お見合い結婚




天気予報では傘マークばかりが埋め尽くしているにも関わらず、まるで場違いのように一日だけある晴れマーク。
そんな日に、サツキは学園時代の友人である清一郎の家に劣らない日本料亭に居た。
静寂の中、カコン、と獅子おどしの音が響く。
朝から振袖を着せられ、眼鏡は駄目だとコンタクト入れられたサツキは両隣に座る父親と母親を見て、思わずため息をつきそうになる。
母親は着物、父親はスーツだ。そして斜め横には父親の会社の社長夫妻が座っている。
何でこんなことに、と朝から何度も渦巻く問いに頭を悩ませながら、サツキはその発端となった数日前を思い出していた。



空には今でも雨を落としそうな厚く重い雲がかかり、太陽をその背に覆い隠している。
雨の降らない内にと、専門学校を出たサツキは足早に帰路を急いでいた。
学園を卒業して、一年と少し。服飾系の専門学校に進んだサツキは毎日を忙しく過ごしていた。専門学校というだけあって、課題も多い。
その上、憧れの淳ヒカリのファン代表まで任せてもらっているのだ。
普通に大学に進学した親友のマコのサポートがなければ、きっと自分にはファン代表なんて勤まらなかっただろう。
忙しいけれど、とても充実した日々をサツキは過ごしていた。
学園時代の友人とは時折会う程度で、頻繁に顔を合わせているのはマコくらいのものだ。
三年生の時に、半ば騙されるように入部した演劇部の面々は、歌劇団にいるユキが時折連絡をくれるくらいで他の三人がどうしているのかサツキは知らない。
唯一、清一郎だけはテレビで元気な姿を見かけるくらいだ。
「皆、元気にやってるかな……」
何となく、学園時代の彼らを思い出して小さく呟けば、ぽつりと冷たい滴が頬に落ちる。
「あ、降ってきそう……!」
家まであともう少しという距離でついてない、と思いながらも、サツキは慌てて駈け出した。
一端降り出してしまえば、本降りになるのは早い。
酷くなる前になんとか自宅の玄関に駆け込むと、サツキはほっと息を吐いた。
「なんとか間に合った……」
服は若干水を含んでしまっているものの、湿った程度だ。息を吐いて、外に視線を向けると、ザァザァと激しい音を立てて雨が地面に打ち付けていた。
本当に間一髪だったらしい、とサツキはもう一度息を吐いた。
「お帰りなさい、サツキ早かったのね」
リビングから出てきた母親が子機片手に出てくる。
「ただいま……電話?」
サツキは靴を脱ぐと困ったように自分を見つめる母親に首をかしげた。
「ちょうどいいの、かしらね? 父さんから電話よ」
「え? 私に?」
珍しい、とサツキは思わず聞き返す。
父が単身赴任先から電話をしてくることは珍しくないが、サツキに用事というのは滅多にないことだ。苦笑気味に頷く母親から電話を受け取ると、サツキは耳につけた。
「もしもし?」
『元気か? サツキ』
聞こえてきた懐かしい声にサツキは思わず笑顔になる。
あまり家にいられない父からの電話に心なしか声が弾んだ。
「うん、父さんも元気そうね」
『あぁまぁな。 何とかやってるぞ』
それから近状を聞いてくる父親に簡単に学校の様子を話せば、『そうかそうか』と父親の満足そうな声が聞こえた。
「それで、父さん。私に用意って?」
一通り話した後、一向に話し出す気配のない父親にサツキは問いかけた。
『あー……、それがな』
ほんの少しだけ言い難そうに、父親が言葉を濁す。
そんな父親の様子に、サツキは首をかしげた。そして近い位置で父親の咳ばらいが聞こえる。
『サツキ、お前、恋人はいるか?』
「……え?」
問われた言葉に、一瞬思考が止まった。思わず間の抜けた声が漏れてしまう。
『サツキ?』
心配そうな父親の声に、サツキは一気に頬を赤らめた。
『まさか……いるのか?』
「い、いない! いないっ」
サツキの沈黙がどう伝わったのか、心配そうに再度問いかける父親に思わず声を張り上げてしまう。
学園時代は勿論、専門学校に入ってからも恋人なんて出来たことはない。
誤解されてはいけないと、思わず強く言ったサツキに横で母親が小さく溜息を吐いた。
『そ、そうか……。 なら問題ないな』
サツキの大きな声に驚いたのだろう。困惑したような返事の後、父親が満足そうに言った。
何がだろう、とサツキが疑問の言葉を発する前に、父親が話し出す。
『サツキ、お前にお見合いの話が来てるんだ』
「……え?」
お見合い、という言葉に再度思考が止まる。
「お、見合い?」
思わず確認するように聞き返せば、父親から『そうだ』と返事がある。
『父さんの取引先の息子さんで、年はお前と同じだそうだ』
どこか呆然としながら、相手の人のことを説明してくれる父親の声にサツキは口をはさめない。
父親に話を持ってきたその人の父親の話では、あまり女性に縁がなく心配だということらしい。
何故サツキなのか、というのはお見合い相手の父親がサツキの父親を大変信頼してくれているから、という事のようだった。
けれど、そんなことを聞かされても、納得など出来る筈がない。
「父さん、私……!」
そんな初対面の人とお見合いなどできない、とサツキは漸く声を上げた。
お見合いと言えば、確実に結婚を前提において行うものだろう。
未だ専門学校で大好きな服飾を学び始めたばかりのサツキにとって、結婚など考えられなかった。
それに、朧げながらではあるが、将来の夢も見え始めてきた所だった。
『まぁ、お前も若いし、別にお互い結婚を前提にというわけではないんだ』
「え……?」
断ろうとしたサツキの声を遮るように、どこか軽い調子の父の声が聞こえてサツキは声を止めた。
『試しに一度見合というやつを経験してみるくらいの気持ちでいいんだ』
「それって……」
何かちょっと違わないだろうか、とサツキは眉を寄せる。
それを見かねたのだろう、母親がそっと耳打ちしてくれた。
「あのね、お相手の方というのが、父さんよりとても偉い人でね、断るのが難しいのよ」
苦笑気味に言われて、サツキは母親を見る。なるほど、だから父親はサツキを何とか説得しようとしているのだろう。
『すまん、サツキ。 まぁ、会うだけ会ってみてくれないか?』
受話器からそんな父親の声が聞こえて、サツキは小さく息をついた。
「……わかった」
そう言われてしまえば、サツキが断るなど出来る筈がない。
『そうか!』
嬉しそうな父親の声に、サツキは仕方ないなぁ、と苦笑する。そして、一応聞いておかなければ、と口を開いた。
「会った後に断るのは、大丈夫なの?」
『それは、多分あちらから断りがくるだろうから』
「……それって」
言外にサツキでは断られるのが前提ということだろうか。そう考えて、何となく複雑な気持ちになる。
昔から容姿のことは色々と言われ続けてきたけれど、実の親の言葉にほんの少しだけ傷ついた。
『相手の名前は、……あぁ、なんだったかな?』
サツキの沈黙など今度は気にならないように父親が言葉を続ける。
今すぐ通話終了ボタンを押してしまいたい気持ちをなんとか耐えながら、サツキは父親の言葉の続きを待った。
『確かお前達と同じ学園出身だった筈だ。 お見合いの写真や略歴は送っておいたから、そっちで確認してくれ』
初めからサツキにお見合いをさせる気だったのだろう父親の言葉にサツキは「わかった……」と力なく返事をした。
『今週末に、場所は改めて連絡をくれるそうだから、頼むぞサツキ』
励ますような父親の声にサツキは乾いた笑いを洩らす。元々断られるの前提なのだから頼むも何もないと思うのだけれど。
「……うん」
小さく呟くように声を返して、サツキは母親に電話を渡した。
どこか困ったような顔のまま母親はサツキから電話を受け取ると、そのまま話し出す。
サツキは疲れた気持ちで母親を尻目に階段を上がろうとした。
「っ……もう最悪」
その時、玄関が開きずぶ濡れのムツキが入ってきてサツキは慌ててムツキに駆け寄った。
「ムツキ、ちょっと待ってて」
サツキは慌ててタオルを持ってくると、ぼたぼたと水を滴らせるムツキの頭から被せ、水を拭ってあげる。
「ムツキ、傘は?」
「何とかもつかなって思って」
ムツキも別のタオルで服の上から身体を拭うと、しっかりと水を吸った衣服を持ち上げる。
拭くくらいではどうしようもない状態にサツキは、水が落ちない程度まで拭うと、ムツキを見た。
「お風呂入ってきた方がいいよ、風邪ひいちゃう」
「そうする」
暖かくなってきたとはいえ、ずぶ濡れになって冷えてしまったのだろう、ムツキもサツキの言葉に素直に頷くと、そのままバスルームに駆け込んだ。
サツキは水を吸ったタオルを手にしたまま、ムツキの姿を見送って小さく息をつく。
「お見合いかぁ……」
ほっとした為か、ムツキの帰宅で思考の隅に追いやられていた先ほどの話がふいに蘇って思わず口を衝いて出た。
お見合いといっても、先ほどの父親の話ぶりからすれば、そんなに大層なものではないようだ。
たぶん、少しだけいい服を着て顔合わせの食事をするくらいなのだろう、とサツキは考える。
「そうよね、断られるだろうって言ってたし……」
サツキ自身まだ結婚なんて考えられないので、それは問題ない筈なのだけれど断られるの前提というのが少しだけ複雑だった。
だからと言って、サツキの方から断りたいとかそういうわけではないのだけれど。
そこは複雑な乙女心というものなのかもしれない、なんて考えて小さく笑う。
「……今週末かぁ」
幸い、ステラの公演はまだ先であったし、ヒカリの送り迎えはマコにお願いすれば大丈夫だろう、とサツキは一応予定がないことにほっとしつつも、
少しだけ不安の残る今週末に思いを馳せた。


思い出して、サツキは溜息をつきたくなる。
大層なものではないなんて、とんでもない間違いだった。
連れてこられたのは、この周辺では間違いなく一、二を争う高級料亭だ。
その上、これ以上無いほど、身形を整えられてサツキはこの場に座っている。
ドキドキと心臓が煩く鳴り、サツキは帯に締め付けられてあまり吸えない息をできる限り吸って吐きだした。
落ち着かないと、と思えば思うほど、体が強張ってしまう。
もう一度息を深めに吸って、吐く。
相手はまだ来ていなかった。その相手に関しても、サツキは残念ながら全く知らない。
父親があの日送ったと言ったお見合い写真や釣書は、どれだけの確率なのだろう、郵便事故に合ってしまい残念ながらサツキの手元に届くことはなかった。
急遽帰ってきた父親自身にしても、簡単に目を通しただけで詳しいことは覚えていないという。
サツキに今分かっているのは、同じ年で、同じ学園に通っていたということだけだ。
同じ学園に通っていたと言っても、サツキの交友関係は広くない。
きっと相手は目立たないサツキのことを知らないだろうし、サツキも相手のことを知らないだろう。
そうは思っても、気は楽にならない。
もう一度息を吸おうとした所で、「失礼します」という女性の声が聞こえて、すっと襖が開く。
「っ……」
ひゅっと短く喉が鳴りそうになって、サツキは思わず息を止めた。
「すまない、少し遅れてしまったようだ」
歳はサツキの父親より少し上くらいだろうか。低く、柔らかな声の男性が笑顔で入ってくる。
「いえ、時間通りですよ日下部さん」
その声に仲人として呼ばれた社長がにこやかに応対した。
男性はそうか、と安堵したように息をつくと、ちらりと後ろを振り返って誰かを促すように足を進めた。
くさかべ、と呼ばれた男性にサツキは思わず視線を上げる。威圧感はあるが、優し気な風貌の男性には何だか見覚えがあった。
くさかべって……あれ?、どこかで聞いたことのあるような名前にサツキはどこで聞いたのだろうと思考を巡らせるが、緊張で上手く思考が働かない。
「早くしなさい」
呆れたように再度後ろを振り返る男性に、サツキは無意識に男性の後ろへと目を向ける。
「……っ、あ、あの……」
おずおずと父親の背中から顔を出した青年は、オーダーメイドだろうスーツに身を包み、普段は顔の半分を覆っている髪をしっかりと撫でつけていた。
視線を泳がせるその姿は、あの頃から成長していても変わらず、サツキは思わず息を呑む。
男性が青年をサツキの目の前に座らせ、サツキの両親と同様に青年の両親が彼の両隣に座る。
居た堪れないように俯いたまま正座する姿に見覚えがない筈がなくて、サツキはほとんど無意識に声をかけた。
「く、日下部君?」
口から出てしまった声に慌てて口を閉じる。
どうしようと思う間もなく、目の前の青年がはっとしたように顔を上げた。
サツキを見て、少しだけ目を逸らす、そして何度か唇が開いて、閉じた。
「……は、早坂……さん……?」
自信なさ気に問われて、サツキはこの状況に返事をすることも出来ずに目の前のお見合い相手であったハルと見つめあったまま固まってしまった。