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◇◆ Confusion 1 ◇◆
◆ セーフハウス管理室――

「久しぶりだなネーシャ」
「フン。実際こうしてお前と会うまで、お前が自ら動くとは信じられなかったよ、シヴァ」
「たまには実践もやらないと体が鈍るだろ? で、状況は?」
「堀内が、裏切る気満々で彼女と話しているよ」
「好きにさせろ。どのみち消える運命だ」
「それより、セキュリティーは解除できたのか?」
「当然だ。ついでに、ワームの土産も置いてきたさ」
「アハハ それは上等だ。では急ごう。裏切り者が裏切る前に――」



 昨夜遅く、香里が矢部前長官に連れられてSIU本部に現れた。
 場所を特定される危険性に伴い、部外者の立ち入りには入念なチェックと規制がかかる基地に入るため、 香里は薬剤で強制的に眠らされていた。
 車内から降ろすため、グッタリと体の力が抜けた香里を抱き上げて気付くこと。
 どれだけお前は、痩せてしまったんだ――

 こんな再会を願っていたわけではない。
 それでも、この腕に抱く香里の温もりに心が震える。
 逢いたかった。抱きしめたかった。
 この2年間、抱き続けた想いが堰を切って流れ出し、香里の叫び声を引き金に、 結局は耐えることができず自我欲に溺れた。

 今日の夜、任務に区切りがついたら、香里の元を訪れるつもりだった。
 けれど、香里は許してくれるだろうか、どこまでを話すべきなのだろうか……
 何一つ答えが見つからないまま、素面の彼女との再会に不安だけが渦を巻く。
 それでも、たったひとつだけ誓えることがある。
 君が許してくれなくても、2度と君の傍から離れない。
 それだけは伝えたい――


「呉埜っち、ちょっとちょっと」
 物陰から小声で呼ぶ三宅に気付き、手招きされるがままにその場へ向かう。
 思わせぶりなほど入念に周囲を見渡して、誰もいないことを確認すると、ようやく三宅が切り出した。
「堀内がセーフハウスに居たんだけど、呉埜っちは何か知ってる?」
「堀内が?」
「うん。さっき中庭で、かおりんと話しているところに堀内が現れたんだ。 長官から、かおりんの護衛を任されたって言ってたけど、長官はかおりんの担当官じゃないから、おかしいなと思って」

 思わぬ展開に、大量の虫が体中を這うような悪寒に襲われた。
 セーフハウスとは、その名の通り『隠れ家』を意味するもので、重要証人を危険から保護するために設けられた場所だった。
 それだけに、三宅自慢の徹底したセキュリティーが張り巡らされており、 SIU職員ですら、迂闊に近寄ることのできない完全警備システムが施されている。
 香里の担当官は俺だ。三宅の言う通り、いくら長官とはいえども、担当官ではない限り、入居者への指示を出す権限はない。
 だからこそ、香里をそこに預けた。なのに、そこに堀内が居る――

 シリアでの任務をきっかけに、俺は堀内を疑いだした。
 ブラフの顔を見た窪野が動揺し、敵に素性がばれたとき、堀内は加勢しようと車外に出た。
 あいつの行動は衛星が捉えていて、本人の証言通り、路地裏手から現場に到着している。
 けれどそこに疑問が残る。ブラフの逃走経路だ。
 結局、ブラフの逃走経路は分かっていない。
 入組んだ路地のおかげで、逃げ果せたのだろうと言う事で会議は終了したが、俺は納得できなかった。
 現場に赴く途中で、堀内はブラフとスライドしていたはずだ……
 なのに証拠はどこにもない。各路地に設置していた小型カメラの映像は、堀内が車外に出たため制御できず、 何一つ映し出さなかったからだ。

 そんな矢先のことだけに、間抜けな自分と、堀内に対しての怒りが俺の全てを支配していた。
 けれどそれを表に出せば、三宅が動揺してしまうだろう。
 どうか間に合ってくれ……
 ただそれだけを強く願い、平常心を装いながらフロアに戻り、セーフハウスの管理事務所に繋ぐ回線番号を押した。

 数回の呼び出し音で、聞き覚えのある声が応答する。
「はい、管理室です」
「呉埜だ。監視カメラで堀内を確認してくれ。多分、中庭近辺に居るはずだ」
 ところが、映像を確認する数秒間の沈黙の後、予期せぬ返事がスピーカーから流れてきた。
「夜勤と交代してからまだ数十分ですが、その間、中庭にはどなたも映っていませんが……」
 咄嗟に、俺の隣で心配顔のまま佇む三宅に問いかける。
「三宅、お前が彼女と中庭で話していた正確な時間が分かるか?」
「8時40分だよ。堀内がやってきたとき、この腕時計で確認したんだ」
 左腕に嵌めた、銀色の腕時計を指差しながら三宅が答えた。

 三宅と俺の会話を聴きながらも、確認を取り続けていた管理室警備は
「記録では、確かに堀内主任が、苅野長官のIDカードで8時30分に入室したとされていますが、 録画ビデオを巻き戻してみても、夜明けから現時刻まで中庭での人影は確認できません」
 やや上ずった声で、状況を読み上げた。
「そんな馬鹿な。だって、少なくとも僕とかおりんは、30分近く中庭に居たんだ!」
 スピーカーに張り付いていた三宅が、叫び声を上げる。
 体の力が抜けていく。けれどそれを悟られないように、その場にある椅子にゆっくりと腰を下ろす。
 考えられるのは、監視カメラの映像が、差し替えられているということだ。

「警備員を至急中庭に送り、確認をとってくれ」
「了解しました」
 管理室との接続を切り、机を指で数回小突きながら、自分のデスクに戻った三宅に指示を出す。
「三宅、監視カメラを調べてくれ」
「もうやってるよ!」
 眉間に皺を刻んだ三宅が、いつになく真剣な面持ちでモニター脇から顔を出して答える。
 そして、キーボードの手を止めることなく、俺に疑問を投げかけた。
「絶対におかしいよ。画像を差し替えることができるとしたら、情報処理室にあるメインコンピューターからじゃなきゃ不可能なのに」
 忙しなく指を動かし続ける三宅の背後に回りこみ、三宅の背中に向かって疑問を疑問で返す。
「情報処理室に入れる人間は?」
 一瞬だけ手を止めた三宅が、画面に目を向けたままで即答する。
「僕だけ。というか、僕の右親指の指紋だけ」
 三宅は、自分の指紋の重要さを認識しているため、指紋を盗まれることを恐れ、いつも親指にサックを嵌めている。
 だからこそ、その言葉は、事の重大さを余計に深めていた。
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