薫の話(オリジナルキャラクター+流血描写+捏造注意)







女鬼が欲しかったのに、と彼らは言った。


土佐の南雲家は、鬼の一家だ。
西国で名高い風間には劣るが、鬼の名家としては、名前が通らなくもない、そんな家。
そこの当主と奥方は、自分の嫡子にべったりだった。

可愛い我が子。
なんて優秀なのかしら。
お前は我が家の誇り。
お前に相応しい、最高の嫁を見つけてあげるからね・・・・・・


奥方はそれはそれは大層に息子を愛でて、息子の嫁探しに躍起になった。
女鬼は貴重なのだ。
なるべく血の強い、最高の女鬼を息子の嫁に、と。


そして薫は連れてこられた。土佐へと。


☆


「まぁ、お義母さま、私に新しい着物を仕立ててくださるの?」

喜びに満ちた声が、縁側に響く。
紅葉を散らした柄の着物を着た、齢12、13の少女の声だ。
彼女の前には真っ白な肌の―――いっそ病的な程だ―――細身の女性が立っていた。

「みすづちゃん。いくら気に入っているとはいえ、季節はもう冬も近いのよ。
そのような、秋真っ盛りの着物を着ることもないでしょう」

そう言う女性が、南雲の北の方だった。

「でも、お義母さまの仕立ててくださった、このお着物も凄く立派です。
金糸のぬいとりまでしてあるなんて、夢のように素晴らしい着物ですわ。
しかも普段着で着ていいなんて!
私、この着物に袖を通すのがお気に入りなんです」

うっとりと、頬をそめて『みすづ』が足をくねらせ、自分の着物を見返す。
一目見て上物だとわかる反物を、見せびらかすように。

「そこまで気に入ってくれるのはとてもうれしいわ。
でも、お前も南雲の嫁となる身。南雲の嫁として、普段から相応しい身なりでいなさい。
冬には冬の着物を着る。基本ですよ。」

着物を着るにも、季節によって着こなしが必要となる。
例えば春。春にあわせて桜柄の着物を着ようと思っても、その花の盛りには着てはいけないだとか、
些細な決まりごとは一般的に広まっていることだった。
冬も近い時期に、紅葉を彩った、真っ赤な着物は不似合いなのだ。

「今度、市に布を見に行きましょうか」
「嬉しい! お義母さま、ありがとうございます」

「今日はいいけれど、明日からは違う着物を着ておくのよ。良いわね?」と言い、奥方は館の奥へと向かって行く。
その背を見送って、みすづは恍惚に満ちた表情を浮かべた。

こんな暮らし、まるで夢みたい。

大きな館で、綺麗な着物を着て。
もちろん鬼の里であるから、ひっそりとした暮らしではあるのだけれど、彼女がここに来るまでの暮らしとは大違いだ。
鬼でよかった。しかも自分は、貴重な女鬼だ。
自分は特別なのだ……。


視界に人影がうつった。
その姿を認め、みすづはにっこりと笑う。
優越に満ちた笑みは、一種の狂気もはらんでいるかのようだった。

縁側の向こうで水汲みをしている人影。
その姿を見ると、みすづは自分が女鬼であることにますます感謝できる。
ちりり、と何か胸が焦げ付くような感情には目をそむけて。

「薫」

みすづが名前を呼ぶと、視線の先の人物が振り返る。
みすづとは大違いの、麻のぼろ布きれの着物は、ところどころつぎはぎがされている。
言う程みすぼらしくないのは、それがこの時代、一般的な小間使いの服装であるからだ。
そもそも布は高価であるからして、主人のお下がりを下へ、下へと使い回していくことも珍しくない。

「………何か御用でしょうか」

無感情な目をした薫が、淡々と呟く。
しかしみすづは知っている。彼の心の根底に燻ぶる焔があることを。
だからこそ、面白いと思うのだ。

「いえ、用という程のものはないのよ。今から夕飯の支度?」
「違います。旦那様が、湯あみをされたいと申し出されましたので」
「ああ、それで……大変ねぇ」

用がないのでしたらこれで……と、ふいっと顔をそむけ、去っていく少年。
みすづは彼を見るのが好きだ。彼と話すのが好きだ。
そして同時に――――――凄く嫌いだ。

南雲、薫。

南雲の姓を無理やり与えられてはいるが、その実は東国に名高い雪村の正統血筋。
土佐にまで連れてこられた末に、小間使いとして扱われている。

みすづは知っている。南雲は、薫の双子の妹、千鶴が欲しかったのだ。
雪村の血筋は、鬼の中でも特に名高い―――京の古き鬼に次ぐくらいではないだろうか。
西国の風間と同等の血筋。
その雪村家が滅びた時に、連れてこられたのが薫だ。
南雲にとっての誤算は、薫と千鶴を間違えて連れてきたということ。
もし薫が千鶴だったら。みすづはここにはいないだろう。
みすづがいるのは千鶴が手に入らなかったからにすぎない。
自分は女鬼というだけで、南雲にいることを許されている。
血筋は遥か雪村に及ばないというのに、女鬼というだけで優遇されている自分と、冷遇されている薫。
薫の姿を見る度、みすづは暗い優越感に浸れるのだ。

薫と千鶴は双子らしい。
もし、連れてこられたのが千鶴だったら。
薫は小間使いでありながら、女かと見間違うかのように綺麗な顔立ちをしている。
それがますますみすづには気に食わなかったりするのだけれど。
もし千鶴がいたら、薫と同じ綺麗な顔をしているかもしれないと思う。
気に食わない。
もし、千鶴が見つかったら、みすづは捨てられるのだろうか。
綺麗な着物も、きっと着れない。
千鶴を思うと、みすづは酷く薫を傷つけたくなる。
薫に笑っていて欲しくない。
どこかで千鶴が笑っていることを想像するから。
そのうち、千鶴が自分の立場を笑顔で奪いにくるのではないか。
そう思うと、何もできない自分が歯がゆくなる。
結局、みすづの歪んだ心は薫に降り注がれるのだ。


☆


どうしてこんなことになったのだろう。
いや、いつかはこうなるかもしれないということに、みすづは気付いていた筈だったのに。

かすむ視界の中、一人の少年が立っている。
剣を片手に、あざけわらうように、瞳をゆがませて。


「こんばんは。旦那様」


肌にねとわりつくような声と口調に、ぞくりと身体が震えた。


「薫……お前、何を……!!!」


南雲の子供達の激昂した声が聞こえる。


「今まで随分お世話になりました。その御礼をさせて貰おうと思って」


薫の剣には、おびただしい程の鮮血がついていて、その矛先ではビクリ、ビクリと痙攣して、今にも生き途絶えそうな身体。
奥方が、息子の様に絶叫し、狂ったように駆け寄るその足を、薫は薙ぐ。


「ああ……っ!!」
「奥様。どうしたことでしょうね。あなたの言う優秀な息子は、案外剣の腕も、たたないようですよ??」


奥方が身体を畳に沈める。でも大丈夫。少しすれば治癒の力によって回復する筈だ―――その足に、薫は剣を突き刺した。
そのまま剣を捻る。


「この宴席で、彼以外の方には薬を盛らせていただきました。人思いに殺すのではなく、じわじわと来る遅行性の毒―――
貴方がたには、見てもらわなきゃいけないものがたくさんあるんですよ」


宴は、南雲の一族皆が集まる、正月のものだった。
薫はそこに、薬を混入させたのだ。
質素に見えて粋な意匠がいくつも散りばめられた、祭りごとにふさわしい大広間の、これまた華やかな祝いの席が、
恐怖の宴席になるまで時間はそうかからなかった。
南雲の一族が苦しげに息をするのを、楽しむかのように睥睨している薫。
一体誰がこのような事態を予測したであろうか。

長男だけには薬を盛らなかったのは、薫の矜持だろう。二人、剣を持ち―――薫が勝った。
鬼としての力は、薫の方が強いのだ。
そもそも長男は溺愛されて育っており、剣を習ってはいたが、実戦で使える域には到達していなかった。


「誰……か……助けて……」


大広間の誰かが、外に向かって声をあげる。
薫がせせら笑った。


「無駄ですよ。既に南雲は俺が掌握しているんだから。
馬鹿なご当主一行は、自分の手足がじわじわと俺に瓦解されていくことも気づいていなかったみたいだけどね」


薫は、血のついた剣をほおりなげ、すたすたと、いっそ優雅な動きで当主の後ろに飾られた刀を手に取る。


「これが、南雲に伝わる刀、でしたっけ」


言うなり、身体が麻痺して動けなかった次男に斬りつける。
酷い惨状の部屋で、薫だけが笑っていた。


「へえ、確かに、普通のよりは良い刀みたいですね。もっとも―――雪村の刀には遠く及ばないけれど」


おかしそうに薫は笑う。
いつもの無感情のごとき様子からは、あまりにも想像できがたい様子に、広間の者達の背筋が凍る。
その瞳は昏い深淵を宿し、その深さにはどろどろと渦巻く感情が伺えた。
薫は、ずっと待っていたのだ。この時を。
この時の為に、どれほどの恨みを積み重ねてきたのであろうか。
普段しげにもかけなかった鬼の反逆に、南雲の一族は愕然とすることしかできない。
ただ一人、この中で据えた目で薫を睨み続ける眼光があった。
南雲の当主だ。
荒い息の中、しっかりとみつめるその視線に、薫は面白そうに口元をゆがませる。
みせつけるように、大きく刀を振ると、刀に付着した血痕が弧をえがいて飛んだ。



「旦那様。俺は、貴方の目の前で、貴方の築きあげてきた全てを奪ってあげますよ」


その言葉を皮切りに、みすづには何が起こったのかわからない。
ただ、広がるは、深い闇。



☆



薫は一人、血臭のする部屋で、鏡に向かっていた。
まだ袖を通されていない、女物の着物に、手を通し、髪を結い。

鏡の向こうの姿に、『千鶴』を見る。



「千鶴……迎えにいくよ」



にっこりと、鏡の中の人影が笑った。















あとがき++++++


薫好きです。もっと知りたい。


初出 2010 某日 日記に記載した突発テキスト 





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