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◇◆ 五月のマツダン茶道部 〔橘 明仁 編〕 ◇◆
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本日、初風炉の茶事。人生儀礼に応じ、亭主、徳川 康國 殿。半東、風三院 迅 殿と為る――
初風炉(しょぶろ)とは、立夏を迎え、炉から風炉に替わった、初夏の茶の湯を呼ぶらしい。 さらに我が茶道部の正式な茶事の流れは、表千家を真似て、前茶が持成された後、初炭、懐石、中立、濃茶、後炭、薄茶の順に進められ、開始から終了まで、四時間くらい掛かる。 だから、時間の限られた放課後などは、強引に端折る。というよりも、ほとんど毎日端折っている。 故に、端折らないでやるぞ。を、茶事と呼び、端折るぞって時には、茶会と呼んで誤魔化す。 けれど、今朝、配られた活動内容状には、茶事と記載されている。 前々から、予定されていたことなのだろうが、状に書かれた、人生儀礼たる箇所に興味を覚えた。 明日は、本年度初めての、條家ドラフト会議が控えている。 そんなときに、康國くんが主催役。さらに迅が、亭主の補佐役である半東(はんとう)を仰せ付かっているということは、この二人が明日のドラフトに参入するのだろうか。 否、それは有り得ない。明日は九條家のドラフトだ。康國くんが、葵子を入札するはずがない。 というか、誰かに任命されて茶会を催すなんて、可笑しな話も良いところだ。 だけどこれ、部活です。しかも、部長である譲仁の言葉は、絶対です。 譲仁に逆らえなかった訳ではなく、皆と離れていた時間を埋めるために、茶道部へ入部した。 それでも正直言って、茶道など、俺には無縁の世界だ。 作法や振る舞いも、幼少の頃に掻い摘んだ程度で、それすらも、うろ覚え、曖昧、あやふやだ。 だから、こんな俺でも入部できるのかと心配したが、なんてことはない。やつらの方が適当だった。 考えれば、この面子が奥床しい茶道の真髄など、悟れるはずがない。 茶道部などという名称は、体裁良い隠れ蓑だ。 その分、気が楽だと言えば楽だが、気が滅入ると言えば気が滅入る。 何故、気が滅入るのか。それは茶室、否、部活そのものが、見世物小屋だからだ。 当然だが、松組に掃除という時間はない。 帰りの会と呼ばれるショートホームルームを終えれば、各々、目的の場所に向かう。 そして、二学年の茶道部員は、譲仁と俺だけだからこそ、必然的に毎日こうなる。 「ミョー、お前は何故そこまで、手際が悪いんだ……」 たった今、席を立つことが許されたばかりだと言うのに、俺の帰り支度が遅いと、嫌味を吐く男。 明らかに伊達眼鏡だと思われるそれを、きちきちと持ち上げ、嫌味に花を添える、この男。 何故、あんなにも天真爛漫だった譲仁が、こんなになってしまったのか、未だ納得がいかない。 それでも、このぴりぴり加減は、菫子がまた、何かをやらかしたに決まっている。 昔から、こいつの苛立ちは、菫子の言動に連動する。 「おいジョー、康國くんと迅の、人生儀礼って何だよ?」 部室に向けて、譲仁と廊下を歩きながら、興味津々で問い掛ける。 すると、国語辞典そのままの回答が、譲仁から放たれた。 「儀礼とは、一定の形式にのっとった、規律ある行為、礼法、礼式のことだろうに」 「そんなことは、俺だって知ってるよ。そうじゃなくて、もしかして明日……」 けれど其処で、渦中の葵子が、菫子とともに現れた。 何やら俺に用向きがあるらしく、会話の区切りを付かず離れず待っているから、譲仁へ投げた言葉を途中で止めて、葵子に言葉を掛ける。 「ん? 俺に用事?」 「あ、はい。お話中、申し訳ありません」 「いや、いいよ。別段、こいつとなんか、大した話なんてしてないから」 條家のお姫様だと言うのに、葵子は昔から腰が低い。逆に本家の薫子はぞんざいで、菫子は暢気というか、今風だ。どれが良いとは一概に言えないが、それでもこの低姿勢には参る。 だから、親しみを込めて言葉を返したのだけれど、にやと笑ったのは菫子の方で、肝心の葵子は無表情のまま、用件を話し出す。 「あの…明仁さま、明日の会議に、ご臨席くださいますでしょうか」 会議とは、ドラフトのことだ。けれど、この言い方はおかしい。 「あれ? うちの者が、前礼に伺ったはずだけど?」 書状の案内が各家に届くと、出席数だのなんだのを、相手方に出向いて挨拶するのが慣例だ。 そこで親父から、九條家の婚姻交渉権に参加するかと問われ、しないと即答した。 人間は商品じゃない。だから即答したまでなのだが、親父は当然だとばかりに深く肯き、欠席の旨を配下の者に伝えさせた。 仕方のないことだと解っていても、あのような親父の肯きは、癪に障る。 九條家は由緒正しい。だから通年ならば、こんな事態には陥ったりしない。 けれど今年は、本條、二條のドラフト会議がこの後に控えている。 橘氏本家の俺が、この藤原氏トップ二人を避け、九條家の入札に参加することを、親父は快く思わなかった。だから親父は肯いたのであり、そう考えると、葵子の運命は可哀想だ。 この二人と違う学年に生まれていれば、こんな不当な扱いなど受けることはなかったはずだ。 「はい、欠席と伺っておりますが、明仁さまだけでも、ご臨席いただけないかと……」 なるほど、これが本題か。入札の有無に関わらず、四姓の欠席は品を落とす。 現に、来月行われる二條家の会議には、俺が不参加を唱えても、親父の出席は確定している。 きっと九條家は、体面を保つために必死なのだろう。 葵子を想えば心が痛いが、そう頼まれても、俺に出席の意思は無い。 だから、欠席の意を伝えようと口を開いたところで、その瞬間を逃さず、菫子が会話に割り込む。 「えぇ? ミョー閣下は来ないの? 今回の主菓子、すっごく気合いを入れたのに」 閣下と呼ぶくせに、それ以外は敬っていないところが、菫子らしい。 さらに、こいつの言う『すっごく』は、本当に凄いから、妙に気になる。 菓子云々で、出欠を決めるのも可笑しな話だが、何かこう、行きたい気持ちにさせられるから怖い。 「ど、どのくらい、すっごいんだよ?」 咄嗟に吐き出した俺の言葉で、菫子が両手で口を覆いながら、意味深な笑いを浮かべた。 そんな菫子の様子に、譲仁と葵子の頬が薄っすらと緩む。 けれど譲仁は、それを隠すように眼鏡を持ち上げ、菫子へ向けて文句を垂れる。 「また去年のように、ワサビ餡ルーレットを企んだな?」 「違うよ。今年はワサビじゃないもん。それにミョー閣下には、ちゃんとしたやつを作るもん」 「じゃあ、誰には、ちゃんとしていないものを作るんだ」 「き、嫌いな人っ」 そこで譲仁の眉根が、ぐっと寄る。これはもう確実に、去年、ワサビ餡を食べたのは譲仁だ。 笑わずにはいられない。なんでこの二人は、こうも相性が悪いのだろう。 そもそも、茶道部発足の経緯は、菫子が和菓子部たる部活動を、立ち上げたからだ。 菫子の作る菓子を、どうしても食べたかった譲仁が、なんだかんだと言い訳をしながら、堂々とそれを食べることの出来る、茶道部を作り上げた。 しかも、水屋は茶室に隣接していて当然だと主張し、和菓子部の部室である家庭科室の隣を、豪華絢爛な茶室に改装したらしい。 全く、ここまでくると滑稽だ。周りにはバレバレなのに、当人には伝わらない。 好きな女を苛めるタイプの男。譲仁の場合は、それをそのまんま、絵に描いたようだ。 笑いを押し殺しながら、未だ、知り得ないことを菫子に問う。 「何? そんな公の主菓子を、菫子が作るのか?」 部活と違い、会議は各家の当主たちが集まる厳かなものだ。いくら二條の姫君とは言え、そんな公の場の菓子を、趣味の域な者が作れるはずなどない。 すると菫子が、喜色満面に答えを返す。 「ううん。今回はお手伝いだけよ。でも、アオちゃんのパパとデザインを練ったの」 そこでまた、長身の葵子が、小柄な菫子を見下ろしながら、柔らかく微笑んだ。 九條家は、高級和菓子の老舗として有名で、各店舗他、全国の百貨店地下に、テナントを出す。 さらに、数々の賞を受賞する葵子の父は、宮内庁、茶道会ご用達の菓子職人だ。 当然、茶道家元である二條家の菫子は、九條家の和菓子を食べて育ったわけであり、弟が家督を継ぐと決まっている菫子は、茶道よりも和菓子の道に直走った。 当初、二條の姫君が九條の家に出入りすることを、窘める風潮もあったと聞く。 それでもこの菫子は、何も考えていないふりをして、暢気な口調で誰もを丸め込む。 そこまで考えて、何故、譲仁が微笑んだのかに、漸く気がついた。 俺は菫子に丸め込まれていたんだ。現に、明日の会議に出席しようと思う自分が居る。 しつこいようだが、菓子云々ではなく、何か面白いものが見られる気がしてならないからだ。 親父は出席しなくとも、俺が出席すれば、九條家の体面は保たれる。 それを見越した上で、懇願でも脅迫でもなく、自ら出席したくなるように、菫子は俺を誘導した。 譲仁には、こういった菫子の言動が、堪らないほど愛しく映るらしい。 無表情を装いつつも、ついうっかりと、本人を目の前にして、頬が緩む。 葵子もまた、それに習えだ。譲仁と同じように微笑み、こちらは隠すことなく見つめ続ける。 それでも、ふと疑問に思う。これって、無意識下の天然策謀じゃない? 「スー」 静かな廊下に、一際低く響く声。 振り向かなくても解る。菫子をスーと呼べるのは、この人だけだ。 「あ、康ちゃん」 悦びを顔中で表現しながら、両腕を広げた菫子が走り出す。 当然、その先には、十徳と呼ばれる、茶道での礼装を身に纏った康國くんが、飛び込む菫子を待ち受けるように腰を屈めている。 幼児を抱くように、ひょいと片手で菫子を持ち上げ、康國くんが俺たちに微笑む。 「菓子の用向きで、スーを借りる」 俺たちに。というより、譲仁へ向けて放った言葉だと思う。だから譲仁が、作り笑いとともに肯いた。 そしてそれだけ言うと、康國くんは、菫子を抱いたまま踵を返す。 「アオちゃん、アオちゃんも来て」 振り返った菫子に呼ばれ、微笑む葵子が康國くんの隣に並んで、頭上の菫子と語り出す。 そんな三人の後姿を見て思う。家族円満。両親と子ども。多分、誰もがそう思うはず。 三人が視界から消えた途端、譲仁の作り笑いが消え、逆に、遣る瀬無い面持ちに歪む。 その表情と内容状を照らし合わせ、確信を込めて呟いた。 「やっぱり明日、康國くんは…だけどそれじゃ、菫子が……」 「そうだな。正々堂々戦うことさえ、許されない」 俺の呟きに誘発され、天を仰ぐ譲仁が、溜息混じりに愚痴を溢す。 珍しいことがあるものだ。この譲仁が俺に本音を漏らすなど、日本に戻ってからは一度もない。 さらに続く言葉で、こいつはこいつなりに、葛藤していたことが解る。 「俺が出れば、徳川は引く。それが解っていても、俺は引けなかった……」 條家の上下関係があるように、他の四姓にも、それは存在する。 徳川家は源氏の二番手だ。條家で言えば二條家のような、分家頭に当たる。 だから本家が動けば、分家は退く。故に、菫子を入札すると譲仁が言えば、康國くんは引くしかない。 あの二人の様子からして、譲仁が参戦しなければ、事は丸く収まったはずだ。 それでも譲仁は、名に反して譲れなかった。どうしても自分には、菫子が必要だから…… だからこそ、実力主義の譲仁は、こんな形で菫子を奪い取ることに、憤りを感じている。 「なんだか腹立つよ。なんでこんな風習が、未だに残ってやがるんだ」 苛立ち紛れに文句を吐き捨てれば、譲仁が俯きながら、小さく鼻で笑う。 あの調子じゃ、菫子も葵子も、明日我が身に起こる出来事を、予想だにしていないだろう。 会議への出席を決意しながら、それからは互いに無言で、部室へ向かった。 ◆◇◆◇◆◇◆ ただの準備室にしか見えない此処を、やつらは、寄付(よりつき)と呼ぶ。 けれど通常の寄付には有るまじき、ガラス張りの其処は、席入りの身支度が誰もに丸見えだ。 故に、制服のシャツを肌蹴させれば、廊下は卒倒する女子続出の、お祭り騒ぎと化す。 「ご覧になって! 明仁さまが、お胸をっ、お胸をっ!」 「きゃあ〜っ! 松平さまが、お倒れにっ」 「わたくし、決めましたわ。今月の茶会では、絶対に明仁さまへ投票致します」 胃が痛い。これではまるで、動物園のパンダだ。 一挙手一投足を客に見られ、笹を食っても、タイヤで転んでも、何をやっても騒がれる。 さらに、もっと厄介なものが、その訳解らぬ、茶会投票だ。 我が部では、月に一度、『大寄せの茶会』と言う、部活動発表の場が設けられている。 極めて簡略な、薄茶と菓子で持成される茶会なのだが、はっきり言って酷い。 何故かこの茶会は会員制で執り行われ、招かれる客は、会員の中から抽選される。 けれどその抽選が曲者だ。所謂、籤引きで選出するのだけれど、その籤の有り方が腑に落ちない。 会員は皆、指名権を持っていて、茶会での亭主を自ら選んで投票する。 そこで部員は、自分に投票した会員をそれぞれ五人選出し、七卓設けられた席へと招く。 さらに、会員全てにポイント制が導入されており、部への貢献がポイントとして貯まり、そのポイント量で、色々な特典がつくらしい。 ツーショット写真権から、サンセットクルーズ権など、盛り沢山な、その特典。 そんなものに借り出されるのかと思うと、酸っぱい胃液が喉元まで込み上げる。 否、それよりも、部への貢献たる箇所が解らない。 一体どうやって、その貢献たるものを判定しているのだろう。 「家柄も経済力も、名を聴くだけで解るでしょ? さらに、松組オンリーなんだから、頭脳も良しと」 甘ったるいシュガースマイルを浮かべて、これ平然と冠が言う。 態と、もたもたボタンを外し、己の不器用さを、ガラス向こうにアピールするところが厭に怖い。 冠がこれをやれば、ショタ鬼と呼ばれ名高い、三学年のお姉さま方が、挙って喜色めく。 「いやぁ! カンちゃんのボタンを、ワタクシが外して差し上げたいっ」 「あの、もたもたが、堪らないのですわぁ〜」 言っておくが、冠は昔から、器用この上ない男だ。 繊細な技術を要する、絡繰り細工を作り出すことができるこの男に、ボタンが外せぬ訳がない。 それでも、溜息を吐きつつ、冠のボタンに手を伸ばす。すれば当然、窓の向こうから響く声。 「きゃあ! 明仁さまが、カンちゃんのボタンに、お手をっ! 皆さま、萌えですわよっ」 そこで、冠が頬を見事に赤く染めながら、ボタンに掛かる俺の手を止め、態と恥らう。 この男は、自分のキャラを把握している。否、冠に限らず、康國くん以外は、全員こうだ。 受けが良い自分を作り上げ、それを徹底的に演じ続ける。何故、こんなことをするのか、未だ謎だ。 「でも僕たちは、その名の上に、胡坐をかいていちゃいけないじゃない?」 確かに冠の言う通りだ。俺たちが苗字を名乗るだけで、大概の人間は固まり、辞儀を繰り返す。 さらに、詩聖の松組と成れば、実力主義の校風が名高いだけに、その頭脳は明晰に保障される。 勉学に関しては、自分が成し遂げた力だ。 それでも、この詩聖に居ること自体、祖先や親のお蔭に過ぎない。 当たり前ではない物を、生まれながらにして持つ者だからこそ、当たり前ではない事を、遣り果せと期待される。 けれど、余りにも奇抜なことをすれば、家柄が泣くと窘められる。 だからこいつらが、茶道という道を選んだことにも納得が行く。伝統。それは誉れ高い。 「で、茶道だけじゃ『当たり前なこと』になっちゃうから、俺たちはそれを、見世物にしようって」 見世物にすると言い張ったのは将軍だ。将軍は、目立ち、脚光を浴びることを、何よりも好む。 「この端麗な容姿を、武器にしないでどうするっ! って、将軍がね」 やっぱりだ。あのカサノバ男が、言い出しそうな文句だ。 薫子が必死になって、将軍からの入札を回避しようとする気持ちが、痛いほど解る。 何せあの男は、なぜ日本は一夫多妻制を禁じたのかと、真剣に憤慨するほど好色極まりない。 「さらに、茶道で経営学を学べっ! って、殿下がね」 これも矢張り、譲仁が言いそうな台詞だ。どう学ぶのかは、知りたいようで知りたくないけれど。 それでもこの部は、学園から一切の部費や援助を貰っていない。 さらに、部員たちからも、一銭足りとも徴収されていない。 それなのに、この豪華絢爛だ。法律ギリギリの、あくどい商法で運営されているに決まっている。 「ということで、将軍と殿下の言い分を、形にしたのがポイント制。ある意味、凄いよね」 どう凄いのかも、聞きたいようで聞きたくない。 なんだか、知れば知るほど、疚しい気持ちになるのはなぜだろう。 そこで、将軍始めとする部員が集結し、女子の黄色い歓声が聞こえる中、各々身支度を整え始める。 主催側以外の全員が身支度を終え、神妙な面持ちに変わる頃、半東役の迅が、湯を運んできた。 さて、いよいよ茶事の始まりだ。 明日のドラフトも気になるけれど、心配事は目の前に在る。 迎え付けのときって、黙礼だったっけ? あぁ、気が重い…… |
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※この物語は、完全なるフィクションです。
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