師走の末の









師走。
その名の通り皆が慌ただしく動きまわる季節。
今日の天気は快晴で、久々の冬晴れに、物干し竿にかけられた洗濯物がそよぐ。
傍らにはしめ縄をせっせと分配する家の主。神谷薫。
遠くで屋根雪がぼとぼと、と落ちる音がする。

とりあえずこの作業が終わったら、屋根に上がって雪下ろしをしたほうがいいかもしれない。
太陽によって溶けた雪が水となり、下の雪に染み込んで、一晩でも放置したら雪が固くなってしまう。
煤払いをして、それから……。
やる事はいっぱい思いつく。
交流のある道場などとの忘年会に出席する日々で、思った以上に大掃除が進んでいなかった。


神社に行って新しいお札を貰ってこなきゃ。榊も買いに行かなきゃいけないし、お餅の準備も……


大晦日はもうすぐそこ。先日剣心と弥彦に手伝ってもらい、道場のふき取りは丹念に終えたつもりだが、
猫の手でも借りたいくらいだ。昨年はたくさんいた門下生に手伝ってもらっていたものだが。
女一人にはこの道場も、神谷邸宅も広すぎるから。
去年は一人、寺に行って除夜の鐘を聞いた。それからその足で神社に向かった。
少なくとも寺や神社に行けば、人がいることは確かだったから。
出会った顔見知りの人に「おめでとうございます」、なんて挨拶して。
今思うと、一人で元旦を迎えたくなかったんだろうな、と思う。
妙さんが気を使って元旦はうちに来て一緒におせちを食べようと行ってくれたが、
断って、一人でおせちをつまんでいた。(おせちの中身は近所の方のおすそわけが主だった)


今年は一人じゃないんだ。

それだけで嬉しくなった。


長屋に移った弥彦も、元旦は一緒に過ごすことになっている―――神谷家で過ごしたあと、赤べこにも顔を出すようだが―――
一人だとおせちの内容にもろくに気を使わなかったが、今年はちゃんと、できれば彩りにも気を使いたい。


「薫殿、そんなところにいては冷えるでござろう?」


案じる声が聞こえた。
見上げると、雪景色の中に緋色の影。
素手の両手に荷物を抱えて、そちらのほうが寒いであろうに、心配した視線をこちらに向けている。


「平気よ。今日はあったかい方だし。それに、部屋の中だと火鉢の付近から離れられなくなっちゃう」


微笑みながらそう言って立ち、薫は近寄って来た剣心の荷物を受け取る。


「あら、飲む気満々?」


珍しそうな声の理由は、酒瓶の重み。
おとそを買出しに行って貰っていたのだが、おとそにしては多すぎる。


「薫殿も飲むかと思って。酒屋の御仁がおまけしてくれたんでござるよ」
「飲んでいいの?」


普段はほどほどにするようにと止める彼の言う科白に期待する。


「年始めくらいはいいでござろう? 拙者も折角だし頂いても?」
「何言ってるのよ。もちろんよ。そうね、弥彦も結構飲むし―――飲んでいつも酔いつぶれるけど、
ありがたいわ。って剣心、手冷たいわよ。ちょっと部屋に入って暖を取る?」


酒瓶を受け取る時に触れた手の温度を気にして薫は言う。
自分は酒瓶を厨に持っていこうと抱えなおしながら。


「いや、これから餅をつかねばならんのであろう? 身体を使うからすぐにあたたまる。
杵と臼を準備するでござるよ」
「重いわよ。一人で大丈夫?」
「はは、薫殿の手を借りずとも大丈夫でござるよ」
「もう。わかったわ。じゃあもち米とお湯と、布巾を準備してくる」
「忝い」


微笑む剣心に薫も笑う。
数日前に一回蔵から出して日に当てておいたが杵も臼も昨年は…どころか数年使っていなかった。
いつもお餅は近所からおすそわけしたり、ご近所さんと一緒に作ったりしていて。
年期の入った杵と臼は確認したところ、蔵に長い間入っていたからといって朽ちている様子もなく、
まだまだ使えそうだった。

と、薫の視線が剣心の懐に入った紙片の端をとらえた。
彼も気づいたらしく、ああ、と言って手で引き抜いた。


「剣心、それなぁに?」
「古めかしいが…宝船、でござるよ」


紙片には、刷られた七福神の乗った宝船の図。
薫もピンときた。


「宝船売りがいたの?」
「ああ、寒い中、道脇に露店を出していて、薫殿にどうかと―――おろ」


手渡そうとした瞬間、一枚に見えた紙片がかさりと二枚にわかれた。


「ん? 何かおかしいの?」
「いや、拙者一枚買ったつもりだったのだが…重なっていて気付かなかったのでござるな。
一枚は返してくるでござるよ」


男は苦笑。
薫が眉根を寄せた。


「…なんで、一枚しか買わなかったの?」
「え? だから、薫殿にと―――」


言いかけの言葉に、薫の中の何かがキレた。
差し出された紙片を受け取らず、縁側に並べた履物に足を通す。


「わかったわ!! じゃあ私が宝船売りの所まで行くから、剣心は餅ついてて」
「おろ? 薫殿、じゃあこれを一枚―――」


再び差し出された手もはねつけて、


「いいの。もう一枚分の代金渡してくるから」
「薫ど―――」
「私が、剣心の分も買いたいの!」


言うなり門を飛び出す薫。

突然の事態の変化に後ろ姿を呆然と眺めて――――



「あ」



剣心はようやく薫の意図に気づく。


へなへなと縁側に腰かけた。



まったく、情けない。




自嘲してしまう。




宝船を描いた紙片や木片を、枕の下に置いて寝ると、いい初夢が見れる―――という文化は古いものだ。
明治の世に珍しく宝船売りを見つけたので、薫にどうかと思って買ったが。
彼女としては、自分だけで剣心も幸せを望んで欲しかったのだろう。

薫が出て行ってから気付くとは。






彼女が走って外へ出てから時間はそうたっていない。
そう、彼女は走って外へ出たのだ―――剣心の為に。
今から追いかければ、すぐに追いつけるだろうとわかっていながら、剣心は座したまま。






―――私が、剣心の分も買いたいの!―――





強い口調で放たれた言葉。
口調は怒っていたが、なんて甘い言葉なんだろうか。




自分の幸せを願わなくなって長い時が過ぎた。
今の彼は、他人の幸せを――――何より『神谷薫』の幸せを願うばかりで。


手の中にある紙片を眺めながら、冗談めかして剣心は呟く。



「枕元にこれを忍ばせるより、拙者には薫殿の隣で眠るほうが幸せな夢がみれそうなのにな…」



くすくすと、笑い声が漏れる。








「一人では、餅はつけぬよ薫殿…」




















あとがき++++++


大晦日までに間に合った……!!!!
宝船売り、という文化は江戸時代中期のものだそうです…明治の世に残っているのか私にはわかりませんorz
こういう文化があったんだ、と知ったのは今年の夏のことだったのですが、このネタでいつか書きたいなーと考えていて。
書けてよかったです。ところで雷葵の家の大掃除が終わってません(笑

実家には昔、古い杵と臼がありました。家の前がそこそこ人通りのある道路なのですが、そこと自宅前にある、
歩道ではない細い隙間に臼を置いて、祖父母が餅をつくのを見ていた覚えがあります。
好きだったなぁ。祖父母も年で(もう祖父は他界しておりますが)杵を持つのも大変。
子供心に杵の重さで私は3回でへばった記憶があります。(しかもロクに打てなくて、杵に餅がへばりつく)
それから数年後、杵と臼はどこかにいってしまい、代わりに餅製造機がうちに来ました。
美味しいですけど、やはり、杵と臼を持った光景のほうが、餅製造機がもち米を回している様子より好きです。
杵の合間に祖母の湯で濡らした手がささっと動いて餅をまとめていくのも、凄いなぁと見ていた覚えがあります。



初出 08.12.28 修正 09.6.16



BACK