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 番外編  薔薇の四阿






 季節は夏に向かい、赤い荒野に降りそそぐ日差しは、日に日に増していく。
 居住区一階の広いテラスは、リューが設けた蔓の屋根によって過ごしやすくなっていた。


「はい。もらった食料のお返しだよ。ありがとう」
「おおー、すごい量だな」
 テラスのテーブルには携帯食料の他に、果物も置かれている。
「他にくれた人にも返したよ。あ、ノートも、預かってくれていたフィルド様から受け取ったから」
 リューがガグルエの都に入る前に、ロッダは他の任地に異動していた。今日は久しぶりの再会だ。
「この果物高いやつだ。本当にお妃様になったんだな」
「えへへー」
 リューがポーズをきめると、夏用の薄手のローブがふわっと跳ねる。
「兵士たちの間で、嫉妬深いお妃様って噂になっていたぞ」
「うう、忘れてほしい……」
 城に入った時、リューは勘違いをして、衆目の中アージュへの独占欲を丸出しにしてしまったのだ。
「噂、そんなに広まっているの?」
「そりゃあもう。あの日は皆、興味津々だったからな。”陛下が遠い国まで単騎で迎えにいった。きっと傾国の美貌に違いない”って噂で持ちきりで、沢山の人が集まった分、すごい速さで広まっていたぞ」
「けいこくのびぼー……? えっと、他にも変な噂があるの?」
「その噂はもう消えたから大丈夫」
「そっか。よかった」
 リューはほっと胸を撫で下ろした。

「嫉妬深いって噂もなくなってほしいな。アージュ様を信頼しているから、もう嫉妬なんてしないよ」
「ふーん。ところでこの食いもん、陛下にねだったのか」
「あ、正確にはね、アージュ様にベルニルの実の管理権をおねだりして、その収入で買ったの。販売、育成、輸入、贈答、ぜーんぶ僕を通さないといけなくなったんだよ。けーざい的にはささやかな規模だからって、すぐ許可してくれたんだ」
「……浮気できないよう首根っこ押さえていやがる」
「僕の分の実を確保するためだよー」
 リューは朗らかな笑顔を見せたが、ロッダは胡乱げに見つめ返す。
「本当か?」
「……だって」
 リューは不満を白状した。
「アージュ様、聞いていたよりずっとモテるんだもん」
「モテなかったのって王子の頃だろ。王位から遠いと思われていた上に、お姿や魔力が恐ろしくて。けど王になったら……、あー、王になってもずっと軍旅の中だったし、軍の休息日も政務があっただろうから、そんな暇無かったのかな。それで王都に長くいる今、急にモテだしたと」
「……ふていのやからが絶えない……。アージュ様の休息日は全部僕が埋めとかないと……」
「不穏な空気を醸し出すな。それと陛下が妾や妃には優しいって知れ渡ったのもあるかもな」
「そうなの?」
 アージュはとても優しいけど、確かにそのことはあまり知られていないかもしれない。残虐な魔獣王という噂の方が圧倒的に広まっていた。
「何がきっかけで知れ渡ったっちゃったんだろう」
「城門前でのお妃様の焼きもち爆発を、嬉しそうに受け止めていたからだろう」
「うわあっ」
 自分のせいだと知り、リューは頭を抱える。
「あと俺が知り合いにあのノートの絵を見せて回ったせいもあるかも。すぐにフィルド様に取りあげられたけどな。妾のためにあんな絵を描いているのが知れ渡ると、威厳が無くなるって」
「それでフィルド様がノートを持っていたんだ……」
 ロッダを恨みがましく見る。
(アージュ様みたいな素敵なひとが優しく先生してくれると知られたら、羨ましがられるに決まっている)
 モテる要因がぽろぽろ出てきて、リューは困ってしまった。


 楽しい時間を過ごした後、ロッダはバッグに食料をまとめた。
「じゃあ、当日楽しみにしているな」
「うん!」
「女物着るのか」
「んー、どっちでもないような感じだったよ」
「良かった。笑ってしまわないで済みそうだ」
「なんだよー」


 ロッダを見送り、リューは建物内へと入った。
 自室へ戻ろうとして、ふと衣装部屋の扉を開く。
(ロッダが話題に出すから、また見たくなっちゃった)
 煌びやかな服が飾られた部屋。リューは男で、しかも作業着ばかり着るので、衣装係の話によると、歴代の王妃の衣装部屋よりもずっと地味らしい。
(こんな夢みたいな部屋が僕のためのものなんて。信じられない……)
 いまだに入るたび、物語の主人公になった気分になる。

 部屋の奥に進み、続き部屋に入る。
 中央に飾られた白く輝くローブ。リューの体つきに合された凹凸の少ないシルエットの上で、細やかな刺繍が光を散乱させている。
「…………」
 リューは幸せな溜息をついて、何度も見た花嫁衣装に再び見蕩れた。


 仕立て屋を呼んだ日を思いだす。

「恋愛小説では、お婿さんは当日までドレスを見ないものってありました」
「そうなのか?」
 アージュが訊き返す。部屋に布地を広げている仕立て屋が、
「ガグルエでもそういった風習の家が多いかもしれませんね」
 と教えてくれた。
「じゃあ、アージュ様、廊下にいてください!」
「分かった」
「ええっ、陛下を廊下に……?」
 大人しく部屋の外へと向かうアージュを、仕立て屋がおろおろと見送る。
「あの、王妃様。これでは陛下が……」
「そうですね。どういう服か気になるでしょうから、僕が声でちょっぴり教えてあげます。ねー、アージュ様ー」
「ありがとう」
「……そうではなく……」

 仕立て屋はとても手早く着せ替えてくれる。焦っているようにも見えるのは気のせいだろうか。
「あのね! この服は後ろで留めて、リボンになっているのです」
 仮留めした服について、廊下にいるアージュに説明する。
「いいな。リューの可愛いうなじに似合いそうだ」
「っ……、それでね、胸には花をあしらうんだって」
 アージュが話を聞いてくれるのが楽しくて、リューは何着も試す。
「王妃様……、どれもお似合いですが、そろそろお決めになっては……」
 仕立て屋が廊下の方を気にしながらリューに訊いた。なんだか顔色が青く見える。
「リュー、気に入るまで何度でも試していいぞ。他にも何店か呼んでもいい」
 会話が聞こえたのか、アージュが声を掛けてくれた。
(もしかして、僕が気に入らないから、なかなか決めないんだと思われちゃったのかな)
 リューは反省した。
「どれも素敵で気に入っているのです。舞い上がって、ついいっぱい試してしまいました」
 並んだ服に向き合って、じっと見る。そしてその一つに目が留まる。
「これ、もう一度着てもいいですか」
 着せてもらって、鏡の前に立つ。
(……うん)
 他と比べて少し簡素だけど、リューにしっくりと合っていた。
「これでお願いしたいです」
 自信を持って、仕立て屋に告げた。


 仕立て直されて届けられた衣装の前で、リューは椅子に座って長い時間眺めていた。
(これに決めてよかった)
 王妃のために、より煌めく布地と精緻なデザインになっている。
「アージュ様の衣装も楽しみ」
 リューはアージュの衣装を見ていない。
 アージュはリューの衣装選びには楽しそうに付き合ってくれたが、自分の衣装には興味がないようだった。正装を新調するだけだからと、リューの知らないうちに臣下に注文させていた。
 すでにその衣装は城に届いているようである。リューはせめてもの楽しみに、見ないでおいている。

「リュー、またこの部屋にいるのか」
「アージュ様」
 アージュの声が聞こえて振り返るが、そこには姿は見えない。
「衣装があるんだろう。当日まで見てはいけないからな」
 隣の部屋で足を止めてくれたようだ。リューは立ち上がり、隣の部屋に向かう。
「おかえりなさい。お仕事終わったんですか」
「ああ、早めに終わったから、急いで帰ってきた。リューがテラスを出てから、部屋に戻らないから気になって」
 ロッダと会うことはアージュに伝えていて、場所と時間もきっちり決められていた。
 リューの居場所はアージュなら指輪の魔力を辿れば分かる。それに王の居室の扉はリューには重すぎて開けられないので、指輪に反応して開くようにしてくれた。扉が開いたかどうかは魔力でアージュに伝わるようだ。
「ごめんなさい。ロッダと話している時に衣装の話題が出て、また見たくなったのです」
「いいんだぞ。リューは好きなように過ごして。私が勝手に気にしているだけだ」
「ふふ、アージュ様がいつも見守ってくれていると思うと安心しちゃいます」
 そう言うと、抱き上げられて頬ずりされる。ふわふわ、幸せ……。
「ねえ、アージュ様、おねだりしてもいいですか」
「ああ、なんでも言ってみろ」
「式が終わったら、少しまとまったお休みが取れると言っていたでしょう。アージュ様とピクニックしたいです」
「そんなささやかなことでいいのか」
「僕にとっては一番の幸せです」
「リュー……」
「アージュ様……」
 四つの目がリューだけを映す。ゆっくりと瞼が閉じられて、リューに口付けをくれた。柔らかくて、ほんのりと熱を帯びた吐息。
(ふっふっふ。これで今月のアージュ様の休息日は埋め尽くしたぞ)
 アージュには誰も近づけさせはしない。


 夕食を共に過ごし、少なめに盛られているとはいえ、全ての皿を空にした。
「いっぱい食べたな」
 アージュが頭を撫でてくれて、
「ほら、ベルニルの実」
 ご褒美のデザートを食べる許可が出た。
「わーい」
 アージュがひと房ずつ剥いてくれて、リューの口に運んでくれる。にこにこと頬を膨らませていたら、
「ふっくらしてきたな」
 その頬を撫でるアージュの指にどきっとした。ゆっくりと頬を滑り、首筋から鎖骨へと下りてくる。
「……元の体型に戻りましたか」
 夢現の表情で、アージュを見上げながら訊ねる。
「ああ。式の頃にはきっとな……」
 鎖骨から手が離れ、また頭を撫でられた。





 本宮の広間を覗くと、皆が式場の準備で忙しそうにしている。
 リューは落ち着かない思いを抑えられず、庭園に走った。
「明日……」
 風除けのために室内で育てられている苗。風に耐えられるくらい育ってきたものを運び出し、庭園に地植えする。何度も何度も往復して、それでも飛び跳ねそうな疼きは治まらない。
「結婚式だ……」
 あの衣装を着て、アージュの隣に立つ……。
「……っ」
 くるりと回って、苗木に水を振り撒いた。

「リューくん」
「フィルド様……と、アージュ様!」
 振り向くと二人がいた。立ち上がって、土埃を手で払う。
「リューくんが城に入ってまだ数か月だというのに、本当に緑が広がりましたね」
 フィルドが辺りを見渡す。
 フィルドには”リューくん”が呼びやすいようで、結局それで定着した。
「今までハーフノームを雇ったことはありますが、狭い範囲の維持がやっとだったんですよ。リューくんが植えた苗は、どれも順調に育っていますね」
「そうなのですか?」
 人族よりリューの方が植物と相性がいいのは分かっていたけど、ハーフノームや他の異種族と比べる機会はなかった。
「私の魔力との相性といい、リューは魔力が高いのかもな。……それに、誰よりも頑張っている。私の執務室からも、リューがせっせと陣地を広げている姿が見えて幸せな気分になる」
「……陣地?」
 フィルドが訊き返した。
「アージュ様の見る景色は僕が植えた植物で埋め尽くすって約束なんです」
「……へえ……、そうですか」
 フィルドは自分の腕を擦った。夏も近いのに、鳥肌が立っているようだ。
「風邪ですか。僕が作った栄養たっぷりの野菜ジュース飲みますか」
「リューは野菜も作っているんだ。どうしてかというとな……」
「いいです。聞きたくありません」
 言葉を遮られて、リューとアージュは惚気足りないという表情をした。
「そんなことより、リューくん宛てに苗が届きましたよ」
「え、今は何も頼んでいなかったような……」
「サンドラ侯からです」
「サンドラから? あ、セブの植物で乾燥に耐えられる種があるといいなって手紙に書きました。もしかしたら、それを送ってくれたのかも」

 アージュの妃になってから、リューはサンドラとの文通を許された。
 リューが手紙を書く時は、アージュが読んで助言をくれた。サンドラから手紙が届いたら、うきうきと読み上げるリューに相槌を打ってくれる。
 セブは遠いのでまだ二往復しかしていないが、アージュに見守られながら、サンドラと楽しく交友している。

「贈り物が先に届けられましたが、サンドラ侯も今日この都に到着いたしました。お会いになりますか?」
「……!」
 リューはアージュの顔を見上げる。
「……会うなら今日がいいだろう。式の後は私との予定が詰まっているからな」
 許してくれた!
「はい、会います!」



 今度の来客はテラスではなく応接間に招く。
「サンドラ!」
「リュー、久しぶり」
 妙齢の女性を招くには、テラスは日差しに溢れ過ぎている。
 そのかわり―。
「久しぶりです。あの、サンドラ、アージュ様も同席するのだけど……」
 壁際に大きな椅子が置かれて、そこにアージュが座っている。
「聞いているわ。大丈夫」
 リューとサンドラは応接間の中央のテーブルを挿んでソファに座った。
「顔色良くなったね。安心した」
「少し焼けてしまったわ。夏に来る国ではないわね。馬車だとしても日差し対策に気を使ったのに」
 ほんのり赤らんだ頬は可愛らしいと思うけれど、女性の美容意識からすると望ましくないようだ。
「リューは相変わらず元気そうね」
 サンドラはリューが酷く痩せた時期を知らない。
「いえ、それ以上に……、なんだか綺麗になったわ。全身から幸せで溢れているよう」
「……! うん、幸せでいっぱいなの」
 サンドラはやっぱりリューのことを分かってくれる。
 式って大好きな人が来てくれてすごい。
 リューは横目にアージュを見る。縁者のいないリューのために、ロッダとサンドラを呼んでくれたのだ。

「苗ありがとう」
「私は何もしていないわ。セブの政務官に伝えたら、出発前に用意してくれたの」
「親切で物知りって、サンドラが手紙で褒めていた人だね」
「……っ。というよりあなた! 手紙の内容の確認はガグルエ本国でしてちょうだい。王妃への手紙なのにあの人が読むとは思わなくって、恥ずかしい思いをしたわ」
 怒っている口調だけど、これは戸惑っているだけの反応だ。
「もー、素直じゃないなあ」
 くすくす笑うと、サンドラに睨みつけられる。その視線から逃げて、ふとアージュを見ると、なんだか思案顔をしていた。

 窓辺に移動して、庭園を眺める。
 リューがガグルエに来てから作業してきた場所を順に伝えた。
「本当だわ。あの辺りだけ緑」
「植えはじめたばかりだから、もっと広げるんだ」
「平気なの? リューが世話しなければいけない範囲が増えてしまわないかしら」
「一度増えれば大丈夫だと思う。まだ一年過ごしていないけど、この風や湿気の様子なら、もともと草原くらいは自然に維持できる気候だと思うんだ」
「草原……」
 赤い大地を眺めながら、サンドラが呟く。
「途方もない夢だわ」
「そうかなあ……」
 手を動かしただけ着実に、思った以上に増えているから、リューは案外簡単に感じている。
「気軽な気持ちでしているから、あまり無茶している気がしないのかも。絶対叶えたい夢はもう叶ったから、今は叶ったらいいなっていう夢に向かっているだけ」
「絶対叶えたい夢って?」
「……アージュ様のお嫁さん」
 ほんのり頬を赤くする。惚気るのは好きだけど、サンドラに話すのはなんだか勝手が違う。ロッダと仲良くなったのは、リューがアージュの手によって大人になった後だけど、サンドラとは子どもの頃から一緒にいたから。
「本当、幸せそうね」
「……うん」
 心から喜んでくれるのが、心から照れくさい。


 程々に時間が経った頃、サンドラの方から退出の意を示した。
「明日楽しみにしているわ。……陛下、お招きくださりありがとうございます」
 サンドラは感情の読み取れない声で、アージュに向かい臣下の礼を取った。
「……妃のために長旅ご苦労だった。感謝する」
 アージュもまた淡々と返した。
 部屋を出ていくサンドラに、リューは小走りでついていく。
「サンドラ、来てくれてありがとう……」
 遠い遠い、ガグルエの真ん中まで。
「リューは弟のようなものだもの」
「……僕がお兄さんだよ」
「あら、本も読めないのに」
「簡単なのなら読めるようになったもん。サンドラの方が食べ物の好き嫌い多いから子どもだよ」
 張り合っているうちに、玄関に着き、階を降りる。
 夕刻の風が涼しくて心地良い。
「埃っぽいわ」
「土が草で覆われたら改善されるよ。サンドラが持ってきてくれた苗も、きっと役に立ってくれる」
「大変な土地ね。私がセブを出発した時は、道端が花で溢れていたわ」
「うん。今頃すごいんだろうな。庭で摘んだ花をサンドラに贈ろうとしたことがあったよね。いらないって言われたけど」
 ピシッと後ろで音がした。リューは振り返ろうとしたが、その前にサンドラの口から、
「あったかしら、そんなこと」
 と疑問が聞こえた。
「……サンドラは覚えていない気はしたけど、あったよ。タンポポを贈ろうとしたの」
「タンポポは花ではないわ。雑草よ」
「花だよ!」
「雑草」
「は……」
「お妃様、お見送りはこちらでよろしいですわ。明日の式を楽しみにしております」
 リューの言葉を遮って、サンドラは優雅に礼をした。城の使用人に付き添われながら、城門の方へと歩いていった。

「もー」
 サンドラの後姿を見送ってから振り返る。玄関で待っているアージュに駆け寄った。
「アージュ様は花と雑草、どっちだと思いますか?」
「……雑草だ」
「むむ」
 複雑な気分だが、アージュがいうならそれが正しい。がっくりと肩を落とすと、
「私以外に花を贈ることも受け取ることも許さん」
 と言われた。アージュの不機嫌そうな様子に、リューは嬉しくなってしまう。
「けど、式会場は諸侯が贈ってくれた花で彩られているのでしょう」
 ガグルエは広いため、緑豊かな地も存在する。
「あれは私に贈られたものだ」
「今度は僕が嫉妬しちゃいますよ」
「では、二人に贈られたものだ」
「はいっ」
 納得したリューは、アージュと手を繋いで建物の中へと戻る。
「アージュ様、集まった皆さんの前では僕のこと甘やかさないでくださいね。頑張って立派なお妃様として振る舞いますから」
「分かった。今は二人きりだから甘やかしてもいいか」
「もちろんです!」
 リューが手を伸ばすと抱き上げてくれた。





 部屋に差し込む朝の光。
 リューが纏う白いローブが、鏡の中できらきらと輝いている。

 侍従に先導され、城の本宮へと向かう。
 階を降り、渡り廊下を進むと、本宮の入口で、アージュが待っていた。
「リュー」
「アージュ様」
 新しい正装。黒基調なのは変わっていないが、アージュの目の色と同じ赤色がポイントとなっていて、とても似合っている。
 見蕩れていると、アージュがリューへと手を伸ばした。リューの胸は込み上げてくる感動でいっぱいになる。少し目を潤ませながら、その手の上に手を載せた。
 アージュがその手を握り、少し背を屈めて、優しい微笑みをくれる。
「リュー、綺麗だ」
「……っ」
 微笑み返したら、細めた目から涙が零れてしまった。



 本宮の大広間。
 苛烈な光を遮る、閉ざされたドーム状の高い天井。
 様々な種族の参列者たち。

 王の結婚式は厳かで、静かに淡々と進行された。
 壇上にいる妃は、その隣にいる王の半分の背丈しかない。すとんとなだらかな薄い体に、凛とすました表情。精一杯背筋を伸ばしているが、華やかとは言い難い妃。
 けれど王の手で妃の頭上にティアラが置かれると、抑えきれないという様子で、少年のような微笑みが零れた。
 参列者のうち少なくない者が知っている。その純真な笑顔が、魔獣王を幸せにしたことを。

 小さな窓から風が通る。乾いた土の香りに、少しだけ、涼やかな緑の香りが重なっていた。





 挨拶を終えて、会食の途中。
 リューとアージュは少しだけ抜けさせてもらった。
「ねえねえ、アージュ様。こっちに来て」
 アージュの手を引き、リューは庭園へ向かう。
 純白の衣装を翻し、ティアラが落ちないよう押さえながら。
「どうした」
「ふふふー、こっち」
 赤い土の上を歩く。リューが植えた苗木を避けながら、緑の濃い場所に入っていく。

 そして、目的の場所で立ち止まる。
 草原にはまだ遠いが、確かに地を覆いはじめた植物。そこにこんもりと立つ、赤い柱。
「これは……、セブから持ってきた薔薇か」
「うん、四阿を作りました!」
 リューは先に四阿に入り、ベンチに座った。四阿の中は、日差しが少し和らいでいた。
 外にいるアージュに期待の目を向けると、アージュが真っ赤な薔薇のアーチをくぐり入ってきた。
 薔薇と同じ赤い目が、愛しげにリューを見つめる。
 アージュは座っているリューの前に跪き、その左手を取る。
 アージュがくれた赤い指輪の上に、口付けが落ちた。
「唇にしてもいいか?」
「はい」
 リューはアージュの肩に手をつき、目を瞑る。
 閉じた瞼の向こうで、日差しがさらに細くなる。頬に添えられた温かい体温。
 唇に触れる感触。
(アージュ様……)
 今日は何だか、涙がいっぱい零れる。
「リュー、私は今……」
「……はい」
「世界一の幸せ者だ」
 愛しいひとが、リューと一緒にいることを喜んでくれる。
「……僕だって、世界一の幸せ者です」
「一緒だな」
「はい!」

<終>