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◇◆ Bell ◇◆
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校門前で、転生したベルを待ち続けて早数十分。
暖かい南の国で生まれ育ったベルが、こんなにも寒い国の冬を何度も過ごしてきたと知り、あのときの自分自身に腹が立つ。 ただでさえ誰よりも年下で、力も権力もなく、無様にも君を守りきれずに、この世界に送り込んでしまった俺。 それでも今は違う。あのときの約束通り、君よりも年上になった今なら…… ベルに初めて出逢ったのは、俺が五歳の頃だった。 姉貴の部屋から楽しげなクスクス笑いが聴こえるから、そっとドアを開けて覗き込めば、 ベッド上に大量の菓子をばら撒きながら、淡いレモン色のドレスを着た少女と姉貴が仲良くおしゃべりに嵩じていた。 姉貴は弟の俺が見ても、プリンセスという称号が似合う女だと思う。 繊細で穏やかで、そして気品がある。花で言えば胡蝶蘭のような人だ。 そんな姉貴は誰からも羨まれる反面、敬遠されて友達ができないことが悩みだった。 けれど姉貴が腹を抱えて笑っている。だからそのとき、小さい俺でも悟ることができた。 この少女は姉貴にとって、とても大切な存在なのだと。 姉貴が胡蝶蘭なら、ベルは鈴蘭だ。 ひっそりと片隅に咲く花。けれどその優しい香りと、愛らしい形に、人はふと足を止めて屈みこむ。 決して目立つことはなく、感嘆の溜息をこぼされる花でもない。 それでもその花を見つけたときは、誰もが優しく微笑むだろう。 そして俺はその花を見つけたその日から、鈴蘭の、ベルの虜になった…… 四つの国の王子と王女の中で一番最後に生まれた俺は、最初からバールの仕来りに左右されることがなく、 王子の権力争いや、定められた婚約者、そんな全てのものから除外されていた。 だから皆が抱える不安や、やりきれない想いを、そのときがくるまで気付くことができなかった。 少しずつ成長し、皆が皆その意味を理解するとともに、自我が芽生える。 姉貴は、ベルの兄であるアルファードに恋をした。 肌身離さず首に下げる大きなルビーのネックレスの中に、アルファードの肖像画を埋め込んでいたのを知っている。 けれど姉貴には、生まれたときから定められた婚約者が居た。 エスプレッソ国のグランド。 ほぼ一年中、雪の積もる北の国の王子。心まで氷のように、優しさや思いやり、そんな感情が欠落した王子。 アルファードもまた、姉貴を好きだったと思う。 けれどアルファードにも、決められた婚約者が居た。 エスプレッソ国のビオラ。 兄であるグランドよりはマシだけれど、我侭で自己中心的な価値観を押し付ける王女。 バールの古くから伝わる仕来りと伝統。それに逆らうことが許されず、自我を殺すことしか出来ない状況。 目を合わせることなく回廊をすれ違う二人。その時の二人の気持ちは、一体どんなものだったのだろう…… そしてその仕来りを忠実に守ってしまえば、二人はエスプレッソ国を通した義兄弟になってしまう。 互いに違う伴侶を伴って、行事のたびに顔を突き合わせる。 繊細な姉貴は、確実にやってくるだろうその未来に耐えられなかったんだ。 そんな好き合う二人の気持ちは隠し通せるものではなく、グランドとビオラにその旨が伝わった。 ビオラは逆上し、直球で姉貴を責め続けたが、グランドは、姉貴でもアルファードでもなく、ベルを執拗に甚振った。 数々の祭祀と園遊会、舞踏会に武勇会。 いつも輝かしい功績を残すのは、アルファードと、カプチーノ国の王子であるエースの二人で、 どんなに鍛え上げても、グランドは何一つその二人に勝つことができなかった。 ベルは憎きアルファードの妹であり、目の上の瘤であるエースの許婚だ。 二人の王子の最も近くにいる、最も弱者なベル。そんなベルを甚振ることで、グランドは憂さを晴らし続けた。 グランドは卑怯だった。 自分よりも強者である人間がいるときは絶対に手を出さず、弱者だと見下した人間と、 自分の味方がいるときだけ、卑劣な嫌がらせをベルに繰り返した。 俺もその中に居た。そう。俺は弱者だと、グランドに見くびられていたんだ。 ベルはエースを愛していた。 とても純粋に、とても従順に、エースの半歩後ろをおずおずと歩いていたと思う。 けれどエースの方は、そんなベルを邪気に扱った。 何かあるとすぐ、嫌だけれど仕方がないんだと、仕来りを口実にした文句をベルに直接吐き捨てた。 エースがそう言うたびに、ベルは悲しげに微笑んでいた。 鈴蘭が小さく揺れて、誰にも気付かれない、小さな音を立てているような気がした。 だから俺の頭の中で、幾度にも囁き続けられる小さな声。 俺ならもっと、俺ならきっと…… けれどそんな想いは、簡単に、そして粉々に打ち砕かれた。 いつものように、アルファードとエースの居ない隙を狙って、グランドがベルを甚振った。 ベルがエースのことを、深く想っていると承知の上で吐かれる言葉。 「お前は可哀想な女だよな。兄貴と婚約者が親友を取り合って、自分は誰からも見向きもされねぇんだろ?」 違う! 俺が、俺が居る! 心ではそう叫ぶけれど、グランドが怖くて、俺はその光景を眺めているだけだった。 なにも出来ないままの臆病者の俺。周囲の人間から、必要のない笑いを受けるベル。 「エースの口癖、あれは心からの本音だ。ハープを自分のものにできないから、身代わりとしてお前を抱くんだよ!」 グランドのその一言で、ベルの顔が青ざめていく。 壊れそうなほどカタカタと身体を揺らし、それでも歯を食いしばって耐えるベル。 けれどそんなベルを可笑しそうに見下しながら、意地悪く微笑むグランドの言葉は延々と続く。 「お前、いつもエースに媚薬を使われているだろ? あぁでもしなきゃ、お前みたいな女を抱けねーんだよ! お前、自分がどれだけひどい容姿だか知ってんだろ? ハープと並んで歩いて、惨めにならねーのかよ?」 「やめろーっ!」 姉貴とベルの関係にまで話が及んだことに耐え切れず、俺は飛び出した。 ベルは惨めなんかじゃない。それよりも何よりも、エースのベルに対する仕打ちに、腹が立ったのかも知れない。 俺ならもっと、俺ならきっと……そんな気持ちに駆られて、後先考えずに剣を抜いた。 けれどそんな俺をベルが止めた。 同じく剣を抜いたグランドから、俺を庇うように。自分を盾にして、俺を守るように…… 騒ぎを聞きつけて、エースとアルファードがその場に走りこんできたけれど、ベルは何でもないとシラを通した。 訝しげに見つめるエースに、バレることのないよう、優しい微笑みを浮かべて。 それで事は丸く収まったけれど、残された俺は、自分の非力さと愚かさと、惨めさに苛まれた。 ベルを守りたかった。なのに守られたのは俺の方だ。 強くなりたい。誰よりも強くなって、何よりも大切なものを守れる男になりたい。 けれどその日から幾許も経たないうちに、事は起きた。 元々薬学で有名な俺の国ではあるが、姉貴は数十年に一度現れるとされる優れた血筋の継承者で、既に父上にも負けぬほどの技術を習得していた。 そんな姉貴が生み出した、禁忌の媚薬。生きながらに違う世界へと転生する媚薬。 髑髏の紋章が描かれる小瓶に詰まった血のように赤い液体を、姉貴が自分のカップに注ぐ。 ベルが必死で姉貴を止めていた。 事の次第を把握して、俺もその輪に飛び込み姉貴を止めた。 それでも姉貴の意思は固かった。 「後数週間で、私は十八になってしまうの。グランドとの、婚姻の儀が執り行われてしまうのよ!」 初めて聴く姉貴の悲痛な叫び声。一緒に暮らしていた俺がそうなのだから、ベルにとっても初めてのことだっただろう。 そして震えながら吐き出される姉貴の囁きに、ベルが答えた。 「お願いよベル、どうか解って……」 「だったら私も一緒に行くわ……転生した後も、ずっとハープと一緒にいられるのでしょ?」 同じカップからその媚薬を飲めば、同じ場所へと転生されるであろう。 でもそれを誰も試したことはない。だからそれは、あくまでも予想だった。 行き先は誰にもわからない。 だから俺は必死に二人を止めた。姉貴も、ベルも、どうか居なくならないでくれと。 「私が居なくなったからって、ハープ以外に悲しむ人は居ないわ……」 ベルがそう淋しげに笑う。だから止めた。だから告白した。 俺はずっと、ずっとベルのことが好きだったのだと。 きっとそれは、優しいベルの優しい拒絶だったんだ。 「ありがとう。もしバンバンが、私よりも年上になったら、私を迎えに来てくれる?」 ベル自身が死ななければ、俺がベルの年を追い抜くことはない。 その言葉にショックを受け、呆然とする俺の目の前で、姉貴よりも先にベルがカップに口をつけた。 そしてソーサーの上にカップが戻される瞬間、ベルの姿が忽然と消えた。 姉貴がカップに手を掛ける。 「キャラバン、ごめんなさいね……勝手なお姉ちゃんを許してね……」 ところがそこに形相のビオラが現れて、姉貴の胸倉を掴んで揺さぶり、ありとあらゆる罵声を姉貴に浴びせ始めた。 姉貴は最後の思い出にと、アルファードに想いを告げていた。 その現場を盗み聞いていたビオラが、姉貴を責め立てにやってきたんだと吐き出される言葉で知った。 そして次の瞬間、揺さぶり続けられた姉貴の腕からカップが飛び跳ねて、怒鳴り散らすビオラの口に液体が流れ込んだ。 カップが地面に叩きつけられると同時に、ビオラがベル同様に忽然と消えた。 姉貴はすぐに二人の後を追おうと、新しいカップに液体を注いだけれど、その小瓶を俺が叩き割った。 「今更後を追ってどうなるんだ! 違うカップからじゃ、同じ世界になど転生できないだろうがっ!」 姉貴は泣き崩れ、自分の仕出かしてしまったことの重大性に打ちひしがれた。 「探さなきゃ……ベルを、ビオラを探さなきゃ……」 何かの呪文のようにそれだけを繰り返し、それ以来、姉貴は自室から出ることがなくなった。 当然、姉貴と俺は、事の次第を父上である国王に告げた。 エルグランドの卑劣さを垣間見ていた父上は、事の重大さに嘆きながらも自分の犯した過ちを認め、 姉貴とグランドの婚姻解約をエスプレッソへ申し出た。 けれどベルとビオラが消えてしまったことに関しては、外交問題にあたると考え、それをひた隠した。 ココア国は、国王、国民が一体となって、ベルの行方を探し続けた。 それはすぐに隣国にも広まって、日の昇る国カプチーノもまた、総力を上げてそれに加わった。 けれど一方のエスプレッソ国は、ビオラが消えたことをおくびにも出さなかった。 そして国民ですら、そのことに気がつかないまま一年以上が過ぎた。 こういったことには、政治的な関与が働く。 だからココア王とエスプレッソ王、そのどちらの判断が正しいのかなど俺には解らない。 けれど王である前に、一人の親として子を心配するココア王と、大事な姫を必死で探し続けるココアの国民は、 バールの世界で英雄とされた。 その行動は人々の心を動かし、ココアの国へ惜しみない援助が注がれた。 そこでようやく、エスプレッソがビオラもまた消息不明だと発表した。 バールの王女が、忽然と消える。 姿を見せなくなったハープを心配した国民が、まさかハープまでもが消えたのではと押し寄せる中、 姉貴は持てる力を最大にして、昼夜問わず二人が転生した場所を探し続けていた。 そして、一年半ぶりに姉貴が部屋から姿を現し、やつれ果てた身体と顔で、そっと囁いた。 「居たわ…人間界の日本よ……キャラバン、どうか私の代わりに、ベルとビオラを迎えに行ってあげて……」 姉貴はそれを最後に、深い眠りについた。 昔、乳母に読んでもらった『眠りの森の姫』のように、誰かの訪れを待つ姫の如く。 自責の念に駆られた姉貴は、きっとまた何かの媚薬を飲んだのだろう。 けれど俺には、姉貴を目覚めさせる方法が解っていた。 姉貴にとっても、俺にとっても大切で、何よりも大事な宝物。姉貴が目覚めるには、その宝物が必要だ。 だからその宝物を、探す旅に出た。姉貴から渡されたバトンを大切に心にしまって…… 媚薬の香りを辿りながら人間界に下った俺は、まず先にビオラを探し当てた。 転生しても、相変わらずな性格はそのままで、前世の記憶がほとんどないビオラ。 それでも根気よく説得を試みれば、お姫様だという箇所に心打たれたビオラは、 少しずつバールの世界を想像するようになっていった。 それと同じくして、俺はベルを探し当てた。 けれど俺は、探し当ててからもベルの前に姿を現すことをしなかった。 まだ早い。君の前に現れるのは、今じゃまだ早いんだ…… そして俺は今日、十九歳の誕生日を迎えた。 これで君と約束した想いを、遂げることができる。 鈴蘭の香りがほのかに漂う。シャラシャラっと小さな音を立てて、制服姿のベルがゆっくりと歩いてくる。 思い出してベル。もう俺は、君に守ってもらう男ではないよ。 今なら言える。俺ならもっと、俺ならきっと、エースよりも君を幸せにすることができる…… けれどそこにエースが現れた。 バールに全く戻っていなかった俺は、なぜ人間界にエースが居るのかが解らなかった。 あれほど見下し、邪気に扱っていたベルを、連れ戻しにきたとは思えない。 どうせココア王に頼まれて、仕方なくやってきたといったところだろう。 だから俺は、出逢い頭に宣誓布告をエースに放った。 「俺の方が、あなたよりベルを愛し、あなたよりベルを幸せにできるんですよ、エースさん」 けれど、あれがこの人の、エースの愛し方だったのだと知ることになるのは、もっと後の話。 そして俺のベルに対して抱く想いは、この人の想いとは比べ物にならないと愕然とするんだ…… |
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