厨でのこと。




「………」




目の前の無残な姿に、薫は嘆息した。
大小様々な人参の欠片は、やたらめったら切った面が多く、お世辞にも綺麗とは言えない。




どうしてこうも上手くいかないのよーっ




原因がわからない。自分は頑張って綺麗に料理をしたいのに、
いつもいっつも理想とかけ離れた食事ができあがる。
そこまで理想が高くないつもりだけれど…………

短冊型にしたいと思っていた人参は、崔の目の面の数を2倍にしたかのように立体的だ。
加えて言うなら面の一つ一つが大きさがばらばらで、お世辞にも綺麗と言えないし、
これを『短冊型』と言おうものなら即座に否定の言が入るだろうと、薫にも想像がついた。
と、思わぬ声がかかる。





「これはまた…凄い有様でござるな」





いつの間に居たのだろう。背後には、薫と同居中の剣客。


「………凄いでしょ。人参の新たな切り方を模索してみたの」
「おろ、薫殿…そんなものを模索してどうしようと……」


勿論言ってみただけだ。ふてくされて、剣心から顔をそむけた。
と、視線の先に盛大に吹きこぼれる鍋。


「あ――――っ!! 気付かなかった―――っ!!!!」


薫は思わず声をあげた。
しまった、吹きこぼさないように見ておかねばならなかった鍋なのに。
後悔しても遅い。慌ててかけより、鍋の中身を確認する。


そんな彼女に、剣心がぽつりと小さく呟いた。







「……薫殿は本当に料理が下手だな……」








む。


その呟きを耳に入れた薫は眉尻を吊り上げる。
怒りの表情で改めて剣心を見て―――――――――固まった。



彼はただ、虚ろな瞳で鍋を見つめていた。


その瞳の色が、眼差しが。


あまりにも昏くて。






それは一瞬、だけれど薫には時が止まったように感じた。
背筋が震える。剣心の双眸に宿る闇に怯えた。
一拍置いて、彼は薫に視線を合わせ、「鍋は大丈夫でござったか?」なんて軽く問う。
いつもどおりの笑みで。
先程の一瞬の表情なんてなかったかのように。




だけれど、薫は身体じゅうに悪寒が走った衝撃を、しばらく忘れられそうになかった―――――



































それからしばらく、薫は剣心の昏い光に怯えることになる。
自分は何をしただろうか、覚えがない。
きっと誰も気づいていない。薫だけだ。
彼の眼差しに、影が宿るようになったことを知っているのは。
注意して見ると、彼の人の、弥彦に向ける視線にすら毒を感じるようになった。
どうして。
頭の中で考えても答えのつかない悩みがぐるぐると薫の頭を占領してゆく。


その闇が、自分に向けられたものであれば、きっと理由は自分に関係するものだと思って、
改善しようと努力できる気がする。でも、剣心は気がつくと、いつでもそのようになっていた。

ただ一人で黙々と洗濯をしている時も。
二人きりで他愛のない話に興じ、ふと触れ合う瞬間にも。




こうなると薫もだんだんいらついてきてしょうがない。
剣心につきつめたい気持ちもあるが、本人もそんな自分に気づいているのかどうか。





「あー―もぅ……」







気付いたら、銀杏切りにする筈だったじゃがいもを、みじん切りにしていた。
むちゃくちゃして、野菜に八つ当たりしたにしても、みじん切りは酷い。
煮物にするつもりだったのだが、このままでは鍋に入れたところですぐに溶けて跡形もなくなってしまうだろう。
みじん切りにしたじゃがいもの調理方法を頭の中で考えるが、上手い案が見つからない。




「うーん、とろろと合わせて練って、おやきにしたら美味しいかしら…??」
「なんで作る品を決めてから料理を開始しないかなぁ、薫殿」
「……いつの間に隣にいたの、剣心」
「薫殿が丹念にじゃがいもを切りつぶしていくところから」
「…………」
「無心で包丁を扱っていたから、拙者、薫殿の手元が心配でしょうがなかったでござるよ。
 拙者の紀憂でござったが」



そう言われてはどう返せばいいのかわからない。
薫は閉口したが、同時に全ての元凶が目の前の男だと思えば怒りが湧いてきた。

そこへタイミングよく、何を考えていたのかと訊かれれば、答えを間発入れずに言うことができた。



「剣心のことよ」

「? 拙者の―――?」



わけがわからない、と言った風に緋色の男が言う。
自分のことを考えていた、そう言われて普通は甘い思考を想像する。
そうであったほうが嬉しいのだが、彼女にはそんな恋事を考えていたような節がまったくなかったからだ。
今も、射殺さんばかりに剣心を睨みつけている。



「あなた、最近おかしいじゃない、何を考えているの?」










――――――――――――――――――――――――……









薫の、こうなりゃ直球勝負とばかりに発せられた言葉に、剣心はしばし動きを忘れ。









隠していたつもりだった。自分の昏いところなど、誰にも見せたくなくて。
いつから気付かれていたのだろうか。
彼女のまっすぐな眼を直視できなくなる。




参った。


誰にも気取られぬように行動してきたつもりなのに、彼女にはお見通しだったのか。






剣心が、自嘲めいて微笑した。









「……最近になって、『明治』をよく感じるのでござるよ」







しばしの沈黙の後、ぽつぽつと彼の口から出た言葉は、薫の予想外の台詞だった。
構わず剣心は口を滑らせていく。





「何故だかはわかっている。薫殿が―――薫殿が近くにいるから。
 拙者が薫殿に近づいて、こんなにも暖かい場所にいるから……」





許されないと思っていた、あたたかい場所。
一度手に入れたら、しがみついてでも手放したくなくなってしまった。自分の居場所。


それを手に入れたと、ようやく実感して、重みがわかってきたところで――――……剣心の心が緩んだ。
詮無い欲が、押し込めてきた感情が不意に沸き上がってきたのだ。



「薫殿は、料理が下手でござろう?」



唐突な言い分に薫の口元がひくついた。
真剣な話をしているつもりだったのだが、殴っても構わないだろうか。
そんな彼女に気づかずなおも言葉が連ねられていく。



「拙者は料理が上手いと、薫殿は褒めてくれるが、それは、必要だったからだ。
 拙者は貧農生まれゆえ、幼いころはろくに食材にも触れた覚えもないし、
 母が料理をした。拙者は親から些細な調理法以外教えてもらった覚えがなかった。
 でも、師匠に拾われて、」


剣心は瞼を伏せた。


「師匠は酷い男だ。拙者に料理を幾度となく命じて―――不味かったらこれでもかというくらいケチをつけてきて。
 最初、拙者はどうしていいかわからなかった。どうして師匠が自分を拾ってくれて養ってくれるのか……
 同情だと思った。孤児な自分を同情で拾ってくれたのかと思った。だから、その同情にしがみつこうと、
 自分を養ってくれる師匠に少しでも気にいってもらえるように努力したんだ。
 料理だって、剣だって、なんだって。
 両親のもとでも農作業を頑張った。貧農の子で荒んだ時代。いつ食いぶちを減らそうと売られてもおかしくなくて。
 売られるのも仕方ないと思うことができただろうけど、やっぱり嫌で、少しでも『使える子』として見てもらいたくて…」


感情の羅列が、どんどんと口をついて出る。
こんな剣心を見るのは初めてだった。
思わず薫は息をのんだ。


目の前にいるのは誰だ。幕末最強と恐れられた剣客?

――――いや、もっとちっぽけな存在な気がした。

そう、手を伸ばせば薫でも包んであげられそうなくらいの。



伸ばされた手を剣心はぎゅっと掴む。
触れた肌のあたたかさを感じた瞬間、さらに自分のもとに引き寄せて背中に手を回していた。
薫も、幼子をあやすように抱きしめる。



「何でもできなければいけなかった。でなければ、自分など切って捨てられる存在だと思って…っ」



あの時代の子供なりに、剣心も必至だった。



「薫殿が羨ましい。明治に生きて、不得意なものがあってもそれを抱えて生きていけるのが」



幕末では、料理ができぬ武家の女は嫁ぎ先にも見限られる恐れがあった。
あの時代では、先の見えぬ不安で多くの男女が早々に縁談を結んでいった。



「好きな剣術に励み、拙者から見れば甘い信念を貫いて…」



飛天御剣流は人の為にある剣。
それを彼なりの方向で人々の役に立てようとした少年の剣心。
自分の望むものと、実際にしていることの壁に挟まれて、雁字搦めになっていたあの頃。
もし、もしも。















「拙者も明治で育つことができたなら…っ」
























叶わない願い。
もしも、この時代に生まれていたら。


この手は血にまみれなかっただろうか。
綺麗なままでいれただろうか。


なんていう浅はかな考え。分かっているからこそ、剣心はそういう感情を抑えてきたのに。


それに、自分が明治に生まれていたら、腕に抱く少女に触れることも叶わなかったかもしれない。





「すまない……薫殿………」





声が震えていた。隠すように剣心は手に力を入れた。




「剣心……」



ぽん、ぽんと男の肩を叩く。薫からは剣心の顔が見えなかったが、泣いている気がした。




「明治の剣心だけで……叶うことなら幕末に生きた剣心を消してあげれたらいいのに……」




もちろん、そんなことできるわけないと知っている。
それに、彼女の愛した『緋村剣心』はそんな人物じゃない。自分もそれが正しいと思わない。




「私は、今、剣心の側でこうしていることが出来て嬉しいよ…」



やさしく薫は囁いた。剣心は再び言葉を絞り出す。



「『幕末』………そんな二文字で片づけてしまうほど、あの時代はたやすいものじゃなかった」
「うん…」
「でも、わかるんだ…。血でまみれた状況下のあの時代を見たくもない気持ちも……二文字で言い切りたい気持ちも」
「………」
「薫殿を育てた『明治』が、完璧じゃなくて、維新がまだ終わっていないことも知っている。
 その上で、明治を望んで……なのに、どうしても幕末と比べてしまうんだ………」





薫が剣術の理想を貫いていくのを喜ぶ反面、様々な流派の攻防の過去を思い浮かべてしまう。








「薫殿には…こんな拙者、知られたくなかったのに……っ」









なのに、どうしてこんなにも思いを吐露してしまっているのだろう。
そんな剣心に、薫は微笑んだ。











「私は……幕末を殆ど覚えていないわ。
 私は、明治で生きた時のほうが長いもの……
 それに、私は剣心の苦しみを完全に理解はできないよ……けどね」

「かおる、どの……」

「言ってほしい。剣心の思い、感じたこと、苦しみ、喜び、何でも。
 あなたの感情を、私も知りたいから」

「か、お………」

「剣心…生きようね。明治の時代を二人で」




「か……」





















































暗闇は光を知る。























あとがき++++++


うーん、賛否両論あるだろうなぁと思いつつ書いてみた。
剣心の明治への憧憬と、本来薫ちゃんに

『幕末』に生きた貴方を、殺してしまえたらいいのに……

と言わせたいと思っていて。ちなみに薫ちゃんがそれを言うのは違う気がして科白はやめたんですが。
殺すって言わないよね…。

確実に、剣心の過去が捨てられると思って怯えたとか、妄想以外の何物でもありません^^;


初出 08.12.8 修正09.6.16

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