目次へ



 幕間






 永遠の命で永遠の命の彼を愛する。
 さて、どうなるのだろう。


---


 魔界にしか咲かない花がある。森奥の木陰に、淡い赤の花が群れていた。
(ベフィーナさん、大丈夫だろうか)
 魔界案内の途、カインが浮かない顔をしていると、フィアーが声をかけた。
「気にするな。アグラムもベフィーナリシアスキアも互いを理解し合っている。躾け程度のことしかしない」
「そう、ですか」
 その躾けが怖い。自分だったらあれで間違いなく死んでいた。
「気に入らないか?」
「そんなことありません。アグラム様やベフィーナさんのすることにとやかく言うなど」
「違う」
 カインは首を傾げた。
「お前が気に入るかと思って、ここに連れてきたんだ」
 花の景色のことか。
「あ、はい……! とても、綺麗です」
 カインは嬉しくなって頬を緩めた。フィアーの灰白い手が、その頬を撫でた。
(ああ……)
 カインは、その手に甘えるように、首を傾げた。
 もう花など見ていない。もっと美しいものに釘付けなのだ。元キシトラーム王国の貴族として、花の知識はそれなりにあるが、興味はない。これほど美しい景色ならば一時は目を奪われるが。
「そういえば、フィアー様。エディという方のことを教えていただけませんか。キシトラームにいた頃の私を知っているという……」
「私といる時は私のことを考えていろ」
「え……」
 カインは呆気にとられた。
「お前の口から他の者の名を聞くのは、気分が良くない」
 特に、自分が知らない頃のカインを知る者など。気分が良くない。胸が……痛みを感じる。これはどうしたことだろう。
 カインはクスッと小さく肩を震わせた後、
「はい」
 と頬を染めて、答えた。
「フィアー様のことだけ考えています」
(人の世界を捨てた今の私には、フィアー様以外の者のことなど、聞いても大した足しにならないだろう)
 フィアーのことに関してなら、飢えるほどの知識欲を持っているが。
 フィアーはカインの頬を撫で続ける。もう片方の手は、引き寄せるようにカインの腰に。
「花よりも、赤みが差してきた」
 カインは触るほど体温を上げていく。
「フィアー様に触られたらそうなってしまいます」
 恥ずかしげに顔を伏せた。敬語でありながら、文句のような、甘ったれたような口調。
「では、もっと触ろうか」
 フィアーの手が触れると、その部分のカインの服が灰のように崩れ落ちた。そして、直に肌を滑る、フィアーのサラリとした手。
「あ、あの、ここでは」
 外で脱がされるのは。
「では……」
 帰ったら、と耳元で囁かれた。



「胸の痛み?」
 レトラアノーは、黒い街の屋根の一つに座って、フィアーの話を聞いていた。カインは今、館で眠っている。
 レトラアノーはどうやら話に興味を持ったようで、赤い片目が楽しげに動いた。
「骨抜きか」
「何のことだ」
「いや、別に。そうそう。お前、ペニスはあるか」
 レトラアノーはいつもの飄々とした調子で訊いてきた。
「ある」
 質問の意図が分からないが、とりあえずは答える。
 人型魔族で括られているとはいえ、たまに変形はいるので、確認しなければ分からないものだ。
「それでカインのケツの穴を貫くといい。お前もカインも、大抵の胸のつかえはスッキリする」
 フィアーは、相談相手を間違えたと思った。まあ、話す機会のある者が少ないので、選択の余地が無いせいもあるのだが。
「性交というやつか。人間はそれが好きらしいが、契約者となった今ではカインには必要のないものだと思うが」
 寿命がないのだから子を作る必要がない。そのため契約者になると性欲が薄くなるものだ。もちろん逆に、力を手に入れて興奮状態になったり誇示したくなったりして旺盛になる者もいるが、カインはそうは見えない。
 レトラアノーは吹き出した。フィアーは正論を言ったと思うのに何故笑うのか。
「カインは幸せなのか、不幸せなのか、分からないな」
「いつも幸せそうに笑っている」
 いつもの感情の抑揚の分からない声で答えた。だが、レトラアノーの言に苛立ちと、また胸の痛みを感じた。
「ならば幸せなのかもな」
「一貫性のない……。真面目に答えているか」
「聞いて思った事をそのまま答えているだけだ。真面目だろう」
 ……レトラアノーを理解することは私には無理だ。
 レトラアノーは大きく息をついた。
「実のところ、私はお前とどっこいどっこいに他者の心を理解するのが苦手だ。今、頭が混乱しそうになっている」
「始めからそう言え」
 やはり相談は無駄だったか。
「まあ待て。だがな、この街にこもりっぱなしのお前と違って、交流は広い。答えを出してくれそうな奴を教えてやる」
 レトラアノーが教えたのは、フィアーも名は知っている魔族だった。



 黒の街から南西―天険。
 時を止める力を持つ、物知りな老魔族に会った。彼は、人伝てに聞いた過去だけでも尊敬に値する男で、会った印象も話しやすいものだった。
 彼は、穏やかに笑って言った。
「その男と一緒にいる限りきっと度々その胸の痛みが訪れるよ」
「では、この痛みを治すにはカインと離れるべきなのか」
 胸の痛みがさらに増した。
「いいや……、もう手遅れだろう。彼を失ったときこそ、激痛に苛まれるだろうよ。私としては、度々の小さな痛みを乗り越えていくことをお勧めするね」
「対処法はないのか」
「そうだね。まずは……」
 フィアーはいつになく不安を抱えながら、老魔族の言葉を傾聴した。


「お帰りなさい」
 カインは、眠りから覚めた後、そのままベッドの上で本を読んでいたようだ。フィアーが部屋に入ってくると、本を置く。フィアーがベッドに座ったので、上半身だけ起こしてベッドからは出なかった。


『まずはそのカインという者の目をじっと見て』


 じっと見つめると、カインは不思議そうに見つめ返してきた。心なしか頬に赤みが差している。
(温かそうな色だ)
 カインはこういう赤色が似合う。
「どうなさいました? フィアー様」
(この後、どうするのだったか)
 フィアーは老魔族の言葉を思い出していた。


 老魔族はいたずらっぽく笑った。
『じっと見ながらお前さんが微笑んで、彼も微笑み返してきたら痛みなど吹っ飛んでしまうよ』
『? そんなことでか』
『ふふ、試してみるといい。きっと効くよ』


(『笑う』……)
 フィアーはカインを見つめたまま考え込んだ。意識してしようとすると難しいものだ。
「…………」
 あまりに見つめるもので、カインが困ったように笑った。その笑顔が可愛くて、フィアーの頬も緩んだ。
 それを見てカインは少し驚いたような顔をした。そして、今度は柔らかく、嬉しそうに笑った。
(カインの笑顔だ)
 フィアーの胸の中に残っていたもやもやが、すっと温かいものにすりかわった。
―ああ、この感覚が)
 フィアーは老魔族の知識に感心するのであった。


 最後にもう一つ、老魔族の言葉を思い出した。
『たまに、バシュレザークフィアー、お前も歪んでいるのではないかと思うよ』
『私が』
『ああ。……歪みというより、変わり者程度の、小さい小さいものだがね』
 老魔族は穏やかな微笑みを浮かべていた。


 カインに視線を戻すと、口づけを望んでいるような眼差しがあった。
 それに魅せられて、老魔族が小さなものと言っていた言葉は、頭から消えた。
(温かい……)
 頭も、胸も……体も、
「カイン」
「フィアー様……」
 カインの吐息が揺らした空気は、特別な響きがした。この心地よい温もりが欲しい。
 いや―、火傷するぐらい熱くても、構わない。
「カイン」
「フィアーさ……、……!?」
 カインの温かさを、熱い唇で奪った。

〈終〉