わがままな王様は歌を聴く
その国の王様は とても わがままでした。
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ここ数日、日が暮れてしばらくした頃、ペステランネの丘に歌声が響く。
ペステランネの丘では、坂道の両側に二階建てのアパートがいくつも並んでいる。赤い煉瓦造りの建物と、それに石灰を塗った白い建物の繰り返し。そんな通りが複雑に交差して、住人でも気をつけないと迷ってしまう。
住人の身分は雑多で、医者や教師などの平民ながらそこそこの地位の者、ちょっと金をけちっている貴族、六人の子供を抱える日雇い清掃夫や、田舎から出てきて憧れの都のレストランでただ同然の賃金で見習いしている若者、……。
この歌い手がどんな奴かわかりゃしない。
「低めの声だな」
(けど心地よい)
果実酒のコップを揺らしながら、窓の外から聞こえてくる歌声を聞く男がいた。
彼の名はイクサビア。王国一の貴族テルテタートン家の私人で、そこの兵団で大隊長を務めている。そこそこ良い給料で、そこそこ良いアパートに住んでいる。視界が開けたアパートで、星空と夜の街明かりが綺麗に見える。
イクサビアは手にしていたコップを置いた。
「探してみようか」
今夜は気分がいい。そんな気分にしてくれたこの歌声の主に拍手を送りたい。
窓から身を乗り出して、歌の方向を確かめる。
「でかい声だな」
すぐ近くから聞こえているように感じるくらい、歌声は大きかった。
「え……。……す、すみません!」
「は?」
歌が止まった。右を向くと、隣の部屋の窓が開いている。そこから、恐る恐る人が顔を出した。
「……うるさかったですか。すみません」
「隣だったのか。よく聞こえるはずだ。ん、って、男か」
優しい歌いぶりで、女だと思っていた。実際はイクサビアより少し年下くらいの、蝋燭の灯りのような色の髪で、そばかすがほんのりある普通の青年だった。女としたら低い声だったが、男にしては高い声が出ている方だろう。
(話している感じは普通だけど)
「文句を言われたことがないので、聞こえていないものだとばかり思っていました。すみません。次からは余所に行くようにします」
(いや、話し声も好きだな)
「いえ、構いませんよ。えっと、隣の……ピュゼットさんでしたよね。実は素敵な歌声がするなと思って、誰が歌っているか知りたくて顔を出したんですよ」
ピュゼットは褒められて顔を赤くした。その彼の向こう、さらに隣の部屋から、長い髪の女が顔を出す。
「ちょっとイクサビア! なにピュゼットさんの歌を邪魔しているのよ。私聞いてたのよ」
ピュゼットは後ろからの怒鳴り声にびっくりして振り向いた。その様子が可笑しくて、イクサビアは噴き出してしまった。
「あはは。どうやら、文句が一度も来なかったのは、聞こえてなかったせいではないようですね」
他の窓からも野次が飛んできた。全部イクサビアを非難するものだ。
「ピュゼットさん、もう一度歌ってくれますか。このままじゃ、俺、この辺の住人皆に恨まれちまう」
「あ、はい!」
イクサビアはにこにこしながらピュゼットの歌を待った。だがピュゼットは、皆に聞かれていたと知ると、緊張して何を歌うべきか戸惑った。
「ピュゼットさん」
イクサビアが声をかけると、彼は少し不安げな目を向けてきた。
「俺、三日前に歌っていた歌がいいです。騎士が姫に愛を歌う……」
歌を決めてもらって、ピュゼットは少し安心したように微笑む。イクサビアもつられて笑う。
「では」
ピュゼットは覚悟を決めたようで、夜空を見据えて歌いだした。あちこちで窓を開いてこちらを見ている観衆に目をやることは、恥ずかしくてできないみたいだ。
星を見上げながら歌いあげるピュゼットを、イクサビアはすぐ隣で見つめていた。
「本当にいいんですか。これからもここで歌って」
ピュゼットは歌い終わった後、律儀にイクサビアの部屋に来て謝っていた。玄関で話していると、ピュゼットをはさんで隣の部屋の長い髪の女、マレアが会話に入ってきた。
「そんなに遅くに歌っているわけじゃないし。ピュゼットさん、二、三曲で終わりにするでしょう。あのくらい。他にもっと迷惑しているやつ、いっぱいいるじゃない」
そう言って、マレアはイクサビアを睨んだ。イクサビアは苦笑いを浮かべてあさっての方角を見た。
以前、泥酔してマレアの部屋の扉の前で寝てしまい、その日運悪くマレアが恋人を家に連れてきて、イクサビアとの仲を誤解されてしまった、らしい。寝ていたイクサビアはよく覚えていないが、「ただの酔っ払いのくせに、無駄に顔がいいから! こんな仕事狂いの朴念仁と誤解されるなんて、あたし可哀想……!」と、後で散々文句を言われた。
「お二人はお知り合いですか」
「いやあ、まあ、同じアパートに住んでいればそれなりに……」
「そうですか」
そう言うと、ピュゼットは寂しそうに俯いた。はっと気がついた。同じアパートなのにイクサビアはピュゼットの顔もろくに覚えていなかった。小声でマレアに話しかける。
「お前、彼と知り合いじゃないのか」
「違うわよ。彼が歌い始めてからファンになったけど、壁の向こうに耳を立ててるだけ」
「そうか。なら……」
マレアとのひそひそ話をやめて、ピュゼットに向き直り、笑いかけた。
「ピュゼットさんとはあまりお話したことがなかったですね。今日の縁に、もっと深く知り合いたいな。どうでしょうこれから、歌のお礼に、私の部屋で。いい果実酒がありますよ」
「え、そんな、よろしいのでしょうか……」
戸惑ってはいるが、嫌そうではない。イクサビアは彼の手を取って、ぐっと部屋に引き入れた。
「ぜひ」
肩を抱いて奥に招く。
「あ、私もピュゼットさんと話したい」
「女の子が男の部屋に入っていい時間じゃない」
マレアには適当に言って、扉を閉めた。外で「イクサビアのごうつくばり!」と声がした。イクサビアは苦笑する。
(否定はできないな。彼を一人占めにしてるんだから)
窓の傍に椅子と机を寄せて、そこに、
「どうぞ」
とピュゼットを誘った。ここからは星空と街の蝋燭の明かりがよく見える。新しいコップに並々と酒を注いだ。ピュゼットがそれを口につける。
「本当に綺麗な歌声ですよね。どこかの劇場で歌っているんですか」
いつも歌っている選曲が、歌劇のものが多いためそう思った。歌劇となると歌だけでなく容姿や演技力もいるが、顔立ちは、そばかすだけ化粧で隠せば、好きな奴はいそうだ。イクサビア自身も、彼が歌う舞台なら、花束を持って駆け付けたい。
「まさか! 王宮で勤めていて、国王の秘書をしています。歌に関しては趣味程度の素人です」
王の秘書は、王の代筆や書類の整理など細々としたことをやる職で、現在は十人くらいいるはずだ。地位はそれほど高くないが、王と一緒にいる時間は長い。
「イクサビアさんは何をなさっているのですか」
「あー……、軍に勤めています」
少し返答に詰まった。正確には、貴族の私軍の指揮をしている。王にとって、貴族の私兵は、僭越で目障りな存在だ。王に仕えるピュゼットにとってあまり印象のいい仕事ではない。
「なるほど。それで立派な体つきなんですね」
嬉しいことを言ってもらい、イクサビアは照れた。だが頭は冷静で、仕事以外の話題に変えようと考えている。
「歌好きなんですか」
「好きといえば好きですけど……」
歯切れが悪い。
「毎日歌っているから、大好きなんだと思いましたが」
「やむえない事情がありまして……」
この国、チュリピフィーラ王国の当今の王は、一般市民にも旅人にも知れ渡っているくらい、わがままだ。
王がピュゼットの歌声を知ったのは、貴族達との宴でだった。興として何人か楽人以外が歌うことになり、たまたま歌ったピュゼットが貴族達に褒められた。自分の秘書を褒められた王は気を良くして、以来、ピュゼットを人前で歌わせることがあるらしい。
人の注目に慣れていないピュゼットは胃を痛くしながら、不安をふっきるために歌の練習に励んでいるらしい。
王のお気に入りというのも大変みたいだ。
「秘書を歌で評価されてどうしろってんだよ」
文句を言いつつ、イクサビアは笑いをこらえきれていない。正直貴族の私人のイクサビアにとって、王の奇行は他人事だ。迷惑な王だと思っていても、半分他人事だと思って楽しめる。
「そうですよね! 何故秘書の私が歌なんか。馬鹿にしてるんですか。陛下は私を馬鹿にしてるのですかっ」
あまり強くない酒だが、ピュゼットはできあがりかけていた。赤みを帯びた目もとで、イクサビアに詰め寄ってくる。
(いいなあ)
ピュゼットの素直で真面目そうな言動や雰囲気、それに加えて意外と親しみやすい人で、構いたおしたくなる。
(ごめん。王様の気持ち、少し分かってしまう)
答えないイクサビアを、不満げにピュゼットは見つめる。イクサビアは心の中で謝った。
ピュゼットは不満げに尖らせた口に、コップを運ぶ。それをイクサビアは取り上げた
「もうやめておけ。明日仕事は?」
「……あります」
それでもコップを欲しがる。イクサビアはコップを高く上げた。イクサビアの方がずっと身長があるためピュゼットには届かない。
だがピュゼットはそんな計算もできないようで、うーんと背伸びして取り返そうとする。彼の体をイクサビアは片手で引き離す。酔いでふらふらしている彼を転ばさないように気を使いながら。強くは引き離されないので、ピュゼットは酒のコップをあきらめない。イクサビアの後ろに回ってみたりしながら、くるくると手を変えて、イクサビアの周りを動く。
そんなのんびりした駆け引きをしているうちに、ピュゼットは眠くなって、目の前にあるイクサビアの腕の中に、トンと頭を置いて、そのまま寄りかかって寝てしまった。
王宮広場はチュリピフィーラ王国の創始、ホソト王の白い石造をはさんで、北に王宮、南に大貴族テルテタートン家の建てた豪華会館がある。
今日は南の館で宴が開かれる。テルテタートン家の主によっては、王宮で開かれる宴と競うように豪勢な宴を開くが、当代のアキアは比較的争いごとを避ける性格で、むやみに派手なことをしない。
普通の貴族は、会館の敷地の前の白亜の門の前で馬車を降りる。乗車したまま門をくぐり、左右に整えられた庭を抜け、会館に馬車を横づけできるのは、たった二人だけ。
まず、落ち着いた緑色の車体に植物紋の金の飾りがされた馬車が到着する。騎乗でその馬車を護衛していたイクサビアは、馬車の前で跪いた。
「到着いたしました。閣下」
従者の一人が馬車の前にステップを置く。主人が中から出てくる。
若くしてテルテタートン家の当主になったアキアは、優雅に地面に足をついた。黒地に銀の装飾を施した服に、いくつもの勲章。宴の主催者にしては地味な格好だが、名家らしい優美な振舞いがそれを補う。
出席者の婦人達が、入口付近に立ち止まったまま、彼に見惚れている。その横に馬車が滑り入ってきて、彼女達は小さく驚きの声を上げた。
赤と青の混じった車体に獅子の金装飾という派手な馬車。それに乗っているのは、もう一人の主役、わがまま王マレクトランである。
「国王陛下、到ー着ー!」
楽団がラッパを鳴らす。それと同時に三人の従者が金細工を施されたステップを用意する。両開きの扉を、上質の真っ赤なコートを着た二人の従者が、両側に分かれて同時に開く。馬車の内側は全面金が張られているため、馬車の中からきらきらした光が放たれた。
その後光を浴びて、ふんぞり返りながら馬車を出てくる、冠を頂いた男。彼が国王だ。ステップを降りる長い足の先に金の靴。立派に蓄えた二股の顎鬚。その堂々たる迫力のせいか、アキアと一歳違うだけなのに、五十歳くらいに見える。
「相変わらずすごいな」
アキアが呆れたように呟くのを聞いて、イクサビアは同意するように苦笑した。
「あんな面倒な演出を毎日する気力には、感心する」
この言葉は一応アキアの本心らしい。ただし、
「あれをもっと有益なことに使ってくれれば嬉しいのだが」
というのが一番の本心。
アキアは王に近づいて軽く挨拶すると、くるっと会場の方へと歩を進めた。イクサビアもそれに続こうとした。
だがその時、王の横に見知った顔を見た。
(ピュゼット……)
ピュゼットもイクサビアに気づいたようで、驚きに目を大きくしている。
あれから何度か話すようになり、ピュゼットと呼び捨てにするくらいの仲にはなったが、イクサビアがテルテタートン家に仕えていることは教えてなかった。
お互い仕事中のため声をかけられず、そのまま別々に会場に向かった。
「誰か気になる人でもいるのか?」
次々と貴族達に話しかけられていたアキアが、隙を見てイクサビアに声をかけた。
(よく気が付く人だ)
態度には出さないようにしていたつもりだが、アキアは部下の微かな違いをすぐに感知する。
「王の隣の赤毛、今日は歌うのかな」
イクサビアの視線の先のものさえ分かっているみたいだ。
「彼の歌を聞いたことがあるのですか」
「ああ、なかなかいい声とセンスを持っている。だが声がいつもかすかに震えているから、聞き苦しいかな。彼も王の被害者ということで同情するから文句は言わないが」
ピュゼットの大ファンであるイクサビアの胸は痛んだ。ペステランネの丘のアパートで歌っている彼なら、聞き苦しいなどと言わせないのに。声が震えるほどの緊張をするピュゼットを想像して、暗澹とした。
「閣下、お願いがあるのですが……」
「なんだ」
「文句を言ってくれませんか」
「どういうことだ?」
ピュゼットはちらちらと、テルテタートン家の主の方に目をやっていた。その側にいるはずのイクサビアを何度か見つけるが、すぐに彼の主を囲む人波に視界を遮られる。
(信じられない)
イクサビアが悪名高きテルテタートン家に仕えているなど。この会館も、不遜にも王宮に対抗するように建てられた。囲っている私兵も百や千ではない。
「ピュゼット」
社交会に供に連れてくる程度に、イクサビアは主のアキアに近い地位にいるのだろう。ピュゼットは憎たらしい笑みを振りまいているアキアを、遠くから睨みつけた。
「ピュゼット!」
「は、はい」
すぐ耳元で王が大声を出した。
「お前がそんな奴だとは思わなかった」
「……はい?」
王は鬚をつまんでピーンと伸ばしながら言った。
「アキアのことをジッと見てただろう。顔と愛想のいい奴に弱いのが人の常とはいえ、あいつは敵だ。悪魔だ。魔王だ! そう散々教えたはずなのに、あいつに目を奪われやがって。あいつよりも美男がここにいるじゃないか!」
王は胸を張って、自分に向って親指を突き立てた。ピュゼットは茫然と彼を見る。周りの取り巻きは、王に聞こえないように溜息をついた。
「まあいい。ほれ、時間だ。歌いにいけ」
王が楽隊の前のスペースを指さす。とたん、ピュゼットはかたくなった。ギリギリと痛む胃を抑えながら、歩を進める。
「失礼、陛下」
アキアが王の前に来て、ピュゼットは彼の"臣下"に止められた。
「陛下御寵愛の素晴らしい歌い手の出番の前に、どうでしょう、私の気に入っている歌い手を前座にしては」
前座などと言っているが、対抗しているのだとすぐに分かった。
周りはざわめいた。テルテタートン家が王家に喧嘩を売るのは珍しくないが、アキアはそういったことを避けてきた当主なのだ。二家の対立は王国の全ての貴族を巻き込む。アキアの方針の転換を人々は固唾を飲んで見守った。
「よかろう」
王は自信満々に頷いた。
「では。カラキノ、来なさい」
アキアに声をかけられて、少女が進み出た。白い細みのドレスに赤い髪飾りをしていて、いかにもか細い子だ。だが、歩き方はピュゼットのようにおどおどしたところがなく、すっと静かに楽隊の中心で止まった。
彼女が歌いだして皆驚いた。あの体のどこから出てくるのかというほど力ある声で、会場中に澄み渡る。
(閣下……、もう少し手加減してくださっても)
イクサビアは苦笑した。
カラキノは各国をその声一つで渡り歩いてきた、小さくても度胸の塊のような歌姫だった。ピュゼットとは、場数も、歌にかける執念も違う。
彼女が歌い終わると、拍手が巻き起こった。貴族たちを感動させたカラキノは、次に歌うピュゼットに、
「どうぞ」
と柔らかい微笑みを向けた。
「よし、行け」
王はピュゼットに声をかける。カラキノの歌などまるで問題にしていないようだ。それを見てイクサビアは、
(陛下も俺と同じピュゼットの歌の信者なのかもしれないな)
そう思うと、王に親近感が少し湧かないでもない。面倒極まりないファンだが。
だがピュゼットは茫然とするばかり。立ちすくんで、動けない。
「どうなさいました。王の歌い手様」
カラキノが眩しい笑顔で催促する。彼女はアキアに事情を聞いているはずだ。意外と意地が悪い。
「歌えないのですか。歌い手殿」
一段と意地の悪い男、アキアが話しかける。
「歌うに決まっているだろう! 何をしている、ピュゼット」
王がアキアを睨みつけてそう言う。三方から急かされて、楽隊の前に立った。
だが。
勝てないにしても歌えばいい。だがあんな歌を聞いた後で、声が、出ない。
王は歯噛みした。このままではテルテタートン家との対決に負けてしまう。そこで何を考えたのか……。
王が、歌ったのだ。
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それは呆れかえるほど下手な歌でした。
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王が歌い終わって、踏ん反りかえって彼は会場を見回した。全員あまりの下手さに呆然として、拍手するべきなのに固まってしまっている。その反応に、王は顔を真っ赤にした。
「もう歌なんかしらん! 今後俺の前で歌は禁止だ!」
そう喚いて帰って行った。
「大丈夫か」
イクサビアは、緊張が解けて腰が抜けてしまったピュゼットを抱き起した。彼は驚いた顔でイクサビアを見上げる。
「閣下、先に帰らせていただきます」
会場中の人間が王に気を取られているうちに、ピュゼットを外に連れ出してしまった。
王の前で歌を禁じられたため、大きな社交会では歌えなくなったこの国を、カラキノは何の未練もなく後にした。
彼女がいないと、またピュゼットが国一の歌い手になった可能性が高いのだが、誰も王の前でカラキノの名前を出せなかった。
穏やかな夕暮れ時。
ペステランネの丘で、いつもの歌が聞こえてきた。だがすぐに止んでしまう。
「どうした。歌ってくれないの」
隣の窓からイクサビアが声をかけた。ピュゼットは少しうつむいて、
「そういえばもう歌う必要はないんだと思って……」
寂しそうな顔で言った。
「俺は聞きたいよ」
「あたしも聞きたい!」
反対側の窓からいつものごとくマレアが声を上げた。
「えっと、それじゃあ」
また歌いだす。
(悲しげな選曲だな)
愁いをおびた横顔を、イクサビアはじっと見つめた。
そんな顔のまま一曲が過ぎていく。
(どうしたらまた、楽しそうに歌ってくれるだろうか)
そう考えている時、ちらりと下を見て、イクサビアは驚いた。
下から拍手が聞こえてくる。そこには落ち着いた緑色の車体に植物紋の金の飾りがされた馬車が通っていた。
「テルテタートンの……!」
「あはは、結構優しい方なんだよ。冷淡な時はとことん冷たいけどね」
あの社交会で敵対したのは演技だったのか。ピュゼットは安心して、目が潤みそうになった。
「……ありがとう。イクサビア」
ピュゼットが笑顔になって、イクサビアは嬉しそうにほほ笑んだ。
「あの、リクエストはありませんか。……これからは、あなたの好きな歌を歌いたい」
〈終〉