影の恋 4
初めて宝を見た時、女の子かと思った。
お祭りの着物は男の物とも女の物とも見分けがつかない。煌びやかでふっくらした着物が、その子の体の小ささを強調していた。
そして、
「ごめん……」
鞠を当てただけで、泣いてしまったのだ。
「宝っていうんだ」
この子の母親は烙家の使用人で、泣き疲れて眠ってしまった宝を外の長椅子に寝かせた。
「若様。代理の子が来たようです。皆様広間にお集まりですよ」
「分かった」
綾が立ち上がって行こうとすると、彼女もこの場を離れようとしていた。
「起きた時、あなたがいないとまた泣くんじゃ」
「大丈夫です。この子は慣れています」
「…………」
目元を腫らした少年を見下ろす。柔らかい頬が、硬い椅子で潰れていた。
二人はその場を離れた。
と、綾だけまた宝の傍に戻ってきた。
「向こうの椅子の方が柔らかいよね」
寝ている宝を抱き上げる。この齢の子ぐらい抱き上げられると思ったが、着物がやたら重い。ふらつきながら屋内へ入っていった。
起きた宝はとても素直で愛らしい子だった。子供の相手は慣れていない
――、烙家の御曹司の前に、我慢のできない齢の子供を皆連れてこない。けれど宝の相手をするのは楽しかった。意地悪されて頬を膨らませる顔。自分の手から柑橘を食べる姿は、可愛過ぎて……。
(守ってあげたい)
この年下の男の子をもう泣かせないように。
「綾、何処に行っていた」
帰ると父に執務室に招かれた。
「……遠乗りに。陳に伝えてから行きましたが」
時間があれば宝に会いに行っている。宝と別れる時が、一番辛い。
「分かっている」
「では何か用が?」
「お前はこの家の跡取りでまだ子供なんだ。護衛を付け、一人で行動するな」
「子供に撒かれるものに護衛が務まりますか」
父は綾が気づいていたことに驚いて言葉に詰まったが、また続ける。
「お前を心配してのことなんだぞ」
「無用です。お話がそれだけならば失礼します」
遅く生まれた長男だからだろうか。両親の心配をいつしか重く感じていた。
商売も政治も武道も、他の子供より厳しく教えられている。だがどれだけ綾が習得しようと、実践する段階になると周りの大人が全て道筋を作っており、綾は一切のつまずきもなく綺麗な道を歩かされる。
(疲れた……)
あの小さな宝でさえ、大事な役目を失敗して泣いていた。
同い年のどの子より賢いと褒められるのに、自分はまだ何も知らないのではないかという不安が拭えなかった。
宝が親を亡くした。
様子を見に彼の家に行くと、驚く勢いで抱きついてきた。あまりに心細げな姿に、離すことができなかった。
(私が守ってやる)
夜に一人泣いているところを見つけてから、自分の部屋に呼ぶことが多くなった。すすり泣いてすがりつく姿は、見ていて切なく、ぎゅっと抱きしめて離さなかった。
そして最近は笑顔で甘えてくれる。
(可愛いな)
宝を慰めているのは自分なのに、宝が楽しそうだと、己の中の暗い思いも消えていった。
別の人間なのに、心が繋がっているような。宝の笑顔が、綾の心を握っていた。
(大切にしたい)
そのはずなのに、
「……」
自分の掌を見つめた。白い液体がひどく緩やかに垂れていく。
座っている寝台に目を落とす。愛しい子が穏やかな寝顔を見せていた。
「ごめん……、宝」
精通は罪悪感に満ちたものになった。
(守らないと……)
自分の欲望からも。
「宝を贔屓しすぎてはいませんか」
家臣にそう咎められるようになった。
「一番小さい子だから手間がかかるだけだ」
喜んで手間を引き受けているのだが、そういう言い方をするしかない。
大体、給金や仕事内容は子供相応のものしかやっていない。それ以外で可愛がるのは綾の個人的な交友だ。口出しされたくない。
「りょう様っ」
猫のように高い声。部屋に入ってくるなり、宝は当たり前のように綾の膝に座る。心地良い重さにくらくらした。
振り返りながら今日どんなことがあったか懸命に話している。
「ばたばたするな。落ちるぞ」
そんな声を掛けながら腰を抱き寄せる。
(細い……)
早く育てばいいのに。
そう思っていたら、皇帝と傾国の美女を題材にした詩を開いている。だがろくに意味が分かっていない。
美女のために政を傾け、国を統制できなくなった皇帝は愛する人を守れず捨てることになる。
たった一人しか見えなくなる気持ちは分かる。だが、自分なら相手を死に追いやったりしない。この世にたった一人見つけた、大切な人なのだ。
我に返ると、宝の首筋に印をつけていた。
「……っ」
唇が熱い。
宝は自分の首筋を見ようとして見えなくて、綾を見上げた。目が何したのと言っている。疑問がありありと浮かんだ幼い顔。
(早く、育って……)
別に今の宝と寝たいわけではない。快感より苦痛が勝るのは目に見えている。体にしても、精神にしても。手淫で不満は感じないし、その時思い描くのは、何年後かに宝がどう育つかだ。
だが、綾の心は焦っていた。こんなに綾を慕ってくれているのに、いつか女の子を好きになるのだろうか。今、摘み取ってしまえば……。
『奉公人を平等に扱うように』
今日当主にもそう言われた。宝といる時の他人の目が、だんだんと厳しくなっていく。これ以上は宝が悪く言われるかもしれない。
(離れたくない)
宝に消えない跡を残してしまいたい。自分のものだと、自分の帰る場所はここだという印にするために。
幾年経っても揺るがないものを。
たった一度の小さな過ちだった。口づけの痕が知られた。
「あの子とはもう会うな」
当主に呼び出される。その言葉に頭に血が上りそうになった。
(いや、非がある以上、これより立場を悪くしてはいけない)
冷静に言葉を選ばなくては。
「間違ったことをしたのは自覚しています。もう、二度と繰り返さず、あの子の良き兄分を務めます」
恋慕う感情は消せないが、隠そう。家人にも宝自身にも。今は傍にいられればいい。宝が育つにはあと何年も必要なのだから。
「駄目だ。お前の傾倒ぶりは止まることがない。挙句あのような幼き者に……。ここらで一度別れ、正しきに立ち返る必要がある」
「……宝を、どうするつもりですか」
「まあ、この屋敷で引き続き働いてもらう。まだ他に紹介できる齢ではないからな。ただお前の目につく場所からははずそう」
ある程度大きくなったら、他の仕事場に送る気か。
「仕事の外で会うことも許さん。特に夜中だ。住まいを持たせ夜は帰そう」
「住まいって……誰の家に」
「煮炊きや洗濯の手伝いをしているんだ。一人でできよう」
(宝のことをよく知りもしないで)
まだ甘えたい頃なのだ。それを一人にするなど、寂しいに決まっている。
「子供から親しき者を取り上げる惨さをお考えください。宝にはまだ甘えん坊です。甘える相手が必要なのです」
「お前は主家の立場を利用してあの子を慰み者にする気か」
「違います」
主従の拘束などない。純粋なあの子が懐いてくれたのは、心から愛を注いだからだ。他人に見せるよりも明らかに可愛い顔を、綾には見せてくれる。
宝の衣食を整えるのに烙家の財を分けてもらった。だがそれだけで宝の笑顔を買えたとは決して思わない。
どうして綾の宝への想いの、汚れた部分だけ声高に言うのか。
(違う)
綺麗な部分もあるのを見てくれない。
(理解してくれない。いつも……)
そう、いつも寂しかった。その寂しさを埋めてくれたのは、同じように寂しかった宝だった。
宝の親も宝が一人で過ごすのに慣れていると思っていた。
だが、数年間傍にいた綾には確信を持って言える。宝は甘えん坊だ。それなのに、聞き分けの良い子と思われていたのだ。
人は都合の良いように物事を見ることがあるが、それは我が子にまで及ぶものなのだろうか。
「違うものか。お前のやっていることはあの子供も、お前の名誉も傷つける」
(あの子供……)
この数年、住み込みで働いてきた者への呼び方だろうか。
「…………」
心に冷たい風が吹き込んだ。
当主は綾の弁明など聞かないだろう。
(この人の中で宝が悪者になっている……)
当主は幼い宝を御曹司の魔の手から救いたいのではない。綾が使用人の端っこでしかない宝に引っかかるのが許せないのだ。
(口では正義を語るくせに)
「お前は頭がいい。聞き分けてくれるな」
察しが悪ければ、こんなに苦い気持ちにならないのだろうか。
独り立ちを勧められ、宝は可哀想に狼狽えていた。偉い当主の前で嫌がる言葉も言えず、困り果てていた。それなのに綾は拳を握りながら何もしてあげられなかった。
(こんなことが、宝にとって良いはずがない)
主家の逆らえない勧めに、小さな宝が返事もできないうちに事を進められていた。
信じない。大切な人の名前を、あいつらの前では呼ばない。勝手に頬が緩んでしまうくらい愛おしい姿を、あいつらの前では見ない。
(いつか、宝を守る力を手に入れるまで……)
大人が宝の肩を押して部屋から出そうとする。行ってしまったら、これからは会えない。
(宝……)
心の中で呼びかける。
「……!」
宝がまるで綾の心の声を聞いたかのように振り返った。すぐに戸が閉められ、どうして振り返ったのかを確かめることは無かったが、それは綾に勇気をもたらした。
あの子は私をずっと思っていてくれる。
(信じている……)
拳を握る手を開いた。この力を振るうべき方角はちゃんとあるのだ。
(大人になるんだ)
烙家の跡継ぎに求められる大人の基準は厳しい。さらにただ大人になるだけではいけない。綾が求めているのは当主の意向を覆せる力なのだ。だがそれに早く近づけば近づいただけ、宝ともう一度共にいられる日が近くなる。
(宝は宝で大人になってくれればいい)
どう育ってもいいが、願うとするなら健康と、綾への好意が変わらぬよう。
目を瞑り、宝の顔を思い浮かべる。綾は溜息をついた。
自分の心が定まったは良いが、宝の方はどうだろうか。
(苦しそうだった)
当主の命令に戸惑っていたあの子を目の当りにして分かった。宝の幼さを。
綾にとって、宝に惚れてしまうのはどうしようもないことだった。だが今は忍耐しなくてはいけない時だった。愛欲を持って触れ、それを迂闊にも知られたことで、傷つけられたのは宝だった。宝には何の非もないのに、急に親しい人を取り上げられたのだ。
もし、両親が死んだ時を思い出していたらどうしよう。宝は今、自分が一人ぼっちだと絶望しているのではないだろうか。
翌日、宝の部屋に手紙を置いた。誰にも知られぬようこっそりと。
『私が宝ばかりを可愛がるから、今回のようなことになった。しばらく、もしかすると何年も傍に行くことができないかもしれない。本当にすまない。
だけど、私が宝を大切に思う気持ちは絶対に変わりない。宝も私のことを嫌わないでくれると嬉しい。できれば、変わらず好きでいてほしい。
宝、いつか必ず抱きしめにいく。
その時まで、体を大切にしてくれ』
宝からの返事は来なかった。渡しようがなかったのだろうと、あの頃は思っていた。
宝は引っ越しの荷物をまとめ、庭師から借りた宝でも使える大きさの手車の上に載せた。
彼は屋敷を見て、人影を探した。綾は見つからないよう窓の内側に隠れた。宝の目には泣き腫らした跡があった。
ようやく手車を引き、外へと向かった。あの門をくぐれば、宝は一人になる。
「私と同じだ」
宝がいなくなった場所で、戦わなければいけないのだ。
今思えば綾も子供だ。昨日今日で綾と宝の接触に当主はいつも以上に気を尖らせていた。見張られていたことに気づかなかった。
気づいたのは何年も経ってから。綾がひたすら宝の名を口に出さず、目に入れぬようにしていたので、手紙を盗った家臣が口を滑らせたのだ。家臣は昔話のつもりで言ったのだろう。
だが綾にとっては、その日のまま変わらない気持ちを、永く感じるほどの時間抱えてきたのだ。
(宝を、傷つけたままだった)
心がみしみしと音を立てた。
木々が風の音を立てている。鳥の鳴き声が大きくなり目をやると、小鳥が一羽、窓辺にとまっていた。見ているともう一羽飛んできて、二羽は寄り添った。睦まじく鳴き合うと、同じ方へ飛んでいった。
机から離れ、屋敷を低空飛行していく鳥を目で追った。
(いつもの時間だ)
外廊下を歩く人影。成人の髪の結び方をしているが、細く艶やかな揺れ様が、未だ少年の域を出ないことを示していた。
「あ」
宝が持っていた巻物の一つを転がしてしまい、横顔が少しこちらを向いた。しゃがんで拾う動作。
少しだけ眺められる時間が増えたことが、嬉しくてたまらない。遠くに見える小さな像に向けて、触れるように手を伸ばす。
「もう、いいだろう」
伸ばした指先が震えた。
奉公人達の口から漏れる宝の評判はこれといったものは無かった。ただ皆無意識だろうか、彼に任せた仕事は大丈夫という雰囲気を感じる。誠実で地道なだけの、素朴な青年だそうだ。
とはいえ他人から聞いても、あまり彼を知った気がしなかった。他人が発する言葉で、自分の記憶と、遠くから眺めながら重ねた夢想を消したくなかった。
「もう触れてもいいだろう……?」
綾の机に置かれた、烙家や黄藩、都の重要事の数々。当主は存命だが、実際取り仕切っているのは綾だ。
二人とも人より早く大人になった。大切な人と過ごす時を失って。
「宝……」
もう一度出会った時、大切な人に戻れるだろうか。
(……っ)
胸が痛む。幼い彼にしてしまったことが頭から消えない。
頭を振った。
(今やらなければいけないことは)
机に置かれた報告書を手に取る。
「常家の奴ら……」
黄藩の民が持つ土地を、常家の輩が強引に権利を主張していた。今回は民側にはっきりした権利書があったため、烙家の後押しで守れたが。
(民が不安になっている)
烙家の手が届かないことがあったら、民は常家に貪られる。その損害を軽微にするために常家の傘下に入らざるを得ない者も出るだろう。
黄藩での力は烙家が上で、信頼においては常家など並ぶべくもない。それでも何故彼らが強気に出られるかというと、都での政治工作の働きが大きかった。
烙家も貴族の一端として、宮廷との関わりには気を配っている。都の支援者や親類とのやりとりも密だ。彼らが政治手腕を振るう代わりに、資金や身を立てる土地を援助している。
だが常家はそれをはるかに上回る資金を注いでいた。常家は黄藩の他の地でも利権を持っている。資金はそこからきていた。
そこでは農民も商いも高い税に苦しみ、苦しみから抜け出すために、常家のならず者を頼り、乱暴に他人の良田を奪い、恐喝で仕入れ値を叩いた。
(黄藩をそうはさせない)
ここは宝の生まれ育った地だ。つたない馬術で愛しいあの子を連れまわし、可愛い表情をたくさんもらった場所だ。
(今こちらに足りないものは)
都での影響力。当主が健康であれば、彼が参内し、綾が黄藩を束ねる。またはその逆をした。もちろん今それはできない。……今後も当主には期待できないだろう。
(誰か他に力があり信頼できる者がいればいいのだが)
綾は髪を掻きあげた。思い浮かんだのは、
(鄭家
――)
鄭家の動きはよく分からない。当主は人格者だと聞くが、都との伝手は強くないようだ。それでも常家が手を出していないのは手を結んでいるのか、または常家が臆す何かがあるのか。烙家は友好を築きたいと思っているが、良い返事がもらえた試しがない。
(悠長なことはできないが、強引には事を運べない)
疲れることばかりだ。
「若君」
家臣を室内に通した。感情を見せない顔をしていた。良くない話だというのは分かっている。常家が攻勢に出てきてから、緊張感が途切れることはなかった。
「常家に我が主の病が死病だと知れたそうです」
常家は荒くれ者を雇うことが頻繁なため、入り込むのは容易い。この報告はこちらが用意した間者からだろう。だがこちらの情報が常家に漏れたのは何故なのか。
当主が病に臥せていることは本家にいる奉公人にしか伝えていない。ましてや死病であると知っている者はごく僅かだ。
「どこから漏れた」
「そこまではまだ」
「いくつか違う情報を流して、どれが伝わったかをみて情報源を絞り込めるか」
「かしこまりました」
事務的に指示を出した。だが、同僚を疑うのは辛いことだ。
「……頼む」
家臣は力なく笑ってから、部屋を後にした。
炙り出されたのは父に非常に信頼されていた奉公人だった。父が気を病まないよう、人知れず始末する。
(苦いな……)
ちょうど大事にしていた母の形見を失くした。気の滅入ることばかり続く。
仕事に手が付かず、庭を歩いて気を紛らわす。
その時だった。木の下にしゃがんでいる宝を見つけたのは。
周りを見回す。木々が取り囲んでいて、人目を遮っていた。
(話がしたい)
心の望むまま、一番の元気を与えてくれる子に近づいていった。
大切な時間を過ごした。二人っきりで、少しの間だったけど、彼をこの腕の中に
――。
綾が失くした紫水晶を、宝が後で届けてくれると言った。楽しみにしていたが、綾の部屋に届けにきたのは他の使用人だった。
落胆しながら、戸を閉めて椅子に戻る。寝台で寛ぐ黒猫、豆豆が綾の手の中の袋に興味を示した。
「これは駄目」
引き出しにしまう。豆豆は首を傾げて少しおねだりしてみたが、綾の反応がないと、すぐにまたごろ寝した。
「豆豆」
寝台に腰掛け、黒い毛並みを指で梳く。
「宝の髪、気持ち良かったよ」
豆豆は撫でられているうちに寝てしまった。
次の日、宝はもうすぐ時間になろうというのに仕事場にいなかった。気になって足を運んでみると、宝が早足で仕事場に入っていくところだった。様子を覗うと、いつものように一人。
(話しかけられる)
誰にも見つからないように、その部屋へと入った。
恐縮する宝に少しずつ近づき、彼の真意を探ろうとする。
「綾様は私のことを忘れてしまったのだと思っていました」
愕然とした。
(忘れる……?)
これほど想っているのに、遠くから見ているだけでは忘れているも同じことなのか。……その通りかもしれない。私は何年もの間、彼と離れていたのだ。
「覚えていてくださっただけで……」
彼が己の心臓を掴んでいる。それくらい宝の発する言葉が胸をえぐる。宝の想いはその程度だったのか。ただの、思い出なのか。
「……宝」
違う。
「夜になったら私の寝所に来てくれるかな」
宝は……。
――離さない。
人払いをした。静かな夜だった。
ただ一人、宝だけが綾の側に来られる。その事実に、綾の考えに察しがつく者達もいるだろう。
隠し続けた想いを、途絶えさせた関係を取り戻す。そして欲しいものを手に入れるのだ。
重臣は知っている。当主の病は回復の見込みはない。今、跡継ぎの機嫌を損ねたらどうなるか。
それに宝は、性別はともあれ、もう非難を浴びるような年齢ではない。
「綾様。宝にございます」
戸の外から、彼の声が掛かった。甘いばかりだった幼い声は、凛とした深みを持った。
その声が、今夜、他に漏れぬように。
つづく