お見合い結婚2




黙り込んでしまった二人を仲人夫妻が交互に見つめる。
ハルの横に座った父親らしき人は、頬を赤くして黙り込んだハルの横顔を見た後、サツキの方へと視線を移す。
「顔見知りでしたか」
ハルの父親の声に、サツキはハルの顔から視線を外し小さく頷いて見せた。
そんなサツキにハルの父親は満足そうに頷くと、俯いてしまったハルへ視線をやった。
「では、改めまして」
こほん、と小さく咳ばらいした仲人である父親の会社の社長が、サツキを向く。
「サツキさん。 こちら、日下部ハル君。 ハル君は先日新人小説家としてデビューしたそうだ。 そろそろデビュー作が本屋に並んでいるそうだよ」
男の紹介に、サツキはもう一度ハルの顔を見つめた。
学園の頃からずっと書き物をしていたハルを思い出して、思わず笑顔になる。夢を叶えたんだ、と心の中で呟いた。
そして男性が今度はハルの方へと顔を向ける。
「ハル君。 こちらは早坂サツキさん。 サツキさんは、現在学校で服飾の勉強をされているそうだ。 裁縫の腕はプロ並みで、学校でも優秀な生徒の一人のようだよ」
ハルに向かってされる自分の紹介に、サツキは恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じていた。
ちらりとハルを見れば、何所か恥ずかしそうにしながらも、優しく微笑んでくれている。
きっとハルの事だから、サツキが演劇部に入った理由や、少しだけ話した将来の夢を覚えてくれていたのだろう、と考えてサツキは嬉しくなる。
けれど、今のこの状況を思い出して、さっと体を強張らせた。
ハルの登場に忘れかけていたが、自分は『お見合い』に連れてこられていたのだ。
そして、その相手は間違いなく目の前で所在無さ気に座っている学園時代の同級生。
今置かれている状況を思い出して頬が熱くなると同時に、思考が混戦してパニックに陥りそうになる。
社長夫妻が時折サツキやハルに話を振るが、元々口の上手い方ではない為、しどろもどろになりながら何か答えたのを覚えている。
目の前のハルも同様、おろおろと何かを答えていたけれど、緊張でばくばくと心臓の音しか聞こえないサツキの耳には入ってこなかった。
サツキとハルに話題を振ってもほとんど会話にならないせいだろう、それから暫く父親同士が歓談していたが、『後は若い二人に』なんてお決まりの台詞を残してサツキの両親も、ハルの両親も、社長夫妻も退席してしまう。
会話の成り立たない二人を残してどうなるというのだろう、という考えはないのだろう。
所謂お見合いの進行に則ったそれに、サツキは思わず全員の後を目で追う。
「え……っ」
「あっ、……っ」
驚いて声を上げたのはほとんど二人同時だった。
ハルも同じ思いなのか、とサツキがハルを見れば、困ったようなハルの視線がサツキに向いていた。
そうこうしている間に、襖が閉まり室内には机を挟んでサツキとハルだけが取り残されてしまった。
静寂の支配する室内に、かこん、と何所か間抜けな獅子威しの音が響き渡った。
ちらちらとお互いの顔を見て、何から口に出すべきか迷う。
けれど、この重い沈黙に耐えきれなくて、サツキは口を開いた。
「ひ、久し振り」
サツキの声に少し驚いたように目を見開いた後、ハルは僅かに表情を和ませてサツキを見た。
「久し振り……」
彼独特の、どこか戸惑うような口調はあの頃のままで、サツキは少しだけほっと力を抜く。
改めて見れば、姿だけならばハルの姿はしっかりと高級なスーツに身を包み、髪はしっかりと撫でつけられていて、まるでやり手の御曹司のようだ。
ハルだと言われなければ、サツキはきっと彼だと初めは分らなかっただろう。
それくらい、思い出の中のハルと今のハルは違う。
「誰だか分らなかった」
くすり、と笑って言えば、ハルはやはり困ったように笑った。
「そ、そう……かな」
「うん、日下部君じゃないみたい」
その言葉に、ハルがもじもじと撫でつけられた髪を弄る。
「落ち着かない?」
「う、うん……」
あの頃のまま、前髪は彼の顔の半分を隠しているのだろう。
触れたことで僅かに落ちた髪が、ハルの顔にかかる。
そんな様子が大人っぽくなったとはいえ変わらなくて、サツキの顔が自然に笑みへと変わっていく。
「変わらないね」
「そう、だね」
サツキの言葉に苦笑いのように答えたハルがそっと笑んだ。
「……君は、……綺麗になった」
「えっ!?」
言われた言葉に、サツキは驚いてハルを見つめた。
一気に頬が熱くなって、慌てて首を振る。
「そ、そんなことないよっ、……今日は、た、たまたま」
「そうなの?」
「そう、普段はあの頃と変わらない、よ」
不思議そうに聞いてくるハルにサツキは強く頷いた。
心臓に悪い、と思いながら早く脈打つ鼓動を鎮めようと何度か深く息を吸う。
「でも、似合ってる」
優しい微笑と共に言われた言葉に、思わず息を呑んだ。
「あ、ありがとう……」
とくり、と大きく跳ねた心臓をごまかすように何とか声を出す。
けれど、ハルの目は見られなくて、少しだけ俯いてしまう。
「どう、いたしまして……?」
何と答えていいのか分らなかったのだろう、サツキの赤面につられてか、ハルも顔を赤くして戸惑いがちに口を開いた。
その言葉に、思わず顔を見合せて、どちらからともなく小さく笑いが零れてしまう。
「皆とは会ってる?」
「あ、……時々、連絡がくる……かな?」
学園時代が懐かしくなって問えば、少し悩むように首をかしげたハルは、考えながら言葉を紡ぐ。
「そっか、皆元気なんだね」
連絡が来るということはきっと元気なのだろう。
清一郎はテレビでも活躍を始めて多忙であるだろうし、トウワに関してはわざわざサツキに連絡を取るなんてことはしないだろう。
「君には、……連絡、ないの?」
ハルが不思議そうに聞くのに、サツキは頷いた。
そして、思いついたように声を出す。
「あ、でも時々ユキ君には会うよ」
「そ、そうなんだ……」
ハルの声が段々と尻すぼみになって、最後の方はほとんど聞こえない。
「あ、あのね、私いまステラ歌劇団の人のファン代表をやってて」
「ファン……代表?」
「それで、それでね、歌劇団にいるユキ君には時々会うの……」
何で言い訳じみたことを言っているのかサツキ自身にも分らないけれど、ただ沈んだ様子のハルが気になってしまって、なんだか慌ててまくし立てるように話してしまう。
「だから……」
その後に続く言葉が見つからなくて、サツキは不自然に口を閉じる。
だから、なんだと言うのだろう。
自分が言おうとした言葉が見つからなくて、しばし悩んだ後、先ほどのハルの言葉が蘇ってまた言葉を続けた。
「あ……、ファン代表っていうのは……」
ファン代表という言葉に疑問を持ったのか、不思議そうに聞き返すハルに簡単に役割を説明する。
その人のファンの取りまとめや、スケジュール管理、舞台の時の席の確保、様々な雑事のことを簡単に説明すれば、ハルはふわりと笑う。
「凄いんだね」
「そ、そんなことないよ」
サツキはぶんぶんと首を横に振った。
実際、細々としたことをしてくれているのは親友のマコであったし、凄いと言われるようなことをしているわけではないのだから。
「す、凄いのは、日下部君だよ」
「……え、……あの……」
慌てたように言えば、今度はハルが慌てる。
わたわたと視線を彷徨わせて恥ずかしそうに俯く。
「まだ言ってなかったね。 小説家デビュー、おめでとう」
「あ、ありがとう……」
もごもごと言葉を返すハルにサツキは小さく笑う。
「私、絶対読むから」
どんなジャンルのものか分らないけれど、ハルの書いたものならきっと面白いとサツキは思う。
「あ、あの……」
心底恥ずかしげに、そして困ったようにハルがサツキを見る。
訴えるようなその視線に、サツキはそっと問いかけた。
「……読んじゃ、駄目……かな?」
「そんなことないっ、き、君が……読んでくれるなら嬉しい、よ」
サツキの言葉に驚いたように目を見開いた後、今度はハルの方がぶんぶんと首を横に振る。
そして、少し強い言葉で告げるのにサツキはほっと息をつく。
勿論、ハルが駄目だと言っても内緒で読むつもりでいたのだけれど。
恥ずかしそうにサツキを見つめる視線と目があって、サツキは思わず曖昧に笑う。それにつられるようにまたハルも微笑んだ。



「お帰り、姉ちゃん」
ハルと二人で話している時は別として、緊張し通しだったお見合いが終り、父と母と家に帰ったサツキを迎えたムツキを見てサツキはほっと息をついた。
「ただいま」
慣れない着物と気を張る席での出来事に気疲れもたまっていたのだろう、リビングのソファに座り込む。
「父さんも母さんもお帰り」
同じくソファに座った母と父にムツキは声をかけて、ちらりとサツキを見た。
「どうだった?」
心配そうに聞くムツキにサツキは困ったように笑う。
元々、サツキがお見合をすると聞いてあまりいい顔をしなかったムツキだから、きっと今日一日サツキのことを心配してくれていたのだろう。
サツキは安心させるように小さく笑うと、実はね、と内緒話をするようにムツキに寄った。
「相手が日下部君だったの」
「え、あ……もしかして学園の演劇部の?」
サツキの話から日下部という名前を思い出すように僅かに考え込んだムツキが確認するように告げるのに、サツキは笑いながら頷く。
「そう、お互い驚いちゃった」
「へぇ……偶然ってあるんだね」
少し驚いた様子のムツキにサツキはまた笑みを深めた。
「まぁ、とりあえず無事終わって良かった」
父親が大きく息をつきながら言うのに、母親も頷く。
「そうねぇ、でもこのまま話が進んだらどうするの?」
母親が父親を向いてほっと息をついてから問うのに、父親が首を振る。
「それは大丈夫だ」
断言するような父親の言葉に、サツキとムツキは首を傾げる。
不思議そうな二人の様子に、父親が困ったように笑ってから口を開いた。
「このまま何もせずに引き籠ってたら本当に見合をさせるぞ、という脅しが目的だそうだから」
「……え、それって」
詳しい話を聞いていなかったムツキが目を丸くする。
サツキも声さえ出さなかったものの父の言葉に驚く。
しかしハルならあり得るかもしれない、と学園時代の内に籠りがちなハルを思い出して僅かに苦笑を零した。
「だから、向こうからお断りが入るって言ってたのね」
納得したように言う母親に、ムツキが呆れたように父親を見た。
「それってさ、どうなの?」
ムツキの言葉に父親も苦笑い気味にサツキにムツキの視線を受けていた。
「まぁ、会社勤めの辛い所ってやつだな」
「それに姉ちゃん巻き込むのはどうかと思うんだけど……」
ぼそり、と告げたムツキに父親は困ったように笑ってサツキを見る。
「父さんの都合に付き合わせて悪かったな、サツキ」
申し訳なさそうな父親の視線にサツキは首を振る。
「あ、……ううん。 久しぶりに学園の同級生に会えたから」
父親が謝るのを見て、サツキは慌てて言う。
言葉通り、ずっと連絡をとっていなかったハルに会うことが出来たのは純粋に嬉しかったのだから。
「まぁ、そういうことだから、明日社長夫妻から断りの話が来て終わりだな」
形式通りの手順は踏むのだろう、父親が言うのにサツキは頷いた。
「それにしても……」
何か思案するように、父親がムツキに視線を送る。
「何? 父さん」
父親はじっとムツキを見つめた後、深く溜息を吐いた。
そんな父親を怪訝そうにムツキが見る。
「お前、まだサツキが一番なのか……そんなんじゃ彼女も出来ないぞ」
「なっ」
父親の言葉に、ムツキが顔を赤くする。
「そうなのよ……、いつも一言目はサツキのことだもんね、ムツキ」
「なっ、母さんっ」
父親の言葉に便乗するように溜息混じりに告げる母親に、ムツキは今度はそちらに首を向けて声を失った。
「ムツキ……」
「姉ちゃん! 父さんと母さんの言うことを本気にすんなよっ」
ムキになればなるほど父親と母親にからかわれる事にまで頭が回らないのか、慌てた様子のムツキにサツキは笑う。
「シスコンは嫌われるぞ」
「そうよ、サツキが大好きなのはわかるけど」
「父さんっ、母さんっ」
諭すように言う二人に、ムツキが立ち上がって抗議する。
いつもは落ち着いて便りになるムツキの行動にサツキはムツキにばれないように笑うのだった。




「おはよう」
前日の気疲れからか、いつもより遅くまで眠ってしまったサツキは、同じく学校が休みのムツキを洗面所で見つけて声をかけた。
「……おはよう」
サツキの作ったパジャマを着たムツキが少しだけ不機嫌そうに答える。
昨日散々両親にからかわれたせいだろう。
そして、サツキも面白がって笑ってしまったのも悪かったのかもしれない。
「ごめん、ムツキ」
「……いいよ」
小さく謝れば、ちらりとサツキに視線を向けたムツキがふい、と顔を逸らしながら呟く。
その様子はまだ拗ねているのがありありとわかる態度で、サツキは小さく苦笑した。
「そういえば、電話まだだって」
「え? ……あぁ」
ムツキが告げた言葉にサツキは一瞬何のことかわからなくて呆けてしまったが、直ぐに昨日の出来事を思い出して頷く。
元々、断られるのが前提だったのだから、今更電話を待つまでもなく断りの電話なのだろうから、電話がいつあるか等全く気にしていなかったサツキは、ムツキの言葉に小さく笑う。
「形式だって言ってたし」
「まぁ、そうだけどさ」
苦笑気味に告げるサツキに、ムツキも肩をすくめて同意する。
「昼近いし、そろそろかかってくるんじゃない?」
ちらり、と時計を見たムツキが言うのにサツキも時計に視線を向ける。
朝食には遅すぎるし、昼食には早すぎる時間であることを確認して、サツキは首を傾げる。
「そうかな?」
「んー……たぶん」
サツキの問いに同じく首をかしげながらムツキが答えたと同時に、電話の呼び出し音が鳴った。
「かかってきたね」
あまりのタイミングの良さにサツキはムツキと顔を見合わせて笑う。
「とりあえずこれで安心じゃん」
歯ブラシを咥えながら言うムツキに、そんなものかな……? と内心で思いながらサツキは頷いた。
父親か母親が出たのだろう、呼び出し音はすぐに途切れた。
「ムツキ、朝ごはん食べた?」
「ん? まだ。 でも、あんまり遅いから母さん片づけたって」
「なら、軽く何か一緒に食べようか」
サツキの提案にムツキが嬉しそうに頷いた。
昨日のお詫びにムツキの好きなものを何か作ろうとサツキは簡単に作れるレシピを頭に思い浮かべる。
「……サツキ」
ふいに名前を呼ばれて振り向けば、洗面所の入り口に父親と母親が並んで立っていた。
「父さん、母さん、どうしたの?」
ムツキが微妙な顔で立っている二人を不思議そうに見て問いかける。
父親と母親は二人で顔を見合わせると、サツキの方を向いた。
じっとサツキを見つめる父親の顔は真剣で、サツキは思わず姿勢を正す。
「……サツキ、実はな相手から正式に申込みがあった」
「……え?」
言い辛そうに告げられた言葉に、サツキは一体何を告げられているか理解出来なくて父親の顔を見返した。
「ちょっと、父さんそれって……つまり……」
父親の言わんとしていることをいち早く理解したのだろう、ムツキが驚いたように声を上げる。
父親はそんなムツキを見て戸惑うように頷くと、もう一度サツキへと視線を向ける。
「結婚を前提にお付き合いを、と言われたよ」
父親の言葉にサツキは思考が停止したように、何も言うことが出来ないまま、ただぽかん、とそれを口にした父親の顔を見つめることしか出来なかった。