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 金色 1






 風と車輪に巻き上げられて、道の上に埃が舞った。
 カディティールの街路はいつ来ても人で溢れている。
 特に今は、国王交代があり、公務に携わる者は任地替えや式典のため王都に訪問する。カディティールの街は三つの街道が交わる地点にあり、各領地、任地から王都へ向かう領主や将、その従者達が立ち寄っていく。王都の東方から来た者のほとんどがここを通るのだ。
 そのため公務用の宿舎も大きいものが建てられている。
 若い騎士がその入口で馬を降りた。
 宿の周りを囲む植樹には青い花がつく季節で、草の匂いのすがすがしさを感じながら、割り振られた棟へと歩いていく。
 所々で荷運びや清掃をしている女中とすれ違う。若々しい青年は、颯爽とした動きと、磨かれた武具に反射する陽光が、キラキラとして目を惹きつけた。彼女らは彼の好ましい容姿を嬉しそうに噂した。
「素敵な方……」
「カララ様というそうよ。コッドファーの港に駐留している第一軍団の副官だって」
「平民の出身らしいけど、信じられないわ。あんなに堂々とした方が……」
 それは、カララ自身も信じられなかった。剣の腕には自信があったが、満期引退まで働いて精々部隊長止まりだろうと思っていた。それが平民の限度だった。
 だがあの時の戦場で、全ては変わった。


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 耳鳴りがする。敵勢の猛攻は緩み、敵の帝国軍は遠巻きに陣形を整えつつあり、先程の剣戟の絶え間ない音が嘘のように、静かになった。遠くで帝国軍の黒い旗がゆっくりと蠢いている。
「くっ……。こんな場所で死ぬものか」
 上に圧し掛かっていた帝国兵の死体を除けて、一人の若年の兵がヨロッと立ち上がった。激戦で防具を固定するベルトが断ち切られ、無防備に肩や胸をさらけだしていた。返り血がぬるりと腕を伝う。剣を持つ手だけ拭き取った。
「覚悟!」
 背後からの声にハッとした。咄嗟に剣を構えた。わずかに柄を握り損ない、剣はキーンと高い音を上げて弾かれた。
 すぐさま敵を視認する。相手は馬を走らせスピードをつけて寄ってきていた。馬蹄の音に気付かないほど集中力がなくなっている。
 もう終わりな気がした。敵が口の端で笑う。
「なんだ、雑兵か。まあいい、死ね!」
「……!」
 目を瞑った。
「ぎゃあー!」
 痛くない。目を開くと、自分に狙いをつけていた敵が、足もとに落馬してきた。その目には矢が刺さっている。主を失った馬の嘶きが聞こえて、振り返った。
「どう、どう」
 暴れる馬に軽い足取りで近づいて、手綱を取った男がいた。煌びやかな武装から、将軍クラスの者だと分かる。片手に弓を持っていて、敵兵に矢を放ったのは彼だと気付く。味方のようだ。
 鼻を撫でられた馬は一瞬大人しくなり、その隙に彼は馬の背に飛び乗った。光沢のあるマントが翻る。その凛々しい姿に兵は見入った。そこらの騎兵の馬が、名将の馬に様変わりしたようだった。
「君! どこの隊の者だい」
 彼がこちらを向いて声をかけてきた。逆光で見にくいが、整った顔立ちに思えた。
「は! 西方軍三十三部隊所属、カララと申します」
「王国軍のメジュ将軍の軍団か。彼の兵は一時後退しているみたいだけど、はぐれたのか」
「恥ずかしながら、少し気絶していたみたいで……」
「あはは、私もはぐれたんだよ。強い敵に囲まれて。何とか死地を脱したんだが、馬から落ちてしまい、手頃な馬を探していたんだ」
 彼はカラッとした声で笑った。距離はあるが、まだ敵に囲まれているというのに。
「今から敵中を突破して、私の軍に戻る。ついてくるか」
 他に味方がいないのでは、応と答えるしかない。それにこの男の自信ありげな態度に、生への希望を感じた。
「よろしい。私はニザ家のシザリ。頼むぞ、カララ」
 聞いたことのない名だった。王国の将軍ではなく、同盟軍の将かもしれない。
 シザリは背の矢筒から数本矢を取り、突破するべき敵兵の薄い地点を見据える。カララはハッとして、弾かれた剣を探した。
「これを使え。行くぞ」
 シザリは腰に差した二本の剣のうち長い方を抜いてこちらに放る。剣はカララの足元に突き立った。金色の細工が美しい剣だ。それを掴んで、カララは騎乗したシザリと共に走り出した。

 当然、敵兵がわらわらと走り寄ってくる。シザリは連続して矢を放つ。全て敵の急所に命中し、敵の足は鈍った。シザリは馬も弓も休ませず、高速で射ちながら向かっていった。まっすぐ走るカララに比べ、シザリは馬を旋回させつつ進めた。
(俺の速度に合わせてくれている)
 騎乗のシザリより、歩兵のカララの方が倒しやすいが、敵兵はシザリの煌びやかな武装に目が眩んでいる。明らかに将軍クラスの首だからだ。
 カララの方にも敵が来た。二人。カララが足を緩めず走り寄ると、敵は間合いが狂ったようだ。躊躇する。そこを一気に踏み込んで斬りつけた。返す刃でもう一人を……、だがすでにもう一人はシザリの矢を受けて崩れるところだった。カララはシザリの方に顔を向けた。シザリは自分に纏わりつく敵をサーベルで薙ぎ倒しつつ、カララの視線に気づいて、余裕の笑みを浮かべた。背にゾクッと震えがはしった。
(俺は守られているだけか。足手まといなのか? 嫌だ。彼を無事に……!)
 剣で敵をかき分け、どうにか彼に近づく。
「私が先を行きます! シザリ様は弓で援護をお願いします!」
 シザリはカララの提案に驚いたような顔を見せ、すぐに破顔した
「ああ、そうしてくれると助かる」
 カララは前を向いた。すでに耳鳴りは感じない。
(シザリ様の盾となる!)
 覚悟を決めて走った。

 信じられなかった。
 必死で剣を奮い、今、敵の黒い旗の下を抜け、ニザ家の赤い旗の下に生還していた。
「帰ったぞ! 我が軍は何人残っている!」
 シザリの呼び声に、女性の指揮官が前に出る。
「五千です」
 と簡潔に言った。将がいなくなっていたわりに良く戦っていたようだ。
「よし! その数とこの位置なら帝国軍の側面を衝ける。進撃だ!」
 シザリの大音声が響いた。
 情けないことに、カララの意識はそこで途切れる。次に起きたのは、王国軍及び同盟軍が勝利を掴んだ翌日になってしまった。


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ニザ家の後継ぎ、シザリの帰還を助けたということで、あれから上層部の目に留まるようになり、カララはトントン拍子で出世した。この若さでの第一軍団副官就任は有力貴族並だ。
 そういえば最近シザリの方も、ニザ家の主になったそうだ。
 カララは下を向いて腰に佩いた剣の柄を眺めた。軽やかな金細工の高貴さが、あの人を思い出させる。それをギュッと握る。
 どうやらこれは宝剣の中でもよほど高価なものらしく、ある人からはカララの給料の十年分に当たる値で買うとさえ言われた。もちろん断った。これ以後カララがシザリに会える機会など十年経ってもないかもしれないのだから。

 宿舎の広い敷地を進む。だが突然足を止め、次いで全力で走りだした。その先にいたのは、
「シザリ様!」
 彼が振り返ると、白いマントがはためいた。カララはそのマントに触れる目前まで走ってきて、前のめりに急停止する。
「カララ、久しぶり」
 シザリは驚いた顔を和らげて微笑んだ。走ってきたカララの頬は少し赤くなる。
「顔が赤いような。今日は少し涼しいからあまり薄着しない方がよろしい」
 シザリは首を傾げて、カララの頬を撫でた。
「そ、そうですね。気をつけます」
 彼の長い指のサラッとした感触が頬に残る。
(素敵だ……)
 確か同じ年齢のはずなのに、雰囲気がある。この高貴な男性と会う度、カララの背にはゾクッとしたものが走る。
「シザリ様も都に行かれるのですか」
「ああ。新王にご挨拶に伺う」
「お一人のようですが」
「マリアとラトレイを随行させている。彼女らは部屋で休んでいるよ」
(マリアさん……、シザリ様と会った戦場でニザ家の指揮官をしていた人か。しかし……)
「ニザ家の当主たる方の供が二人だけ?」
 一般兵だった頃は知らなかったが、出世してそれなりの情報網を手に入れると、ニザ家がどれだけ王国にとって重要な相手か分かる。
 所領は王国の五分の一にもなろうかという大きさで、南の境界は王国、北の境界は大国ピオスに接する。王国とピオス国が険悪になると、ニザ家がどちらにつくかで全く状況が変わる。ピオス方面の国境の安全は、ニザ家との関係に懸っていると言える。
 ニザ家は、明るく堂々とした当主のシザリからは想像できないが、秘密主義で、友好国の王国にも内情が分からない。
「あ、いや! 王国は治安が良い上、今は街道を軍が行きかっているため野盗も少ない。それほど供をつける必要を感じなかったのでね」
「それにしても……」
 カララは心配げに眉を寄せた。
「そうだ。都まで私が同道してもよろしいですか。配下の兵を三十人程連れていますので、いくらか安全になるでしょう。できれば帰りも一緒に」
「それはいいな。君と話もしたいし」
 シザリは笑顔で了承し、カララは心中で(やった!)と叫んだ。数日の間シザリの傍にいられる。
 陰でシザリの方も小さく「よし!」と喉の奥で言った。

「ラトレイ、聞け。みちみちの護衛がタダで手に入ったぞ」
 シザリは従者の部屋に入り、扉を閉めるなりそう言った。
「タダ? 怪しくありませんか、それ」
 男性の従者、ラトレイが首だけこちらを向き疑わしげに言う。
「怪しいものか、カララのことだ」
「ですが王都までずっと御同行なさるなら、カララ様に替えの旅装がないことがバレますよ」
 ちょうどこの部屋に来ていた女性の従者、マリアが冷たい声で答える。「ああ、そうだった」とシザリは天を仰いだ。
「軍人ならともかく、貴族がそれでは不自然ですよね」
「くっ、断ってくるべきか」
「カララ様ならいいじゃないですか、ニザ家の惨状を知られても。黙っていてくれますよ」

 ニザ家は今、大問題を抱えている。
 先代、つまりシザリの兄が散々散財したせいで、金が、ない。シザリがこれはまずいと、兄を放逐して、現在立て直しを図っているところだ。
 今回も旅費の節約のために、供の数を厳選して減らし、荷物を少なくした。だから道で強盗に襲われた場合、シザリ自身も撃退に駆り出される羽目になり、土や血で服が汚れてしまったのだ。
「王国とは現在友好的な関係にあるといっても、他国です。別々の利害がある。ニザ家に金がない、という状態を王国にどういう目で見られるか……。王国との関係が不穏になれば、ピオスも動きます。そのことをお忘れなきよう……」


「え、共に行ってくださらないのですか」
 翌朝、シザリはカララの止まっている宿舎の玄関に、従者二人と支度を終えた姿で現れた。朝霧が立ち込める早い時刻で、カララはつい先ほど起きたばかりだった。
「昨日ああいったのに悪いな。よく考えたら、こちらは全員騎馬だから、徒歩の者もいる君の部隊と一緒に行くよりも早いと思って。一応領主としてあまりニザ領を空けたくないからね、じゃ!」
 馬を軽快に走らせて、行ってしまった。
「……俺の隊にその程度のことで後れを取る軟弱者はいないのに。……。やはり危険だ」
 まだ眠っている者もいる宿舎の扉を大きな音を立てて開けた。
 カララが呼びかけると、三十人程の隊がすぐに整列した。隊長が進み出て全員が揃ったことを告げる。
「本日はニザ家の方とご一緒するのですよね」
「いや……、尾行しろ」
「! ニザ家の当主を狙う怪しい者でも?」
 隊長は緊張感を持って声をひそめた。カララは少し言葉を濁らせて
「いや、とにかく、尾行しろ」
 と伝えると、隊長は真剣な目でコクと頷き、隊列に戻った。
 カララは実直な彼の姿に心が痛んだ。ただでさえ、同行を断られたシザリにコソコソとついていくことを迷っているというのに。平民出身のカララは、任務外のことまで部下に押し付けるのは、心が咎めることがある。
 とにかく、都までの数日、カララの隊はシザリ達をべったりと追った。
 軍暮らしのカララは、旅装はなるべく簡潔にするものでしかないと思っているので、貴族のシザリが服の替えがないことなど気づきもしなかった。
 だが、それ以外の、妙なことに気づいた。


 丘の勾配を登り切ると、視界が開け、都が見えた。群れるような無数の建物の中心に、王都の象徴、城の天上塔が突き上がっているのが見える。
「昼には着けそうだな。早いうちに王との対面の予定を取り付ける。行くぞ」
 シザリの馬が緩い坂道で速度を上げた。マリアとラトレイもそれに合わせる。
「どうにかあれから強盗に合わずに来られたな」
「カララ様の隊が遠巻きに守ってくれていたから」
 ラトレイは驚いて振り返った。王都が近いため、街道には大勢の人がいる。その中に軍兵もいたが、自分達を尾行している者がいるかは分からなかった。
「マリアは気づいていたのか。じゃあ主は」
「主は……さあ、気づいていたんじゃないかな」
 ラトレイはマリアの顔を胡乱気に見た。
「だったら、カディティールの街で別れた意味がないじゃないか」
 旅装がずっと同じだったことは、遠目だったとしても、毎日見ていれば分かる。
「服ぐらいでニザ家の財政がわかるほど、カララ様がそちらの方面に鋭いとは思っていない。主が彼の前で余計なことを口走ってしまわないようにするため。主はカララ様をよほど信頼なさっている。言わずともよいことを話してしまいそうで怖かったから。
 主が、カララ様の隊がつけていることに気づいても、何も言わなかったのは、私の考えにも気がついてくれたからだと思う」
 ラトレイは面倒そうに頭を掻いた。


 ニザ家の主は丁重に城に招かれた。城内は廊下からして首が痛くなるほど高い天井まで、豪勢な装飾がされている。石造りの天井を支えるために、構造上いくつもの柱が立っているのだが、その全てに密な彫刻が添えられ、連なっている。ニザ家の宮殿の方がゆったりとしているが、この王宮も別個で魅力がある。
(住みたくはないが)
 王に会うと、彼の鬚のカットの仕方が変わっていた。
(前よりは似合っているかな)
 そんなことを考えながらにこやかに王と挨拶を交わした。


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