ゆらゆらと、たなびくそれを、ただ綺麗だと思った。











髪結い














「あーん、リボンが取れちゃった」





小春日和。気持ちいいからと庭でうん、と身体を伸ばしていた薫が嘆く。


藍色のリボンが地に落ち、彼女の長い黒髪が下りていた。 
そして間が悪いことに、髪を結いなおす暇もなく、待ち人がひょっこり顔を出す。





「薫殿、洗濯終わったでござるよ」

「剣心ちょっと待って。髪、結び直すから…………」





薫はこれから弥彦のいる長屋に二人で様子を見に行こうと出かけるつもりだった。
弥彦の所へ行くのは久しぶりだ。
初めは一人で行ったがその後に弥彦からも、剣心からも次は一人で長屋に行かないようにと忠告されてしまった。
だからそれ以来薫は剣心と一緒に弥彦の長屋に行くのが習慣になっている。
あまり彼を待たせたくないと、薫はその場で髪を纏め始めた。






「剣心、悪いけどリボン持っててくれる?」




剣心が藍のリボンを心得たと預かったまさにその時。
剣心の鼻孔をふわりと薫風が掠める。
隣にはいたずらな風に「もうやだー」と悪態を付いて一時髪を束ねる手を休めている薫。
風にのった黒髪は艶めいてとても綺麗で。

だからだろうか。

気付いたら彼は手を伸ばして掴んでいた。
そっとそれに口づけを落とす。



「け、剣心!」



真っ赤な彼女の顔。

くすりと口の端で笑んで彼は髪を弄ぶ。


「いやなに、いい薫りがするものだからつい……」


男の中でいたずら心が芽吹く。にっこり笑って口を開く。

「拙者が髪を結んであげるでござるよ」

言うなり薫の背後に立ち、髪を手梳てすく。
確かに、風でさらに乱れた髪は他人に結ってもらったほうが綺麗になるだろう。
そう思うのだが。
しかし髪をもてあそばれている当の本人はすぐ後ろにある愛しい人の気配をどうにも意識して、硬直してしまう。
髪にも神経が通っているかのように感じてしまうのは何故なのか。
姿が見えないからこそ、意識を背中に集中してしまうのかもしれない。
そして、そこにあるのは彼の優しい気配。 



ひゃ〜っ やだ、落ち着け私!! 



ドキドキが止まらない。



剣心が髪にせ、接吻なんてするから―――――っ!!



言い訳がましい言葉が頭の中を埋め尽くしてゆく。
そうでもないと正気を保てない。
恋愛事に耐性のない薫には、いきなりの出来事があまりにも衝撃が強くて。
その瞬間を頭の中で邂逅すればするほど頭に血が昇ってゆく。
結局のところ弥彦が長屋に移り住んだとはいえ、二人の関係はあまり変わっていないままだった。
彼は何も言わない。でも極たまに手を差し延べてくれたりする。
そして薫の胸はその度に高鳴ってしまう。 
今だって、心臓が破裂しちゃいそう。
ゆっくり髪を手梳いていた剣心は、後ろから彼女のその様を見てくすりと笑う。
薫の顔に差した赤みが、耳まで染め上げているのを彼はじっと見ていた。
しかし、口から出るのは心とは裏腹な発言。


「薫殿。髪はこのあたりで結えばよいでござるか?」


指の腹で後頭部をゆっくりとなぞる。


「う、うん……」
「それでは――――」


優しく、側頭部の髪を剣心は後ろへと流し始める。
そのたびに薫の視界の境界に剣心の指が入り、薫の頬の端を掠めていく。
緩慢な仕草がこの上なく くすぐったくて。


「け、剣心……………」
「おろ?」
「あ、あの、ちょっと…………………何でもない」


恥ずかしい。しかしどう伝えるべきか。
薫は耐えることにした。髪を結うだけだもの。すぐ終わるわ!
しかし。


「なんでござるか? 気になるでござるよ」
「気にしないで! 気にしちゃ駄目よ!!」


剣心が声を出すと同時に吐息が後頭部にかかる。
それがまた、男と女の距離を薫に知らしめる。


ち、近いよ〜〜っ 


「手櫛でござるからなぁ…痛くない?」
「いっ、あ、うん大丈夫よ!」


思わず裏返りそうな声。


いやーっ、私の馬鹿っ!!


おかしい。
普通に髪を結ってもらっているだけなのにどうしてこうもドキドキしてしまってるんだろ。



側頭部の髪を流し終わった彼は、髪をまとめ始める。下から髪を持ち上げるように束ねていく。
その際、うなじに彼の手を感じて、薫はピクリと肩を震わせた。


やだもう、恥ずかし過ぎる………


早く終わって欲しい。心臓が持たない。
そう思うのに、心のどこかで相反した感情がせめぎあっている。
薫からは剣心の姿は見えない。けれど、気配は確かにあって。
見えないからこそ過敏に反応してしまうのだろうか。
少しばかり触れた剣心の手はくすぐったかった。あたたかかった。ゴツゴツしていた。
剣心の、手だった―――……


くらくら、する。


あつい。






「薫殿」

「はっ、はい?」
「綺麗な髪でござるな」



!!



「それにとてもいい薫りがする………」

「け、剣心…」



リボンのきぬ擦れの音が聞こえる。


しゅるり。


そんな些細な音にさえ動揺してしまう。

同時にハッとした。

待って。今私きっと真っ赤だわ。

髪結いは終わりそうだ。

終わったら剣心と顔合わせなきゃ。

や、やだやだ恥ずかしい!!


なのに。






「結び方はきつくはないでござるか?」










 耳元で言わないで―――――――!!







そんな薫の後ろで、剣心はくすくすと笑うのだ。

















あとがき++++++


最初はこの話が重いラストだったと誰が知ろう。

(2008.9.25 修正 2009.6.20 再修正)