飴色の光







「千歳! よく帰ったな!!」

九州は最南端、薩摩の里。
青々とした木々を潜り抜けた先にその鬼の里はあった。

「お帰りなさい、千歳!」
「おう、お前ら。帰ったぞ!」

島津勢は敗軍だ。
彼らと密接にあるこの里も、影響を受けることは間違いない。
しかし今だけは、里の者たちの瞳に不安の影はなかった。
彼らを率いる頼もしい頭領の帰還だからだ。
待ちわびていた、とばかりの里の鬼達の表情を見て、
その光景から一歩控えた場所に立っていた雪奈は、
千歳が里の皆々に慕われていることを感じていた。

そう、彼には不思議と人を惹きつける魅力がある。
でなければ、自分がこの場所にいて、どうしてこんな安堵感を抱き、
落ち着いているのかの説明がつかないではないか。
――――いや、それらは言い訳で。
自分の感情には思慕の情が多分なりとて影響しているのではないだろうか。
思い至って、雪奈は顔をそむけた。
なんだか、むしょうに恥ずかしい。

その所作に気付いたのか、千歳を囲んでいた鬼が一人、こちらに目を向ける。

「千歳、彼女は……?」
「お、ああ。こいつは――」

促されて、千歳がこちらに振り向いた。赤い双眸が見えて、雪奈の胸がどくりと鳴る。

「こいつは……俺の……俺の女だ」

視線を逸らし、照れた頬をぽりぽりとかきながら里の者に対して言われた言葉は、
一拍の時を置いて、あたりの空気を一変させた。

どよめきがあがり、皆が千歳に詰め寄る。
一変した周りの瞳の色に、彼らの頭領はどこか居心地悪そうだ。
「どこで知り合ったの!?」「名前は!?」「お前いつの間に」
詰め寄る先は千歳だけでなく、雪奈も。
好奇の視線に取り囲まれそうになって、思わず後ずさろうとした雪奈を、
飴色の髪の広い背が覆った。

「あぁもう、お前ら落ち着け! 大丈夫か? 雪奈」

彼が前に立ったからか。心のどこかがあったかくなっていく。
雪奈の口元に自然と笑みが浮かんだ。
ひだまりの匂いがする。

「大丈夫です。千歳」

言うなり、雪奈は背の陰から一歩前に出、千歳と肩を並べる。
彼だからこそ、守られているのが心地よくないわけではないけれど。
自分が望むのは、守られているだけの場所ではない。

「初めまして。私の名は雪奈と言います。
 その……貴方がたの頭領である、彼、千歳をお慕いさせていただいております」



こうして、薩摩の鬼の里に吉報が届いたのだった。



帰還祝いの宴席で、千歳は変わらず里の者からひっぱりだこだった。
長らく里を開けていただけに、皆の喜びも一塩のようだ。
話題は、八瀬の里のこと、関ケ原の戦いのこと、豊久のこと………
多岐に渡ったが、暗い話題を振り切るように出された話題が、頭領が女鬼を連れてきたというものだ。
雪奈にとって、他の里は初めてだ。
同じ鬼の仲間とはいえ、自分を快く迎え入れてくれるか不安が無かったわけではないので、
里の皆が自分と千歳を祝福している様子がありがたかった。
彼らのおおらかな人柄も、見ていて好ましかった。
これが、千歳を育てた里なのだ。

夜の闇が辺りを覆う真夜中。宴からようやく解放された、とばかりに
雪奈を案内する青年の背を、彼女は不思議な心持ちで見つめていた。
ゆるやかな風に揺られる彼の髪は、月光の光を浴びて青白くもうつる。
陽光の元だとひだまりの色にも見えるのに、今は静謐にも見えた。

「ったく。あいつらとことん飲ませやがって……こちとら、帰郷したばかりだっていうのに。
 まぁこの千歳様があいつらに酒で負ける筈も無いけどな」

気分良さげに一人ごちる内容は、見目の印象とは違うもので、
雪奈は思わずくすりと口元をほころばせる。
以前、島津公に酔わされて寝入った姿を見ていただけに、
いつ倒れてしまうかと心配していたのだが、杞憂だったようで何よりだ。
必要ならば、あの時のように膝をかすべきかと気にかかっていたのだけれど。
そんな雪奈の心情に、千歳は恐らく気付いていなかっただろう。

「あの、千歳」
「おう? なんだ? 雪奈」

雪奈が声をかけると、前を歩く赤い顔の千歳が振り向いた。
酔っている。だが、意識はしっかりしているようだ。

「私、何かおかしな発言をしてしまいましたか?」
「は?」
「何やら、私の発言がからかいの対象になっていたようなので……」
「ああ……」


『いや〜 あの顔! 千歳ったら真っ赤になって、なぁ!?』
『うっせーよ! いつまでも蒸し返すんじゃねぇ!』


などと、里の者たちから話しかけられていたのはつい先ほどのことだ。
自分は何か彼にとって不都合のある発言をしてしまったのだろうか?
不安になる雪奈とは対照的に、千歳は顔の赤味を増しながら頭をぼりぼりとかく。

「いや、あいつらはただからかっていただけというか……
 お前が、そのはっきりと俺のことお慕いしているなんていうから……
いや、迷惑じゃなくて、むしろ俺は、うれしかっ……い、いやそーじゃなくて」
「千歳? つまりそれは、私が貴方をお慕いしているという発言が問題だったのですか?」
「あー、なんというかだな……」

歯切れの悪い千歳の言に、雪奈の脳裏に悪い想像が浮かぶ。
考えていなかったけれど、もしかして……

「もしかして、貴方には既に良いお方が……?」
「はっ!? ち、違うぞなんでそうなるんだ!?」
「里では既に縁組の用意がしてあったとか、そういう……」
「待て待て待てい!!!
 確かに嫁を取れと言われてはいたが、俺が選んだのはお前だし!」

必死に否定する千歳を見て、雪奈は安堵した。
『千歳が選んだのは私』。その事実も嬉しい。
では、何故彼は皆にしつこく私のことを言及されていたのだろう。
頭を捻る雪奈に、千歳は嘆息した。
彼の口からは気恥ずかしさがあって、説明しづらくて。
察してくれと思いつつも、それが上手く行く相手ではないことはわかっていた。
彼女がまた妙な思考に走る前にと、千歳はぽつりぽつりと言葉をこぼす。

「なんつーか、お前の言い方がだな……」
「言い方ですか?
 率直に貴方との関係性を言おうと思ったのですが、他に上手い言葉が見つからず……
 私は彼らになんと言えばよかったのでしょう?」

彼の瞳をじっとみつめ、雪奈は問う。
今後の関係を考慮すると第一印象というのは重要だ。
出来る限り、関係を円満にする為にも、これは必要な問い。
そう思うからこそ、雪奈はまっすぐな目で千歳を見つめる。
気圧されたのは、男の方だった。
あまりにも、彼女の瞳が綺麗だから。
しばし千歳は沈黙した。
それから何を思ったのか、深く息を吐き、

「いや……間違ってねぇよ」

ぶっきらぼうに、言う。

「しかし……!」
「間違ってねぇって言ってんだ!」

強く断言して、そのまま千歳が雪奈の手を取る。
ぐいっと引き寄せられ、酒の香りとひだまりの香りが彼女を覆った。

「お前は、俺の女だ。堂々としてろ。
 なんせ、この俺が惚れた女なんだからな!」

気づけば、雪奈は力強く腕で抱きしめられていた。
胸に顔があたり、千歳の顔が見えない。
だけど、声だけでなんとなく……彼がどのような顔をしてくれているのか、彼女にはわかる気がした。
彼は雪奈がここにいることを嬉しく思ってくれているのだと感じる。
それだけでいい。


それだけで、自分はなんて幸せなのだろう。


でもやっぱり、顔が見たくなって。もぞもぞと視線を上にあげると、
深紅の瞳と目があった。
それは彼の剣技の苛烈な炎の色のようでもあり、
どこまでも道を照らすかのような希望の光のようでもあり――――

魅入るのは、きっと必然だった。


「千歳。私……」

「……西海九国は、お前の里とは遠い。
 わかってはいただろうが………お前はこの里をどう思う?」


ゆっくりと吐息が感じられるほど、寄せられた顔は、ただ真摯に雪奈を見つめている。
瞳が揺れているように見えるのは、きっと気のせいではない。


「私の里とは……風が違います。空の青さも……
 きっと、これから違いをもっともっと知っていくのだろうと思います。
 これが、貴方を育んだ大地だと思うと、嬉しく感じました」
「お前は外を知らないだろう。薩摩の里もだが、鬼達も……俺は、彼らを誇りに思っている」
「あなたは……帰ってきて、とても嬉しそうでした。私も嬉しい」


島津公と深く付き合いのある鬼の一族。
鬼の掟に反している為、以前の雪奈であれば必死に咎めただろう。
だが、もうそのような気持ちもわかない。
それは、知ってしまったからだ。彼らの在り方を。彼らの想いを。彼らの優しさを。
千歳と会って、知った。


「雪奈。俺はお前に見せてやりたい。知って欲しい。ここは、俺の愛する土地だ」


力強く言う目の前の青年を、愛しいと思った。
彼がそう言うのならば……彼とならば、自分はどこまでもいける。

ゆっくりと彼女の頬を撫でる手は、
けして綺麗な手ではない。剣だこもあるし、ごつごつした男の手だ。
雪奈はその手を取れる距離にいたい。これからも。ずっと。


「千歳……私も、あなたと共に………」


澄みきった大空に優しく浮かぶ月の下、二つの影が一つに重なった。













あとがき++++++


十鬼の絆にたぎりすぎて。歳雪可愛いそしてかっこいい……!!


初出 2012.8.4





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