新しい始まり







ところで、お主は女物の服は着ないのかの?

それは何気なく言った言葉だったのだろう。
晴天の中進む船の上で、戦衣装の私を見て、ぽつりと言われたそれ。
島津兵の皆と一緒の帰郷の船だから、周りはかしこまった服を着た人ばかり。
その中で、いつもの戦衣装を着こんだ自分は違和感を抱かせない出で立ちだったとは思うのだが、
自分を見下ろす巨漢は、そういった意味で問いをしたわけではなさそうだ。
私――涼森雪奈は、何を言うのか、と問いの主である島津義弘を訝しげに見上げる。
もし女物の服を着たら、自分はこの船で、さぞや浮いてしまうだろう。

「親父さん。私は女鬼という以前に―――――」

言葉はそこで止まる。
次の言葉が……出てこない。
親父さんはそんな私をしばし見つめ、何か口を開きかけようとして―――

「おっ。雪奈、親父。こんなところにいたのか」

二人が立っていた甲板に、陽気な声が届く。
声の先には、日の光をあびて髪を金色に染め上げている赤い双眸の持ち主。
戦も終わっているせいか、適度に服を着崩している。
だらりとした服装なのにも関わらず、その下にある肢体が逞しさのせいか、
きりりとした印象を抱かせる体躯に、人好きのする明るい笑みを浮かべていた。

「どうした、千歳」

親父さんはすぐさま会話の闖入者に向き合う。
彼が赴いた要件は船酔いでへばっている人が続出してしまい、気付け薬が足りていないというもの。
なんだ、だらしない、とあきれた声をあげる親父さんと、千歳の会話は続く。
親父さんは先ほどまで私に問うていた内容など、もう忘れたかのようだ。
実際彼にとっては、先ほどの会話は重要ではなかったのだろう。
不意に気になったから訊いてみただけで。

でも―――私にとってはそうじゃなかった。

言葉を紡げなかった理由はわかっている。
わかっているのだけれど、それは私にとっては予想外のことで……戸惑いが隠せない。

「雪奈殿。すまぬが、ちょっと船の中に入ってくるからの」

そう声をかけられてはっとした。
焦って元気よく「はい」と答えると、その姿を見ていた千歳が笑う。

「ったく、何ぼーっとしてるんだよ。雪奈」
「う……す、すみません……」
「別に、責めてねーって」

からっとした笑顔に、なんだか恥ずかしくてうつむいてしまう。
一拍おいて、頭にやさしい感触がした。

ぽん、ぽん。

広くてごつごつした手が、私の頭をあやすように叩く。
どうしてだろう――――――いつもだったら、もうちょっと違った感情を抱くのだろうけど。

今だけは、大好きなその手が酷く憎たらしい。

ちなみにその後、眉根を寄せる私の表情を訝しんだのか、千歳がいきなり手の力を強めて、
無意味にわしゃわしゃと私の髪を掻き乱し、結果憎たらしさが倍増したのも無理からぬことだと言いたい。


*


それから、私と千歳の二人は風間の里に入った。
道中、島津に立ち寄って泊まり、船旅の疲れを癒してからの陸地移動。
私も千歳も体力には自信がある。里へは案外容易にたどり着くことができた。
既に伝令をとばしてあったからか、里の鬼達の入郷の歓待っぷりは凄かった。
おかげで、歓迎の宴を前にして自分も決心がついた。
これはきっと、これからの為に必要なことなのだ。


*


食糧に貧しい里にしては、この上なく豪勢な食事の数々。
そして大量の酒。酒。酒。
相変わらずの様子に、千歳が笑う。

「ったく、かわらねーなぁ」

頭領の屋敷の大広間には、一族の面々が集まってきていた。
今宵は宴席だ。風間一族の若き頭領の帰還の日。
この日の為に用意された品々に、千歳はむずがゆい気持ちを覚える。
里の内情は彼が一番良く知っている。
直近の事情までは把握しきれていない面も多々あるが、概ね変わっていないだろう。だからわかるのだ。
これは、彼の里の最上級のもてなし方だと。
大切な食糧がふんだんに並べられている様子に、恐縮する思いもあれど些細なもの。
頭領の自分の為に用意された品々だ。嬉しくない筈がなかった。
慕われてるなぁ、俺ってば。
なんて少々鼻高く感慨ふけってしまう。

「とーりょー おかえりなしゃーい」

とてとてと傍に寄ってきて、笑顔で差し出された里の子供の小さな手。
しゃがみこんでその手を取ると、子供独特の暖かい体温が伝わってくる。

「おう、ただいま! 良い子にしてたかー?」
「うん!」

無邪気に笑う笑顔に千歳の心がほわりと温まる。
しかし、彼の手は子供の頬をぐにーっと伸ばしだした。

「おい! 頭領の俺は偉いんだぞ? うん、じゃなくて、はい、だからな!」
「ふふぇふぇふぇふぇ(いたたたた」

じゃれあう千歳と里の子供を、クスクスと笑って見ていた男鬼が、そういえばと言葉をこぼす。

「千歳。お前が連れて帰ってきたという嫁はどうしたんだ?」
「ああ。あいつなら荷物を置いてから広間に来いと伝えてあるけど……そういや遅いな。
 もうそろそろ集会も始まろうっていうのに」

初めての屋敷で迷っているんじゃないだろうか。

訝しんでいると、今しがた千歳が頬をつねっていた子供が、くりりとした瞳をぱちぱちと瞬きさせた。

「よめ?」
「そう。お嫁さん。俺たちの頭領が、戦から戻ってきたと思ったら嫁さん連れてきたんだよ。
 まったく、何しに八瀬の里に行ったんだか。ねぇ?」
「ちょっと待て。その言い分は納得できねぇ! 俺は西海九国の鬼頭としてだな―――」
「わかってるって。で、この後ちゃんと紹介してもらえるんだろう?
 この集合は、里のものがほとんど出席する予定だそうだからな。
 里入りの歓迎隊の前でも軽くは挨拶していたって聞いたけど、やっぱりちゃんと拝みたいからね」
「頭領の俺にえっらそーに。言われなくともちゃんと紹介するさ」

ふてくされる千歳に、若い鬼が詰め寄る。
彼の人柄が原因だろうか、それとも歳若いからだろうか。
気さくに声をかけてくる鬼も多いのだ。
ふと、千歳の脳裏に他の十鬼衆がちらりと浮かぶ。
里の鬼に崇拝されるように扱われたいとは思わないし、この関係も好きではあるのだが、
他の鬼の里の頭領というものはもうちょっと威厳があるのではないかと考えると、
西海九国の鬼と謳われる彼としては、少し偉ぶってみたくなった。
それに、今後千岳の里の鬼達が彼の庇護下に来るのだ。
その時に自分を慕う鬼達の姿を千岳に見せつけてやりたいではないか。
手始めに、目の前の鬼の態度を頭領としてびしっと改めさせよう。
そう思って口を開こうとしたのだが。

「ところで後学の為に訊いておきたいんですが頭領」
「うわ、こっちが何か言う前にいきなり折り目正しくなった! ま、まぁいつでもそうやってだな――」
「嫁さんをどうやって口説き落としたんですか?」
「ぶっ!!!!!」
「俺、いつかの参考に訊いておきたいのです! 頭領、教えてくださいませんか!」
「……………………」
「なんで目を逸らすんですかね頭領」
「………う、う、うっせーな!! って、ん?」

真紅の双眸が辺りの変化に気付いた。
先ほどまでは鬼達の談笑により多少の喧騒に満ちていた広間が、なんだか静かだ。
どうしてだろうと変化の原因を見つけようとして、彼はすぐに原因を理解した。

鬼達の視線の先。広間の入り口に、大輪の花が咲いていたから。


*


どこかおかしいところは無いだろうか。
ドキドキしながら、雪奈は広間に足を踏み入れた。
自身が注目を浴びる存在だとは理解している。
注目を浴びることは慣れてはいるのだけれど、一番の問題は『どういう立場』で注目を浴びるかということだ。

八瀬姫の警護を任された、十鬼衆が一員、涼森家の当主。

それが雪奈の今までの肩書きで、その為の振る舞いを身に着けてきたつもりだ。
未熟な身ではあれど、十鬼衆の一員として恥じないようにと。
だから、今になって戸惑ってしまう。
風間の里にいる私は涼森家の頭領としての役目を果たしているとは言えず、
十鬼衆の一員とも名乗れない。
慣れ親しんだ十鬼衆の響きを捨てることに迷いはない。
これは自分で選んだこと――――今の雪奈が持つ肩書きは明白だ。

風間千歳の嫁になる女鬼。

元十鬼衆という肩書きもあるし、汐見爺から託された思いと力もあるけれど、
肩書きという面では風間の頭領の嫁になる女鬼というのが大事な気がした。
そのことを自覚して、悩んだ結果がこれだ。
雪奈は気を奮い立たせる為に、気付かれないように着物の端を握った。
彼女が歩くたびに牡丹の柄が揺れる。

そう、今雪奈は女物の着物を着ていた。

悩んで悩んで、そして、風間一族の頭領の横にいる『妻』たろうと思ったのだ。
慣れない化粧に戸惑い、着付けにも時間がかかってしまった。
かつて八瀬姫がどうやって身を飾りたてていたかを何度も何度も反芻して着替えたつもりだけど、姫のように上手くできた自信もない。
胸の不安を押し殺して、彼女は広間を見渡す。

視線がいたい。

大量の視線を一点に受けているのを自覚してしまう。
彼女の出で立ちは、白地に大輪の牡丹をあしらった、一目上質だとわかる着物に、
黒髪は椿油で整えて編みこんで結い上げ、
いつもの髪飾り裏に、ちりめんで作られた花が連なる簪をつけているため、華やかさがましている。
何より、白い肌に意思を宿した宝玉かと見間違うかのごとき瞳。
きゅっと引き締めた口元には艶やかな紅が引いてある。
誰もが雪奈のかんばせに目を奪われているその理由を、残念ながら本人だけが理解していなかった。
自分の恰好はおかしくないですか?
誰かに訊きたい気持ちに襲われるけれども、訊くこともできず。
雪奈は自分自身の気を必死に抑える。

落ち着け。落ち着け。丹田呼吸。

ふー、とゆっくり息を吐いて辺りを見渡す。
広間で集会があると聞いていたのだが、どうすればいいのだろうか。
右から左へと視線を流していく中で、愛しい姿が目に映って、彼女は思わず歩み寄った。

「千歳。お待たせして申し訳ございません。……千歳?」

雪奈は呆けた様子の鬼の姿を訝しむ。
確かに目線は合っているのに、ここではないどこかを見つめる瞳は、
彼女に虚ろな印象を与えていた。
どうしたのだろうか。
雪奈が再び口を開く直前に、ようやく千歳がたどたどしく言葉を発し始めた。

「えっ、あ、あぁ……なんでもな……ってそんなわけあるかよ!!!!」

放心していた様子の千歳の真紅の双眸がカッと見開いたと思った次の瞬間、雪奈の左手はつかまれていた。

「お前ちょっと来い!!!!」

え?

やけに強く叫んで、彼は雪奈を広間の外へと連れ出す。
なんだなんだと辺りが騒がしくなるが、お構いなしだ。
音を立てて廊下を渡り、空き部屋に自分を放りこんだ鬼を、雪奈は茫然と見上げる。
放りこまれた部屋は少し埃の香りのする部屋だった。
この屋敷は長らく主が空けていたからか、手入れが行き届いていない部屋がいくつもある。
その一つが、千歳が屋敷を出た時のままの状態で、彼と雪奈を受け入れていた。
長らく閉じられただろう空間は、いくつか葛籠が並べられている以外は何もなく、広間の喧騒も届かない。
そんな部屋に入るなりがりがりと両腕で頭をかきだした鬼の反応は、西海九国の頭領と評される彼らしからぬもの。
「あ」を羅列したかと思えば、くるりと雪奈に背をむけ何事かをぶつぶつと呟きだす。

「千歳……?」

戸惑うのは雪奈だ。
何が起こっているのかわからない。
どうしてこんな状態になったのだろう。
雪奈の頭が働きだし、一つの仮定が導き出されるまで時間はかからなかった。
自分がいつもと違うことは一つだけ。
女物の着物を着ていることだ。

もしかしなくとも……変だったのだろうか。

元々化粧にも自信はないし、着慣れない女物の着物を身にまとうことで、
少しでも千歳の嫁(予定)らしくしようとしたことが、間違っていたのだろうか。
広間の鬼達の目から隠さねばならないほど、自分の姿が滑稽だったということなのだろうか。
不安の種がむくむくと目をだし、心をむしばんでゆく。
自分は、彼に恥をかかせてしまったのではないか―――――――それは、考えれば考える程深みにはまってしまう思考。

「……すみません、千歳。この着物を脱いできます」

訥々と紡がれた声に、男の背がぴくりと反応した。

「変わりに、いつもの衣装を着てきます。……ご迷惑をおかけしてすみません」

その言葉を皮切りに、雪奈は千歳の横をすり抜け、今しがた通った入口の襖に手をかける。
今は想いを通わせた鬼の顔もみたくなくて。
流れるような仕草で、再び襖を引いた。
筈だった、のだが。

「……」

千歳の手が勢いよくのびて、雪奈が手を伸ばした襖につき、力を加えている。
雪奈と真逆の方向性にだ。
しばし訪れる無言の攻防。
雪奈も奮闘してみるが、口惜しいことに通常の力では敵わない。
結果、襖も開かぬまま。
そんな最中、雪奈の想像に反して弱々しい言葉が下りてきた。

「……待てよ。そうじゃない、そうじゃなくてだな………」

思い切って、今は見たくないと思った顔を見上げると、紅潮した頬の男鬼の姿。

これは……どういうことなのだろう……

まじまじと自分を見つめてくる瞳に、千歳は何かしゃべらないと、と感じたようで。
歯切れは悪いものの、必死に言葉を絞り出そうとする。

「お前のそんな姿見て動揺したっていうか……別人だって思ったっていうか……
 その着物、どうしたんだ? 持って無かっただろ…?」

雪奈は、その瞳が揺れているのに気づいてしまう。

「これ、は………親父さんに頂いたんです。島津を出る時に、他にも何着か……」
「親父が……?」
「私が、女の着物を持っていないことを相談して、それで……」
「そ、う……か。親父……」

襖を抑えているのとは逆の手で、目を覆う彼に、雪奈は絞るような声を出した。

「似合ってない、ですか……?」

女の着物を持っていない。千歳の嫁として立つに相応しい反物は、どうしたら西海九国で手に入るのだろう。
島津についた時、思い切って彼女は島津義弘に相談した。
雪奈の言葉を聞くなり島津公は嬉々として手を回し、着物をかき集めた。
新品の品を仕立てあげるには時間が無かった為か、おさがりではあるが、
絶対似合うと太鼓判を押された立派な着物を数着見繕われて、相談した本人が驚いてしまう羽目になった。
雪奈は、どこで女物の反物が手に入るかと訊いただけなのに。
しかし厚意は凄く嬉しかった。千歳の里へ入る日はすぐそこまで迫っていたからだ。
それに、風間一族をよく知る彼の見立てなら問題はないだろうと安心できた。
まるで婚礼衣装とばかりに立派な着物の中から、集会の場に似合うよう、
その中では控えめな着物に袖を通したつもりだったのだけれど。

思えば、千歳には女としての自分を褒めてもらった覚えが無い。
それどころか、馬鹿にされてきた気がする。
当時は女鬼としての自分を重要視していなかったから気にならなかったのだけれど。
今更自分が女として飾りたてても無駄だったのだろうか。

だけれども、雪奈を女として不安にさせる原因も千歳なら、
その不安を一掃してしまうのも千歳だった。

「いや、似合ってる!!! 似合っていて……驚いたんだ」

力強く言うなり、逞しい腕が雪奈の身体を抱きしめる。

「だってずるいじゃねぇか。お前のそんな姿、見たこと無かったし……びっくりしたし………なんだか、悔しい」
「ち、とせ……?」

ぎゅうう、と力をこめられた腕。
それをすぐさま理解できなくて、雪奈は瞠目する。

「………俺が一番に見たかったんだよ」

トゲがあるが、優しい響きのふてくされた声。
どうしてだろう。その声をきいて、心の中に積もった不安がゆっくりと溶けていく。

「それに、お前女鬼としてのことより役目重視だったし……女の着物に興味もっているなんて思ってなかったし……
 大体っ、なんでまず俺に相談しないんだよ!!
 なんで先に親父なんだよ!! 俺に訊けよ俺に!!」

そうしたら、と言葉を切って。
ためらったかのような間をおいて、ゆっくりと彼は言う。

「そうしたら……一番に見れたかもしれねぇじゃねぇか。
 俺がお前に似合う着物だって用意させてやれたのに」

ばかやろう。

その言葉がとても優しく聴こえて。
自然と雪奈の口からごめんなさい、と言葉が漏れた。

「そんなつもりでは無くて……ただ、私は貴方の嫁になる身として、恥じない姿でいたかったんです」
「………どういうことだよ?」
「だって……今の私は涼森家の頭領ではないですし……」

すると、目の前の端正な顔が歪む。

「おい。落ち着け。何変なこと考えてやがるんだ」
「? 変なこと、とは?」

小首をかしげる雪奈に対し、

「いつものお前の、どこが恥ずかしいってんだ」

憤慨した様子できっぱりと言われた台詞。
まさかそう怒られるとは思っていなくて、雪奈はぱちくりと瞬きをした。

「どこが、恥ずかしいと言われても………私は、少々……女性らしさに欠ける、のではと……」

言うのも情けなくて、うつむきそうになる顔をぐいっと引き上げられると、真紅の瞳と目が合う。

「そういうことが言いたいんじゃねぇよ」

魅入ってしまう。捕らわれてしまう。
煌々と燃え上がる炎に。

「雪奈。自分の名前言ってみろ。姓からな」
「? 涼森雪奈です」

彼の言いたい意味が上手くわからなくて、訝しむ雪奈の両頬を、大きな手が挟む。
力は入っていないというのに、振りほどけない束縛だ。
そんなことしなくても、今の雪奈は彼から逃げられないのに。

「そうだ。で、近い将来、お前は俺に嫁ぐ。いいな?」
「………はい」

気恥ずかしさをこめつつも、頷く。
そんな雪奈お構いなしで、千歳は話を続けた。

「そうしたら、涼森雪奈は消えるのか?」

涼森雪奈が、消える?

「消えるわけが無いんだ。お前は、誇り高き十鬼衆だった涼森雪奈だろう?」

いつのまにか、雪奈の身体にこみあげてくるものがある。
それは足の裏からじわじわのぼってくるようで、彼女は身震いをした。
千歳の言いたいことが、少しずつ頭の中に入ってくる。

「俺が惚れた鬼は、ただの女鬼じゃない。お前だ。
 お前を受け止める覚悟なんて、こっちはとうにできてる。
 何、無理に型にはまろうとしてるんだよ」

鋭い眼差しが、雪奈を貫いた。
けれど、けして不快ではない。その逆だ。

「千歳……」
「雪奈は雪奈だ。お前が俺の為に女らしく努力してくれるのはそれは結構。
 それはそれで新たなお前の一面が見られるならいいじゃねーか。俺は嬉しい。変わるのもいいさ。
 だが、俺はお前の今までを否定するつもりはないぜ。見くびるんじゃねーぞ。
 ちなみにこれは、今お前に服を変えろって言ってるんじゃないってことくらい、わかってるよな?」

まぶしいと思った。
今、目の前にいる光は、生命力にあふれ、煌々と燃えるようで。

どうしよう。彼が、凄く愛しい。

「ごめんなさい。……私らしくなかったですね」
「まぁな」
「今まで、涼森の頭領としての道しか考えて来なかったんです……。
 八瀬姫の警護をして生きる道しか見てなかった。
 私にはもう、その道を歩む資格なんてない。そう考えたら――――――」

怖かった。

自分を支える基盤が、音もなく崩れていくようで。
沈みゆく砂地に足を取られているような気分で。

「…………八瀬の里に戻りたいか?」

感情を抑えた抑揚の乏しい声に、雪奈はかぶりを振る。

「いいえ。寂しくないと言ったら嘘になってしまいますが、後悔はしていません」
「うん………俺も、手放せないから」

その時、雪奈の指した髪飾りがしゃらりと音を立てた。
不意に訪れる沈黙は、どこか甘めいていて。
改めて、千歳は目の前の女鬼に魅入る。

「ごめん……まだ言ってなかった。
 ………綺麗だ」

後半は目をそらして、小さな声で言われたそれは、確かに雪奈の耳に届く。
近づいてくる炎に、彼女はゆっくり目を伏せた。


*


「………何をしておったのかの」

長老にジト目で見据えられて、千歳は思わず固まった。
自分のせいで集会の開始が遅くなったのは事実。しかもなんだか後ろめたい。

「いや、あの、すまなかったって。今からやるから今から!」
「私からも。本当に申し訳ありませんでした」

隣に立つ雪奈が深々と頭を下げる。
今がどういう時かを忘れて、彼と一緒にいたのは事実だから。
自責の念が沸いてくるのは当然だ。
それを見て、長老は、

「フン。……まぁ良いわい。風間の未来は安泰じゃの」

口の端に笑みを浮かべて言う。
それに対して、千歳は胸を張った。

「当ったり前だ! この俺と、雪奈がいるんだからな!」
「うつけものめが! 開き直る鬼がどこにおる!」
「いや、だってよ。それとこれとはまた話が―――――」

雪奈には口を挟む隙間の無い程の舌戦が始まる。
どうしよう。
すると、裾をくいとひっぱる感触がした。
なんだろうと思って視線をうつすと、雪奈を下から見上げる子供の鬼がいた。
ぷくりと色づいた頬に、興味津々といった目をしている。

「どうしました?」

千歳と里の長老の言い合い合戦から背をそむけ、足を折り、目線の高さを子供鬼にあわせる。
すると、答えではなく、つたない問いが返ってきた。

「とーりょーの、よめ?」

問われた内容にぱちりと瞬きしてから―――雪奈は、目の前の期待に満ちた少年の頭をなでた。

「はい。私は彼の……嫁になるんです」

まだまだ雪奈には知ることがいっぱいある。学ばなければならないことも、いっぱい。
今後何が起こるかなんて想像もつかないけれど、今の雪奈に不安はなかった。
ちらりと愛しい影を見上げると、こちらの視線に気づいたのか、真紅の双眸が雪奈を見つめ、穏やかに笑う。

きっと、何があっても大丈夫。

根拠なんて、千歳が雪奈の傍にいる。それだけで、きっと十分だ。







ちなみに、千歳の上着に雪奈の紅が残っていて、周りからからかわれたのは、その後の話。



あとがき++++++

女物の服を着た雪奈と、その不安が書きたくて。
女としての型にはまらなければいけないという勝手な観念をけちらして、受け止めてくれるのも
自然体の千歳の度量かなと。雪奈ちゃんそこんとこ石頭っぽいですしね!



初出 2012.8.13





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