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 白昼夢






 まさに炎天下だった。
 真っ平らなコンクリートの上に、自家用車の低い背の列が何重にも並んでいる。
 その像が歪んで見える。
 駐車場誘導のバイトがこれほど過酷とは思わなかった。

 大型テーマパークは駐車場も広大だ。
 それが九十パーセント以上が埋まった。
 朝からきて夜まで遊べるテーマパークだから、昼は出入りが極端に少ない。今日は車中で休憩している父親もいないだろう。
 空の車の群れ。
 そこにぽつんと立っているだけなのだが、暑い。
 誰も見ていないのをいいことに、警備の制帽を斜めに被り、つばを日差しの方向へ向けた。
 白い半袖のワイシャツを借りたのだが、日光を遮る長袖とどちらが涼しかっただろうかと、延々と考えていた。

 利用者も、車に日差し対策をしてから遊びにいっている。
 窓全てにシートをしている車を、いくつも見掛ける。
 開園からしばらく経って、誘導はひとまず終わり、ここからは見回りの時間帯だ。
 車路の丁字になるところに立ち、時々他の丁字に移動する。
 駐車場には他に一人のバイトがいるはずだが、広すぎて見当たらない。

 事務所のテレビに天気予報が映っていた。
 うんざりするような気温が出ていた。
 昼前の交代の時、社員の人がテーマパークオリジナルの雨傘を買ってきてくれた。
 警備の制服を着た成人男性が、こんなカラフルな傘を差すのはどうかと思うが、ありがたく受け取った。

 事務所から出た途端、再び焼けつくような暑さが襲い、逃げたくなった。
 鈍い体を動かして、駐車場に戻る。

 静かで暇だった。
 こんな灼熱の下で車上荒らしが来たとしたら大した根性だ。
 傘を差してぼうっとしていた。
 暑さで景色が揺れる。

 にわかに、ドンドン――と何かを叩く音が聞こえた。
 辺りを見回した。
 すると音は止む。
 別の方向を見ると、背中の方からまたドンドンと音がした。
 こもった音で、どこかの車の内側から発しているように思えた。
 高めの、子供の声が聞こえた気がした。
 音はまたすぐに止んだ。

 子供の置き去り――そう頭に浮かんだが、遊園地は子供を喜ばせるために来るものだろう。それはありえそうにない。
 ただ、事があったら大変なので、辺りの車を覗いてまわった。

 ああ、猫か何かの可能性もあるか。そう思って、車体の下も覗く。
 それが悪かった。
 ぐらっと膝の力が抜け、視界が真っ白になった。
「――……あ」
 ぐるぐる回る視界。じっとしているとようやく落ち着く。自分が尻もちをついていることに気づいた。
 まずい。だめだ。交代してもらおう。
 だらだらと立ち上がり、事務所に向かう。
 アスファルトに反射する白い光が、やけに眩しい。視界を埋め尽くされそうだ。

 ドンッとすぐ側で音が聞こえた。
「…………」
 音の方向、左に振り向く。
 この車だ。音の方向、左下と感じたんだ。

 車は全面に日除けカバーをしていた。下の方に結び目がある。
 ……しゃがまないと取れないな……。
 また意識が飛ばないよう呼吸を整えて、膝を曲げる。
 これだけで一気に息が荒くなるが、なんとか堪えて結び目を外した。
 カバーに隙間ができる。そこをめくり、中を覗きこんだ。
 窓ガラスが白っぽく汚れていて、ツヤツヤと反射する太陽光が瞼を重くする。

 誰もいなかった。
 前も後ろも運転席のペダルまで見えたから、問題ないだろう。

「なんだ……」
 またふらふらとカバーを結び直した。
 ドンドンという音の間隔がさらに短くなるが、どうでもいいや。
 事務所に戻ろう。


 事務所で冷房に当たりながら水を飲んだらすっきりした。
 仕事に戻れそうだったから戻ると言ったら、バイトの皆で交代の間隔を短くしようという話になった。
 駐車場に戻っても、音はもうしなくって、夕方の元々の上がり時間に帰った。





 その日の夜、閉園後も置きっぱなしの車があったそうだ。
 ちょうど定期的に通報している日だったから、即日警察にナンバー照会を頼んだ。
 調べたところ盗難車で、指紋検出すると中にべったりと子供のサイズの指紋と手形があったそうだ。どこもかしこも、特に窓には全面を埋め尽くすような手形が。
 シートの染みになるほどの汗もあり、そのDNAも採取したらしい。

 一週間後、指紋の主が分かったということで、警察が訪ねてきていた。
 小学校から男子生徒の行方不明について相談があり、指紋と照合したそうだ。

 バイトが出勤してくると、長椅子が置かれたコーナーに呼ばれ、何やら警察に訊かれている。
 自分の番が回ってきて、机の上に写真が並べられた。
 小学生くらいの男の子の写真が五枚。
 見覚えのある子はいないか訊かれる。
 刑事ドラマで見たことがある。本命は一人で、他は関係ない子だろう。
「…………?」
 一人、見覚えがある子を指差した。
 警察がピクリと反応する。
 あれ、でもどこで見ただろう。顔にはすごく覚えがある。けれどどこで会ったかまるで思い出せない。
 悩んでいると、同じ子の別の角度の写真が差しだされた。
 もう一枚あるということはこの子が本命だったのか。
 今度は正面向きの顔。
 この写真の方がしっくりくる。……誰だっけ……。

 自分が思い出そうとするのを、警察は待っている。
 ある区や駅の名前を言われ、行くことがあるかと訊かれるが、首を振る。
 良かったら指紋を提出してほしいと言われ、素直に差しだした。

 思い出せないので、またバイト終わりに訊きに来てくれるらしい。
 席を立って着替えに行こうとすると、事務所のテレビに見覚えのある駐車場が映った。誘拐された子が、誘拐犯の移動中に衰弱して死亡したようだと言っていた。詳しいことは調査中だそうだ。



 あの覗きこんだ車……。
 あそこには、誰もいなかった。
 そう、誰も……。

 子供の苦しむ顔が、はっきりと浮かんだ。
 手形で白く汚れた窓越しに、汗を流し、目を見開いてこちらを見ている。

 あれ、どっちだっけ。

〈終〉