稽古事 -後編-





















「剣心、用事は終わった?」





赤べこで、かわいらしく言われて思わず詰まった。


「…………ああ」


剣心は、気付かれぬように溜め息をつく。
牛鍋が嫌いではないというのに、目の前の牛鍋は見事に食欲をそそらない。

理由は、些細な事。

連日隠してあった浅漬け。
きっと上手く出来上がったら、食べさせて貰えるのだと思っていた。
実際は期待を裏切られ、お目にかかれない。
遠回しに料理をねだってみたら結果がこれだ。赤べこで食事。
皆で待ち合わせして、牛鍋を囲んでいる。
そうじゃなくて、薫殿の料理が食べたいだけなのに。
ここ最近は自分が料理を作ってばかりで、久しく食べていないことに気付く。
その事実は、寂しく、悲しい。
ただ一言薫殿の手料理が食べたい、と言えばいいだけのことだったのに、機会を逃して言えなかった。
第一、薫殿が連日出稽古で疲れていることは事実で、言うのもはばかれた。 



「剣心、具合悪いの?」



道着のままの彼女に、顔を覗かれはっとする。


「いや、何でも」
「そう…? やっぱり着替えたほうがよかったかしら。…臭う?」


恐る恐る、といった態度に頬が緩む。
本当は風呂に入って、着替えてから赤べこに来たかったらしい。
だけれど時間が無くて前川道場から直行して来た、と弥彦が言っていた。
自分の臭いが剣心の食欲を削いでいるのかと気掛かりらしい。



「いや、大丈夫でござるよ。少々ぼーっとしてただけで……」
「剣心がぼぉっとする時は大低ぇ何かを抱え込んでる時じゃねぇかっ!! おら吐けー!!」
「おろろぉ〜」

弥彦が首根っこ掴んで剣心の頭を揺り回す。


「今度は何だ!? 斎藤か!? 決闘か!? 俺だけのけ者にすんじゃねぇぞっ!!」
「ち、違うでござ、おろ、そんな類の事では、おろーっ」

頭をぐわんぐわんに振り回されて、目がぐるぐるしてる。
そんな侍を見遣り、薫は溜め息をついた薫は気づいていない。



彼の物思いの理由が自分だとは。
































街が闇に染まる刻の、赤べこからの帰り道。

弥彦は赤べこにもうしばらく居るということで、二人早めに切り上げて、歩いていた。


揺れる行燈の光。
薫の前を歩く剣心が、二人の道先を照らしている。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
美味しい牛鍋を食べて、幸せな気分に浸りながら薫はさらに幸せな事実に気づいた。






…………剣心とこんな風に歩くの、久しぶりだなぁ…………






そういえば最近は出稽古にかまけて、一緒に買い物に行くということすらご無沙汰だ。
家の中だと、薫は剣心に隠れて料理の仕込みをしなければいけなかったこともあって避けていたし、
二人でいる時間というのはとても久しぶりだった。

落ち着く。
いや、胸が高鳴る。

慣れた赤べこからの帰り道。
迷うことなどない。
むしろ、自分がどこにいるのか。後どれくらいで家に着くかがわかってしまう。

何をしたわけでもない。
ただ、彼と歩いているだけ。

でも……この時間をもっと長く、と切望していた。


そんな彼女の思考を、前を歩く彼が遮る。




「―――時に、薫殿」
「はい?」
「訊きたいことがあるのだが」


真剣な香りのする声に、薫の喜びに浮かんでいた思考も思わず地に戻る。
少し剣心の様子がおかしい事には気付いていた。
そこまで些細な違和感を感じるほどではなかったから、深く追及もしなかったのだが……
だから、それに関して話して貰えるのかと、薫はゆっくり心構えをする。
しかし。



「薫さん?」



横から、呑気な声。

声の先に視線を向けると年配の女性と、青年。
闇のせいで顔がよく見えない。ゆっくりと陰が近づいてくる。


「やっぱりそうだ。薫さんだ」

「……宮田さん?」



前川道場の門下生の一人だ。
声を浮き出せ、頬を赤らめている。
隣にいるのは母だろう、会釈されたので薫と剣心も会釈を返す。


「貴女が薫さん? お噂は息子からかねがね。剣術小町と名高いんですってね」


実物の若さに驚いたのだろう、感心したように女性は薫を見つめる。
値踏みするような視線を感じた気がするが、仕方ないことだと薫は愛相を振りまく。
他愛無い会話が続く中、女性がこぼした。そういえば、と。



「昨日は息子に浅漬けを持たせてくれてありがとう。この子ったら、それはもう嬉しそうに………」



その言葉に薫の頭が一気に冷める。
まさかこんなところで浅漬けの話題が出るとは。

心当たりがないわけではない。なんせ薫の作った料理を門下生にお裾分けすることは
既に道場の恒例行事となっていたからだ。彼はそのうちの一人だった。

そして何よりも薫にとっては重大なこと。








剣心に料理を練習していたことがばれてしまう。









焦る薫。

実はとうの昔にばれていたとは気付いていない。だらだらと冷や汗が滲み出る。 




「母さん!」

「前の煮付けも美味しくいただいてしまって、母の料理もそんな風に食べてもらいたいくらいで…」

「うあああ、ちょっとやめて!!」


焦ったように青年は母の背中を押し、ではまた明日、と軽く会話して去ってゆく。
名残惜しそうに、母親がまたよろしくね、と手を振っていた。
確かにちょっと往来で話し込みすぎてしまったかもしれない。
そろそろ別れるきっかけとしてもよかったのだが。
先ほどとは違う空気が剣心と薫の間に漂っている。

剣心に何かしらの突っ込みをされるとこを恐れて、慌てて薫は話題を探した。






「え、えっと、聞きそびれたけど、さっき言ってた剣心の訊きたいことってなぁに?」

「―――なかなかの好青年でござるな」

「へっ? あ、ああ…宮田さんのこと? 前川先生のところのお弟子さんでね、なかなか筋がいいのよ。
 この間も、私に稽古後に指導を依頼してきたり、熱心なの。
 まさかこんなところで会うとは思ってなかったわ。お母様と仲がいいのね」

「……そうでござるか」






会話を続けてもぬぐえない、このぴりぴりとした空気は何。
先程よりも随分と剣心の空気が重い気がした。
どうしていいかわからなくて、薫は剣心の言葉を待つ。
そして。







「………薫殿」



きた。


ビクリと体が震える。


しかし、彼の声は切なげだ。

聞いてる薫も苦しくなる、そんな声。





「……薫殿が料理を練習していたのには気付いていた」




気付かれていた―――…その事実は、ある意味覚悟していたから、まだ動揺せずにすんだ。
それよりも、薫の心を打つのは―――――



やめて。そんな顔して言わないで。






「……あの若者の為に、練習していたのでござるか…?」 









話の流れ上仕方がないが、やっぱり勘違いされている。 









「違うの、剣心!!」

「何が違う…? だって現に先程の会話では……」

「違うもの!!」



衝動的に薫の手は彼の着物を掴んでいた。
絶対言いたくなかった言葉がするりと零れる。

信じて。懇願と共に想いが溢れてくる。




「私、ただ剣心に美味しい料理を食べさせたかっただけ。驚かせたかったの!!」



そのために、苦手な料理を頑張った。
彼に気付かれないようにと、指をあまり切らぬよう、包丁使いも練習してきて、
最初と比べると怪我の頻度が信じられないくらい減った。






「私、剣心の唯一苦手な物が、私の料理なんて悔しくて……」



その言葉に、僅かに緋色の剣客が動く。



「苦手……? 拙者、そのように言った覚えはござらんがーーー」


むかっ! 



その一言は、確実に薫の心を逆なでる。


「言ってなくても、書いてあるんだものこれに!!」


言うなり懐から何やら取り出し、さぁ見ろと言わんばかりに押し付けたそれは。



















剣 心 皆 伝。  















「お、おろ!?」

「つまり、ずっと苦手だと思ってたってわけでしょ!?
私の料理、いつも無理して食べて……嫌だったのよね!!」


詰め寄る薫。

焦る剣心。


先程と立場が逆転した。薫の目には涙が浮かんできている。





「薫殿、ちょっと!!」




これ以上往来での騒ぎはまずいと、剣心は薫の手をとり、家の中へと誘導した。
誘導されながら、薫は自分の、繋がれた手を俯きながら見据える。
少しの間、二人の間には沈黙が続く。そんな些細な時間でも、薫の頭を冷やすには十分だった。







(私、馬鹿みたい)







彼を喜ばせたくて始めた料理なのに、自分はこんなにも子供っぽくて、彼の手をわずらわせてばかり。


驚かせたいから隠してた、なんてまさしく子供の王道だわ、と思うとさらに落ち込んだ。


謝ろう。


いつもの笑顔で。そうしたら、いつも通りに戻れるから。


そう思って顔をあげると、いつの間にか自分が台所に着いていたことに気付く。






「…………何で?」


「薫殿」




手を引いて、前を歩いていた剣心が、振り向きながら名前を呼ぶ。

意図が読めず、薫はただ困惑するだけ。





「薫殿、拙者、小腹が空いたでござる」



「え!? さっき牛鍋食べたばかりじゃ―――」

「薫殿の事ばかり考えてしまって箸が進まなかった」

「っ…」







「だから―――薫殿、料理を作ってはもらえぬか?」














 一瞬、言われた言葉が理解できなかった。 







「……いいの?」


「いいも何も、拙者は薫殿の料理が食べたい」








その眼差しが、薫を捕らえて逃がさない。










「それとも――――――あの若者には作れても、拙者の為には作れない?」


「そんなことない!!」




必死の否定。それに剣心は微笑う。
その微笑みは、いつもの彼らしからぬ、にやりとした笑み。




「ならば―――薫殿、宜しく頼むでござるよ」


のせられた。そう分かっていて、薫は料理に挑む。


「ほぅ、かなり包丁捌きが上手くなったでござるな」

「――――――あ…の、そんなに見ないで…」

「どうして?」

「まだ料理修業中だし…あんまり上手くないし………それにその…」




剣心にずっと見られていると恥ずかしい。







「拙者は、薫殿を見ていたい」









!!





だめ。言葉の衝撃に、酔いそうだ。









料理と言っても直ぐに出来る訳ではない。


煮付けを作っている間、暇になったりもする。

その間何をしようか。





「剣心、今更だけど、ご飯も炊く?」

「いや……それより、あの若者に出した煮付けってこれのことでござるか?」

「えっと、これは大根だけど、あの人にあげたのは里芋だった筈」


「――――明日の夕餉は里芋の煮付けでござるな」










それは、どういう意味か。





「では、薫殿。浅漬けを仕込むでござるよ」

「ええっ! 今から!? どう考えても間に合わないわよ」

「さよう。だから、明日食べるのではござらんか」

「――――――っ! わ、分かったわ……」



反論を許さない常の彼ならぬ言動に振り回されつつ、
何とか浅漬けを仕込み終えた頃には、煮付けも出来上がっていた。
更に味噌汁を作り、お椀に注ぐ。

もうヤケになって、さぁ食えと言わんばかりにつきつけた。





「どうぞっ!!」




しかし剣心はそれに箸をつけぬまま、じっとそれを見つめた。
中々動かない男にじれったくなって、言い訳がましい台詞が口をついて出てくる。


「一応、料理を教えてもらった前川先生の奥さんに太鼓判貰ったのよ。多分、問題はない筈…」



「………いい、香りがするでござるな」




嬉しそうにほっこり微笑み、彼はそう言った。

さっきまで怒っていたようだったのに。

その男の変化に容易くの感情がほだされそうで、薫は無理やり渋面を作らなくてはいけなくなった。




「薫殿の料理、久方ぶりすぎて口を付けるのも惜しいでござるな」

「食べてよ」

「随分、努力してくれたのでござろう?」


「……まあね」




恥ずかしさからか、ふて腐れたように応対する薫。それがまた剣心の微笑みを誘う。




「不謹慎やもしれぬが、薫殿が拙者の為に努力してくれたと知って………拙者は、嬉しかった」





え。





確認しようと薫が口を開くと同時に、照れ隠しのように剣心は料理を口に入れる。



それから、目を見開き、薫が焦がれてしょうがない――――――――ずっと見たかった顔で言うのだ。 



















「美味しい」  
















………何かが、弾けた。


咄嗟に手で顔を覆うが、止まらない雫がぽつぽつと落ちる。 




「薫殿」 




困ったような、そんな声と、体を包む暖かく、愛しい温もりを感じた。 








「薫殿―――拙者の為に、明日も、食事を作ってはくれぬか……?」 











「―――っ、はい………」 






























あとがき++++++

言わずもがな、剣心皆伝の剣心の苦手なものの欄から生まれた話。
ほんとはもっといろいろ剣心にセリフを言わせたかったんですけどね……

その後剣心は、自分よりも先に、味見と称して前川道場の門下生や弥彦が薫の手料理を食べることが嫌で、
薫の料理指導役を買ってでたりするといい。

1話で終わるかな、と考えていたのですが、思ったより長くなったのできりました。


しかしこの話。まだ弥彦が道場にいる頃、という感じなのですが、最後、弥彦を帰らせることができなかった。
弥彦は赤べこで飲み過ぎで一人で帰れず、泊まりということで……
普通考えてこの二人が弥彦を一人赤べこに置いてくる筈がないのですけど。




(2008.9.25 修正 2009.6.16 加筆)