日常ヒトコマ









麗らかな晴天の空の下、少女が頬を染めている。


原因は既に口を出た自らの質問に対するいたたまれなさと、その質問をしたということにどう思われてしまうだろうかという照れだ。
そして、それでも答えを望む自分の意思を自覚していたから、燕は顔を真っ赤にしても目の前の男性が口を開くのをじっと待っていた。 








―――薫さんのどういったところを好きになったんですか―――










意を決して口に出した言葉はちゃんと伝わった筈だ。
そのような疑問に返答が返せるくらいの時を待って、剣客は苦笑いする。 








「いきなりどうしたでござるか、燕殿」









縁側に並んで腰掛けて、ぽかぽかと春の日差しにあてられながら。
この日は道場は休みで、薫と弥彦は出稽古だと承知の上で燕はそこにいた。
平素とは違って今の神谷家はのどかで、安らかな空気に包まれている。住人の雰囲気そのままに幸せにあてられそうだ。



―――だから燕も口に出せたのかもしれない。普段なら絶対言えないような問いも。 





「ちょっと、気になって………」 





膝の上に重ねてあった筈の少女の手が今はせわなく動いている。
その様子を傍目で見て、普段はのらりくらりと逃げたりもする質問に、剣心はさてどうしようかと思案しつつ微笑む。
向けていた視線をわざと少女から外し、頬を撫でる風を感じるように瞳を閉じる。
もう桜は散ってしまったが、春の穏やかな気候はいつまでも優しくて―――そしてどこか甘い。




「拙者は、燕殿もかわいらしいと思うでござるよ」




少女が顔をあげた。





「何を悩んでいるのかは知らぬが、もっと胸を張ればよい」





剣心はいつもの心の奥底をけして見せない口調で告げた。そのことに燕の表情が思わず陰る。


違う――――――、聞きたいのはそんなことじゃなくて。


知りたいことはまさにそれなのに、思わず否定の言葉が燕から出かかるのは、もっと具体的に知りたいからだ。
聡い彼は分かっているのだろうに。
薫の話題を振ったのに先程の返答が出たのは、燕の意図を読み取ったからに違いない。
剣心はそうやって、たまに人を突き放す。
しかしその理由はいつもしっかりしたことに見えていた少女は、当事者の立場にさらされて、顔を曇らせた。
言葉を飲み込んで燕は俯き………ぽつりと言葉をしぼり出す。








「………弥彦君って格好いいですよね…」









剣心は黙ってそれに耳を傾けた。

件の少年は最近ますます力をつけていて、剣客としても評判になってきていた。
真っすぐに前を見つめる姿は剣心も見てて頼もしく思っている。



そして―――――――――少女達の間で噂になっていることも知っていた。



思わず剣客の顔が緩んでいた。





  ―――弥彦、愛されているでござるなぁ―――




何故だかそれが誇らしい。

しかしわざと言う。




「そうでござるな。筋力もついたし、昔とくらべ随分とたくましくなった」
「………ですよね…」




肩を落とす燕。声も尻すぼみだ。その様が凄く愛らしい。




「でも、燕殿も昔と比べ更に綺麗になったでござるよ?」
「…そんなこと言ってくださる男の方は剣心さんだけです……」





おや。




赤べこの可愛いらしい売り子さんと巷で噂が広がっているのを本人だけが知らないのか。




そう考えながら、目を開けてみると、剣心の視界にうつるのは先程の言葉をお世辞と受け取ったらしい燕。
弥彦に関して女子達が格好いいなど噂しているのを知っているからこそ、自分がそんな弥彦に釣り合うのか不安になっているようだった。


と、いきなり剣心はくすりと笑う。隣の少女が目に見えて困惑した。



「すまぬ。……弥彦は、燕殿にそのようなこと、何も言っておらぬのでござるな」
「え、ええ……」



戸惑いながら、燕は隣の剣客の顔を伺っている。



―――変なところが似てしまったなぁ…



内心で男は呟いた。
まるでかつての自分を見ているようではないか。
巷で評判の剣術小町。そんな少女に、自分は可愛い、綺麗等の褒め言葉を言った事があっただろうか。
常にそう思ってはいたのだけれど、三十路前の自分が一回り近くも歳の離れた女性にそう言うのも憚れたし。
いや、それはただ建前でしかないのだろう。
彼女が自分に好意を持っているのを承知でこの場所に居座って。
いつの間にか自分も彼女に惹かれていた。
それなのに心の中では数多出現していた彼女への褒め言葉が滅多に口を出なかったのはきっと―――









「拙者、薫殿に可愛い、綺麗等のたぐいの言葉、先程燕殿に言ったように軽々しく言える気がせぬよ」










苦笑いしながら剣心は言う。
別に燕を軽く扱っているわけではない―――ただ薫と燕を比べると、剣心にとって薫が重すぎる存在だからなのだ。
少しでも言葉にしたら彼女への思いが溢れ出してしまいそうで、二人きりの時以外は滅多に言わない。
そのことで薫を悩ませてしまったことがあったのだろうか―――――それを考えると、剣心の心は軋んだ音をたてた。



「えっ、でも……剣心さんと薫さんは……」
「生憎拙者、口が上手くなくて」



軽く焦る燕に、男は自嘲気味に口元を歪めた。
どうでもいい事には動く剣心の口も、どうしてか肝心な事にはなかなか動いてくれなかった。
案外弥彦もそうなのかもしれない。





「弥彦のことはよくわからぬが…燕殿、弥彦を頼むでござるよ」





全てをわかっているかのように言うものだから、燕はつい、
頼まれた―――つまり、思い人の隣で支えていて良いんだと言外に伝えられた気がして。
脱力したように柱にもたれ掛かる。ふわりと男は笑った。
目の前の少女を見つつ、願わくばこの二人が上手く行きますようにと、そう祈るばかり。
こればかりは他人にはどうしようもないことだから。 

春の陽気にあてられたのだろうか、剣心は愛しい女性が帰ってくるのが待ち遠しくなっていた。
つい、彼は過去に思いを馳せる。
自分がこういった恋愛事に臆病なばかりに、大切な言葉を一方的に貰ってしまっていた昔が懐かしい。
彼女がいなければ今の自分はない、そう断言できるほどいつの間にか深く関わって、数え切れない幸せをくれたひと。
剣心は障子の奥に目を向けた。

その先では、すやすやと赤子がお昼寝をしている。




剣路。




自分に子供ができるなんて……新たな世代へ命を繋げることができるなんて思っても見なかった。

神谷薫という女性は一児の母となっても精力的に動いているから、帰ってくるのは遅くなるかもしれない。
あの子を抱いて、妻を迎えに行くのもいいかもしれない。
ぼんやりと幸せな想像を抱く。




―――薫さんのどういったところを好きになったんですか――― 







燕のその質問は、剣心からそれを聞き出す事で、男の人の好む女性像を遠回しに聞くためのものだった。
だけれど今、剣心は改めてそれを考えてみると、答えられない自分に気付く。


あえていうなら全てだろう。
彼女の優しさ、ひたむきさ、強さ、弱さ―――もろもろ全部引っくるめて愛おしい。

男は変わった。変えてくれたのは、紛れも無く彼女なのだとわかる。
だから―――――――――














幸せな変化を、今日も彼は噛み締めた。















あとがき++++++


一万打記念短文その2。UP時当初のコメント↓

きっと陰で燕ちゃんを男から守ろうと弥彦が暗躍しているに違いない。

なんだかんだで気に入っている話だったりする。



再UP 09.2.22



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