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【序】 禁忌の印と秘密の騒動






 魔法学園。
 魔法の国リリアンクにある、世界最高峰の魔法研究機関だ。
 その数多の研究室では、魔法使いたちが研究に己が知識を注ぎこんでいる。

 時に、禁忌にさえ踏み込んで……。





 学園に魔法灯が灯っていく夕刻。
 音も漏れぬ堅固な石造りの実験室に、光が溢れている。
 複雑な魔力層―。

 二人の魔法使いが魔法を操っているのだ。

「アッシュ。もう少しだよ」
「はい。アリエル様」
 眉目秀麗な二人の青年。

「これでアッシュは【隷属魔法】から解放される」

 黒髪に白い肌のアリエルは、右の手のひらに主の呪印。
 銀髪に褐色肌のアッシュは、鎖骨の下に奴隷の呪印があった。

 今その呪印は二人の肌を離れ、この実験室いっぱいに全貌を顕わにした。
 人の心と行動を縛る魔法を軸に、膨大な条件式、魔法自体を干渉から守る魔法……。
 それらの多重の魔法が、一つの超高等魔法を成している。

「よし、あとは消していくだけ」
 アリエルは気合いを入れ直す。
 一歩でも間違えば、術を掛けられた者にも、術を解こうとする者にも牙を剥く。
 それほど危険な解呪妨害の魔法が施されている。

「《守りの理よ。魔素へと―》」
「《拘束の理よ。魔素へと還れ》」

 「え?」
 アリエルの声に、アッシュの声が被った。

 ―効果を発揮したのは、アッシュの魔法だった。
 隷属魔法の抵抗を抑えていた魔法が四散する。

「どうして……?」
 何度も確認した手順と違う。
 今はアリエルの番だったというのに、アッシュが遮った。
(間違った?)
 アリエルが最も信頼する、天才的な相棒が?

―ッ」
 このままでは解呪を試みた二人は【跳ね返し】を受けてしまう。

 【反撃魔法】が込められた魔力層が蠢く。
 散った魔素を周囲から吸い寄せている。禁忌の魔法特有の、凶悪な魔素の吸引力で。

「この時を待っていた」

 だが、急に魔法の膨張が止まった。
「え……」
 魔力が、別の部分へと流れている。

(アッシュが何かした?)
 魔法は思念で構築するものなので、詠唱がなくても使える。

 アリエルは魔力の流れる先を観察する。
「あれは【対象】決定の魔法層……」

「《反転せよ》」

 空中に広がった呪印が輝く。
 主の呪印はアリエル寄りに、従者の呪印はアッシュ寄りにある。
 それが入れ違うように移動した。

―ッ!」
 それはアリエルの手のひらと、アッシュの胸にそれぞれ飛び込んだ。
 高濃度の魔力の熱。



 ようやく熱が収まった時、周囲の魔力層も消えていた。
「無事……?」
 アッシュはちゃんと立っている。
(よかった。けど)
 アリエルは手のひらの呪印を見る。
「失敗した……」
 ようやくアッシュを残酷な魔法から解放できるはずだったのに。

「ふふ」
「アッシュ?」
 どうしてか彼は笑っている。

「《アリエル様、椅子に座って》」
―!?」
 アッシュの声に反応し、アリエルは言葉の意味を捉えるよりも先に、体が動いた。

 実験場の壁際に置かれたビロード張りの椅子。
 アリエルの足は勝手に動き、そこに座った。
「《足を組んで、肘を掛けて》」
「は? わっ」
 踏ん反り返って足を組むという、およそアリエルがしたことのないポーズになってしまう。

「これは……!」
「アリエル様は僕の奴隷になったんだよ」
「!?」
 右手を見る。手のひらにくっきりと呪印が浮かんでいる。
 主の呪印ならば普段は見えなくなるはずだ。

「アッシュの意思で、主従を反転するよう操作したの?」
「そう」
「そんな。隷属魔法は失われた魔法。どうやって発動を……」
「隷属魔法そのものは発動していないよ。解呪を受けた隷属魔法の【元に戻ろうとする力】に干渉して、対象だけ書き換えたんだ」
―……」

 言うのは簡単だ。
 だが今回、二人は初めて解呪を試みた。危険を冒すのは一度きりにしようと、念入りな準備をして。
 つまりアッシュも魔法の全貌を見たのは初めて。
 ―アリエルとの約束を守っていれば。

「一人で、僕の知らない研究をしていたの……?」
「そうだよ」
「…………」
 アリエルは涙が滲みそうになる。

「僕を恨んでいるの?」
 アッシュと出会ったのは五歳の時。
 彼が奴隷になったのも。
 それから十六年も経ってしまった。

 可愛いアッシュが心健やかに育ちますように―。

 そう願い続け、たくさんの愛情を注いできた。
 けれどやはり彼の鬱屈は払えなかったのか。

「恨みはないけど、不満はあるよ。せっかく麗しの主人がいるのに、アリエル様はまるで命令してくれない」

「…………。え?」
 聞き間違いだろうか。

「だから命令するよ」
 真剣だったアッシュの目が、期待するかのようにきらめいた。
「アリエル様、―僕に思う存分、命令して!」
「おかしなことを言うのはやめなさい!」
 アリエルは思わず、𠮟責めいた命令を叫んだ。


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