俺の姉ちゃん−姉ちゃんに男の影!?−
俺の姉ちゃんは、実際すごく綺麗なんだと思う。
家族の贔屓目は勿論あるかもしれないけど、あの冗談みたいな眼鏡外すだけでも俺の周りにいる女の子達よりかなり可愛いと思ってる。
でも、姉ちゃんは昔からあんまり男が得意じゃなくて、唯一ちゃんと男と接点があったのは、俺が知る限り学園時代だけだ。
その学園時代も別に恋人とかそういう雰囲気だったわけじゃなくて、珍しく姉ちゃんに男との接点があった、ただそれだけなんだけど。
趣味が高じて服飾系の専門学校に進んだ姉ちゃんは、普通の女子大生や専門学校生がそろそろ恋人でも……と思う時期には、
思いっきりステラ歌劇団のヒカリさんって人のファン代表になってたりして、恋人のこの字も出てこない。
男役をしてる女の人らしいんだけど、俺はあんまりステラ歌劇団に詳しくないから姉ちゃんが楽しそうに話してるのを聞いてただけだ。
それでいいのか、姉ちゃん……なんて心配してる俺のことなんてきっと姉ちゃんは気づいてもいないんだろうな。
……それが姉ちゃんだから仕方ないんだけど。
そんな姉ちゃんが、ステラ歌劇団の衣装部に就職してやっぱり恋人のこの字も聞こえてこないと思ってたら、
最近、姉ちゃんの周りに学園時代の知り合いが終結しつつあるらしい。
というのも、姉ちゃんの口から昔聞いた名前が出てくるようになったから知ったんだけど、なんだか姉ちゃんにモテ期到来?なんてちょっと期待している俺。
まず、『ユキ君』って名前だ。
学園から後、姉の話に出てくる男の名前はこれだけだった。
食事に行ったとか、遊びに行ったとか、もしかして彼氏か?は思ったのは最初だけで、
「何言ってるのよ、ムツキ。 ユキ君は大事な友達よ」という姉のあまりの鈍感っぷりに俺は話したこともないユキさんって人に軽く同情した。
いや、だってさ、学園卒業後も姉にマメに連絡を取って食事に誘ったり、遊びに誘ったりって、
当事者じゃない俺から見たってユキさんって人は姉に対して友情以上のものを感じてるのはわかる。というかまず間違いなく、
確実にアプローチだと思うんだ、姉ちゃん。
姉ちゃんがこんなんだから、告白までたどり着けていないんだろうなっていう俺の予想は多分当たってると思う。
次に、『東君』。
先日、人力車に乗ってるこの人にあったらしい。……人力車ってあの人力車?なんだよな。
観光名所くらいでしか見たことないけど、この辺りを走っているらしい。って、そんなことは置いておいて。
この東さんという人は俺も知ってる。知ってるというより、テレビで見たことがあるっていうのが正しいかも。
有名な芸能人の東さんはほとんど毎日のように姉ちゃんとすれ違い、声をかけてくれるらしい。
「偶然よく会うの」なんて笑ってた姉ちゃんに俺は「へぇ〜」なんて頷きそうになって半分くらいで首の動きを止めた。
……いやいや、待ってよ、姉ちゃん。偶然って言葉で片づけてあげないで。
それ、確実に姉ちゃんに会いたくて会いに来てくれてるからね?
そもそも、テレビに引っ張りだこの芸能人の東さんが、姉ちゃんにすれ違うってだけで凄い偶然で、それが毎日になったらもう天文学的な数字になるって分かってる?
望めば恋人なんていつだって出来るだろう東さんが何故姉ちゃんをそこまで気にしてくれるのか不思議に思いながらも、俺はちょっとだけ東さんを気の毒に思った。
そして、俺もよく知ってる『カナデ』。
確か姉ちゃんとカナデが中学生の頃に、カナデが外国に引っ越していって、最近ピアニストになってこっちに戻ってきた。
俺は外国に居たカナデと連絡をとってたんだけど、何故だか姉ちゃんとは取っていなかった。
けど、カナデの話といえば、『あいつはどうしてる?』『あいつは元気か?』『あいつに、その……男とか……』なんて姉ちゃんのことばっかりで、
『別に、いつも通り』『元気元気』『いないって!』なんてことの繰り返し。
……それが何年続いたかなんて、カナデが外国に行ってからずっとだから、ある意味凄いと俺は思ってる。
なんたって、九年だ。その間カナデは姉ちゃんだけを思い続けてたのは、ずーっと姉ちゃん情報を提供し続けててきた俺が知ってる。
だけど、姉ちゃんはカナデを物凄く嫌っているみたいで、俺は正直カナデに同情してしまう。
まぁ、カナデの言い方じゃ、姉ちゃんが誤解するのも仕方ないといえば仕方ないから、どっちもどっちって言ってもいいかもしれない。
好きな子苛め、なんて小学生じゃないんだから、カナデもそろそろやめればいいのに……なんて俺はカナデに言えないけど。
あとは、『夜凪君』だったかな……。
あんまり言わない名前だから、合ってるかは分らないけど、この名前が出てくる時、姉ちゃんはものすごく疲れてる。
学園の時の演劇部の副部長で、確か姉ちゃんはいつもこの人に校内放送で呼び出されてた。
休み時間に突然放送で姉ちゃんの呼び出しがあった時、思わず飲んでいた茶を目の前の友人に噴き出してしまったのは忘れられない思い出だ。
あんまり知らないけど、昔から姉ちゃんにばっかり構ってるようなイメージが俺にはあって、
もしかしてカナデと同じ好きな子は苛めたいタイプの人なのかな?なんて思ってたりする。
それは、買い物の荷物持ちをさせられたとか、仕事から帰ろうとしたら資料運びを手伝わされたとか、
ただ単にそれだけなら酷い人ってことになるけど、それで終わらないから、この人もしかして姉ちゃんのこと結構気になってるんじゃないかって思うんだ。
例えば、買い物の荷物持ちの話。夜凪さんは自分の荷物持ちをさせた後、姉ちゃんに物凄く高そうな服とか布とかそういうのを買ってくれるらしい。
いつも姉ちゃんが買うものよりゼロが一個か二個多そうなものだ。そして、資料運びを手伝わされた話。
元々姉ちゃん自身も残業で、かなり遅くなっていたんだけど、資料運びの手伝い後、夜凪さんは自宅の前まで車で送ってくれたらしい。
改めて考えてみると、買い物の話は、姉ちゃんに服買う口実のような気もするし、手伝いだって夜遅くなった姉ちゃんを送ってくれたわけだし、
もしかして遠まわしのアプローチというやつなのかも?なんて思ってみる。
まぁ、姉ちゃん自身疲れたとは言っていても、嫌だって言ってるのは聞いたことないから、この人のことを嫌いってわけじゃないんだと思う。
でも、遠まわしすぎて姉ちゃんには全く通じてないですよ、なんて見も知らぬ夜凪さんに、俺は心の中でそっと囁いた。
最後は『日下部君』。
「夢を叶えて小説家になったんだよ」と自分のことのように嬉しそうに姉が言ってたので、本屋で見かけた『日下部ハル』っていう作者の本をなんとなく買ってきた。
近衛にある写真はどこか繊細そうな男性の顔写真で、この人がそうなのかと思いながらも厚めの本を読破した。
人気の小説家っていうのは誇大広告なんかじゃなくて、本は凄く面白かった。
そんな日下部さんも頻繁に姉ちゃんと会うらしい。
「寒い中歩いてたら日下部君に会って……」という言葉は、東さんの次に姉ちゃんの口から出る言葉だ。
一緒に喫茶店でお茶をしたとか、今度食事に行く約束をしたとか、そんな話が出ることが多い。
姉ちゃん、もしかして、ユキさんと同じで友達と出かける感覚なのか?なんて問わなくても姉ちゃんのことだから、
ユキさんも日下部さんも、姉ちゃんの親友のマコさんと同列でしかないんだと思う。
……でもさ、姉ちゃん。それ一般的には“デート”って言わないか?
そんな言葉が俺の口から何度出そうになったか、もう数えることすらやめてしまった。
男と女が二人きりで出かければ、デートというんじゃないだろうか、という俺の疑問は間違いではないと思う。
姉ちゃんが日下部さんと出かけるという日、丁度俺も大学の友人と出かけていて二人の姿を遠目に見かけた。
どこか気弱そうに姉ちゃんと話す男の顔は近衛のままで、視線を彷徨わせながら姉ちゃんと話す顔は、心なしか赤くなっていて、
あぁ、この人姉ちゃんのこと好きなんだなぁ、なんて思ってしまった。
そんな日下部さんの前にいる姉ちゃんは本当にいつも通りで、俺は思わず苦笑いしてしまう。
友人に促され、すぐに二人から視線を外したが、俺は繊細そうな近衛を思い浮かべながら、心の中でエールを送った。
ユキさん、東さん、カナデ、夜凪さん、日下部さん。
今まで恋人のこの字は勿論、男の影すら見えなかった姉ちゃんの周りに一遍にこんなに男が現れるなんて、この先、一生こんなことはないと思う。
しかも、こうして羅列してみると結構凄い人がいるんじゃないだろうか。
東さんは、テレビに出てる人だから勿論誰でも知ってる有名人。
カナデだって、海外でも名の知られたピアニストだ。
夜凪さんは、有名な演出家らしいし、日下部さんは人気小説家、ユキさんだって、ステラ歌劇団の大道具を支える業界では有名人らしいし。
……姉ちゃん、一体何者? いや、何者もなにも、俺の姉ちゃんなんだけど。
なんでこんな有名人ばっかりなんだ。今まで男の影も形も見えなかったせいなのか、俺にはわからないけど。
まぁ、何にしろ、姉ちゃんが幸せになってくれれば、それでいいんだけどさ。
「ムツキー」
うーん、とベッドの上で悩んでいる俺の部屋の扉が開く。
「姉ちゃん、ノックって自分がいつもいうだろ」
「ちゃんとしたわよ、でも返事がなかったから」
呆れたようにいう姉ちゃんに、俺は首を傾げる。そんなに考えに没頭してたのだろうか。
「ごめん」
ベッドに近づいてくる姉ちゃんに小さく謝れば、姉ちゃんが小さく息を吐いたあと心配そうに俺を見る。
「どうしたの、ムツキ。 悩み事?」
聞かれて俺は首を振る。悩みではあるかもしれないけど、姉ちゃんのことだということもできない。
「ちょっと考え事」
「そう?」
俺の返事に姉ちゃんは少しだけ眉を寄せた。
「もし、悩み事だったら相談にのるよ、……頼りないかもしれないけど、ムツキはなんでも自分で抱え込んじゃう所があるから」
心配そうな顔を崩さない姉ちゃんに、俺は小さく笑った。
抱えこむのは姉ちゃんのほうだろ、と心の中で反論して俺は寝っ転がっていた身体を起こした。
起き上がると、俺が笑ったのが気に入らなかったのか、心配そうだった姉ちゃんの顔はちょっとむっとしていて、慌てて笑いを引っ込める。
「だから、考え事だって。今度の休みどうしようかなーって」
咄嗟に出た言葉に、むっとしていた姉ちゃんは、きょとん、と俺の顔を見る。
「休み?」
「そうそう、予定ないし、でも家でだらだらしてるのもなんだかなーって」
普通の人なら騙されてくれないだろうけど、元々深刻な悩みってわけでもなかったし、これくらいなら姉ちゃんは騙されてくれる。
「なら、私と出かけない?」
ほら、騙されてくれた。
勿論、恋愛関係は鈍感だけど、他の事にはこれで結構鋭い姉ちゃんだから、俺が本気で悩んでいる時にはこんなことで騙されてはくれない。
「……え?」
少し考えるようにしたあと、にこりと笑った姉ちゃんの言葉に、俺はちょっと驚いた。
「姉ちゃん、予定は?」
最近休みの度に、ユキさんだったり、東さんだったり、夜凪さんだったり、日下部さんだったり、カナデだったりと約束がある姉ちゃん。
「ないの、だから久し振りに一緒に出かけない?」
「うん、いいよ」
珍しく他の人たちと予定がない休日に、俺はすぐさま頷いた。
実は、大学の友人と出かけようかという話があったが、別に本決まりではないから問題ないだろう。
そもそも、俺の興味のない、女と出かけるとか何とかいう話だったし、別に俺でなくても問題ない筈だ。
「ムツキ、どこ行きたい? お給料出たばっかりだから、奢るよ」
「やった、なら姉ちゃん選んでいいから服買いに行きたい」
姉ちゃんの言葉に、俺の声が弾む。
裁縫はプロなのだから勿論上手いが、作るとなるとそのデザインがちょっと外では着られないものになる姉ちゃんだが、市販の服を選ぶセンスは抜群なのだ。
俺の言葉に、姉ちゃんは仕方ないなぁと笑うと笑って了承してくれた。
「久し振りにムツキとデートだね」
嬉しそうに姉ちゃんが言って、俺は一瞬だけその言葉を聞き逃してしまった。
「もうご飯出来たから早く降りよ」
何事もなかったかのように、姉ちゃんが部屋を出ていく。軽くフリーズしていた俺は、困ったように小さくつぶやいた。
「姉ちゃん、……俺とは“デート”なのかよ」
なんだか複雑な気分になりながら、俺はベッドから降りる。
「ムツキー、早く早くっ」
下から聞こえる声に「はいはい」と俺は少し呆れ混じりに声を返しながら、大きく溜息を吐いた。
どうやら、姉ちゃんの恋人候補は本気で前途多難らしい。
注:まだムツキは清一郎に直接会っていない設定なので、「東さん」と呼んでいます。