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◇◆ Who's bad? 1 ◇◆
 本日、木曜レディースデー。
 女性の会員様に限り、DVDが全品二百円でレンタルできちゃうんですよ、お客さん。
 だけど、新作は翌日。準新作は三日後に、返却しなきゃならないのだけれどね。
 というか、毎週訪れるこの店の、青いポロシャツ姿な店員さん方は、どういうわけか、皆さん目を逸らすのですが、何方かその理由を、教えていただけると有難い。是非。
 それでも中には、満面の笑みで迎えて下さる方も居る。
 しかも、そういう方に限って、皆が皆、めっちゃくちゃ可愛らしい。
 やはり、美しい子は、心の中も美しいのだな。多分。

「あ、松本さん、この間のDVDどうでした?」
 返却済DVDを抱えた青色ポロシャツの青年が、朗らかに声を掛けてくる。
「おっ、居たな青年! 君のセレクトは、いつも素晴らしいよ」
「本当ですか? あぁよかった。姉妹ものは、あれしか思いつかなかったんですよ」
 弟よりも、少しだけ年上だろう感じなこの青年は、ほぼ毎週、こうして私の要求に親身になって応えてくれる好青年の一人だ。しかも、お洒落な眼鏡がポイント高し。
 私も伊達眼鏡を買おうかな。インテリ目指して。

 フレームの中央を持ち上げる仕草に、堪らなく羨ましさを覚えたところで、不安げに青年が問う。
「なんか、俺の顔についてますか?」
「ん? あ、私も眼鏡が欲しいなって思ってたの。伊達だけど」
 そこで青年は、にっこりと笑い、おどけた口調で囁いた。
「実は俺のも伊達なんですよ。いや、掛けるとインテリ度がアップ?」
 背の高い青年の肩を叩くため、少し背伸びをして同感を告げる。
「青年、君の気持ちは良く解る……」
 ところが青年は、ポロシャツの胸についた名札を指差し、芸人魂を刺激する言葉を放った。
「七和です。七和英明」

 嬉しさで弾けそうになりながら、七和の腕を掴み、飛び跳ねながら誇らしげに告げる。
「親指と人差し指を擦ると、臭いって知ってた?」
「は?」
「いいから、擦って臭いを嗅いでみ?」
 好青年は、如何なるときも、好ましい行動を取るものだ。
 言われた通り、右手の親指と人差し指を擦り合わせ、恐々としながら七和が指を鼻に近づける。
 その瞬間を見逃さず、両指を組んで感極まりながら、叫ぶ。
「鼻輪〜っ!」

 難しい顔をして、もしゃと口を動かす七和は、苦そうな唾を飲み込んでから静かに言った。
「松本さん、俺、鼻輪じゃなくて七和です…こんな小学生みたいなこと、あんた……」
 引っかかったと嘲り笑い、柏手を数回打ちながら、自慢げに語る。
「他にも色々あるんだよ? 手首の運動とかさ?」
 そこで、とても知り得たかった謎の答えを、七和がきっぱり断言した。
「だから、此処のみんなが、松本さんを拒否るんでしょっ」
 その答えは、私の乙女心を切り裂いた。愕然と項垂れ、胸を押えて悲しみに暮れる。
「だ、誰にも相手にされない、淋しい女だと思われていたんだ……」
「そ、そこまでは言ってないでしょ?」

 ところが其処に、スーツ姿の呆れ顔男がやってきた。
「煩いと思ったら、やっぱりお前か……」
 矢っ張りと言う副詞は、明らかに可笑しいが、楯突くと煩いので無視をしよう。
「あ、克っちゃん! 何? 今日はレディースデーだよ?」
 木曜日に、男性客が訪れるのは、何やらどうも納得できない。
 ユサユサ好きとは判明しているが、もしかしたら兄は、そっちの気があるのかも。
 だからカミングアウトをし易いようにと、声を掛けてやるものの、兄は呆れ顔のまま淡々と告げる。
「ジェントルマンデーは、無いのでね」

 立ち去る機会を失った七和が、鼻から空気を漏らして笑っていた。
 兄よりも背の高い七和を味方につけ、勢い付いて文句を放つ。
「うっわ、感じわるっ。ナナワ、この淋しいジェントルマンに言ってやれ!」
 けれど意気地なしの七和は、兄ではなく私に牙を剥いた。
「いや松本さん、七和です。発音が微妙に違います」
「だから、ナナワでしょ?」
「いえ、七和です。上がってから下がるんです。下がって上がるんじゃなくて」
 伊達眼鏡を掛けると、細かいところまで良く気づくらしい。やはり私も、伊達眼鏡が必要だ。

 七和が仕事に戻り、兄と一緒に陳列棚を廻る。
 兄は話題作と呼ばれる、歴史背景色の強い洋画を手に取り、パッケージの裏を読む。
 私はこういった、歴史や戦争の物語は苦手だ。動物や子どもが主役の映画など、触りもしない。
 大体それらは、挙ってノンフィクションだ。
 つまり、本当にそんな体験をした方が居るということで、その方の心中を思うと遣る瀬無い。
 だから大概私は、非現実的な物語を借りる。そういった意味でも、アニメは最高だ。
 それでも数ヶ月前、誤って、大きな犬と子どもが主役の、悲しいアニメを借りてしまった。
 数日間、悲しみから立ち直ることができず、もう二度とこんな想いは味わいたくないと痛感し、それからは必ず、店員さんに話を伺って決めることにしている。

 そこで七和のことを思い出し、何度かその名を呟いてから、不安げに兄へ問う。
「ねぇ克っちゃん、ななわ、で合ってる?」
 けれど兄は、その発音を直感的に否定し、模範だとばかりに、その名を口にする。
「いや、違うだろ。ななわじゃなく、七和だろ」
「やだ克っちゃん、それじゃ、七羽だってば」
「な、七羽は七羽だろ。ななわでもナナワでもなく、七羽。…あれ?」
「ほら、七羽じゃん。やっぱり、ななわ、で良いんだよ」

 まるで早口言葉のように、何度もその言葉を繰り返し、繰り返し過ぎたために、本来の発音が解らなくなってきた兄は、眉間に皺を寄せて考え込む。
「それだけは絶対に違う。なな、ナナ、あれ、七……」
「もうさ、どうでもいいじゃん?」
「美也、お前……」
 寄せられていた皺の合間から、青い眉間筋が、ゆっくりと浮かび上がって行く。
 私は何も悪くない。悪いのは七和の名であり、発音だ。
 全く関係の無い話だが、一時前に流行った動物占いで、私はチーターだった。
 本によって、性格の解釈が微妙に違ったものの、どの本にも絶対に書かれていた言葉がある。
『逃げ足が異様に速い』 熟々、思わずにはいられない。この占いは完璧だ。

 危険を察知することに長けた女は、兄の追撃を躱して、レジに並ぶ。
 すると、レジを担当していた七和が、思い出したように切り出した。
「あ、そうだ、松本さんはPVなど観ますか?」
「ん? PV?」
「はい。プロモーションビデオです。八十年代に物凄くヒットした洋楽のPVなんですが」
 八十年代と言えば、私が生まれた年代だ。けれど八十年初期ならば、私が知らない可能性もある。
 というよりも、私の音楽関連知識は、無知に等しい。
 特に洋楽は、意味が解らない故に、感情移入をすることができず、ほとんど聴いた試しがない。

 それでも、七和の選択は、いつも私好みにぴたりと填まる。
 多分、私の嗜好を、あの伊達眼鏡が感知できるに違いない。
「ほう。私も知ってるかな?」
「一億四百万枚を売り上げて、ギネスに載ったくらいですから、松本さんも御存知だと思いますよ」
 それが凄いことなのか解らないが、七和の勧めを借りない手は無い。だって、今日は二百円だし。
「じゃ、ちょっくら借りてみようかの」
「いや、無料でお貸ししますよ。というか、俺個人の代物なんで」
「ナナワ、君は本当に最高だね」
「松本さん、態とそう発音してるでしょ?」

 夕飯を食べ終え、自室のノートパソコンを、いそいそと立ち上げる。
 先ずは本日借りてきた、フルCGアニメーションを観賞。
 緑色の怪物が織り成す、素敵な御伽噺のシリーズ物で、仲間のロバと猫が面白い。
 愉悦の声を上げ、ベッド上をのたうち回り、回り過ぎて、転げ落ちたところで掛かる声。
「美也〜っ、克が出たから、亮が帰ってくる前に、お風呂入っちゃって〜!」
「チッ」
 良いところで邪魔をされ、苛立ち紛れに舌を打つけれど、その瞬間、階下の母から罵詈が飛ぶ。
「あんた今、チッて舌打ちしたでしょ〜っ!」
 何故聴こえる。何で聴こえるんだ。おっかないな。

 風呂から上がり、冷蔵庫を漁る。アロエ果肉入りのヨーグルトを見つけ、にやと笑って取り出せば、表面蓋にでかでかと書かれた『母』の文字。
 誘惑と懸命に戦うものの、誘惑に負けた後が怖い。
 だから仕方なく、ドアポケットに置かれた、アミノ酸飲料に手を伸ばす。
 けれど、ここまで譲歩したにも関わらず、是すらも私の口には入らない。
「美也、それ俺の」
 後方から突然声を掛けられて、硬直する私の手から、弟がそれを容易く奪う。
 此れ見よがしに、その場でそれを一気に飲み干す弟は、空の容器を捨てながら態とらしく言った。
「あれ? 何? 飲みたかった?」

 食べ物飲み物の恨みは恐ろしい。私は今此処に、喉と胃袋の仇を討つと神に誓う。
「お前、絶対に後で覚えてろよ」
 弟へ向けて、強力な捨て台詞を残し、振り返ることなく、その場を後にした。
 踵までしっかりと着け、怒りの意思表示を表しながら階段を上る。
 けれど、思い切り自室の扉を閉め、ベッドに転がったところで、枕元に置かれた袋に気が付いた。
「何だこれ?」
 袋の中身を覗き込み、その素晴らしさに、十字を切り、神への感謝と感嘆の悲鳴を上げる。
「オーマイガッ、オーマイガッ、オーマイガッ!」

 つま先だけで階段を軽やかに飛び降り、未だ台所に佇む弟へ腕を伸ばす。
 可愛らしいプレゼントをくれた弟に、数分前とは打って変わった想いを告げる。
「亮ちゃん、だ〜い好きっ」
「よく言うよ」
 不貞腐れた声で即答するものの、弟の眼はちっとも怒ってなどいない。
 アヒルのように、突き出された唇が、逆に可愛らしくて、姉心を擽り堪らない。
 まだ弟が小さかった頃のように、頭を引き寄せ、胸で抱く。
 私の抱擁から逃れようと、もがく弟を尻目に、頭を撫でて愛しげに呟いた。
「私の、可愛い可愛い赤ちゃん」
「ぶっ飛ばすぞ美也、このやろっ」
 もう。亮ちゃんたら照れちゃって。そこがまた、可愛いんだけどね。

 スプーン片手に自室へ舞い戻り、弟の可愛いプレゼントを開ける。
 ミックスフルーツのヨーグルト。大好物なそれを、二つも買ってきてくれた弟に愛が込み上げる。
 何か絶対に、弟へお返しをしてあげよう。
 そんなことを考えながら、七和から借りた、洋楽PVのDVDをノートパソコンに挿入した。
 流れ始めた映像音楽。服装や髪型から、相当古い作品であることが解る。
 それでも、時を越えて尚、訴えかける物が其処に在る。とにかく、一時も画面から目が離せない。
「ナナワ、君はやっぱり最高だ!」
 それは、日本でも、知らない人は居ないと断言できる、スーパースターのPV集だった。
 洋楽音痴な私ですら、どれもこれも、一度は耳にしたことのある名曲ばかりだ。

 墓から大量のゾンビが這い上がる。そのゾンビたちが、赤い服を着た男性と私を取り囲む。
 突然、赤い服の男性がゾンビと化す。そして、おっかない顔で踊る。目まぐるしく踊る。
 いつの間にか、私も一緒に踊っていた。赤い服の男性の隣で、息を合わせて踊っていた。
 ところが、曲の途中で、ゾンビたちが私に襲い掛かる。
 悲鳴を上げて、私は逃げていた。死に物狂いで走り、隠れる場所を求めて逃げていた。
 老朽化した館に逃げ込み、部屋の隅で縮こまる。それでもゾンビは襲ってくる。
 もう駄目だ。もう逃げられない。絶叫を上げながら、自分の悲運を嘆き続けた。
「いやーっ!」

 酷い汗だ。心臓が早鐘を打ち過ぎて、息苦しい。
 怖い。暗闇が、一人が怖い。夢から覚めても、この恐怖感が拭えない。
 壁を割り、床を割り、ゾンビが襲い来る気がして、狂いそうだ。
 慌てて上掛けを捲り、泣きながら部屋を飛び出した。
 自室の対面にある茶色のドアを開け、その音で、敏感に目を覚ましたらしい人物へ懸命に伝える。
「か、克っちゃん! 赤い服のゾンビが、パオッ! アオッ! って!」

「美也、全然解らない……」
「なんでっ、なんで解んないの? こって、こって、腰振って、ズザズザって!」
 恥ずかしげもなく股間に手を当て、腰を機敏に揺らし、両手を左右に振り上げ、そして叫ぶ。
「パオッ!」
 こんなにも詳細に伝えているにも関わらず、相手は、とんちんかんな言葉を投げ返す。
「ゾ、ゾウの、曲…芸?」
「違うよっ、赤いゾンビ! 金色の眼で、ア〜ッハハハ〜、パオッ! って!」
「わ、解った。解ったから、寝ろ」

 伝わらないことに憤りを感じ、鼻の穴を膨らましながら、上掛けを捲る。
「み、美也、なにやって……」
 相手を身体全体で奥側へ押し遣り、ぴたと身体を密着させて、ポジションゲット。
「お、おい美也、自分の部屋で」
 ところが何故か、何よりも心地良く安心できる場所なはずなのに、全く落ち着かない。
 匂いも、胸の固さも、広さも、全てが想像と食い違い、調和が取れず腹立たしい。
「な、なんか、克っちゃん寝心地バッド……」
「バッドはお前だろっ!」

 背中に罵りを浴びながら、悄々とその場を退散し、半目を開けて暗い廊下を徘徊する。
 階段間近のドアを開け、やはり暗闇の部屋を突き進み、目的の場所まで辿り着いた。
「ん、美也、どうしたの……」
 眠そうな声が、何処からか聴こえてくる。だからその声主に向かって、ぼそと呟く。
「赤いゾンビが、ア〜ッハハハ〜、パオッて」
「怖い夢見たの?」
「うん」
 すると相手は、自ら上掛けを捲り、私をその中へ招き入れた。
「美也おいで…抱っこ……」

 当然、するりとその中へ潜り込み、安定を求めて、もぞと動く。
 どうやら今度は、腕の高さも、匂いも、胸の固さもバッチリだ。
 腰に回された腕の重みも、額に宛がわれる唇の柔らかさも、申し分ない。
 誰だか解らないけれど、有難う。これで私は悪夢から解放される。
 瞬く間に夢の世界へ舞い戻り、同じようで全く違う夢の続きに勤しんだ。
 黒い革ジャンを着て、無我夢中で踊る。ひゅんと空気を切り裂き、鋭く踊る。そこで赤いゾンビが私に叫んだ。だから私も負けじと、声を張り上げる。
「パオッ!」
 けれどこの幸せも、母が起きるまでの短い物だった……

「克っ、美也が居ないんだけど、あの莫迦、知らない?」
 遠くで母の声がする。その問いに、意味不明な回答を告げる兄の声も聴こえる。
「ん? あぁ、そういや昨日、赤いゾンビがパオッとか何とか」
「はぁ? 克、お前……」
 そこに、階段を上る足音と、弟の声が交じり合う。
「美也なら、俺のベッドで寝てるよ。大の字で」
 あの軽快な足取りからして、弟はランニングを終えてきたらしい。
 そして、美也さんと言う方は、弟のベッドで寝ているらしい。しかも大の字で。……お?

「な〜〜〜っんっで、あんたは何時もそうなのっ!」
 朝っぱらから、居間の板張りに、正座をさせられてのお説教。
 取り付く島もない程、喧喧囂囂に侃侃諤諤を浴びせられ、頭の中はぐわんぐわん。
「随分、お溜めになりますね。血圧にお響きになるかと存」
「うるさいわ、こんの〜〜〜っ ドアホッ!」
「はい。重々承知しております……」
「どうしてあんたは、兄弟の布団を旅芸人してんの!」
 芸を演じてもいなければ、稼いでもいませんが、つっこむと後が怖いので、右から左に流します。
「それには深い訳がありまして、赤いゾンビの悪夢に」
「私の悪夢は、あんただよっ!」

 助け舟を、出してくれても良さそうなものなのに、そ知らぬ顔でネクタイを正しながら、兄が出勤の旨を母に告げる。
「じゃ、いってきます」
 そんな兄に向かって、声色を正反対に変える母が返答した。
「は〜い、気をつけなさいよ」
 拙い。もうそんな時間か。逸早く此処から脱出しなければ、皆勤手当が貰えない。
 信用ある金庫の皆勤手当ては、五千円だ。これが有るのと無いのでは、一回分の休日費が違う。
 今がチャンスだ。この少し和らいだ空気を物にしろ。私。

 兄の背中を見送り、私へ向き直った母に、一寸の隙も与えず切り出した。
「母さん、そのパジャマいいね? 何処で買ったの?」
「え? あ、これ? これは駅前でね?」
「お金出すからさぁ、おんなじの買ってきてよぉ」
「あ、あぁ、いいわよ。何色にする? この他に、青もあったわよ」
「嘘、マジ? じゃ、青がいい!」
 この場を逃れるためならば、欲しくもないパジャマでも、無いよりは増しだ。
 さらに母は、安物王だから、千円くらいの出費で納まるはず。多分。

 兄の出勤から十数分遅れ、ほぼノーメイクにて、家を飛び出しながら呟く。
「プラマイゼロ。寧ろ、バ〜ッド」
 駅までの道程は、然程長くない。この遅れた時間を少しでも取り戻そうと、足の回転が徐々に速まる。
 こういうときに、頭の中へ流れる曲は、当然のことながらテンポが良い。
 いつもなら、天国と地獄か、何ちゃら行進曲で乗り切るのだが、今日の私は一味違う。
 腕時計の見方も、切れ味があって素晴らしい。まぁ、空気を切る音は、口で言っているけどね。
「シュッ、シュッ! パオッ!」

 いつもより、数本遅い電車の混み具合は、大惨事に近い。片足を上げたら最後。一駅そのままで遣り過ごさねば足の置き場が見当たらない。
 体勢がぐらついたままで途中駅に到着し、引いては寄せる人波に翻弄され、後ろ向きに、反対側のドア際位置まで追い遣られた。
 けれど私は、端から二番目だったらしい。
 身体全体で何方かを押し潰し、ドアと私に挟まれたその方は、妙な悶え声を上げる。
「ま、松本さん、ギブギブっ!」
 身体を反転させることも不可能なため、首を逸らして相手を見上げれば、伊達眼鏡の好青年。
「ナナワっ」
「いやだから、七和ですから」

 やはり反転できぬまま、ともに同じ方角を向いての会話を展開。
「松本さんは、いつもこの時間の電車なんですか?」
「いえ、今日はいつもより遅いです……」
 そう小声で呟くものの、遅くなった原因の一端を、七和が握っている気がしてならないのは何故だろう。
 けれど、そんな私の思考回路とは裏腹に、陽気な声で七和が告げる。
「俺は、これから大学なんです」
 この路線の先にある大学は多い。通称、学生駅と呼ばれる、大学の密集する駅が存在するからだ。
 それでも何か、厭な予感がしてならない。だからその旨を払拭すべく、切り出した。
「お前、まさか秀和とか言わないだろうな?」

 嫌な予感というものは、昔から的中率が妙に高い。
 嬉しい予感というものは、ほぼ的中したことがないくせに。
「なんで解ったんですか? まさかまた、俺が七和だからとか……」
「いえ、何かこう、秀和の方々とご縁がありましてね」
 七和が悪いわけではないが、自分の過去を思い出しては気が滅入る。どうせ私は無理でした。
 ところが七和は、秀和の親交が深ければ、誰もが知っているといった口調で言い出した。
「あ、じゃあ、あそこの焼き鳥屋を知ってます?」
「ん? どこの焼き鳥屋?」

 そこで七和が、臨場感溢れる、事細かな焼き鳥話を開始した。
 それは炭の産地から始まり、肉汁が滴り落ちて、煙とともに炭が弾く光景までを熱く語る。
 車内の人々の、唾を呑み込む音があちらこちらから聴こえ、朝からぎらついた瞳がこちらを向く。
 皆が、何を聞きたいのか痛いほど解るから、後ろで未だ語る七和に、車内代表として意見を述べた。
「つ、つくねの按配はどうかね?」
 斜向いの紳士が、私を見ながら強く肯く。だから私も鋭い瞳で紳士を見つめ、強く肯き返したところで、七和の回答が発せられた。
「そりゃもう、最高ですよ。どうですかお客さん、一緒に焼き鳥」
「行きます! 行かせてください! 今日にでも!」
「お、俺もっ!」
「私もっ」
 私鉄沿線三両目コーラス隊、此処に結成。当日限り有効で。

 七和と別れ、電車を降りて直ぐに携帯を取り出し、本間宛のメールを打つ。
 別に私の友達は、本間しか居ないわけではないのだけれど、特定の彼氏が居ない友達は、本間だけだったりするんだな。これが。
 日頃の行いが良いとは言えないが、神様は不公平だと思う。
 何故、みんなには、おいしい出逢いが転がり込んで来るのに、私には訪れてくれないのだろう。
 現に、ここ数年、私には出逢いという出逢いが全く無い。
 出逢いがないから、彼氏も出来ず、欲求不満な身体が弟を求めてしまうに違いない。
 やはり此処は一つ、ハンカチでも落として、拾ってくれた人と運命的な出会いを果た……あ、メールだ。

【件名】 ナナワと焼き鳥?
【本文】 七羽でも八羽でも、束になってかかっておいで……なんちゃって☆ ウフ♪

「なっ、な、七人は食うなよ…腹壊すだろ……あいや、七羽か」
 それでも思わずにはいられない。
 ソーバッドな女を、誘っちゃったかも知れない女は……フズバッ?
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