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◇◆  The dream inside a dream ◇◆
 慌しく、忙しなく過ぎた一週間。
 合宿帰宅後、週が明けてからというもの、仕事が忙しいのか、いつ訪れても亮の部屋は蛻の殻だ。
 かといって、私の部屋にやってくるわけでもなく、同じ家に住みながら、全く会えない日が続く。
 本間に亮の様子を聞こうと、何度かメールをしたものの、本間も忙しいらしく、音沙汰がない。
 七和は相変わらず七和だろうけれど、七和と会ったところで、問題は何も解決しない。と思う。
 そんな折、研修旅行中の萩乃ちゃんより、これまたパニックパニックのメールが届く。

【件名】 お姉ちゃん……
【本文】 やっぱり宗ちゃんが変です…不安で不安で、勉強どころじゃなくて……

 どうしよう。多分、石岡兄には、考えがあるのだと思う。
 そしてそれはきっと、萩乃ちゃんのことを、最優先にした代物だとも思う。
 だから、何も知らない私が、何処まで介入して良いのか迷うわけで、突然訪れた石岡家で、ミヤさんとばったり遭遇しちゃうなどしたら、さらに話が複雑になりそうで怖い。
 けれど、週末最後の仕事を終え、路線を変えて、寄り道しちゃうのが私らしい。
「こんばんは。えっと、あの、石岡兄の番号を知らないし、萩乃ちゃんは居ないし、その、突然」

 目を泳がせながらもキッチリと、玄関に女物の靴がないかとチェックを入れた。
 そんな私の動向を、見逃さない石岡兄は、物腰柔らかく図星を言い当てる。
「萩乃に、偵察を頼まれましたね?」
 一応、形だけでも、否定をしておこうと思う。なんというかその、素晴らしい大人の言い逃れ術ね。
「いや、決してそのようなことは……」
 すると突然、石岡兄が吹き出して、お腹に手を当てながら道を譲る。
「あがってください。私一人ですが」
 付け加えた一言が、妙に嫌味ったらしく聞こえるのは何故でしょう。
 それでも、ちゃっかり上がり込んだ私は不敵だ。こう、大胆で恐れを知らない無法者って感じで。

 石岡家は、バブル時代に建てられた、九階建てマンションの八階に有る。
 その時代の建物だけあって、今時の、同じ部屋数マンションより、平米数が広いような気もするが、余計な家具がないから、そう見えるだけなのかも知れない。
 さらに、台所と居間が一体化しているため、居間に案内されれば、ダイニングテーブルが丸見えだ。
 どうやら石岡兄は、お食事中だったらしい。料理をするというか、強いられてきた人だとは解っていたけれど、この明らかな残り物具合の夕飯は、完全に主婦の域だ。節約節約。

 勧められてもいないのに、勝手に椅子を引き出し、並んだ料理を眺め見る。
 そこで、ふと思い付き、バッグから携帯を取り出しながら、石岡兄に告げた。
「兄、写真をちょっといいかしら?」
「は?」
 戸惑う兄を余所に、カシャっと一発、料理と一緒のアングルで、美也さんスクープ。
「はい、オッケーです」
「オッケーって、許可してないですよ」
 当然、兄の文句など聴こえません。撮った画像を保存して、そそくさとメールに添付する。

【件名】 リアルタイム画像
【本文】 兄、一人淋しく、お食事中(笑)

 人間万事塞翁が馬とはこのことだ。幸福や不幸は、予想なんてつかないよと。否、予測がつかないのは、私の行動だけれどね。
 ということで、私が何をしたのか悟った兄は、溜息混じりに頭を振って、項垂れる。
「まったく…余計なことを……」
 喜ぶとは思っていなかったけれど、ここまで落胆されるのは予定外だ。
 そこで漸く解った。多分、取り返しのつかない失態を、犯したのですね、今私。
「兄…も、もしかして、何か作戦が…?」
 やっぱりだ。この項垂れ加減が、順調に進んでいた作戦を、空気読めない女に壊されたと言っている。

「ご、ごめんなさい、私、そのっ」
 土下座をしようかと思ったけれど、席を立つ寸でに、石岡兄が語り出す。
「美也さん、あの日、私たちはずっと隣の席に居たんですよ」
「は? あの日って、先週の土曜ですか?」
 だからあんなにも、お隣さんが気になったのだな。今解ったよ。
 否、そういう問題ではなく。何か拙いことを本間と話していたような……
「はい。そこで美也さんは、言ってくれていましたよね、私の好きにして欲しいと」

 そう言えば、そんなことを言いました。そしてその後、攻め立てるとも。
「あぁ、いや、その、全くもってお恥ずかしい……」
「いえいえ、とても嬉しかったんですよ。先輩もね、あいつらしいと笑ってました」
 克っちゃんが、私をネタに笑うとは、晴天の霹靂です。しかも、胡散臭い。
 そんな心の突っ込みを尻目に、何処に辿り着くのか解らない兄の話は、淡々と続く。
「秋葉さんのことは、否定しません。私も男ですから、そういった衝動に駆られることがあります。衝動といっては、秋葉さんに申し訳ないですが」
「いえ、なんとなく解ります……」
 女にだって性欲はある。衝動的に抱かれようとしたことはないけれど、抱いて欲しいと、切に願う自分は否定できない。

「でも、本当に好きな女性を、抱けない男の気持ちは、解らないでしょう?」
 そこで、落としていた視線を上げ、石岡兄をひたと見つめる。
 名を言われなくても解る。これは、萩乃ちゃんのことだ。
 すると案の定、苦しそうに顔を軋ませ、石岡兄が心中を深く語る。
「もう、限界なんです。傍に居ることが、苦痛でならない……」
 この言葉は、夢の中の夢で、克っちゃんが告げた台詞と似ている気がする。
 もしかしてあの夢は、克っちゃんに姿を変えた、石岡兄の想いを予知したのではないだろうか。

「松本さんの家には、ご両親がいらっしゃる。でも我が家は、常時二人っきりだ。だけど萩乃は未だ未成年で、突き放すことは出来ない」
 堰を切ったように、切ない心情を吐き出す兄の隣で、何もできない自分を歯痒く思う。
 けれど、次の言葉で、萩乃ちゃんのパニック原因が私にも解った。
「それでも、このままでは、萩乃が成人するまで、耐えられる自信がない……」
「それで、ミヤさんに頼んで、萩乃ちゃんを突き放してるんですか?」
「その通りです。けれどそれは、逆効果だった……」
 そして、それに輪をかけて、私が失態を犯したのだろう。
 何と言っていいのかも、何と謝ったらいいのかも分からない。ただ胸が苦しいだけだ。

「可笑しなものですよね。自分で境界線を引いたのに、誰かに取られると思うと、堪らなく怖い」
 その気持ちは、私にも解る。誰かに取られる云々ではなく、克っちゃんに置いて行かれること自体が、堪らなく怖いんだ。
 でも、兄が吐露する意味は私と違う。兄の感情はもう、兄妹の枠を越えてしまっている。
「萩乃が七和くんの部屋を訪れていたと知って、嫉妬に狂う自分が居た」
 そうだろうとは、薄々感づいていた。
 あそこで克っちゃんが登場したのも、石岡兄に分別がなくなっていたからなのだと。
 それでも、やっぱり兄は凄い。自分の感情を押し殺し、萩乃ちゃんに想いを悟られてはいない。

「私は、未だ未だな男です」
 少しすっきりしたように、苦笑いを浮かべて、石岡兄が自嘲する。
 そんなことは、決して無い。報われぬ想いほど、辛いものはないのだから。
 だから石岡兄は、未だ未だじゃない。未だ、でもない。
「いや、未だ未だなのは、ナナワであって、兄じゃないから」
 鼻の奥に疼く痛みを隠し、おどけた口調で断言すれば、兄がくすくす笑い出す。
 なんというかその、七和はその場に居なくても、笑いを取れる男なんだね。

「七和くんは強敵ですよ。あの人は、全てを計算し尽くして動く」
「えぇ? 確かに、千里眼と瞬間移動はできますが、計算はできないでしょう?」
 けれど、そう叫んでから気づく。七和は理数系の男でした。拠って、計算は大の得意です。
 それでも、やはり納得がいかない。あいつの言動に、裏があるとは思えない。
「兄、それは絶対に勘ぐり過ぎだって」
「いやいや、七和くんに狙われた人は、大変ですよきっと」
「なんだかそれじゃ、ナナワはスナイパー」

 ビルの上から、ライフルを構える七和を想像し、その滑稽さに思わず噴出した。
 それなのに石岡兄は、これ平然とその言葉を肯定する。
「ある意味、そうでしょ。狙った獲物は外さない」
「えぇ? 似合わないって! あいつ、もみあげ長くないし」
「それは、ゴルゴを意識しすぎかと」
 確かにそれは否めません。私の知っているスナイパーは、そのお方だけです。
 用件を聞こう。なんて、渋い台詞を言っちゃうのよ、これが。

 ところがそこで、唐突過ぎるほど唐突に、石岡兄が切り出した。
「美也さん、ずっと考えていたのですが、我が家に越してきませんか?」
「うおぉ? なぜ、そのような見解に?」
「いえ、改めて考えてみると、とても怖くなりました……」
 そこで石岡兄は、私自身ですら整理のつかない心の内を、勝手に語りだす。
 私の心は、克っちゃんに依存し、べったりと張り付いていて、まるで萩乃ちゃんのようだと言う。
 心は克っちゃんを求めているのに、亮と結ばれたことで、身体は亮を求めるのだとも。
「だから、このままでは心と身体のバランスが崩れ、貴女は壊れてしまう」

 なぜ、石岡兄は、そんな風に思うのだろう。しかも、怖いなんて言われるのは心外だ。
 確かに私は、克っちゃんへの依存心が高いと思う。それでもそれは、恋愛云々の感情ではない。
 現に今だって、心は克っちゃんではなく、亮に会いたがっているというのに。
「そんなことないですよ。私は亮ちゃんを」
 だから、きっぱり否定をしようと口を開けば、言い終わる前に切り返された。
「それは、松本先輩が動いてないからですよ」
 克っちゃんが動かないとは、何だろう。余りにも抽象的過ぎて、意味が全く解らない。

「克っちゃんが動いてないって、どういうこ」
 詳しい説明を求めて、鸚鵡返しに聞き返すけれど、兄は口が滑ったとばかりに、着眼点を変えた。
「美也さんという目があれば、私も萩乃が成人するまで、耐えられる気がして」
 そこで、つと席を立つ石岡兄は、キッチンへ向かいながら、言葉を続ける。
「萩乃も、ここに住むのが美也さんであれば、何の文句もない」
 そして、冷蔵庫から飲み物を取り出すと、それを片手に舞い戻り、にこやかに告げた。
「小さいですが部屋もありますし、美也さんの身の安全だけは、保障しますよ」

 溜息を吐きながら、改札を潜り抜ける。
 ビールを口にしてしまっていた石岡兄は、私を車で送ることができず、申し訳ないと謝ったけれど、勝手に赴いたのは私なのだから、謝る必要などどこにもない。
 では何故、こんなにも深い溜息を吐いているのかと言うと、なんだっけ?
 否、悩みってさ、深く掘り下げ過ぎると、最初の悩みが何だったのか、解らなくなるじゃん。なんて間抜けは、私だけですね。きっと。

 堪らなく亮に会いたい。凄く会いたい。だから居ないと知りつつも、足は秘密基地へ向かう。
 案の定、真っ暗闇の秘密基地。けれど電気のスイッチを押せば、いつもと違う光景が目に入る。
 亮の荷物が異様に多い。序に、出しそびれたゴミも、三袋ほど溜まっている。
 呆然と部屋の入り口に佇み、頭の中を整理しているところで、鍵の差し込まれる金属音が響く。
 当然、その後直ぐに玄関の扉が開け放たれ、この部屋の借主が、困惑気味に私の名を呼んだ。
「美也……」

 亮の顔が一瞬だけ、私を拒絶したように思えた。
 それでも、それに気づかないふりをして、一番聞きたかったことを口にする。
「亮ちゃん、これって、亮ちゃんはずっと此処に居たの?」
「あ、うん。夜遅かったから、ここなら気兼ねないしね」
「気兼ねって……」
 間髪置かずに返された、亮の言葉にショックを受ける。あの家に住む人間は、全員が家族なのに、亮は気兼ねするのかと思うと、酷く遣る瀬無い。
 それでも亮は、何処吹く風で、小さな冷蔵庫を開けながら話し出す。
「あ、なんか飲む? 結構ストックがあるんだよ、会社の近所に」
「亮ちゃん、話があるの」

 亮の動きが止まり、私の視線を避けて、空いた側の拳が固く握られる。
 先週は克っちゃんで、今週は、亮の様子が明らかに可笑しい。これはもう、兄弟対抗、凍える空気リレーに違いない。
「亮ちゃん、何か遭ったの?」
 亮へ歩み寄り、顔を覗き込もうとするけれど、亮はそれすらも避けて、明るく言い放つ。
「何もないよ。あ、美也はカシスソーダでいい?」
 何もないはずが無い。それでも我が兄弟は二人共に、口を割った例がない。
 だから、諦め半分に溜息を吐き、話を元に戻して、石岡兄の件を話そうと試みた。
「さっきの話なんだけど、あのね、私…んっ」

 突然キスの奇襲を受けて、動転したまま、ただ喚く。
「亮ちゃ、まっ、ふぐっ…話がっ、んっ」
 それでも止まない攻撃に、身体が屈しかけるけれど、石岡兄の言葉が脳裏に浮かぶ。
 私は身体だけを、亮に求めているわけじゃない。
 ちゃんとこうやって、悩みも心の内も、吐露しようとしてるのに、こんなのは厭だ。
「亮ちゃんやだっ! 話を聞いてって言ってるじゃんっ」
 力一杯で亮を押し退け、腹立たしさに、声を荒げて文句を叫ぶ。
 それなのに亮は、未だ目を合わすことなく、嫌味口調で毒を吐いた。
「美也の話に、碌なものはない」
「だからって、身体ばっかりじゃ私だって」

 身体身体と考えていた所為で、思わぬ言葉が声になる。
 けれど、その言葉に憤慨した亮は、眉間に皺を寄せて、吐き捨てた。
「身体ばっかりなのは美也じゃん。どうせ、此処にだって、抱かれにきたんでしょ」
「違うよっ、何でそんな言い方……」
「俺は美也の全部が欲しいのに、美也は決して心をくれない。俺にくれるのは身体だけ」
 まただ。またそうやって、誰も彼も、亮までも、私の心を勝手に判断する。
 もう皆、勝手にすればいい。勝手に判断して、勝手に決め付けていればいい。
 どうせ私の主張など、誰からも否定されるのだから、言うだけ無駄だ。

 いつの間にか、肌蹴ていたブラウスを掻き寄せ、転がる鞄を拾い上げて玄関へ向かう。
「美也、待っ」
 掴まれた腕を無言で振り払い、今度は私が目を合わすことを避けて、靴を履く。
 後ろから抱き締められても、もう屈しない。眉根を寄せたまま、亮の腕から逃れ出る。
「美也…美也っ」
 言霊を放たれようが、何をされようが、動じるつもりも、会話を交わすつもりも毛頭ない。
 亮だけは解ってくれると思っていた。亮が好きだと、言葉でも伝えたのに……

 目を逸らしながら、無言で抵抗を続ける私に痺れを切らし、亮が私を抱き上げる。
 ベッドに転がされ、身体を拘束され、そこで漸く、抵抗することを止めた。
 また身体だ。もう勝手に身体を征服すればいい。だけど応えてやるものか。勝手に抱いて、勝手に果てれば気が治まるのなら、そうすればいい。

 唇を塞がれても、それに応えることなく、抵抗することもなく、ただ、されるがままに脱力する。
「美也……」
 そうやって、悲しげに囁きながらも、亮の手は私の胸を露にしていく。
 現れた胸の隆起を優しく掬い舐め、亮の右手が中心を弄り始める。
 そして、指は蕾を捏ねることも触れることもせず、密を絡めることもなく、私の中にやってきた。
 だけど私は答えない。視線を絡ませることも、反応することも、絶対にするものか。
 亮は身体だけだと言い切った。ならば身体だけ、亮に差し出せばいい。

 差し込まれた二本の指は、柔襞の中で、くの字に折り曲げられ蠢き続ける。
「…っ」
 自分が情けない。どんなに心が抗っても、身体は勝手に反応を起こす。
 淫らな水音が、静か過ぎる部屋に響く。この溢れる蜜が良い証拠だ。襞や壁を守るためだけならば、ここまで溢れる必要はない。
 結局、私の心は抗い切れず、齎される快楽に震えている。
 だから身体は当然、絶頂へ向かって押し上げられていくんだ。
 それでも声だけは出すものか。それだけは絶対に厭だ。
「く…っっ」
 歯を食いしばり、爆ぜた。そんな自分が悔しくて、腹立たしくて、涙が止まらない。

「…美也、美也」
 言霊を唱えながら、爆ぜた私の身体を、亮がきつく抱き締める。
「ごめん。ごめんね美也…美也はちゃんと、心もくれてた……」
 頬を伝う涙を指で拭いながら、亮が囁くけれど、そんな言葉を信じられるはずがない。
「嘘っ、亮ちゃんは解ってなんか」
「解ってる。解った。だから、こんなの厭だ」
 私だって、こんなのは厭だ。私は此処へ、抱かれに来たわけじゃない。
 亮にずっと会えなくて、会いたくて会いたくて、此処に来たんだ。
 それなのに、解ってもらえなくて苦しい。好きなの、凄く。凄く好きなのに……

「美也、心でも応えて…身体だけじゃないって、俺に解らせて」
 唇を掠めながら亮が囁く。何かを訴えるその瞳に吸い込まれるよう、唇が開いて行く。
 ゼリーみたいに滑らかで、甘く柔らかい舌が、つるんと口内へ滑り込み、私を蕩けさす。
 そして今、心が亮のキスに屈した。くにゃっと音を立てて緩んだ心は、腕を伸ばせと身体に要求し、亮の身体に腕を巻きつかせながら、想いを伝えようと声を吐き出す。
「好きなのに…亮ちゃん解ってくれな」
 けれど、亮の手が私の口を覆い、声を封じて、耳元でそっと囁く。
「言葉じゃなくて、心で伝えて……」

 どうやったら、心で伝えることができるのだろう。
 けれど、そんな悩みも、亮の指と唇が拭い去ってしまう。
「ふぁっ…んっ、あ…んんっ」
 首筋を這っていた亮の唇が、胸の輪を覆うように吸い付き、舌が隆起を溶かす。
 この感触が堪らなく好きだ。亮の唇が、亮の舌が、堪らなく好きなんだ。
 浮力を受けたように身体が軽くなり、茫洋とした世界を漂い微睡む。
 ところが、そんな世界は、直ぐに跡形も無く消え去った。

 固く充血した胸の隆起を、弄んでいた亮の指が、いつにない動きで私を追い込み始める。
 突然、胸の膨らみに埋まった乳首を、押し出すように摘み上げられ、そっと捻り扱かれた。
「く、あっっ…んんんっ」
 ぞくっと身体が痺れ、一瞬にして全身が総毛立つ。
 この感覚は苛烈過ぎる。先端と違って、普段は肌に隠れている箇所だけに、少しの刺激を与えられただけでも、叫び狂いたくなる。
 まるで、初めて花芽を舐められたときのようだ。今にも回路がショートしそうで怖い。
 それなのに亮は、これ以上を求めて、私を壊す。

「いやっ、やめっ、やめてっ」
 隆起の側面を指で捻りながら、濡れた熱い舌が先端を舐め上げる。
 このままじゃ、胸だけで爆ぜてしまう。この刺激はもう、花芽を嬲られるよりも強烈だ。
「あ、だめっ、りょうちゃ、イ、イっちゃうのっ、イっちゃうのっ」
「いいよ…イって…、美也、イって……」
 亮の声が聴覚までもを刺激し、高みに向かって打ち上げられた。
「ああっ…くぅっ、んんぁぁぁっ」
 それでも亮は、待ってくれない。絶頂を迎えた瞬間、二本の指が私の中へ沈む。

 こりっと身体の中から弾かれる感触。吸気が音となって伝わり、身体が大きく跳ね上がった。
 一瞬でも解る。此処は厭だ。此処は駄目だ。
 だから逃れようと身を捩るけれど、身体の動きをキスが封じる。
「や…やめ、んふっ…んぅっ…やめ」
 指は差し込まれたまま、抜かれることがない。二つの指の腹で、こりこりと押し抉り続ける。
 そこに、胸の隆起を扱く指と、先端を這う舌の動きが加わった。
 厭だ。またあの波が押し寄せてくる。厭なのに、駄目なのに、どうしても我慢ができない。
「んぁぁっ! あああっ、いやあああっ」

 絶頂に達しながら、潮を吹く。爆ぜる悦びと開放感で、身体の震えが止まらない。
 そんな私の肌に飛び散る愛液を、亮の唇が優しく舐め取って行く。
「亮ちゃ、やめて、だめって…やめて」
 尿ではないと解っていても、汚辱感は拭えない。だから、必死で止めて欲しいと懇願するけれど、亮の意地悪は止まらない。
「やだ。やめない。もっと美也。もっと」
 剥いた蕾を舌で溶かされ、指で奥深い要処を攻め立てられ、顔を横に背けて発狂する。
「いやぁっ、やめ…あああっ、やぁぁぁぁっ」

 まるでトランポリンだ。爆ぜても爆ぜても、地に下ろして貰えず、熱い息を吐き続ける。
 こうやって、私の心と身体は、亮に感じて止むことが無い。
 それでも不安が込み上げて、奔流に呑み込まれながらも、想い馳せる。
 亮の心は、感じているだろうか。私を求めてくれているだろうか……
 だから、欲しくて堪らない言葉を強請った。今だけでいい。今だけは、私を好きでいて欲しい。
「亮ちゃんお願い。お願い…好きって言って」

 その言葉で、亮の動きが完全に止まった。
 荒い息を繰り返しながら見上げれば、驚きに目を瞠る亮が、視線を絡ませた途端、顔を歪めて呟く。
「美也、それ反則」
 何が反則なのかも聞けぬまま、亮がくる。一気に最奥を目指し、ずんと私を貫く。
「うぅんぁっ、亮ちゃ…亮ちゃんっ!」
 力の限りで亮を掻き抱き、首に顔を埋めて悶え鳴いた。
 そんな私の頭に口づけながら、亮が苦しそうに囁く。
「好きだよ美也、好き…だから疑わないで……」

 亮が動く。想いの全てを叩き込むように、激しく、強く、貫いては引き抜く。
「んあぁっ、亮ちゃん亮ちゃんっ!」
「美也…っ」
 言葉と身体。亮の全てで愛されて、心が満たされ、想いが溢れ出す。
 私も、同じだけの想いを返したい。
 それが亮に届くことを願って、与えられる快感に必死で応え、果てた――

 火照りが冷めない身体のまま、不貞腐れながら横を向き、脈略無く文句を垂れる。
「亮ちゃんだって、疑ったっ」
 私の項や頬に後ろからキスをする亮は、吸血鬼のごとく、かぷっと首筋を噛んでから、文句を文句で返して寄越す。
「あのね、俺を押し退け、他の男の元に突っ走られれば、誰だって疑うから」
 言うほど痛くはないが、ここは大いに痛がっておこう。さらに、否定も忘れず添付と。
「イ、イタっ! あれは、他の男じゃなく、克っちゃんでしょ」
「でも男じゃん。しかも、部屋で抱き合ってるし」
「それは、関節技を決められてただけでしょっ」
 まぁ、確かに克っちゃんは男だ。あの図体で女だったら、ある意味凄い。否、怖い。

「美也はいつも、事後承諾を俺に言う。でも兄貴には、事前に相談する」
「そんなことな……」
 そんなこと、なくもない。はっきり言って、その通りです。ごめんなさい。
 だから、言いかけた言葉を慌てて飲み込んだけれど、鼻に皺を寄せる亮は、私のほっぺたを引っ張り、ぶすったれる。
「ほらみろっ」
 それでも今日は、断じて違う。
 克っちゃんにも話していない事柄を、真っ先に亮へ相談したかったんだ。
「でも、今日のは相談だったんだよ……」

 もぞと動いて向き合い、小声で主張をすれば、大きな溜息を吐いた後、諦めたように亮が問う。
「で、兄貴は何だって?」
 兄貴は兄貴でも、私が話したかったのは、松本兄貴ではなく、石岡兄貴の件だ。
「あのね、石岡兄がね、一緒に暮らさないかって」
 それでも兄貴には変わりがないから、それを否定せずに話を進めれば、そこは否定しておけとばかりに、亮が叫ぶ。
「はっ? 兄って、石岡兄なの? 克じゃなくて?」
「そうだよ。克っちゃんとは、もう一緒に暮らしてるじゃん」
「いや、そうだけど、俺はてっきり……」

 てっきりも気になるけれど、亮はつっこむポイントを間違っている。
 だから、重要箇所の修正を試みながら、話を勝手に展開した。
「石岡家は二人切りだから、他人の目が欲しいんだって」
 そこで漸く、亮がポイントに気づいたけれど、心此処にあらずな解答を適当に投げる。
「あぁなるほど、そういうことね。石岡さんも、同居人が美也なら、文句はないと」
「そうそう。本当はミヤさんにしようとしてたみたいだけど」
「え? ミヤさんって、また秋葉さん?」
 また言うな。また。数回しかお会いしたことがないのに、なんだかミヤさんのイメージが、大幅ダウンだよ。いやその、私よりもみんながさ。

「で、美也はどうしたいの?」
 額に唇を宛がいながら、亮が囁く。なんというかその、亮ってキス魔だよね。嬉しいけど。
「萩乃ちゃんのことを考えると、邪魔したいって思うの。でも……」
「でも?」
「りょ、亮ちゃんと会えなくなっちゃう気がして、なんか、その」
 言い出してから、恥ずかしくなってきた。こういったキャラは、もっと可愛い子がやるべきだ。
 私が言っても、笑いを誘うだけで、萌えが無いんだよね。萌えが。
 けれど亮は、眩暈が起きそうなほどの微笑みを浮かべて、私の名を囁く。
「美也……」

 胸がきゅんきゅんする。なんて綺麗な顔で笑うのだろう。
 こんな芳顔で名を囁かれたら、落ちない女はいないよ絶対。
 それなのに、それ以上、ときめかせる台詞を、切な気に囁かれるから堪らない。
「この一週間、可笑しくなっちゃうんじゃないかって思った」
「ん? そんなに仕事が忙しかったの?」
「違うよ。美也の顔が見れなくて。声も香りも、全部が恋しくて」
 駄目だ。落ちた。落ちました。見事なまでに、心を射抜かれ苦しいです。
「亮ちゃん……」
 ぱくぱくと食べてしまいたい。愛しくて愛しくて、食べちゃいたい……

「イテッ! 美也っ、噛むなっ!」
「お? あ、ご、ごめん、つい、つい、出来心でですね? ほら、昔から何と言いますか、可愛い子には旅をさせろというか、可愛いからこそ、食べちまえ?」
「そんなこと言わないよ」
「じゃ、じゃあ、短気は損気だから、気をつけよう?」
「ぶっ飛ばす……」
 亮ちゃんの口癖は、ぶっ飛ばすですが、本当にぶっ飛ばされたことなど、一度もありません。
 故に、この口癖は、脅しになど全くならないので、するっとスルーの方向で。

 けれど甘かった。こいつは、ぶっ飛ばすよりも、破壊力のある攻撃法を、行使する男でした。
「ぜってぇ、泣かす……」
「ご、ごめ、やめ…あああっ、やぁぁぁぁっ!」
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