おまけ

リア充コスト

柄にもなく俺は、家計簿というものをつけている。
扶養される学生の身で、収入はお小遣いのみだから、正しくは小遣い帳をつけていると言うべきか。
夜の自室で、小遣い帳に向かいながら、俺は気難しい唸り声と、沈痛の溜息が交互に出るのをこらえきれなかった。
「やっぱり、赤字だよなあ」
主婦が家計をやりくりするのに似た、苦悩の声が漏れる。

月に一度支給される小遣いは、おそらく同年代の平均値くらいはもらっているだろう。
そしてこれまでは、足りなくなることなんて一度もなかったのだ。
俺が買うのはシーズン毎の苗や花の種。気に入った作家の本は、新刊が出るたび予約して購入する。ふらりと寄った本屋で、目についた本を買ったり、電子書籍をそろえたり。
使い道がこの程度なので、過去の小遣い帳をめくっても、赤字は出ず、むしろ次月への繰り越しが出るほどだった。
それが、だ。
ちびちび貯めた繰り越しを使い果たし、ついに今月、俺のやりくりは足が出てしまった。
小遣い帳を過去にさかのぼると、三ページ前からその兆候が出始めたのがわかる。
三か月……明衛と付き合い始めた時期だ。
「まあ、休みのたび、明衛といろいろ出かけたり、買ったりしているからなあ」
使い道は明瞭としている。二人で過ごした時間も有意義に感じている。明衛のお出かけセレクトは、季節の花が見ごろの植物園だったり、俺の好きな作家のサイン会が開かれる都心の書店を中心に組んだデートプランだったり、インドア派の俺を無理なく外に連れ出す配慮に富んでいる。
楽しんだこと、決して後悔などしたくないんだけれど。
「うう、でも植物園の一コーナーにあった、タピオカパークは、入場料、あきらかにぼったくりだったよなあ」
明衛の『なんだ、あれ。人集まっているところ、行ってみよーぜ』の物見遊山的好奇心で、馬鹿高い入場を払い、屋台が数軒集っただけの狭いコーナーを五分もかからず見終わり、退場した。
「入場時にもらったタピオカドリンクって奴も、味がなくて、ぶつぶつしたのが沈んでいるだけだったもんなあ」
明衛と一緒にいて、彼の笑顔を傍で見られる幸福は分かっているつもりだけれども……こうして赤字の小遣い帳を目の前に、無駄遣いについて考えずにはいられなくなるのだ。
リア充でいるのには、お金がかかるのだなあと考えこまずにはいられなくなるのだ。

翌朝。
学校に向かおうと家を出る俺は、門前に停まるいくつかのトラックを見つけた。
建築会社や、造園業者の名前が入ったトラックだ。
そういえば……と、俺は数日前に母さんが依頼先をさがして電話帳をめくっていたのを思い出す。依頼の内容が、庭の処理だというのは、明らかだった。
焼け残ったプレハブの残骸撤去。炎の被害を浴びて焦げた立木も、もはや伐採する他ない。
これだけの業者を手配し、携わる人の数もかなりのものだ。電話を切った母さんが「結構かかるわね」とぼやいていたのも、俺の記憶に新しい。
……とても、小遣いの増額を求められる状況じゃないな、と俺は肩をすくめる。
もちろん、庭に被害をもたらした犯人は捕縛されている。加害者との事務処理は、父さんが一手に引き受け、俺に知らされることはほとんどないが、そのうち賠償金や慰謝料が入って来るのだろう。
……でもなあ、と俺はぼやく気持ちがもやもや湧いてくる。
あの男からの慰謝料で、仮に小遣いが増えたとしても……俺は絶対受け取りたくはない。

学校に到着する。
教室の明衛は、数日後の祝日にむけて、お出かけプランを組むことに余念がなかった。
「なあ、透史。次の休みはS公園に行こうぜ」
明衛は端末に、S公園のサイトを表示させ、俺に見せてくる。
巨大な敷地の公園に、アスレチックや動物ふれあい広場、巨大迷路など娯楽施設が詰まった一大パークだ。季節の花を閲覧できるファンタジックな一画もあり、明衛は俺の好みをちゃんと忘れずにいてくれるのだ。
嬉しいし、心がほわっと幸せに包まれるのが分かる。明衛の厚意に、俺も同じだけ報いたいと思う。
だが……そこに立ちふさがるのが各施設の入場料だ。
ファンタジーの花ランドは、もちろん入場料がかかる。そこを一通り見終わり、別の施設に入るとする。
明衛の趣味に合わせるなら、アスレチックか、それともアクティブに巨大迷路かだろう。各施設は独立しているので、そこでも新たに入場料が必要になるのだ。
それに多少は運動要素のある施設だ。スポーティな服を学校の体操服くらいしか持っていない俺は、ユニクロあたりで何か見繕う必要があるだろう。靴もまた、学校の革靴という訳にはいくまい。
出費出費出費……。
本当、リア充でいるにはお金がかかる。

断ったり、別プランを提案するのに、内情を語るのを躊躇するような間柄ではない。
だから俺は直截に、小遣い帳事情を打ち明ける。
あっけらかんと明衛は、言ってくれる。
「じゃあオレが、金は全部出すからさ」
「それは……だめだよ」
どうしてだ? と目を丸くする明衛に、俺は対等な関係でいたいこと、お金がかかわるものは、特に平等でいたいのだと伝える。
「ん〜」額に手を当て考え込んでいた明衛が、質問してくる。「あのさ、透史は小遣いってどのくらいもらっているんだ?」
俺は一か月の支給金額を伝える。
「それで足りるのか?」
「まあ、ずっと俺は陰キャだったからね、余るくらいだったけど。最近は足が出はじめたかも。
でもまあ……世間の平均と照らし合わせても、このくらいが普通だと思うよ」
「へえ……」
まじまじとつぶやく明衛の顔つきときたら、まるで初めて触れる世界に新鮮さを覚えているかのようで……俺はおそるおそる聞いてみる。
「あのさ、明衛は小遣いって、いくらくらい貰っているの」
「いや、金額ってのはないんだけど」
言って明衛は財布からカードを出して見せた。クレジットカード。なんだか金色に光っている。
これが噂にきくゴールドカードという奴ですか。
……つまり、あれだ。明衛の小遣いに上限はないってこと。

その日、明衛が上の空で授業時間を過ごしていたのは、一つ後ろの俺の席から見て取れた。
眉をひそめ、時折、ため息をつく。捨てられた子犬のように、しょぼくれたその様。
授業開始の間際、苦笑いしながらぽつりとつぶやいた、明衛のセリフが思い出される。『オレ、これはいいって思うと周りを見ないで猪突猛進しちゃうんだよな。それで透史の役に立つことがあれば、嬉しいけどさ……もしかして、迷惑かけていることの方が、多いのかもな……』と。
明衛をしょんぼりさせるのは、俺の本意ではない。嬉しそうにプランを立てた明衛と、S公園での一日を堪能したい。
……それには先立つものが必要だけど。
母さんに小遣いの前借りをしようかな。
もしくは、読まなくなった本が納戸に溜まっているから、売って費用を捻出するか。
だけどきっとこういうのも、明衛は『透史に迷惑をかけた』と心を痛めちゃうんだろうな。
んん〜、といつしか俺も明衛と同じような難しい表情になっている。
費用の具体的な目算を立てようと、自分の端末でS公園の公式サイトを出してみた。トップページにざっと目を通す俺の視線が、ふと止まった。インフォメページの最新ニュースを、俺は食い入るように見つめる。

祝日を迎え、明衛のS公園堪能プランは、問題なく遂行された。
S公園に各種有料施設はあれど、本来は遊歩道や人工池などの自然公園がメインなのだ。紅葉にまだ早い景色を眺めながら、明衛と二人まったり歩く。
そして、俺がインフォメページで見つけたイベントにも参加する。S公園では祝日に、ひとり一本の苗木の無料配布を行っているのだ。明衛と二人、二本の苗木をわっせわっせと俺の家に持ち帰る。午後からはうちの庭で園芸デートだ。先日の業者がきれいにしてくれた庭に、二人の記念の苗木を並べて植える。
寄り添って植わった木々のように、俺たちも身を寄せて休憩にする。お茶菓子は、S公園の帰りに買ったドーナッツだ。
疲れた体に甘味が染みわたる。熱いお茶をふーふー冷ましながら飲むことで、満足感もひとしおだ。明衛と並んで、手入れしたばかりの庭を眺める……お金はかけなくても、この上ない充足に包まれた一日だった。
俺にとっては……だけど。
明衛にはどうなのだろう。こんなシンプルな一日じゃ、楽しめなかったかな……。
お金の使い方、価値観の相違。付き合いはじめて三か月。そろそろそういうものが浮上しはじめてくる頃なのか。いつか亀裂に至る、細かいヒビが生じ始めてしまうのか。
俺はそっと明衛の横顔をうかがい見る。そして、尋ねる。

「ああ、もちろん。楽しい一日だったよ」
「……」
俺はまだ怖々と、明衛をうかがってしまっている。
「本当に楽しかったんだってば。……オレの表情が、言葉に一致してないって思うか?
だったら、ごめんな。オレ、先日の自己嫌悪が、まだ残っているみたいなんだよ」
「自己嫌悪?」
「この前さ、透史と小遣いの話をしたときの」
「あ、あれなら……俺、明衛に迷惑かけられたなんて思ったこと、一度もないからねっ!」
コミュ障のころの癖が抜けきらず、俺は空気読まずに勢い込んで言う。ひらひらと手を振り、明衛は笑う。
「オレ自身を省みて……自分に嫌気が差したんだよ。普通の学生はさ、親からもらった一定の小遣いを、やりくりしながら学校生活を満喫するだろう? だけどオレはそういうの、したことないんだって、な」
「それは……各家庭の教育方針とかあるだろうし、自分を嫌いになることでも、悪いことでもないと思うけど」
「まあ、な……。だけどさ、学校を卒業し、親の扶養を抜け、小遣いをもらう関係じゃなくなる日が、やがて来るだろう」
「そうだけど」
「大学生になってバイトを始める……もしくは社会人になっての初給与。これまで無尽蔵に使ってきたお金を、今度は限られた額のなかで、やりくりし、節約しながら使う日が……やって来る」
「う、うん」
当たり前のことだし、明衛もその流れを熟知しているようだ。
なのになぜ、明衛の顔つきは、こんなに強張り怖い顔をしているのだろうか。
俺は知らず知らずのうちに、服の胸元を皺が寄るまで握りしめていた。
「……それって、オレが世界で一番大嫌いな奴と……同じ……似たような流れになるのかと思うと……耐えがたかった……」
蒼ざめ震える明衛の吐き出す言葉は、魂を焼き尽くすかのように熱い。
「……隣のおばちゃんから、情報収集したとき……『あら、節約ね』って、初めて引っ掛かりを覚えることになった単語……今も、忘れられない。
もし……オレがそれをなぞるようなことになったら……そう思うと……今から寒気がして、吐き気がして……堪らない……」
壊れんばかりに見開く明衛の横顔。
俺は息を詰めてそれを見つめる。明衛の言葉は、俺にも分かる箇所はあるけれども、そうでない部分……明衛にしか理解できないところも、きっといっぱいあるに違いない。
そっと、俺は明衛の手に手を重ねる。
「明衛」
ひゅっと息を吐き、少しだけ明衛の張りつめた感が緩和した。途方にくれたような瞬きを数度し、俺の顔を見つめてくる。

「大丈夫、明衛。俺が、教える。クレジットカードの小遣いがなくなった後の生活を、節約と呼ばないようなやり方を、今から教える」
「教える……?」
「今日みたいな、ローコストのプランをたまに取り入れる。お金を掛けずに明衛が満足するようなプランを。節約だけど、明衛自身が節約だと思わなければ、それは節約じゃない。奴をなぞることには、決して……ならないよ」
ぼんやりとした表情で、明衛が肩の力を抜く。
俺はぽんぽんと彼の肩を叩いてやって、落ち着かせる。
「俺も教えるから……明衛も引き続き、俺に教えて。コミュ障で陰キャの俺に、世間を広げていくことを」
「お……おう、もちろん……継続するからなっ」
拳を握り、気合を入れる明衛は、いつもの調子が戻って来たようだった。
さやさやと吹く微風が、植えたばかりの若苗木を、優しくそよがせる。穏やかな光景に、心が洗われていくのを感じる。
ヒビの兆しなんて、亀裂の危機なんて、そんなものはなかった。俺たちは、こうしてお互い対等な関係なんだ。お金に関する価値観なんて、ささいな問題なんだ。
……それに。
「ほら、よく言うじゃん、明衛。好きな物を共通するより、嫌いなものを共通するほうが、絆が強くなるって」
「んー、まあ、聞いたことはあるけど」
「明衛が『吐き気がするほど嫌いな奴』は、俺ももちろん世界で一番嫌いだよ。
たとえ、庭を燃やした賠償金と慰謝料を支払われ、俺の小遣いがアップしたとしても……絶対に受け取らないって心に誓っているし」
は、と口をぽっかり開く明衛は、やがてその表情をくしゃりとさせ笑った。
もう完全に、いつもの明衛だ。
「はは、ははははっ、そうか。そうだよな。嫌いな奴が同じという共通点……そうか、オレたちの絆は最強だなっ!」
元に戻ったのはいいけど、元気エネルギーが過剰充電だ。バシバシ叩いて来る掌が、痛いし、数が多すぎる。
文句を言おうと口を尖らす俺の目に、記念の苗木が映る。風に吹かれ、柔枝がもう片方の苗木を、ぴしぴし撫でているようにも叩いているようにも見えた。
……あっちが明衛の苗木か。
俺はぷっと噴き出した。