻し、長い髪の毛先をくるくると指に絡ませた。
「まあ、アルルのようなお子様にご執心のあなたにサタン様の魅力は解る筈もないでしょうけれど…」
ルルーが言うと、男はピタリと手を止めた。
「おい。さっきもそんなことを言っていたが、それじゃあまるで俺がアルルを好きみたいじゃないか」
「あら、違うとでも?」
「違うに決まっているだろう。俺はアルルが欲しいだけだからな」
「……………」
「……………」
ルルーはガクリと頭を垂れた。
「……あなたねえ、それを゛好き"と言うんじゃなくって?」
「ち、違う!俺が欲しいのは゛力"だ!゛アルルのチカラ"!別にアルルが可愛いとか、そんなことはちっとも思ってないぞ」
「………ハア」
ルルーは溜め息をつき、赤面して両手のキノコを握り潰す男に冷ややかな眼差しを送った。
大体、あなが早くアルルを捕まえないからこんなことになったのよ。
「そ、そう言えばルルー。何か話があったんじゃないのか?」
話題を変えようと、男が切り出す。
ルルーは如何にしてショックを与えずにあの話をするか悩んでいたが、もうそんな気遣いはキノコの山に埋もれてしまった。
「シェゾ。もしもアルルがサタン様と結婚するって言ったら?」
男はパチクリと眼を瞬かせた。
「え?」
ルルーは苛立たしげに束にした髪の毛先を指先で弾く。
「だあから結婚よ、ケッコン!あなたのだ〜い好きなアルルと、私のだ〜い好きなサタン様が、結婚してしまうのよ!」
男はキノコを掴んだまま数回瞬きを繰り返し、ルルーの緑の瞳を見つめた。
「………それは、ない」
そうきっぱりと言い切った男の言葉に、ルルーは思わず身を乗り出した。
「な、ない…って………どうしてそんなことが言えて?」
男はフンと鼻で笑い、銀色の髪をサラリとなびかせた。
「どうしてって…アルルはもはや完全にこのシェゾ・ウィグイィ様の虜だからな…」
ルルーはぱっくりと開いた口が塞がらない。
「あっきれた……大した自信だこと…!アルル本人の口から聞いたわけでもないでしょうに」
「聞かなくともわかる。この俺様に会った時の、近頃のあいつの様子…顔を真っ赤にしてオロオロし、冷や汗をかいている」
「……それはあなたがアルルに変なことを言うからじゃなくて?」
「別に変なことなど言ってない。ただ、おまえが欲しい、おまえの全てを見せてくれ、俺はおまえと融合したい、…とかそれだけだ」
「………あなたって…正真正銘の変態だわ」
「だ、だからそれは止めろ!まったくどいつもこいつも俺様を変態呼ばわりし」
だったら、とルルーが言葉を遮った。
「これからサタン様のところへ、あの話の真偽を確かめに行くところだったのだけれど…あなたも一緒に行く?」
男は少し考えてから言った。
「ああそうしよう。だが今日はもう遅い…夜の闇は女には危険だ。日が昇るまで待ったほうがいいな」
ルルーも頷いた。
「そうね…いいわ、そうしましょう」
「よし。そうと決まればまずは腹ごしらえだ。俺の自慢の腕を奮ってやろう」
「だったら私、料理が出来るまでに湯浴みをしたいのだけれど」
「ゆっ…湯浴み!?」
「なに赤くなってるのよ」
「ゴ、ゴホン。あー…ここから少し降った所に小さな川が流れている。石鹸を渡すから、そこで体を洗え」
「ちょっとあなた、この私に沐浴させる気?」
「おまえの家とは違うんだ、文句を言うな。汗を流せるだけ有難いと思え」
「……シェゾ。覗いたりしたら承知しないわよ」
「誰が覗くかっ」
「……………ジー」
「な、なんだその目はッ!ほら、さっさと行って来い」
◇
ルルーは着ていた服をきちんと畳み、川の近くの木陰に置いた。
誰に見られている訳でもないが、やはり落ち着かないものである。
片方の手で胸を隠し、急いで川の中に身を入れた。
浅く緩やかな流れの川に、ルルーの白い肌が浮かぶ。
「ふう…気持ちいい」
月明かりに照らされ、川面がキラキラと光りを放っている。
パシャリ、パシャリと冷たく澄んだ水を首筋に掛けるたび、自分の心に醜く渦巻いていた嫉妬と憎悪が薄らいでいく気がした。
サタン様、どうかお願い。私に振り向いて―――
ルルーが流れる星に願いを懸けた、その時。
祝福か嘲笑か、渦巻くような突風がルルーを包んだ。
「きゃっ…」
思わず身を屈めたルルーが顔を上げた先には、満点の星空にお気に入りの白いドレスがふわりと浮いていた。
私の服!
飛ばされたドレスは川面にハラリと舞い降り、そのままゆらゆらと流されて行く。
「待って!」
勢いよく水飛沫を上げながら、ルルーはドレスを追いかける。
バシャバシャバシャ…!
もう少しで指先が白い布を絡めそうになった瞬間、ルルーの耳が男の声を捕えた。
「ルルー!待て!」
驚いたルルーが振り返ると、川の浅瀬で男が石鹸を手に叫んでいる。
「ルルー、それ以上進むな!一気に底が深くなるぞ!」
しかし男の声はよく聞き取れない。
「シェゾ!?あなたやっぱり覗きに…きゃあっ」
急に体を捻ったことによりバランスを崩したルルーは、足を滑らせそのまま川面に倒れ込んだ。
「ルルー!!」
倒れたルルーの体はすっぽりと川の中に隠れ、足を付こうとしたが川底が見当たらない。
「………ぷはっ!!」
辛うじて顔を水面上に出したルルーだが、滑った際に挫いてしまったらしく足に鈍い痛が走る。
「………!!」
再びルルーが川の中へと消えると、男は川の流れに沿って走り出した。
「ルルー!!おい、ルルー!!」
ルルーは一向に顔を出さない。
「くそっ」
男は素早く肩当とマント、それにスリットの入った白く丈の長い上着を脱ぎ捨て、上着と同様、白いズボンだけになった。
大きく息を吸った後、ルルーが消えた場所目掛けて飛び込む。
ルルー、死ぬな…!
川の底は予想以上に深くなっていた。
男がぐんぐんと潜水していくと、長い髪を揺らめかせて沈んでいくルルーの白い体が目に入った。
男の腕がルルーを捉える。
なんとか意識を保っていたルルーは咄嗟に、目の前に現れた男の胸にしがみついた。
男がルルーを抱き寄せると、ルルーの蒼い髪が男の視界を奪う。
男は片足で川石を蹴り上げ急上昇した。
「ぷはあっ!!ぜえ、ぜえっ」
顔を出した二人の肺に新鮮な酸素が流れ込む。
「はあっはあっ…」
男は抱っこするような状態で片腕でルルーを支え、背中にまわしていたもう片方の手で自分の顔に張り付いた彼女の髪をゆっくりと除ける。
次第に呼吸が整ってくるにつれて、男はルルーの体が小さく震えていることに気付いた。
「よしよし…もう大丈夫だ。さすがのおまえでも恐かっただろう」
そう言ってルルーの背中を擦ると、男の首にまわされたルルーの腕の力が少し緩んだ。
俺の服は………
男は先程飛び込んだ場所に目をやる。
ちょうど、外した肩当がマントと上着の重石になっているようだ。
また後で取りに来るか。
そう思って下を向くと抱いているルルーの体が目に入り、慌てて視線を上げる。
「…歩けるか?」
ルルーは首を振る。
「そうか」
男がよいしょ、とルルーを抱き直すと、ルルーの濡れた長い髪から幾つもの滴がぽたぽたと川面に落ちる。
ルルーも男の腕に体を預け、肩越しに揺れる冷たい銀色の髪が頬をくすぐるのを感じた。
「………ありがとう」
ルルーが呟くように言う。
おや。
男は微笑み、ルルーを抱いたままゆっくりと歩き出した。
バシャ、バシャ…。
洞窟までほんの数百メートルの距離だが、不思議ととても長く感じる。
男はルルーの体の奥の熱気を感じながらボソリと呟いた。
「まあ、無事だったのは何よりなんだが…」
ミノタウロスよりは幾分細いものの、中々に抱かれ心地の良い腕の中でルルーは閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
「…なによ」
「……いや、何でもない」
「ちょっと、はっきり言いなさいよ。気になるじゃない」
「あー、うん。つまりその、何て言うか……ずっとおまえの胸が当たってるんだが」
「……………」
「……………」
サアァ…と、夏の夜の風が涼しげに二人の肌を撫でる。
「言っておくけど、私の脚にもずーっとあなたのモノが当たってるわよ。本当、変態なんだから」
「あ、あのなあ。こればっかりはしょうがないだろう。そもそもおまえが石鹸を忘れたから俺は…」
「この事、もし誰かに話したりしたら鉄拳で制裁するわよ。さあ速く歩きなさい」
「……へいへい;」
◇
「右よ、右。そうそう、そこでもう少し…危ないっ」
「ぐおッ」
「ああっ、もう馬鹿ねえ」
「いてて…そんなこと言ったっておまえ…ほら、次はどっちだ?」
「このまま前へ進んで。そう、ここで左よ…もう少し前に。そうよ、あと2、3歩…はいストップ!」
「よし、手を離すぞ。気をつけて降りろよ」
「ええ」
ルルーは男の首に絡めていた腕をするりと解き、木製の硬いベッドの上に片足をそっと降ろすと、シーツに濡れた裸体を纏わせた。
「ご苦労様。もうそれ、取っていいわよ」
「そりゃあ有難いな」
卑屈に笑い、男が目隠しにされていた青い鉢巻の結び目を解くと、蝋燭の炎に照らされたルルーの瞳はいつもの気丈なそれに戻っていた。
「まさかあなたにこんな姿を見られるなんて、人生最大の不覚だわ」
ルルーは悔しそうにプイと横を向いて水の滴る髪を煩わしそうに掻き揚げるのだが、ほんのりと頬を色づかせた彼女のその仕草は思いも掛けず魅惑的だ。
「……安心しろ。あの時はとにかく必死だったからな、大して見ていない」
見てはいないが………
男はくるりと後ろを向き、まだ少し窮屈なところをもぞもぞとさせる。
「あー、何か着るものとタオル、それに湿布を持ってくるからちょっと待ってろ」
そう言って寝室を出て行った男の濡れた背中を見送り、ルルーは左足をシーツから覗かせた。
「少し腫れてるわね…」
ルルーは深い溜め息をつく。
普段は考えられないようなドジをして自慢の足を傷つけてしまったことも不覚だったが、何より悔やまれるのは。
よりによってシェゾに窮地を救われた挙句、彼を頼ってこの身を任せてしまったなんて。
ああ、初めてカラダを見せる人はサタン様と決めていたのに……
ふと、先刻の自分をすっぽりと包んだ男の裸の胸や背中…そしてあの部分の感触がルルーの脳裏に蘇り、ルルーは思わず両手のシーツを握り締める。
太ももに当たったあの部分は、○くて○くて、結構○かった。
「………ああんもうっ、シェゾの奴ッ///;」
ロリコンのフリして結構しっかりしてるんだから……
ルルーがガバリと頭からシーツを被ると、例に違わずそこは若い男の寝床らしい香りに充ちていた。
ぁっ…これは……?
ルルーは裸の身を丸め、鼻をつくその香りからなんとか意識を遠ざけようとするが、体の芯がジワジワと熱を帯びてくる。
も…やあっ……!
思わず枕を抱きしめるものの、染み込んだ男の香りと柔らかくも硬い触り心地がルルーに更なる高ぶりをもたらす。
ルルーはあの時の男の肌を思い出しながら、同時にサタンを想像していた。
いつかサタン様も、あんな風に私を抱きしめてくれるかしら……
誰もが振り向くようなナイスバディながらこれまでサタンの為に頑なに貞節を守ってきたルルーは、日々その肉体を鍛錬してはいたもののミノタウロス以外の男と触れ合ったことは少ない。
初めて、純粋な意味での異性に自分の裸を預けた彼女が、そこに好きな人の面影を重ねてしまっても無理はなかった。
あの時抱きついた男の胸板や首筋、そして自分の背中や腰にまわされた暖かく大きな手。
触れ合った肌と肌の温度がそこにこびり付いてしまったように、再び熱を帯びてルルーに重ね合う対象を求める。
「は…ぁ…」
ルルーは僅かに開いた口から熱い息を漏らし、男の枕を抱きしめ、太ももで挟むように抱え込んだ。
「サタン、さま……」
愛しい人を想う夜のように、その細く長い指が、汗ばむ太ももの内側を、微かに肌に触れながらゆっくりと這う。
だ…駄目よルルー、ここはシェゾのベッドなのよ…?
もどかしそうに体をよじるルルーの胸と枕が重なり、その豊かな胸はふにゃりと押し潰されて大きく揺れる。
「ぁんっ…」
ルルーはそのこぼれるような胸をさらに強く枕に押し当て、抱きしめたままそっと腕を上下に揺り動かす。
ざらついた布で乳首を摩擦するたび、柔らかな乳房が枕の動きに合わせて滑るように上へ下へ、ぷるんぷるんと揺れ動いた。
抱いていた枕をそのまま下にずらして揃えた太ももで挟み、体の熱っぽさから逃れるように擦り合わせると、ちょうど敏感な場所に枕の布の角の部分が当たり、ルルーは裂部をキュッと小さく締め上げた。
頭では駄目だと解っているものの、ルルーはその豊穣な体の目覚めはじめた欲望を持て余すように、男の枕に股間を押し付け、ゆっくりと上下に腰を動かす。
「あ…はぁん…サタンさまぁっ」
次第に枕の奥から水っぽい淫らな音が響きはじめ、じんわりと、シーツの中に自らの卑猥な淫香が広がっていく。
あ、あ…私…シェゾのベッドでこんなこと……
火照ったルルーの体の熱で温められた枕が、ついに溢れ出た彼女の蜜を吸い込んでぬるりと濡れる。
ルルーはあの時の男の膨らみに愛しい人の姿を重ね、擦り上げられる裂部の後ろの秘穴を、お尻の下から差し入れた指でそっと開いた。
惜しみなく淫蜜を滴らせるその入り口は、待ちわびたようにルルーの揃えた中指と薬指をキュッと咥えて飲み込み、熱い肉壁で責めるように締め上げる。
「ぁあっ…ふぅんッ…!」
激しさを増すルルーの淫らな水音が薄いシーツを通り抜け、薄暗い寝室全体に響き渡る。
ルルーの恥じらいと罪悪感を交えた湧き上がるような衝動は男のシーツをも染め濡らし、暫くの後、ルルーは小さく声をあげて絶頂を迎えた。
◇
男は先刻脱ぎ捨てた自分の服を拾い上げ、軽く叩いてからそれを見に纏う。
「あとはルルーの服か…」
そう言って緩やかに流れる川に視線を移すものの、そこから見える範囲でそれらしきものは全く見当たらない。
男が仕方なしに帰ろうとすると、木の根元に揃えて置かれたルルーのアクセサリーとショーツを見つけ、その白いモノのほうはなるべく見ないようにそれらをポケットに突っ込んだ。
洞窟に戻ると木箱から湿布と薬草を取り出し、少し考えてからそれはテーブルの上に置き、箪笥からタオルと少し細身の長いシャツを取り出してルルーのいる寝室へと向かった。
ルルー入るぞ、という男の声に、ぐったりと瞳を閉じていたルルーが跳ね起きる。
「シ、シェゾ!」
待って、と言う間もなく男が現れ、ルルーは急いでシーツを被った。
男が部屋に入ると、ベッドの上で白い塊がこんもりと丸まっている。
「…ルルー?」
男がタオルと着替えを机の上に置き、その塊に近づいて少しだけシーツを捲ってみると、汗ばんだルルーの赤い顔が覗いた。
男と目の合ったルルーの瞳は見る見るうちに涙で滲み、ルルーは逃げるように壁際に後ずさりして、鼻先までシーツを引き上げる。
「!」
ルルーのまわりに散らばる幾つかの丸められたティッシュを見て、男は思わず息を飲んだ。
「ルルー…もしかして…した、のか…?」
男のその言葉に、ルルーは耳まで真っ赤にして両手で顔を覆い、くしゃくしゃのシーツの上にうずくまる。
「いやあ、お願いシェゾ、誰にも、誰にも言わないでえっ」
最早言い逃れのできる状況でないことは明らかで、ルルーはうっ、うっと泣きながら何度もお願い、と呟く。
いつも毅然としたルルーがこれほどまでに取り乱す様子に、男は少々戸惑ってその場に立ち尽くす。
「うっ…く…お願いシェゾ…おねが」
「分かった、もう分かったから」
思い切ったように、男は背中を丸めてうずくまるルルーの隣に腰を降ろし、彼女の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
「そんなに泣くなよ、別に悪いことをしたわけじゃないんだから」
こんな時、優しい言葉をかけられると逆に恥ずかしくなってしまう。
「うぅっ…全部あなたが…あなたが悪いんだからッ…」
「俺が悪いのかよ;」
しかし憎まれ口を叩きはじめたルルーに男は一安心し、泣き続ける彼女の隣で暫く黙って座っていた。
これ、ミノが知ったら鼻血モンだろうな…
ルルーの泣き声が落ち着いてくるにつれ、徐々に男のほうが恥ずかしくなってくる。
実際、こうしている間にもうっすらと、ルルーの淫蜜の残り香が二人を包むように漂っているのだ。
たまらず、男は立ち上がってポケットの中からルルーのアクセサリーとショーツを取り出し、うずくまるルルーの隣に置いた。
「悪いが、おまえの服は見つからなかった。タオルと着替えを置いておいたから、落ち着いたら夕飯を食べに来いよ。この俺様が腕を奮って作ってやったんだからな」
そう言い残し、男は足早に寝室を出てから深く大きな溜め息をついた。
◇
男は竈に火をかけ、先程下拵えをしておいた採れたての山菜をその中に流し入れる。
少量の塩を入れて灰汁を抜き、素早く冷水にさらす。
調味料で味を調えて暫くぐつぐつと煮込んでいると、だんだんいい匂いがしてきた。
残ったキノコは網でこんがりと焼き目をつけて、醤油に鍋の残り汁を合わせれば立派な一品になるな。
出来上がった料理をテーブルに並べていると、だぼっとした男のシャツに身を包んだルルーがおずおずと部屋に入ってきた。
「お、丁度いいところに来たな。シェゾ・ウィグィィ様特製、スペシャル鍋の出来あがりだぞ」
「…あ、あの、シェゾ…」
「ほら、早く座れって」
「え、ええ…」
男は気を遣ってくれているのか、まるで何事も無かったかのように振舞っている。
「ねえ、シェゾ」
「だから早く…」
「そうじゃなくって。………あなたのそのエプロン、前後ろ反対なんじゃなくって?」
「ダアァッ」
お、俺としたことが、と言って額の汗を拭う男のうっすらと赤い顔に、ルルーはふふっと明るい笑い声を漏らした。
「それにしてもあなたって、意外と可愛らしい趣味なのねえ」
「…ハッ!?ち、違うッ!これは以前ウィッチの奴が、服をよこせば1年分の魔法薬と交換してやると言ってきた時についでに貰ったもので、別にこれが俺の趣味というわけでは」
「ねえシェゾ。湿布か何か貰えないかしら」
「人の話を聞けッ;………かなり痛むのか?」
「まあ、大したことはないけど一応…ね」
「どれ、足を出してみろ」
「自分でやれるわ」
「いいから、ほれ」
「………」
ルルーは暫く黙ってから素直に椅子に座り、男のシャツから脚を伸ばして腫れた左足を差し出す。
「ふむ…。この程度なら、ウィッチの魔法薬と調合した俺の薬草を擦り込んでおけば直ぐにでも治るだろう」
「本当?」
「ああ。俺はあの薬でどんな怪我でもたちどころに治してきたからな」
「…あなたの体と同じ基準で考えるのには疑問が残るけれど…まあ、いいわ。早く塗って頂戴」
男は薬の瓶を手に取り、ルルーの脚を自分の膝に乗せ、その足首にゆっくりと薬草を擦り込む。
ルルーはその長く美しい脚を投げ出して視線を床に落とし、男も黙って手を動かした。
「…これでここに包帯を巻いて…よし、出来たぞ。」
「…ふふん、ご苦労様」
さてと、と男が立ち上がる。
「さすがに腹ペこだな。さあ、食べようぜ」
そう言ってさっさとテーブルに着く男の背中を、ルルーが神妙な面持ちで見つめる。
………シェゾは、思っていたより―――………
すこし考えた後ルルーも静かに席に着き、二人は随分と遅い食卓を囲んだ。
「久しぶりだな、こうして誰かと食事をするなんて」
鍋をつつく男のその言葉に、ルルーは箸を持つ手を休める。
「ホント、独り身とは思えない料理の腕ね。こんなところでひっそりと自炊させておくのがもったいない気がしてくるわ」
「生憎、食べさせてやる相手もいないもんでな」
しかし、そんなことなど気にもしていない様子で、男はパクパクと鍋の具を口に運ぶ。
「…あなたもこんな場所に隠れ潜んでいないで、もっと町の近くに移ってくればいいのに。いくら闇の魔導師とはいえ、そのうち体にカビが生えるわよ」
「フッ。何とでも言え。…おまえにはわかるまい、この静寂がもたらす真理と覚醒の狂焔が…っておい、だから人の話はちゃんと聞けッ」
「時々なら」
ルルーは男と視線を合わさずに、熱々のキノコをフーフーと冷ましながら言う。
「またこうして遊びに来てあげてもいいわよ」
「…ハッ。好きにしろ」
二人は互いにフンと鼻で笑い、山盛りの山菜鍋をあっという間に空にしてしまった。
「ふう、食った食った」
男がポンポンに膨れた腹を満足げに撫でていると、暫く別の皿のキノコを食べていたルルーがポツリと口を開いた。
「シェゾ」
男は頭の後ろで腕を組み、閉じた瞳を開かずに答える。
「なんだ」
「…ごめんなさい。実は私、さっきあなたのシーツと枕を汚してしまったの。後で川で洗ってくるから、それまであのベッドに寝ないでね」
男は危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「お、おまっ…イキナリそんなこと言うなッ///;」
真っ赤な顔でフリルエプロンの肩紐を落とす男を尻目に、ルルーは黙々とキノコを食べ続ける。
「私、今まであなたのこと誤解していたみたい。あなたって意外と優しくて真面目なのね」
気を紛らわそうと口に含んだ水を、今度は豪快に噴き出す。
「ゴ、ゴホガホッ………ま…まあ、な…。つまりやっとおまえもこのシェゾ・ウィグィィ様の魅力がわかるように」
「それにあなたって、てっきりロリコンなんだとばかり思っていたわ」
「ロ、ロリコン!?」
「だってあなた、今までアルルばかり追いかけていて、一度もそれらしい浮いた話なんてなかったじゃない。あるのは痴漢や覗きや下着泥棒の噂ばかりで・・・」
「だ、だからそれは誤解だとッ………いや誤解じゃないのもあることにはあるがダガシカシ…」
「勿体無いわ、あなたって見た目は結構イケてるのに。いつまでもしっかりした彼女をつくらないで、アルルのお尻ばかり追いかけまわしてるから変な噂が立つのよ」
そう言い、ルルーはふと、悲しげな目つきで男を見つめた。
「私、あなたを好きになっていればよかったのかもしれない」
「ル…ルルー…?」
「ねえ、シェゾ」
ルルーは身を乗り出し、そっと男の手を取る。
「私を一人の女として、どう思う?」
「どっ…どう思うって、おまえ何を…」
「私、今日…あなたに抱かれて少しドキドキしていたのよ。だからさっきもあなたのベッドで、あなたのシーツと枕をびしょびしょに…濡らしてしまったの」
「だ、だから、それ以上そういうことをっ…;;;」
「あのベッドで私、こうやってあなたの枕を胸に当てて…」
そう言ってルルーが男の手を自分の胸に持っていこうとすると、男は思わず椅子から立ち上がった。
「だあぁーーーっ///;ちょ、ちょっと待て、どうしたんだよルルー!おまえ、さっきからなんか変じゃないか?」
「………変?…私のどこがおかしくて?」
「その、何て言うか、いつものおまえらしくないって言うか…」
「………私…らしさ……?」
瞳を大きく見開いて男の手を取るルルーの指の力がするりと抜ける。
「…私らしさって………私らしさって、何?」
「………ルルー?」
「…私は今まで、サタン様に相応しい女になること、それを第一に考えて日々修行を積み重ねてきたわ。挌闘の道を選んだのだって、私には魔導力がなかったから。それでも何とかサタン様に振り向いて欲しくて、必死に自分を高めてきた。………それなのに」
うっ、と顔を覆ったルルーの両手が小さく震える。
「どうして…どうしてッ………!」
そう言ってルルーがガバリとテーブルに突っ伏した拍子に、彼女が先程まで口にしていたキノコの乗った皿がカランとひっくり返った。
「…!」
男はテーブルに散らばった幾つかのキノコの中からひとつを摘み上げ、それを暫く眺めてからガックリと頭を垂れる。
………迂闊だった、俺としたことが。
男の白く筋張った手が、テーブルの隅に開いたまま置かれた恐ろしく分厚い本の頁を捲る。
「うっ…ぅうっ…サタンさまあっ…!」
「うおっ」
ルルーが食い入るように『キノコ大全』を読み耽る男の背中に抱きつくと、彼女の怪力故、二人の体が前のめりに倒れ込みそうになる。
「お、おいちょっと、ちょっと落ち着けよルルー!」
男はなんとか壁に手をついて踏ん張り、くるりとルルーに向き合うように体の向きを変え、彼女を抱きとめるような形でそのまま床に座り込んだ。
「サタンさま、サタン、さまっ……」
仕方なしに、男は自分の胸で泣くルルーの背中をポンポン、と叩く。
ルルーの奴、何かおかしいと思ったら、魔キノコを食っていたか………。
魔キノコとは、この地域にのみ自生する、言わば特殊な毒キノコである。
しかし毒キノコと言っても然程有害なわけではなく、それは口にした者の交換神経の活動を活発化させ、動的な感情を高めるという効果をもたらすものである。
その為以前は魔導師が修行の際の気付けとして好んで使ったことから魔キノコという名で呼ばれるようになったのだが、その後の研究で情緒の不安定な人間が食用すると思わぬ効能を発揮することが分かり、現在では主に媚薬製造の過程で重宝されている一物である。
てっきり、網焼きキノコを食ってるんだとばかり思っていたが………すまないルルー、俺の責任だ。
そう思い、泣く子をあやすようにして、男は暫くルルーの背中を優しく擦ってやる。
「うぅ…ぅっ…私が…私が悪いんだわ…。私にアルルのような魅力が、ないから……」
己の胸にすがりつくようなルルーの言葉に、男は驚いたように目をパチクリとさせてルルーを見る。
「なーに言ってんだ、おまえは充分魅力的だぞ」
ルルーはフルフルと頭を振り、男の胸のエプロンをギュウと握り締めた。
「でもあなただって…アルルが可愛いって…ぅっく…言ってた…じゃない…」
男は溜め息混じりに小さく頭を垂れ、ルルーの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
「この際だ、はっきり言ってやる。アルルはアルルで可愛いが、おまえはおまえで可愛い。それにおまは可愛いだけじゃなく、一途で、努力家で、以外に照れ屋で、官能的だ。確かに魔導力はないかもしれないが、おまえは凄く…いい女だよ」
………ん?俺、いつからルルーをそんな風に見てたんだ。
「嘘」
小さくそう呟いたルルーが下を向いたまま手の甲で涙を拭うと、男はもう一度深い溜め息をついてルルーの両肩を掴み、彼女をしっかりと見据えて言った。
「あのなあ…。嘘なら、誰がおまえにここまでシモを振りまわされるかよ。はっきり言って、今日おまえが見舞ってくれた色々な刺激のせいで俺はもう限界が近い。だからおまえも余計なことは考えずに寝ろ。俺は外で寝るから」
そう言って立ち上がろうとした男の腕を、ルルーの白く華奢な手が繋ぎ止める。
「ルルー…?」
「だったら…」
「だったらそれを、私に証明してくれる…?」
「…ルルー…?」
「キス、して……」
「……!」
「ねえシェゾ、お願い。私今すごく不安なの。こうしている間にも、サタン様はアルルと一緒に過ごしているのかもしれない…サタン様はアルルを愛して、アルルはそれに応えて…うっ」
ルルーの潤んだ瞳から、再び大粒の涙が溢れだす。
「っく…いや、サタン…さま…サタン、さまぁっ…」
「ルルー落ち着け、落ち着けって」
男はルルーの頬に両手を当て、次々と流れ落ちてくる涙を親指で乱暴に拭い除ける。
「大丈夫、大丈夫だから。おまえの気持ちはよく分かった。だからもうそれ以上、あの男の為に泣くな」
そう言い、不意に男の指が止まる。
「…証明?…ああ、してやるさ」
男はルルーの涙に濡れた前髪を掻き分けて瞳を見つめ、濡れた親指でその柔らかい唇を割って彼女の口を小さく開かせる。
ゆっくりと、男の顔がルルーの顔に近づき、ルルーが瞳を閉じると男はその潤んだ唇を包み込むように、少しカサついた自分の唇を重ねた。
「っん………」
男が頬に添えていた左手でルルーの後ろ頭を引き寄せ、右手を彼女の背中にまわして顔を斜めに傾けると、重なり合う唇と唇が一層密着し、抱き寄せられたルルーが小さく男のエプロンを掴む。
「…ふ……っは………」
ゆっくりと静かに、そして力強く、吸い含めるような男の唇がルルーの唇を包んでは離れ、その熱い舌先がまさぐるように彼女の口の隙間から這い入ると、次第にルルーの体から力が抜けていく。
男はそのまま床に倒れ込みそうになるルルーをしっかりと抱き寄せ、最大限の誠意をもって彼女の唇を塞ぎ、暫くの後、ゆっくりと、その暖かく濡れた場所から離れた。
「…っはぁ…俺の……取って置きのキスだ…。おまえに言い寄られて嫌な気がする男がいるものか、これでわかっただろう」
そう言い、己の脳裏をかすめる色々の感情をなんとか抑えつつ、男はルルーの体から手を離す。
「…ぁ…シェ、ゾ…」
ルルーはやっと正常な感覚が戻ってきたのか、徐々に頬を赤く染めて、自分の濡れた唇にそっと指を乗せている。
「…わかったら、俺の理性が保たれているうちに早く部屋へ行くんだな。少なくとも今夜、これ以上俺はおまえと一緒にいられる自信が無い」
そうきっぱりと言い切ると、ルルーは小さく頷き、太ももの付け根の辺りまで捲れ上がった男のシャツを直してから、力の入らない足でフラリと立ち上がった。
テーブルの上に散らばる皿やコップ、それに食べかけのキノコなどを見過ごして部屋を出ようとしたルルーが、ひんやりと冷たい岩肌に背中をもたれ、頭上で腕をかざしている男を振り返った。
「シェゾ…ありがとう。それに………ごめんなさい」
そう言ったルルーがシャリン…と、金のアクセサリーを鳴らしながら部屋を出ると、男はフーッ、と大きく息を漏らして頭上で静かに燃える炎を見つめた。
………謝るな、そこで。
暫くの後、男はようやく立ち上がると、銀色の髪を荒々しく掻き揚げて呟いた。
「…ったく、しょうがねえな…」
シェゾは再び先刻の川辺に佇み、銀色の月を映してサラサラと流れる川面を一望した。
「やっぱりない、か…」
そう言った直後、シェゾの背後に音も無く現れた何者かの声がした。
「おまえが探しているのはこれか?」
「!」
誰だ、と振り返ると、黒いマントとフードに身を隠したその人物の手に、ルルーのあのドレスがあった。
「そうだ、俺が探していたのはこのドレスだ。おまえが誰だか知らないが、これは俺の知人の服。できれば返してもらいたい」
そう言うと、黒いフードに隠された男の笑った口元から白く鋭い犬歯が覗く。
「いいとも、もちろん返してやろう。…ただし、一つ交換条件がある」
「…交換条件?」