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 角と秘薬 1






「こいつらを助けてやってくれ」
「人間の兵のことなど、知るか」


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 陽の光が、石の壁で囲まれた部屋に差し込む。室内の棚に所狭しと並んだ瓶や液体が、様々な色の光を反射した。
 部屋の中に人影がある。ボロウェという名の青年だ。髪色は透けるように明るい薄茶で、その間から、人間にはありえない、二本の角が覗いていた。女性の手ぐらいの長さで、山羊の角のように先が丸くカーブしている。
 有角人。魔族と人間の間の種族だが、魔族というには非力で、人間というには異形の人々である。

 ボロウェの前にはたくさんの硝子の瓶が並んでいた。
 硝子の瓶は珍しく、故郷のエトラにいた頃は一つ二つ持っているのがやっとだった。貴族が果実酒を入れるための贅沢品なのだが、透明度の高いものは薬の研究の場にあっても重宝する。医者だったボロウェは自分で作った新薬を入れては、よく眺めていた。
 だが今のボロウェは、エトラの片田舎で何でもござれの医者をやっていたころと違う。
 人間の世界で最強を誇るトネロワスン帝国の、宮殿住みの医者だ。

 エトラは一年前トネロワスン帝国の版図となった。攻め込んできた帝国軍にエトラの民は為す術もなく、ボロウェが診ていた病人が容赦なく殺され、自分も逃げ遅れて捕虜となった。
 だが有角人に伝わる人体蘇生術への理解を見込まれ、大国の宮廷医師という名誉ある職に就くよう命じられる。
 否とは言えなかった。エトラは帝国軍に囲まれている。


 ガチャリと扉が開く音がして、ボロウェの身の回りの世話を任されている助手が入ってきた。
「朝食です」
 声をかけられたが、ボロウェは振り向きもせず薬を溶かしていた。
「有角人様、いつから研究室にいるんです。睡眠は取りましたか」
 何の反応もしないまま、歳のわりに小柄な体を縮込ませ、薬を注視している。
「食事はちゃんと取ってください」
 助手は昨日の朝食の膳を置いて研究室を出る。
「私が眠ってなかろうと食事をしなかろうと、与えられた患者を診る体力さえあれば文句はあるまい」
 もう聞こえなくなってから、忌々しげに呟いた。

 部屋に光を投げ入れる窓を見上げた。庭に医師達の利用する薬草園があり、そこの植物の蔓が窓枠に絡み付いている。切って払った。
 ボロウェは研究室と隣の寝室の範囲だけで、ほぼ毎日を過ごしている。出かけるには必ず宮殿の兵士を付き添わせろ、と制限されているため億劫だった。鎧姿の兵を見るたび、血塗れの死体の転がったエトラを思い出す。それに兵士も、物珍しげな表情でボロウェの角を見るのだ。気にしない態度を装ったが嫌で仕方ない。





「快方に向かっています。あと三日薬を飲んで、半月安静にしていれば健康体に戻れるでしょう」
「素晴らしい! さすが有角の秘術だ」
 ボロウェは皇太子の寝室に呼ばれていた。皇太子は戦で肩から胸にかけての大怪我で生命は絶望的だったが、ボロウェの治療で助かった。集まっていた帝国の高官達が口々に喜ぶ。
「お大事に」
 そう言って薬をまとめ、部屋を出た。用が済んだので研究室に帰るのだ。背の高い兵士がその後に続く。

「お見事でした」
「?」
 低く重みのある声がかかった。後ろを歩いていた兵士だ。いつもボロウェの見張りをする兵士達は話しかけて来ないので、一度振り返ったが、また前を見て歩き出した。
「有角人様」
「何だ」
 また話しかけてきた男に不審の眼を向けた。常時と違う行動をする帝国人の前で警戒が生まれる。
 黒い短髪で、意志のある眉をした男前だ。印象に残りそうな顔だが覚えがない。ボロウェの見張りについたのは初めてだろう。
「もう一か所、見舞っていただきたい場所があります」
「……医療官からそのような命令は受けていない」
「貴方を必要としている患者がいるのです」
「他の医師に頼め。私には中途の研究があるんだ」
 にべなく告げ歩調を速める。それを男は、腕を強い力で掴み引き止めた。
「離―」
 ボロウェの口を手で塞ぐと、誰もいないのを確認して、彼を右の脇に抱えて走った。
「ン……! ウゥ……」
 抵抗するが有角人の非力さを男はものともしない。
「暴れるな。気絶させるぞ」
 ボロウェは黙った。目だけ必死に周りを窺い、この男の所行を止めてくれる者を探す。宮殿の裏口に兵士の姿があった。口を塞ぐ男の手に噛み付き、声をあげた。
「助けてくれ!」
「アネス将軍、早くこちらへ!」
「な、フガッ……」
 また口を塞がれる。その拍子にボロウェの医療道具が落ちたが、もう一人の兵士がそれを拾って男についてきた。宮殿の外に馬が繋がれていた。男はボロウェの手足を縛り、自分と一緒に馬に乗せ、ボロウェの体を己の腰に縄で括った。左肩に頭突きをすると男は小さくうめき声をあげたが、構わず馬を走らせた。そして人通りの少ない道を疾走する。何人かその勢いに驚いていたが、乗っている者の一人が縛られているのには気づかなかった。


 高く長い塀があり、その中に馬は駆け込んだ。広大な土地に殺風景な建物がぽつぽつ見える。トネロワスン帝国の旗があちこちに掲げられ、宮殿以上の数があるだろう。男は石造りの建物の前で馬を降りた。ボロウェの体も引きずるように降ろされる。
「大丈夫か」
「何を言っている! こんな誘拐のような真似しておいて!」
「元気そうだな」
 そうポツリと言うと、腕を引っぱり建物の中に入った。足を縛られたままで、中に入るなりボロウェは転んで地面に体を打ちつけた。
「アネス!」
「医者を連れてきた」
「連れてきたじゃないだろう! どうみても無理矢理じゃないか」
 中は広く薄暗く、質素なベッドが並んでいた。その上に黒ずんだ包帯を巻いた人々が横たわっていた。男に声をかけてきた怪我人が、上体を起こす。
「小さいな。子供じゃ……、角?」
「有角人だ。小柄だが医術の腕はある。重傷の皇太子を治していた」
「殿下はご無事なのか! 良かった……」
「何が良い。皇太子の治療に宮廷医師も軍医者も駆り出され、お前らは放っておかれているんだぞ」
「……それは……」

「! 待て、どこへいく」
ボロウェは棚の上にあったハサミをもぎ取り、縄から抜け出していた。それを男が見咎める。
「宮殿に帰るに決まっているだろう! 私は医療官に許された範囲以外動いてはいけないんだ」
「その前にこいつらを治してやってくれ」
「皇太子の軍にいた者か。ふん、帝国もたまには大敗するのだな。様はない。帝国の敵にはさぞ痛快だろう」
「……ッ!」
 男がボロウェの襟を掴んだ。
「アネス、やめろ!」
 怪我人が止めにかかる。ボロウェは喉元を締められながらも言った。
「アネスと……いうのか。違反者が……。官吏に訴えてやる」
「アネス、手を離せ! ……本当にすまない、医師殿。こいつのしたことは謝る。だが、どうか……くッ」
「バシェルア、大丈夫か!」
 ベッドから起きあがりアネスを止めにきた男が崩れ落ちた。包帯から鮮血が滲み出ている。アネスの手の力が弱まり、ボロウェは駆け出した。
「待て! 頼む、こいつらを助けてやってくれ!」
「人間の兵のことなぞ……知るか!」
 入口に、宮殿で医療道具の入った鞄を拾った兵士が立っていた。彼に近づき鞄をむしりとった。

 そして薬草を取り出し、バシェルアの近くに立った。
「この水はいつ汲んだものだ」
 水桶を指差す。
「あ、今朝汲んだばかり……」
 他の怪我人が答えたのを聞くと、バシェルアの傍にしゃがみ、包帯をハサミで切り、傷口を水桶で濡らした布でゴシゴシと拭いた。バシェルアはうめき声を漏らす。
「煩い。お前ら、ベッドに運んで押さえていろ」
バシェルアの体を支えていたアネスともう一人怪我をしていない兵士に指示した。
 ベッドに横たわらせ、傷の上に薬草を敷き詰めた。人間の医療ではあまり見ない種類の植物だ。ボロウェは自分の掌を舐めた。両手共唾をつけると、その手を薬草の上に置いた。とたんに薬草から湯気が沸き立ち、茶を発酵させるときのような青い匂いが立ちこめた。
「そのまま動くな」
 ボロウェは手を離し、今度は粉末の薬を取り出す。
「熱湯」
「え、ああ、食堂にもらいにいってくる」
 アネスが建物を出ていった。
(ここは病棟だと思っていたが、食堂にいかないと熱湯がないのか?)
 周りを見渡した。怪我人ばかりで看護に当たっている者がいない。
(皇太子の怪我があったからとて、ここまで人がいなくなりはしまい)

 アネスが水瓶に熱湯を運んでくると、ボロウェは他の患者も見て回っていた。
「遅い。しかも足りない。何十人分必要だと思っている」
「! わかった。すぐ運んでくる」
ボロウェの口調はきつかったが、アネスは喜んでまた食堂に走った。
 熱湯を土瓶をとり、少しだけ冷めた熱湯で濯いだ。
(皇太子に使ってから消毒していないが、外傷だし、まあいいか)
 土瓶に粉末の薬と湯を入れて、注ぎ口をバシェルアに銜えさせ飲ませた。有角人の医術は効果は抜群だが大ざっぱなところがある。
「お前の手当は終わりだ。寝ていろ」
 バシェルアは痛みが退いたようで、ほっと目を閉じた。薬草の熱や、ボロウェの乱暴な扱いで大量の汗をかいている。患者が一人なら拭いてやったが、放っといて他の患者の治療をした。


 夕刻になってやっと、総勢五十四名の患者の相手を終えた。重傷者だけでこの数だ。
「医療官にいなくなったことがバレていなければいいが……」
「仲間が口裏を合わせているはずだ。」
 病棟から出たボロウェにアネスが言った。
「ありがとう。……あんたのおかげで本当に助かった」
「気が向いただけだ」
「馬に乗ってくれ。宮廷まで送る」
「貴様に借りは作らん。己の足で帰る」
「借りじゃなくて礼だ」
「礼をされる筋合いはない。貴様に乞われたから治療したのではない。私の気が向いたからしたのだ」
「違うだろ」
「違わない。それゆえお前が私を誘拐した件もまだ片付いていない。だが私はお前のことなど考えたくもない」
「有―」
「訴えられたくなければ、二度と私に話しかけるな!」
 そう言って、軍基地の出口に向かっていった。
―……ごめん。……ありがとう」
アネスの声には振り向かなかった。


「医師殿は帰ったのか」
「ああ」
 バシェルアが目を覚ましていた。アネスは椅子を持ってきて隣に座る。
「有角人の術ははかりしれないな。もう傷が塞がっている」
 しおれた薬草をどけると、大きく傷の痕が残っているが、血は完全に止まっていた。
「魔族のような力だな」
「魔族ならもっとパッと治すんじゃないか。不思議な力も使っていたが、手順が見える分人間に近いと思ったな」
「まあどちらでもいい。……治ってよかった、バシェルア、皆……」
 アネスは涙を零して、バシェルアの肩を抱いた。バシェルアはその友人の頭をポンポンと叩いた。

「……今度の大敗で、帝国軍の救護はついに追いつかなくなったな。都に戻ってきても医者がいないんじゃ」
「今回はたまたまだ。次を大勝すれば医者などいらない」
「勝てるかな」
「何を弱気になっている」
「帝国の軍人になってから、ボロ負けしたのは初めてなんだ。弱気にもなるさ……。それに医師殿が言っていただろう」
『帝国もたまには大敗するのだな。帝国の敵にはさぞ痛快だろう』
 アネスはピクッと眉を動かした。
「あれがトネロワスン人以外の正直な気持ちだ。今まで従順なふりをしてきた国々、民族はどう出るか」
「あの有角人、皇太子を任されるほど医師として帝国に優遇されながら……」
「有角人は、山や森に身を寄せ合って、名声や贅沢と無縁の生活をしているという。帝国が与える優遇には興味がないんだろう。官吏に行動を制限されていることへの憤りの方が感じたな」
「なら何故宮殿に自分で戻ったんだ」
「他に有角人の仲間が宮殿にいるんじゃないか。そいつが人質になっているとか」
「そんな下衆な真似……」
「ありえるさ。今の皇帝は老い先短い自分に焦って、魔族のような不老不死の体を求めているって噂だ。真偽はどうあれ、有角人なら長生きする薬ぐらい作れそうだし、権力者ならそれを欲しがりそうじゃないか」
「そんな……」
 頭を抱えるアネスを、バシェルアは苦笑した。
「皇太子に伺ってみる。彼はお前らの恩人だ。もしそうなら、どうにかしてほしい」
「そうだな」





「なんでいるんだ」
「二度と話しかけるなと言ったはずだ」
 アネスは我が目を疑った。病棟に顔を出すと、昨日の有角人がいたのだ。アネスとは目を合わせず、兵士達の傷の経過を見て回っていた。
「誰か、包帯を補充してこい」
「じゃあ、俺が」
「お前はこの中でも一番重い患者だ。黙って寝ていろ」
 起き上がろうとしたバシェルアを叱咤した。
「でも傷は塞がったし」
「外見はよくなっても中はまだだ。傷は内蔵まで達していたんだぞ」
 アネスは青くなった。
(大したことなさそうに笑っていたくせに……、どれだけ痛みに耐えていたのだろう)
「分かりましたよ。アネス、頼めるか」
「持ってくる」
 アネスが奥の倉庫に向かった。ボロウェが睨みつけたが、バシェルアはそ知らぬ顔だった。

 ボロウェは患者を順に診ていって、バシェルアのベッドまで来た。
「俺も疑問なんですけど、何でまた来たんです」
「私が一度診た患者が治らないのは許さない」
「もう治ったよ」
「お前のような馬鹿ばかりだ、ここは。重傷だったくせにもう油断している」
「はは、手厳しい。ところで宮殿の方は……」
「見張りに口裏を合わせろと、薬を掴ませてきた。売れば相当の額になる」
「意外と俗なこともするんだな、有角人も。―そうだ。名前なんていうんだ」
「……ボロウェ」
「ボロウェ殿、いや、ボロウェって呼んでいいか」
「勝手にしろ」
「ありがとう、ボロウェ。ところで、皇太子殿下の容態は」
「問題はない」
「もうちょっと詳しく」
「……今朝、薬を与え傷の具合をみてきた。一週間ベッドから動くなと言った。お前と違い指示を聞くから順調に治るだろう」
「そうか」
バシェルアは心底安堵した表情を浮かべた。
「お前は五日動くな」
「ま、待って。都に戻ってからアネスに仕事肩代わりしてもらっているんだよ。あいつだって仕事があって大変なのに」
「それにしては誘拐を企てるなど暇そうだったが」
「そんなことないって! 殿下の副官だったから戦の後処理に相当負担がかかっているはずだ」
「……副官?」
「あいつ将軍。殿下の次の階級」
「あの馬鹿の親玉が?」
「馬鹿っていうか、まあ人に頼み事するのは苦手だが、戦場では強いよ。今回の戦では、アネスが殿をつとめてくれたから、殿下を逃がせたようなものだし」
「負け戦の殿を……。それであいつはピンピンしているのか」
「ああ、最強の騎士だ。帝都に帰り着いた直後はさすがにぐったりしていたが……、あ、アネス、お疲れ」
 包帯をかごに入れて、アネスが戻ってきた。何も言わず棚に置く。ボロウェも何も言わずそこから包帯を必要な数取り出していく。
「縫合糸」
 ボロウェが誰にいうでもなく呟くと、アネスがまた倉庫に向かった。


「遅いな、アネスの奴」
「糸が見つからないのだろう」
 椅子を立ち上がり、ボロウェが倉庫の方に向かった。バシェルアが驚く。
「動くな」
 バシェルアは釘を刺され、不安になりながらもボロウェが出ていくのを見送った。

「どっちの糸……、両方持っていくか」
「太いのだ」
「こっちか。あ、すまない。遅くなった」
「煩い」
 ぐっ、とアネスは顔が渋くなるのをこらえた。ボロウェはその顔をじっと見つめた。
(嫌な表情したのがバレたか)
 するとボロウェがそっと肩に手をのばしてきた。
―いッ……!」
「やはり。左肩を出せ。怪我しているだろう」
「いい。怪我などしていない」
 アネスの言葉など聞かず、ボロウェは衣服の留め具をはずして脱がせた。左肩に包帯が不器用に巻かれている。包帯をナイフで切ると黒くなった傷口があった。
「噛んでいろ。この汚い傷口をえぐる」
 そう言って倉庫の棚に置かれていたシーツをアネスの口に突っ込み、ナイフを傷口に立てた。
―!」
 ボロウェは腰に下げた鞄から薬草を取り出して咀嚼した。口から出して傷口に貼り、ガーゼと包帯で巻き付けた。
「こんな怪我を放っておいたままうろつくな。ウジでも湧いたら他の患者に迷惑だ」
「何故気づいたんだ」
「私が暴れてもびくともしなかったくせに、左肩を殴った時だけうめいたからだ」
「俺、殴られたか」
「話しかけるな」
 ボロウェは糸を持って倉庫から出ていこうとした。
「待ってくれ! 一つだけ。皆には怪我のこと言わないでくれ……」
「帝国人と必要ないことは話さない」
「……ありがとう」
 アネスが礼を言う前に、ボロウェは足音を立てて行ってしまった。


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