それでも、恋人……? 中編




乾杯、という誰のものか分らない声と共に景気良くグラスが鳴る。
マコが言っていた通り、所々にアクアリュウムが設置されたお店はとてもお洒落だ。
けれど、盛り上がる面々とは裏腹にサツキは若干引き攣った笑みを浮かべながらグラスに口をつけた。
口当たりのいいカクテルは、出来るだけアルコールの弱いものを選んで、サツキは彼らの話に耳を傾ける。
マコの友人らしき女性達はばっちり化粧をし綺麗に着飾っていて、サツキなど霞んでしまっていること間違いなしだった。
定番なのか、とりあえず自己紹介から始まるのを遠い世界のように思いながらサツキは内心で大きく溜息をついた。
何でこんな所にいるんだろう、と全員で店に入るまで何度も繰り返した問いが頭に浮かぶ。
ちらり、と視線だけで自分を見下ろせば、普段は全く着ないような短めのスカートをはいた足が目に入る。
「ほら、サツキ!」
隣に座ったマコに声をかけられ、はっとして周りを見れば対面に座る男達がじっとサツキに視線を注いでいた。
「あ、サツキです。 ……よろしくお願いします」
慌てて口を開いてから何を言っていいか分からず、それだけ言って頭を下げた。
「サツキちゃんかー、何所の学校?」
「服飾系の専門学校です……」
にこにこと楽しげな笑いを浮かべた青年が声をかけるのに、サツキは小さく答える。
「へぇ、他の子とは違うんだね」
別の青年が言うのに、サツキは困ったように笑う。
それを見かねたのだろう、マコがぐっとサツキの肩を引き寄せて青年達をぐるりと見回す。
「私の友達なの、彼氏募集中だから連れてきたんだ」
「マ、マコっ」
にっこりと笑って言いきったマコにサツキは慌てる。
抗議するように名前を呼ぶが、にっこりと笑って制されてしまえば黙るしかない。
「なら、俺立候補しちゃおうかな」
マコの言葉に反応するように、笑い交じりに言う青年がいてサツキは目を丸くする。
「え、それは……っ」
自然と頬が熱くなって困ったように俯けば、青年が楽しそうに笑う。
「だめだめ、あんたみたいな軽いのは!」
黙り込んでしまったサツキに代わってマコが嗜めるように言うと、違いないとばかりに笑いが起こる。
「うわ、酷っ」
青年が大袈裟に言って、がっくりと肩を落とす。
はぁ、と大きく息をついた青年にサツキの方が慌ててしまう。
自分なんかの彼氏に立候補して、しかもマコにだがダメとまで言われてしまった事が何だかとても申し訳ない。
そもそも、本当は彼氏がいるのだからきちんと断らなければ、とサツキは思う。
「あ、あの……」
「サツキちゃん、こいつら酷いっしょ? マジ俺お勧めだから」
「は、はぁ……?」
心配そうに青年に声をかけたサツキに青年の方は、勢いよく顔を上げるとじっとサツキを見て言うとにっこりと笑みを浮かべる。
そんな変わり身の早さについていけず、サツキは目を白黒させる。
そして、にこにこと笑う青年に困ったように笑いながらマコの強引さに引きずられるようにこの場に来てしまったことを更に後悔するのだった。



アルコールも入り、盛り上がる面々の中でサツキは少しずつ、舐めるようにグラスに口をつける。
こういう場に慣れているマコや先ほどの青年が盛り上げ役になっているのを見ながら、ただただ感心するしか出来ない。
マコが気を使ってサツキを話題に入れてくれるから何とかついていけているが、彼女がいなければ本当に取り残されていたに違いない。
先ほど、彼氏に立候補すると冗談交じりに言った青年も頻繁にサツキに話しかけてくれていて、サツキは曖昧に笑いながら言葉少なに返していた。
「……あ、れ?」
ふいに、視界の端に見知った顔が通り過ぎた気がして、サツキはそちらに視線を向ける。
「どうしたの?」
突然、首を巡らせたサツキに青年が不思議そうに同じようにサツキの視線の先を見たようだった。
「ああ、東清一郎」
納得したように青年が言う言葉を聞きながら、サツキは目立つ立ち姿とその近くに居る面々をだ見つめていた。
興味深そうに辺りを見回すユキと、そのユキと清一郎に引きずられるように歩いているのは間違いなくハルだろう。
「ここって芸能人の常連も多いんだ」
弾んだ声で言う青年の声に答えることも出来ずに、サツキは遠くない席についた清一郎達を視線で追った。
「あれ? もしかして、サツキちゃん、東清一郎のファン?」
青年の声と同時か、それより少しだけ早く辺りを見回していたユキの視線がサツキを向いた気がした。
少し離れてはいるが目があった気がして、サツキは慌てて顔をそむける。
やましいことはしていない筈なのに、何故だか心臓がばくばくと早鳴る。
「サツキちゃん?」
不思議そうな青年に、困ったように笑ってなんでもないの、と告げて胸に手をあてた。
ユキ達の位置からだしサツキの後ろ頭くらいしか見えないし、いつものように髪を結んでいるわけではないのできっと見間違いだと思ってくれるだろう。
「そんなにファンなんだ?」
「え? あ、うん。 東君、凄いよね」
青年の問いに答えながらサツキは見えないとは分かっているが、無意識に身体を縮こまらせる。
「サツキちゃん、あんな男が好みなんだ?」
「え……」
青年の言葉に驚いて思わず顔を見上げれば、難しい顔をした青年が考え込むような仕草で清一郎の方を見ているようだった。
「ち、違っ」
「違うわよ、サツキの好みはちょっと微妙なのよ」
慌てて否定しようとしたサツキの声を遮るように横からマコが身を乗り出すように青年を見ていた。
「そうなの?」
青年がじっとマコの顔を見るのに、マコは大きく頷く。
「そうそ、この子の前の彼氏なんて酷いもんだったのよ」
「ま、前の彼氏って……」
平然と言うマコにサツキは絶句してしまう。
「え!? サツキちゃん前に彼氏いたんだっ」
「ちょっと、それサツキに失礼!」
驚く青年にマコが厳しく突っ込む。
「ま、それが酷い男で、ドタキャンは多い、自分の都合の良い時にしか連絡しない、しかもサツキを呼びつけて雑用を押しつけたり」
「うわっ、何それ」
あれこれと学園時代のことを上げながら指折りトウワの非道な行いを挙げるマコにサツキは慌ててマコを止める。
「ちょっとマコ!」
マコの言うことは後半はほぼ真実だけれど、前半は違う。
突発的に呼び出されるとは多々あるけれど、元々出来ない約束はしないトウワだから、今日のようなドタキャンは初めてなのだ。
「今すぐ来いとか、よくあったしねー」
はぁ、とため息交じりに言うマコに反論出来ずにサツキが黙り込めば、青年が何故だか怒ったようにマコを見ていた。
「そいつ、絶対都合の良い女扱いしてるだけだって」
青年の言葉に、サツキの胸の辺りがツキン、と小さく痛む。
「そんなこと……」
ない、と続けようにとしたサツキの肩に青年の手がかかる。
そして、ぐいっと引き寄せられて意味ありげに青年が笑う。
「俺なら絶対そんな酷いことしないよ」
「え……あの……?」
告げにれた言葉に戸惑うサツキをよそに、マコが青年の手をサツキの肩から離す。
「はいはーい、そこまで」
驚いて何も出来ないサツキを尻目にマコがずい、と青年に手を出す。
「お触りは厳禁です」
「なんだよ、それー」
不満そうに抗議する青年。
けれど、マコのおかげで少し距離が出来たことにサツキはほっと息をつく。
そして、未だ興味津津の様子でサツキに笑いかける青年の傍にいるのが居たたまれなくて、腰を上げる。
「マコ、ちょっとお化粧室行ってくるね」
「いってらっしゃい」
帰ってくる頃には別の女の子に構っているだろうことを予想しての行動だったが、サツキの気持ちがわかったのだろうマコが快く送り出してくれる。
「早く帰ってきてね〜」
ひらひらと手を振る青年に曖昧に笑って、サツキは清一郎達の席からは分らないように観葉植物の影に隠れるようにしながら、化粧室へと向かった。



「はぁ……」
本当に化粧直しや手洗いをしたかったわけではないサツキは、少し奥まった場所にある化粧室の前で大きく溜息をついた。
出来るだけ場を盛り下げないようにサツキなりに笑顔を努めたが、やはり合コンというノリについていけない。
精神的疲労も徐々に蓄積されてしまっていたようで、身体も重い気がした。
恋人がいるのに、恋人がいないということになっているのも申し訳なくて、余計に疲れてしまった気がした。
「……夜凪君、もう仕事終わったかな……?」
ふいに浮かんできた顔に無意識に呟いて、慌てて口を閉じる。
そして、トウワは一体どう思うのだろうか、ともう何度目かになる考えが頭を掠めてしまう。
「怒る……ことはないか」
言ってみて即座に否定する。
どちらかと言えばトウワならば、心底呆れたように溜息をつき、いつもの毒舌でサツキを苛めて終わりだろう。
「……だよね」
そこまで簡単に想像できて、サツキは苦笑した。
マコに電話を貰った時と同じような想像に自己嫌悪に陥りながら、とりあえず化粧室に入って簡単に化粧を直して戻ろう、と化粧室の扉に手をかけた。
「見ぃちゃった」
「え?」
サツキが振り向くより早く、背中にドンッと慣れた衝撃が襲う。
そんなことをする人物など一人しか心当たりがなくて、サツキは視界の端に掠めた黄色に抗議するように声を上げた。
「酷い前彼持ちのサツキちゃん?」
「ユキ君っ」
「なになに、浮気?」
ぎゅっと後ろから抱きついてくるユキの言葉に、サツキは絶句する。
「うわっ、珍しくスカートだし」
サツキを見下ろして驚いたようにユキが呟くのを聞いて頬を赤くする。
「まー、トウワだし、メガネちゃんが浮気したくなる気持ちもわかるなぁ」
「え!? 違うよっ」
うんうん、としみじみ頷くように言うユキにサツキは慌てて否定する。
「え? なら メガネちゃん、トウワを振ったの?」
「えぇ!?」
振られるならわかるが、何故自分が振ったことになるのか、サツキは思わず声を上げる。
むしろ、ユキの見解は逆だと思うが、驚きの余りそこを突っ込むことに頭が回らない。
「トウワ、よく別れてくれたね」
まじまじと見られてサツキは思い切り首を振る。
「わ、別れて、ない」
首を振りながら言えば、ユキはあっさりと納得してくれたようだった。
「あ、そうなんだ」
「う、うん……」
緩んだユキの腕の中で身体を回転させて向き合うような体制を取ると、ユキがごそごそとポケットを探って携帯を取り出した。
「ってことは、やっぱ浮気だ」
「なっ、なんでっ」
パカリ、とサツキに向けて開かれた携帯の画面にはサツキともう一人が鮮明に写っていて、サツキは目を丸くする。
先ほど、青年がサツキの肩に手を置いた場面はほんの少しであった筈なのに、それはユキの手によって綺麗に切り取られて画面の中にあった。
「なっ、なっ」
言葉にならないサツキを横目に、ユキが肩を竦める。
「ばっちり証拠写真」
「ユキ君!!」
楽しそうに笑うユキにサツキは慌てて携帯に手を伸ばす。
しかし、素早いユキから携帯を奪うことなど出来ず、ユキはサッとサツキに背を向けて画面に視線を落としたようだった。
「トウワがこれ見たらどう思うかなぁ〜」
笑交じりに言うユキにサツキは慌ててユキの腕を引く。
「トウワってばかなり独占欲強いし、メガネちゃん起きられなくなるかも?」
「……起き、……っ、ユキ君!」
言われた言葉の含みに意味がわからなくて一瞬呆けるが、すぐにその意味を正確に感じ取って、一気に顔を赤くする。
「明日も休みで良かったよね、メガネちゃん」
どこ吹く風といった風にユキが続けるのに、サツキはもごもごと戸惑いがちに口を開いた。
「夜、夜凪君はここにいるの、知ってるから……」
「え、マジで!?」
サツキの言葉にユキが驚いたようにサツキの顔を見る。じっと見つめられてサツキは間をあけて頷いた。
「う、うん……マコとマコの友達と食事に行くって……」
「……それって合コンってのは知らないよね」
言い辛そうに口を開いたサツキの言葉に、ユキがじっとりとした目で突っ込む。
ユキの言葉はある意味では正解で、サツキは再度黙り込んだ。
流石にトウワに内緒で行くのは気が引けて、マコに誘われたからマコとマコの友達と食事に行くと行く前に簡単にメールだけしておいたのだ。
その返信はトウワからはなかったが、一応とはいえ知らせておいたことでトウワへの罪悪感が少しだけ薄れたような気がした。
「君って結構悪女?」
感心するように言うユキにサツキはびくりと身体を震わせる。じっとユキを見上げれば、ユキが大袈裟に溜息をついた。
「まぁ、メガネちゃんのことだから友達に強引に誘われたんだろうなーっていうのは僕にも分るけど」
「……うぅ」
ユキの予想は当たっていて、サツキは俯くしかない。
「でも、トウワは絶対やきもち妬きまくるんじゃない?」
あ、まさかそれが狙いとか? と、勝手に回答を導き出すユキに困ったように笑いながら、サツキは小さく呟くように声に出した。
「そんなこと……ないと、思う」
「え? 何言ってるのさ」
きょとん、と目を丸くしてサツキを見るユキにサツキは視線を彷徨わせながらもごもごと口を動かした。
「夜、夜凪君はヤキモチ妬かないよ」
「……ちょっとちょっと、メガネちゃん?」
まるで未知の生物を見るようにまじまじとサツキを見つめるユキから決まり悪げに視線を逸らす。
声にしてしまえば先ほどよりも更に気分が落ち込んでサツキは視線を落とす。
「……それに、多分気にもしないと思う……から」
尻すぼみになってしまいながら言えばユキが唖然としたようにサツキを見ていた。その視線が居たたまれなくて、サツキは慌てて背を向けた。
「そ、そろそろ戻るね」
小走りに少し奥まった位置から抜け出すと、サツキは小さく息を吐いて盛り上がっているらしい先ほどの席に戻るのだった。



「……うっわぁ」
サツキを追いかけることもせずユキはその場で立ち尽くして、呆れたように呟いた。
「何やってるかな、本当」
いつも自分は関係ないという顔をしている友人の顔を思い出して、ユキは溜息をつく。
どこをどうなってサツキがトウワと付き合うことになってのかはわからなかったけれど、それなりにサツキが幸せそうであったから、仕方ないかと諦めたのはサツキには内緒だ。
サツキは気づかないが、あれでトウワは自分を含め清一郎やハルにも牽制している。
清一郎やハルは気づいていないかもしれないが、あまりの牽制っぷりに苛立ちよりもあのトウワが、という驚きが先にくるような有様だ。
手に持ったままの携帯を持ちあげて、画面の中で曖昧に笑うサツキを見てから考えるまでもなく携帯を操作する。
「ほんっと、世話がやけるよねぇ」
はぁ、とため息をついて『送信しました』と表示された画面を見て苦笑気味に笑う。
「言わないでとは言われなかったし」
ぱちん、と携帯を閉じたと同時に案の定というか、予想していた通り着信を告げる音が鳴りだして、ユキは相手がだれかも見ずに通話ボタンを押した。
「もしもーし」
不機嫌そうな声に弾んだ声で返してやりながら、ユキはこの後どうなるかな、と面白半分に内心で小さく笑うのだった。