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◇◆ The second story ◇◆
 眼鏡? かけているほうがいいな。
 瞳の色? う〜ん、濃いグレーで。
 服装は、ジーンズが似合う人かな?
 あ、それと、さくらんぼとチョコアイスが大好きな人。
 で、私の……

 ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ

 今日は目覚ましの音で、ようやく夢から現実に戻ってこられた。
「またあの夢だよ」
 でも今日のあの夢は、いつもと違って音声があった。
 そうだ。あのとき、確かに私は新月の質問にこう答えたんだ。
 もうちょっと目覚ましの鳴るのが遅ければ、全部の会話を思い出せたかもしれないのに。
 軽いくせに体にまとわりつく羽根布団を寝転びながら蹴り上げて、ベッドの上に座ったまま、夢の続きを考える。

 満月は眼鏡をかけている人と、かけていない方の人とどっちが好み? と聞かれて、かけている方だと答えた。
 瞳の色はどんな色が好み? と聞かれて、グレーだと答えた。
 やっぱり、スーツの似合う人がいい? と聞かれて、いや、ジーンズが似合う人がいいと逆らい、 「私は苺とジェラートをこよなく愛する人がいいの」と、うっとり語る新月にクスクス笑いながら、 私はさくらんぼとチョコアイスが好きな人がいいと言った。

 あどけなくて子供っぽい、八歳の頃の自分の理想。
 でも、なぜ紅茶を飲む前に、こんな話をしていたのだろう。
 肝心な記憶が飛んでしまっているだけに、妙にこの夢の続きが気になって仕方がない。
 だからきっとまだ寝ているだろうと思いながらも、続きドアの向こうにある新月の部屋に入って、真相を聞きだそうとベッドに近づいた。
 けれど、意外なことに新月のベッドは空っぽで、更にもっと意外なことに、信じられないほど綺麗にベッドメイキングが施されてある。

 今日は土曜日。
 学校も休みだというのに、新月が既に起きている?
 自分が寝坊してしまったのかと慌てて時計を確認するけれど、やはりどの時計もまだ、朝の六時を示している。
 いつもとは違う展開に順応できないタイプの私は、なんだかとても落ち着かなくなって、急いで自分の部屋に戻り、 急いで着替えて、パパやママが居るであろうリビングに小走りで向かった。

 様子を伺いながらリビングのドアを開ければ、そこにはママを手伝って、パンケーキを焼く新月と、  珍しく穏やかに笑いながら新月と話しているママが居て、けれど、いつものように新聞を読みながらコーヒーをすするパパはどこにもいない。
 代わりに、私を見つけた新月がパパの真似をしてこう叫ぶ。
「Good morning! Cupcake」

 朗らかすぎる おかしな土曜日。
 天地がひっくり返ったかのような、おかしな土曜日。
 リビングのドアの前に突っ立ったまま、呆然と立ち尽くす私に、ママが微笑みながら話しかけてきた。
「なんだかおかしなこともあるもんでしょ? あなたよりも先に新月が起きてくるなんて。ママもビックリしちゃったのよ!」
 そう言いながらも、新月の行動を嬉しそうに話し続けるママ。
 そんなママの言葉に照れながら、新月が朗らかに言った。
「ママ? ここは私がやっておくから、洗濯物を干してきちゃえば?」
 ママは嬉しそうに微笑んで
「そうね。じゃあ、ここは新月におまかせしちゃうわ」
 そう言いながら、足取り軽くリビングを後にした。

 ママの足音が遠くなってから、ようやく新月が動きを止めて、フライパンから両手を離すと、これみよがしな溜息をついた。
「フゥ。邪魔者はいなくなった、と。さて、満月? 実は、今日の個展の手伝いのことなんだけどさ、 てか満月? なにいつまでもそこに突っ立ってるの?」
 コンロの火を止めて、お皿に盛ったパンケーキを運びながら新月が切り出した。
 そんな新月の言葉にハッとして、慌てて自分の席に座る私。
 メイプルシロップを差し出されて、小刻みに肯きながらそれを受け取り、まだ湯気の出ているパンケーキにたっぷりかけた。
 両手で頬杖をつきながら、じっと私を見ている新月の視線に気がつき目を合わせれば
「ごめん! 武頼のこと、よろしくね!」
 新月が手を合わせ、両目をつぶっていきなりそう謝ってきた。
「ブライ? なにそれ?」
 フォークにパンケーキを差したまま、新月の答えを待つ。
 すると、珍しくしどろもどろになった新月が、言葉に詰まりながら訳のわからない話をし始めた。

「私、苗字を知らなかったの。ずっと武頼って呼んでいてさ……ほら、ミラノのあそこで会った男の子覚えてない? えっと、 どこだっけ? ま、いいか……」
 口を開けたまま新月の話を聞いていて、その間ずっと宙に浮かんでいたパンケーキからシロップが落ちて、私の手にポタンと垂れた。
 すかさずウエットティッシュを新月が差し出し、それをまた小刻みに肯きながら受け取って、新月を見据えたまま 手に垂れたシロップを拭き取った。

「あの、だからさ、今日の個展で会うことになっている高遠さんのことなんだけどね、多分その人、武頼のおばあちゃんじゃないかと思うんだよね……」
「あぁ、なんだ。そういうことか」
 ようやく話のつじつまが合って、思わず納得してしまったけれど、よく考えてみたら、納得している場合じゃないことに気が付いた。
「ちょ、ちょっと待って! その、えっとなんだっけ? ブライくんだっけ? その子と新月は顔見知りなんだよね? で、高遠さんとも顔見知りなの?」
 今度は新月が、小刻みに肯く。
「なんでみんな新月のことを、満月だと勘違いしているわけ?」
 そこで両手をバタつかせながら、新月が答える。
「えっと、私が満月だと名乗ったから?」

 なんでそんなことを言う必要があったのかと聞こうとした矢先に、えらく上機嫌なママがリビングに戻ったから、 訳のわからないままその話は中断された。
「満月? そろそろ準備しないと、開場に間に合わなくなるわよ」
 ママに促され、後ろ髪をひかれつつリビングを後にして、今日のために誂えた服へ着替えながら、 新月とパパの話していたパズルのピースを繋ぎ合わせていく。

 パパは、本物の満月を連れて行けばいいと言う。
 でも、高遠さんは新月を満月だと思い込んでいる。
 更に、多分その武頼くんと新月を結婚させたがっていて、でも武頼くんは、新月を満月だと思い込んでいる……

 ちょっと待って?
 新月が自分を満月だと言ってしまったのなら、このまま満月だということにして、新月が高遠さんに会えばいいだけの話じゃない?
 あ、それだと結婚の話に進展してしまうかもしれないんだっけ。
 だからパパに私が頼まれたんだったもんな。
 じゃあ、私の役割はなに?
 考えれば考えるほど憂鬱になって、部屋の窓から見える薄い雲を眺めながら無意識に髪を梳かし続けた。

「ま〜つ〜きぃ〜! まだ支度ができないのっ!」
 階下から響く、ママの叫び声。
 ブラシをドレッサーの上に戻して、ちょっとだけ鏡を見て、お気に入りの若草色のバックを手にして部屋を出た。
 階段の下に、ママが待っていて
「やっぱり、そのバッグで行くんじゃないかと思った!」
 ニコニコ微笑みながら、私の若草色のバッグを見ていたママが、バッグと同じ色で同じスエード生地のベレー帽を私に差し出して
「満月に似合うと思って買っておいたのよ」
 そう言って、私の頭に整えながらかぶせた。

「ありがとうママ。じゃあ、いってきます」
 駅までの道のりを、空ばかり見上げながら歩き、電車に揺られながらも、窓から流れる空ばかり見上げて……
 気持ちよく透き通ったこの冬空のように、私の気持ちも晴れてくれればいいのにと心の中で思い続け、 結局、気持ちは晴れないまま会場に着いた。
 来場する方々に飲み物が差し出されていて、
1度も来た事のなかった私は、スタッフに来場者だと勘違いされ当然、飲み物をいただいた。
パパはどこにも見当たらなかったから、
とりあえず会場を一回りしようと思い立ち奥へ進む。
総柄の厚い絨毯が敷き詰められた会場のいたるところに
どこか懐かしさを感じるパパの家具が綺麗に配置されていて
「これ、すごく素敵!」
そんな褒め言葉が、あちこちから聞こえてくる。
なんだか自分が褒められた様で、自然と顔がほころんでいた。
会場の半分ほどの場所にリビングをかたどった広間があり、
展示されているオープンキャビネットの中に
小さい頃、欲しくて欲しくてたまらなかったママの宝石箱が
飾られているのを見つけ、宝石箱を開いたときの
オルゴールの曲が思い出せなくて、その場に佇み続けて
必死になって考える。
なんだっけ? えっと、ベートーベンだったっけ?
バッハだったっけ? 月がどうのこうのっていう曲だったよね……

「Benvenuto! La persona quale amo !」
急な大声に驚いて振り向けば、満面の笑顔のパパが両手を広げて近づいてきた。
本当に、とても久しぶりに聞くパパのイタリア語。
いつもは、日本語と英語が混ざった会話を繰り広げるのだけれど
感極まったときだけに発せられる母国語だけに
パパの喜びようが伝わってくる。
もうちょっとで曲の題名を思い出せそうだったけれど
そんな些細なことよりもパパのほうが大切だよね?
豪快に抱きしめられて、派手な音をたてて頬にキスをして
満足げなパパが今日はなんだか可愛らしく思えた。
パパに連れられて会場を一回りし、お客様とスタッフに一通り挨拶を済ませた後、
またさっきの広間に戻ってきた。
キャビネットの中の宝石箱のことを思い出し
「パパ? あの、宝石箱はママのだよね?」
そう言いながら指差せば
「あぁ、満月が大好きなオルゴールだったね。これは、パパが初めて 作った木工細工なんだよ。そしてそれをママに贈ったんだ」
パパは、キャビネットを開けて宝石箱を取り出すと
優しく微笑みながら私に差し出してくれた。
待ってましたとばかりに蓋を開けて、ゆっくりと奏ではじめた オルゴールの音とともに、記憶の断片が心に響いてきた。


「じゃ、満月はいつの誕生日にする?」
「う〜ん。今から10年後っていうのはどう?」
「OK! じゃ、10年後だから、18歳の誕生日ってことね♪」


「満月? ま・つ・き? どうしたの?」
心配そうに私の顔を覗き込みながらパパが問う。
そこでまた、過去の記憶は遮断され、現実の世界に戻った私は
パパの問いへの答えを えっと、えっと、と考えて
「あ、この曲の名前がわからなくて、それで思い出そうとしたの。」
オルゴールをパパに返しながら、 素晴らしく上出来な答えを見つけられたことに笑顔になる。
手にしたオルゴールを見つめて、今度はパパのほうがちょっと固まり、小さな唸り声をあげながら
その曲名を必死で思い出している様だった。
「ごめん。パパにもわからないや。ママなら覚えているかもしれないけど」
しんみりと沈むパパに申し訳なくて
「いいのいいの! 帰ったら、ママに聞いてみるから」
両手を横に振りながら、パパに告げる。
そんなやり取りをずっと聞いていたのだろう。
「失礼ですが」と、先に謝りながら、一人の男性が会話に加わってきた。
「その曲は、ドビュッシーの【月の光】だと思いますよ」
声のするほうを見上げれば、とても深い『こげ茶色』のスーツを、パリッと着こなした
背の高い やさしそうな、30歳ほどの年齢の男性だった。

本当に、曲の名前を思い出せたことが嬉しくて
見ず知らずのその男性に向かって 人差し指を突き立てて
「そ、それだ!!」
そう大声で叫んでしまった後、自分の失態に気が付いて
赤面しながら慌てて両手で口を塞ぎ、大きく目を見開いたまま
その人を見れば、そんな私の失礼な態度を一向に気にする様子もなく
ただ柔らかく微笑んでくれていた。
「ご、ごめんなさい」
パパの顔をチラっと見てから、その人にそっと謝った。
「いや、いいんですよ。喜んでいただけて光栄です」
ゆっくりと優しく私に向かって囁くように告げたあとは、
パパの方に向き直って 胸ポケットから名刺を取り出すと
「はじめまして。浅海と申します。高遠の紹介でやって参りました」
パパに名刺を渡しながらそう自己紹介した。

じゃあ、この人が武頼くん?
あれ? でも今、浅海って名乗ったよね?
過去の記憶の断片と
パパと新月の話と
高遠さんたる人のことで
頭がぐちゃぐちゃになっている
誕生日12日前の土曜日
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photo by © Lovepop