ドラコ=ケンタウロスの優雅な一日
3-676様
「えいやぁ!」
陽光差し込む乾いた林の奥から、元気に満ち溢れた声が響いた。
続いて、どん、と気が空気を振動させる音。
「ち…もう一発ぅ!」
そして再び、分厚い布を太鼓の撥で叩いた様な振動が続けて林に響く。
「ああもう! 今度こそっ…」
「甘い」
初めて他の声が聞こえた。
続けて。
「んぎゃっ!」
先程より甲高い金属の様な振動音。そして、ほぼ同時に悲鳴が響く。
更に続いて、何かが地面に落ちる音。
「あいたっ!」
どうやら声の主が地面に落ちた、と言うところらしい。
「いたたぁ…」
林の奥。
そこには、緑と土色を基調とした世界には不釣り合いな程に鮮やかな赤いチャイナドレスに身を包んだ少女が尻餅をついていた。
「ドラコ。何度も言うが隙がでかすぎる」
そして、ドラコと呼ばれた彼女の視線の先にはこれもまた林には不釣り合いな色合いの真っ白な衣装に身を固めた男が立っていた。
その手には薄氷を思わせる透明な剣を持ち、男の髪もまた透き通る様に白かった。
一瞬、天から降りてきたかと思わせる程に。
「シェゾ〜もうちょっと手加減してよぉ。女は腰を大事にしないといけないんだぞ」
ドラコはシェゾに向かって非難を浴びせる。
「勝手にこけたのはお前だ」
「むー」
シェゾがほら、と手をさしのべる。
ドラコは少々考えてから、その手を取って立ち上がった。
「……」
林の中の開けた場所。
背の高い木が多い中で、彼女の背中にある特に巨大な樹木が目立つ。
大木を背に立ち上がるも、ドラコはその手をそのまま離さない。
そしてじっとシェゾを見つめ続けていた。
「何だ?」
「別に」
そう言いつつも、ドラコは尚もその手を握り続ける。
「だから何だよ」
訳が分からない、と憮然の表情。
対してドラコは。
「…シェゾなんて、なーんにも修行の役に立たないもん。こんな実力差のある相手に手加減もしないしさ」
と、ぶーたれる。
「朝早くからわざわざお前の修行に付き合っておいて、挙げ句に言う事がそれかい」
シェゾは怒ると言うより呆れた様に言った。
「…そうだから言っているだけだよ」
ドラコはそんなシェゾに対して、妙に子供じみた口調で反論する。
「なら放せ」
「やだ」
ドラコは瞳を逸らさず、そのままシェゾを見つめ続けた。
「ちゃんと、手加減するくせに…」
「あ?」
「あの子の時は、ちゃんと相手していた…」
「あの子って…」
ふとシェゾは頭に一人の少女を思い浮かべる。
そしてすぐさまそれを頭の中からかき消し、反論する。
「それと今の何の関係がある? むしろ手加減せずに付き合っているんだから自分が上だとか思わないのか?」
「思わないよ! バカっ!」
ドラコは握っていた手をいきなり離し、その勢いでシェゾの頬をひっぱたいた。
林に乾いた音が響く。
「…!」
瞬間、ドラコが心臓を止めそうな程に驚いた表情で固まる。
「…ご、ごめ…」
あわあわと両手と瞳を泳がせ、シェゾの目の前で右往左往するドラコ。
対してシェゾは異様な程に無表情だった。
「…あの、シェゾ…」
ドラコは怒られた子供の様な表情で、上目遣いにシェゾの顔をのぞき見る。
「えっと…ごめんなさい…。ね? ね?」
小動物の様な瞳でドラコが許しを請う。
普段が勝ち気なだけに落差は激しく、その感覚は奇妙だった。
「何で謝る?」
え? とドラコが目を丸くする。
「だって…」
「文句言ってきている奴が手を挙げてもおかしくはないだろ」
「か、かもしれないけど…! そん、そんな事したくないよ!」
「格闘家のくせに」
シェゾは鼻で笑う。
「違う! 戦うのと暴力は違うよ!」
一端の格闘家としての誇りがある。
ドラコは頭を振って強く否定した。
「一方的に撲ちたくなんてない! ただ…シェゾなら避けるか受け止めるか、出来ると…思って…だから、ごめんなさい…」
普段のハキハキとした大きな声が、どんどんか細く、小さくなってゆく。
最後の方は蚊の鳴く様な声だった。
「だから…許してほしい…」
ふと見ると、ドラコのとんがった耳が少し垂れている。
それは彼女の心情を表しているかの様だった。
「一体、どう扱えば満足するのかね」
シェゾはふう、とため息混じりに呟く。
「……」
ドラコは何も言えない。
「要望あるなら言ってみろ」
思わぬ言葉にドラコが耳をぴんと立てた。
「え…」
「何かあるから不満なんだろ」
「ふ、不満って言うか…わぁ」
表現の難しい力の抜ける声。
シェゾが、返答を待たずにドラコの背を樹木に押しつける形で移動させた。
シェゾはそのままドラコの顔の横に方腕を立て、片方の退路をふさぐ。
二人は樹木を背に向かい合う形となった。
「ん?」
返答を促しつつ、残りの手でドラコのうなじ辺りの髪をいじる。
「そ、その…ひゃぁ…」
指が首筋に触れた。
ドラコは再び間抜けな悲鳴を上げる。
たちまち頬は真っ赤に染まり、心なし瞳も潤む。
心臓がいきなり早鐘のようになり、破裂しそうだった。
「どうした?」
「シェ…シェゾがそんな事するから…」
「こんな事か」
シェゾの指が首筋を撫で、そのまま襟に進入して肩口をなぞる。
「ん…」
体がぴくりと波打ち、その身を縮ませた。
「やぁ…」
緩慢な動きで身を捩るドラコ。
樹木についていたシェゾの腕に頭が当たると、ドラコはそのまま頭を腕に預ける。
その間もシェゾの指はドラコの襟の中をいじり回していた。
ふと、その指先だけではなく、手の平までが襟口に進入する。
「あぅん…」
ドラコは上気した肌でシェゾを見上げた。
「だめ…だめだよ…」
浅い息に交じって拒否するも、その声は到底用を成すとは思えない程にか細い。
むしろ、聞かれたくないと思える程に。
シェゾはそのまま首筋を撫でながら、顔を近づけてきた。
「や…」
ドラコは怯える様な顔でシェゾを見つめる。
既に、瞳に自分が映る程近シェゾは近付いていた。
「目、瞑れ」
「……」
ドラコは小さく首を振ってシェゾを見つめる。
シェゾの手が触れている肩は既に熱を帯び、僅かに汗ばんでいる。
「でないと、目玉舐めるぞ」
「!」
予想だにしなかった通告。
それがどんな行為なのか想像もつかず、ドラコは予測不可能という純粋な不安に屈服する。
「ん…」
ドラコは恐る恐る瞳を閉じ、シェゾが行うであろう行為をしやすい様に弱々しく唇を前に出す。
唇がかすかに震えている。
シェゾはそんなドラコを見てやや意地悪げに笑った。
「んぅ…!」
唇に柔らかく、しかし鋭い刺激が生まれ、同時に暗い視界に一瞬フラッシュが走る。
「ん…んん…」
唇の刺激は尚も津波の様に押し寄せ、目も眩みそうな刺激から逃れようとする。
しかし、いつの間にかシェゾの片腕がドラコの腰を掴んでいた為、それは何の意味も成さなかった。
シェゾの腕は更に力を入れ、ドラコの細い腰は難なくシェゾの体に収まる。
「んっ…」
鍛えられているとはいえ女の体。
細いその体は、シェゾの胸の中にすっぽりと収まってしまった。
厚い胸板の感触、広い体の感触を体全体で感じる。
抱かれている。
そして、キスされている。
ドラコは揺るぎないその事実で体が更に熱く火照るのを感じた。
「ん…ぷあ…」
不意に唇が離れた。
眠ってしまいそうな表情でドラコは瞳を開ける。
「シェゾぉ…」
すっかり上気した頬が、普段の勝ち気な表情との落差を生み出し、それはこの上なく艶めかしい表情に見えた。
「今度はお前からだ」
「え?」
シェゾはほら、と促す様に腰を強く抱く。
自分の下半身がシェゾの下半身と密着しているのが分かり、ドラコは恥ずかしさに逃げ出したいくらいだった。
しかし、今はそれ以上にシェゾの命令が優先される気がする。
「う、うん…」
ドラコは、恐る恐る、ゆっくりとシェゾの唇に自分の唇を重ねた。
宙を舞っていた両腕もシェゾの体に回され、二人は抱き合う形となる。
再び重なる唇。
ドラコは背筋が震える程の心地よさを感じていた。
「ん…んー…んっ!?」
不意にシェゾの舌が進入してきた。
だが、一瞬驚いたもののドラコは特に不快とは感じず、むしろ自然にその舌を自分の舌にからめた。
だんだん、シェゾとの密着を高めようとドラコの体がよじれはじめる。
腿がシェゾの足を挟み、両腕はしきりに位置を変えて背中をまさぐっていた。
シェゾが腕に力を込めると、ドラコは少し苦しそうな声を出しつつも更に体をすり寄せ、唇と舌をシェゾのそれに絡ませる。
「ふぅ…ん…」
ドラコはもう、只ひたすら唇から流れ込む快感と、体のふれあいで感じる肌の暖かさに酔っていた。
延々と続くかと思われたそれ。
続いて欲しいと思っていた行為。
だが、不意に唇が離れ、体も少し離れる。
密着していた体の間に、冷たい空気が流れ込んだ。
「やだ…」
無意識に声が出た。
「もっと…」
それは拒否ではなく、懇願。
「もっとして…。あの子みたいに…」
首筋にかじりつき、甘えながらささやく。
シェゾの足に自分の腿を絡める事で、ドラコは半ばシェゾにだっこ状態となっていた。
「お願い…して…」
自分の意志なのに、はしたない言葉が止まらなかった。
「見ていたのか?」
シェゾはいつかのおいたを思い出す。
「キスだけじゃ…いや…いじって…おねがい…」
泣きそうな声でねだるドラコ。
「なんでもする…いうこときくからぁ…」
ドラコは自分から唇を重ねてきた。
舌でシェゾの唇を舐め、そのまま口の中に舌を挿れる。
「ん…んぅ…ふ…」
切ないあえぎ声と衣類がこすれあう音が小さく響く。
不意にシェゾが唇を離した。
微かに、唇同士が糸を引く。
「ここでか?」
「…うん」
ドラコはシェゾの首筋に舌を這わせながら答える。
「あの子にしたみたいに、して…。あたしにも…」
声は涙声に近くなっている。
「『傷』が残るぞ。消えない傷が。それに、きっとある点については後悔する。多分な」
「後悔?」
ドラコはきょとんとした顔でシェゾを見つめた。
後悔なんて、する訳がない。
あの子はしたのかもしれないけど、あたしは後悔なんてしない。
ドラコは自信があった。
「…うん。いいよ…」
確認、つまり是認されたと思ったドラコは、嬉しそうに泣き笑いで微笑む。
「つけて、傷…。シェゾの傷、とれない傷、シェゾの…つけて」
シェゾはいいだろう、とドラコを抱き上げ、ここよりも足の長い草が生い茂る場所へ向かい、林の奥へ消えた。
「言っておくがここから先、キャンセルは受け付けないぞ」
ドラコはお姫様だっこの心地よさにうっとりしつつ、こくりと頷く。
ドラコは既に半ば夢の世界へと旅立っていた。
静寂を取り戻した林の奥から、泣き声の様なあえぎ声が聞こえてくるのはこれから少し後の事だった。
次の日。
「はい、リンゴ向いたよ。おなか減ったでしょ」
なにやらドラコが動けなくなっていると聞いたアルルが、彼女の家に果物を持ってやって来ていた。
「…や。あんがと」
ドラコはベッドに突っ伏したまま、瞳の動きだけで挨拶する。
「でもさぁ、どしたの? 腰痛めてうごけなくなっちゃったなんてさぁ?」
「ちょっと、修行でね…」
誰にも言わないが、正確には腰ではなく腰の下がずきずきと痛んでいた。
シェゾによって息も絶え絶えの状態で家に帰されたのは夜中。
きっと彼が運んでくれなかったら今も森の中だったかも知れない。
一晩経った今ですら、腹の中には何かが挿っている様な感触が残り、それが尚の事下腹部の痛みを増幅する。
「あんなに気持ち良かったのに…」
確かに、これだけは後悔した。
それは間違いない。
「ん? 何か言った?」
アルルが問う。
「…言わない」
それでもドラコはアルルの顔を見てにやりとほくそ笑む。
後悔は後悔した。
でも、それなど一時の事。
得たものは大きい。
…これで、あんたに追いついたよ。
あんたの痛み、傷をあたしも貰ったんだからね。
「うふふふ」
自然と、自信に満ちた笑みが表情に表れる。
今はそんなおすまし顔してるけど、あの時あんたがどれだけいやらしい表情していたか、あたしは知っているよ。
あたしだって、負けないくらいそんな表情したんだから。
シェゾに、いっぱいいっぱい恥ずかしい事されたんだから…。
「な、何なの? その笑い方、怖いよ?」
アルルは頭に『?』をつけたままでドラコを見つめていた。
「うふふ…いたっ! …うふふふ」
時折下腹部に染み渡る痛み。
その痛みを感じるたび、ドラコは揺るぎない自信を増幅させる。
笑みと痛みの表情を繰り返しながら笑い続けるドラコ。
アルルがそれの意味に気付くのはもう少し先の事となりそうである。
おわり