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◇◆ Syria Damascus ◇◆
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◆ Damascus ――
「ターゲットを確認しました」 裏通りのマーケットに到着してまもなく、窪野から連絡が入る。 その報告と同時に、ピアスから映し出される現地の映像が届き始めた。 送られてきた映像から、ターゲットの左耳部分を拡大する岩間。 耳に埋め込まれた小型の無線機を確認した後、それをそのまま三宅に転送しながら言った。 「ボディーガードが数人いるはずだ。今、三宅に周波数を解読させる。油断するな」 「了解」 向いに座る三宅が、岩間から転送されてきた映像を元に、無線機の周波数を解読する。 カタカタとキーボードを操る、リズミカルな音が数十秒間続く。 「周波数が解ったよ。同じ周波数が発信されているのは、その近所だと4つだね」 三宅がそう言いながら、解読し終えた情報を岩間へと送り返す。 ターゲットを含めて4人。つまりボディーガードは3人居るということになる。 岩間の脇に立つ苅野長官が無言で頷き、それを見た岩間が窪野に言った。 「ガードの位置を転送した。確認しろ」 窪野が装着しているサングラスの、左レンズに取り付けられたレーダーに、 ターゲットと同じ周波数の無線機を使う人間が映し出される。 さり気なく周囲を見渡して、ボディーガードの点在する位置を確認する窪野。 けれどターゲットへと向き直ると、1人の男の影があった。 「ターゲットに接触している人物がいます」 窪野のその報告で、本部に緊張が走る。 インカムとは別に設置されているマイクに向かって、苅野長官が話し出す。 「いいか窪野、今回の任務は、あくまでも情報徴収だ。相手に気取られるな」 「解ってます。これから近づきます」 ターゲットの向い側に腰を下ろす男。 本部に届く映像が、その男を徐々に大きく、そして鮮明に映し出していく。 それは、窪野がゆっくりと2人に近づいていることを表していた。 ターゲットからファイルを差し出され、かけていたサングラスを外そうと男が顔に手を伸ばした。 監視を続ける人間全てが、男の動作に息を止める。 そして、顔を上げた男を見て取った瞬間、誰もが息を呑んだ―― 「そんな馬鹿な……」 小さくつぶやかれた驚きの声と、大きく揺れ動く映像。 余りの衝撃に動揺した窪野が、何かにぶつかった鈍い音が響く。 「しまった 気づかれた!」 窪野とともに現地入りし、車内で待機していた堀内が叫ぶ。 けれど岩間の思考回路は完全に停止し、固まったまま微動だにしない。 苅野長官が内線ボタンを押し、応答した相手に早口で告げた。 「呉埜、緊急事態だ! すぐ下にこい!」 「解りました」 ものの数秒で、呉埜がフロアに現れた。 三宅が震えながら差し出すインカムを装着し、即座に状況を把握していく。 けれどいつものように、呉埜の顔色は全く変わらない。 無表情の仮面。それは呉埜の武器であり、味方にとっては頼もしい砦でもあった。 「さっきから調べてるんだけど、こいつには、どこにも発信機や無線が見つからないんだ。 組織の単独行動だなんて考えられないのに!」 先程とは打って変わって、余裕のない言動をあらわにする三宅。 そんな三宅を、嗜めるように、諭すように、呉埜が穏やかに答える。 「お前に見つけられないのなら、取り付けてないんだろう。こいつは単独で動いてるな」 「つまり、それだけ腕に自信があるってことか……」 2人の会話に割り込み、確信めいた言葉を苅野長官が吐き捨てる。 その言葉に反応した三宅が、岩間を見つめながら、ゴクっという音を立てて唾を飲み込んだ。 岩間の焦点は、未だ合わずに揺らめき続けていた。 そんな岩間の様子を誰もがチラチラと伺う中、呉埜だけは1度も見ようとはしなかった。 呉埜の参入で、本部の動きが慌しくなっていく。 けれどその間にも、現地での展開は続けられていた―― 「窪野じゃねえか。ほぉ? 望月が死んで、お前が後任に就いたのか」 インカム越しに、男が窪野へ親しげに話しかけているのが聞こえてくる。 映像を見る限り、武器を装着している様子はなく、窪野を小馬鹿にした仕草で尚も続ける。 「とすると、司令官は俺のコピーだな。俺に対抗するには俺のコピーじゃ無理だぜ? お前、どうせカメラを仕込んでるんだろ?」 ふてぶてしく窪野に笑いかける男の顔が、映像に乗って流れ続ける。 レンズを通さない窪野の目にも、見間違いようのない男の顔。 指揮官が撃沈し、状況が把握できないままの窪野が、震える声で男に向かってつぶやいた。 「岩間さんが、なぜここに……」 男の歪んだ笑顔が、窪野の発言によってますます深まった。 その一言で、窪野が任務を忘れ、私情に走っていることが読み取れたためだ。 2人のやりとりを、観ているだけだった呉埜の口端がわずかに動く。 そして、隣で固まったままの岩間を見つめながら言った。 「呉埜だ。窪野、黙って聞け。今お前の目の前にいる男は岩間じゃない。 動揺も躊躇するな。ターゲットとガードの位置を確認しろ」 その発言で、呪縛が解けた様に岩間が振り向く。 目を見開いたまま、驚きの表情を浮かべて呉埜を見つめた。 互いに瞬きさえしない時が過ぎるが、それは男の発言によって幕を閉じた。 「表情が変わったな。さては呉埜が出てきたか? なら俺はここで退散するよ」 相変わらずニヤケた笑みを浮かべる男。 その瞬間、窪野の後頭部に固い何かが押し当てられた―― 「世間話はそこまでだ。さぁ、銃を渡せ!」 アラビア語の怒鳴り声とともに、映像の左端にターゲットの姿が現れた。 姿は見えないが、窪野とは違う荒い息遣いが近くから聞こえる。 おそらく、窪野の背後にガードがいるのだろう。 窪野が、ターゲットから視線を逸らすことなくゆっくりと屈む。 アスファルトに、硬い金属がすべり転がる音が鳴る。 「よし、いい子だ。では、サングラスとカメラも渡してもらおうか」 今度は流暢な日本語で、ターゲットが要求する。 そこで口元を覆っていた呉埜の手が解かれ、何か閃いたように上下に振られた。 「三宅、カメラのストロボ圧力を最大にしてくれ」 「そ、そんなことしたら、爆発しちゃ……解った、今すぐやる!」 三宅にそう注文した後、その会話を聞いていただろう窪野へも指示を出す。 「窪野、言われた通りにピアスを渡すんだ。 ターゲットがそれを手にしたらシャッターを切れ。一瞬だけ目を瞑れよ」 すぐに画面が真っ暗になり、そこから映像が途絶えた。 何も聞こえない。そんな不気味な静寂が、現場と本部に流れる。 が、その数秒後、鋭い発光と、爆竹を散らしたような爆発音が辺りを覆った―― ターゲットとガードが怯んだ隙に、投げ渡した銃を拾い上げる窪野。 数発の銃声が鳴り響き、辺り一体からアラビア語の悲鳴が上がる。 ガラスが砕ける音、女性の悲鳴、子どもの泣き声。 鈍い音とともに発せられる呻き声と、力を入れたときに放たれる、窪野の気合いの声が続く。 ドサッ 人間が床に倒れこむ音が聞こえてまもなく、息を切らした窪野から連絡が入った。 「ターゲットとガードの4人を倒しました。民間人に怪我はありません!」 待っていましたとばかりに、苅野長官がマイクを握り締めて怒鳴る。 「やつは、ブラフはどうした!」 「ブラフは、既に逃走しています……」 安堵と、複雑な想いが重なった溜息を皆がつく。 そんな中、背もたれに寄りかかり天を仰ぐ苅野長官に、木下大臣から電話が入った。 「解りました。岩間にはそう伝えます……」 そう言い終え電話を切った後、長官はこめかみをさすり、深い溜息をつく。 岩間は、その場を決して動こうとはしなかった。 指を組み、神に祈る仕草で、ただひたすら指示を待っていた。 「岩間、コアの話が持ち上がっているだけに、お前にも検査を受けてもらわねばならん」 紙コップに注がれたコーヒーを岩間に差し出しながら、渋々話を切り出す苅野長官。 けれど、何かを吹っ切ったように、決然とした態度で岩間が答えた。 「いえ、検査の必要はありません。自分の脳には、コアが埋まっていますから」 岩間のその言葉に、辺りの人間が目を見張る。 ただ呉埜だけは、瞑想するように目を閉じたままだった―― |
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