解凍例A
シィル解凍if◇2007/03/07 戦国R
(私……このまま死ぬのかな)
自分の周りの空気が凍てつく感覚、美樹の驚いた表情、背後で何か言っているランスの気配。
魔王として覚醒しかけた美樹から、自分はランスを庇えたのかどうか、それだけが気に懸かる。
(ずっと……ランス様と一緒にいたかったな……)
遠くなる意識。
「……っ!」
シィルの耳に、ランスの声が聞こえたような気がした。
「シィル、シィール!」
何かを割るような音の中で、ランスが自分を呼ぶ声だけがいやにはっきり聞こえる。
ぐらりと傾く体が、暖かい腕にすっぽりと包まれる。耳元で何度も呼ぶ声に、シィルは薄く目を開けた。
「シ……」
ちらりとランスの顔が見えた。しかし、すぐさま胸に抱き入れられ、
シィルの視界には硬い胸当てと緑の服しか入らなくなる。
「シィル……」
「……はい、ランス様……」
小さくそう答えると、自分を抱いている腕に力が入ったのが解った。
「あれから五年も……」
「ああそうだ、お前の氷を溶かすのに、えらい苦労をさせられたわ」
織田の城の一室に布団を敷き、シィルが横になっている。
その枕元には、不機嫌そうな顔のランスが、どっかりと胡座をかいている。
「……すみませんでした」
「全くだ」
更に不機嫌そうに、ランスは鼻を鳴らす。
「本当に大変だったんだぞ、お前が居なかったから色々不便だったし」
「……はい」
わざとらしく大きなため息をつくランスに、シィルは布団に潜り目を伏せたまま答える。
「それに……」
不意にランスの言葉が途切れる。すっと伸びてきたランスの手が、軽くシィルの頭を叩く。
「……つまらなかった」
不機嫌そうな口調のままそう言って、ランスはふいとそっぽを向いた。
その気配に、シィルは布団から顔を出して、ランスの様子を窺う。
「お前が居なかったから、ものすごーくつまらなかった!」
半眼で口をへの字に曲げた不機嫌の極みといった表情のまま、ランスは吐き捨てる。
「……えっと、ランス様?」
「つまらなかった、つまらなかったぞー!」
シィルの頭をぽこぽこと打楽器のように叩くランス。加減されているとはいえ、痛い事には変わりはない。
ひとしきり叩いた後、ランスはすんすん泣いているシィルを抱き起こした。
そっと顔を寄せるランスに、シィルは目を閉じるが。
ごつん。
「ひーん!」
「がははははは、何を期待しておるのだ、お前は!」
唇の代わりにしたたか額を打ち付けられ、シィルは頭を抱えた。
「うう、ランス様、痛いですう」
「痛くしたのだから当たり前だ」
機嫌が直った風のランスは、先程ヘッドパッドをお見舞いしたシィルの脳天をぐりぐりと撫でる。
「とにかく、五年だ、五年」
「はあ」
「こんなにも長い間御主人様に不便を強いた罪は重いぞ、覚悟しておけよシィル」
「うっ……は、はい……」
そして数日後。シィルの体力がほぼ回復したと見て、ランスはJAPANを発つ事にした。
その間、ランスはこの五年間について何も語らなかった。ただ「大変だった」「全部済んだ」を繰り返すだけだ。
周りの者達にも口止めしていたようで、凍っていた間に何が起きたのかを、シィルが知る事は出来なかった。
天満橋を渡りきったシィルは、ふとJAPANを振り返る。
(ここを渡ってJAPANに来たのは、ついこの間の事みたい)
そのシィルの背中には、かつてのような大荷物はない。
全くの手ぶらではなかったが、ランスの方が重い荷物を背負っているのだ。
シィルが居ない五年間、ランスは自分で旅の荷物を背負っていたのか。
その癖が抜けないまま、シィルに全ての荷物を持たせるのを忘れているのだろうか。
(私が知らない、ランス様の五年間、か……)
凍らされたと思った途端ランスの腕に抱かれていたとしかシィルには感じられないが、
ランスの外見だけを見ても、そこに月日が流れているのが解る。ふと、ランスが遠い人になったような気がした。
「どうした?」
「あっ、いえ、何でもないです」
じっとランスを見つめていた事に気付き、シィルは慌てて視線を外す。
「そうか?なら行くぞ」
「はい、ランス様」
「ベッドで眠るのも久しぶりです」
「そうか?ああ、お前にとってはそうかもな」
ポルトガルで取った宿の部屋にはベッドがふたつ。それもまた、シィルの違和感の原因であった。
(今日もエッチしないのかな?)
織田の城で静養していた時からこれまで、頭を撫でたり手を握ったりといった軽い接触は多かったものの、
ランスはシィルにそれ以上の事を求めてこなかった。
しかも、ほとんどシィルに付きっきりで、他の女性と事に及んでいる訳でも無さそうだ。
(この五年間……ランス様に何かあったのかしら)
『一週間我慢する』宣言を四日であっさり覆したのは、シィルの記憶ではついこの間の事だ。
性欲が服を着て歩いているようなランスのイメージが強く、どうにも不思議で仕方がない。
(エッチしたい訳じゃないけど、せめてキスくらい……)
「……して欲しいな」
「ん?」
「あっ、はう、あの」
考え事に耽っていたシィルは、どこまで口に出してしまったのか量りかねて、ランスの様子を窺う。
「で、何をして欲しいって?」
ベッドの端に腰掛けているシィルの前に立ち、ランスは指先でシィルの額をつついた。
「その、いえ、何でも無いんです」
「いんや、確かに『して欲しい』って言ったぞ、怒らないから言ってみろ」
軽くつついていただけのランスの指に力が入る。
後で赤くなっちゃうなあ、などと考えつつ、シィルは諦めて白状する。
「う、その……キス……して欲しいなあって」
「あー」
ランスはシィルの額から離した指を、自分の顎に当てる。
「悪いなシィル、また今度だ」
「はあ」
「頭を撫でてやるから、今日は我慢して寝ろ」
ランスに頭を撫でられ、シィルは意識せず笑顔になる。
「はい、おやすみなさいランス様」
「うむ、おやすみ、シィル」
笑顔のままベッドに潜り込んだシィルは、もう一つのベッドに入ったランスの
「キスだけじゃ済まなくなるからなあ……」という独り言を聞く事はなかった。
「このままゼスに向かうつもりだが、家に……アイスに寄っていくか?」
アイスの手前、ラジールを本日の宿に決めたランスが、シィルに告げる。
「えっ、ゼスですか?」
「ああ」
ランスはそれ以上何も答えないし、おそらくシィルが説明を求めても無駄だろう。
(ゼス?……何で今更……あっ)
そこまで考えたシィルは、唐突に『ごたごたは全部片付いた』というランスの言葉を思い出す。
(ごたごた……リア様とマジック様の争いも片付いて、ランス様がゼス王になられる……とか?)
「まーた何か、うじうじ考えてるな?とにかくゼスに行けば解る、今は深く考えない事だ」
「ん……」
ランスが説明してくれないからだと反論も出来ず、シィルは口を噤んで俯く。
そんなシィルを見て、ランスはバツが悪そうに頭を掻いた。
「仕方ないな、特別だぞ」
ランスはそう言ってシィルの横に座ると、ふわふわピンクの髪をかき上げて、頬に軽く口づけた。
「っ!」
「はいはい、ここまで、ここまでっ」
ぱあっと頬を赤らめたシィルから慌てて離れたランスもまた、怒ったような困ったような顔で耳まで赤くしている。
「ランス様……?」
見た事のないランスの様子に、シィルは首を傾げた。
「ほら寝ろ、もう寝ろ、明日は一気にゼスまで行くからな」
ランスはシィルをベッドに突き飛ばし、上から毛布を被せて押さえつけた。
「きゃあ!」
「……おやすみ」
「……はい、ランス様」
毛布越しに頭を撫でた後シィルから離れるランスの気配を感じながら、シィルは無理に目を閉じた。
◇◇◇
てっきり真っ直ぐラグナロックアークに向かうと思っていたシィルだが、
ランスがシィルを連れて訪れたのはパパイアの研究所だった。
「いらっしゃい、早かったわね」
「ああ、シィルの回復が順調だったからな」
パパイアは二人をにこやかに迎える。シィルは訳も解らず、とりあえず頭を下げた。
「で、どうするの?すぐにやっちゃう?」
「そうだな、頼む」
「えっ、何をなさるんですか、ランス様?」
会話に付いていけず、シィルはおろおろしながらパパイアとランスを交互に見る。
「うふふ、もこもこちゃんにはね、あたしのアブナイ実験に付き合ってもらうの」
「ええっ?」
「こら、変な事言うな、シィルにそんな事させてたまるか!」
さあっと血の気が引いたシィルを、ランスは慌てて抱き寄せた。
「あ、あの、ランス様、本当は……?」
「その……」
後ろから抱かれているから、シィルにはランスの表情が伺えない。
ただ、背中で感じるランスがごくりと唾を飲み込んだ音とやけに激しい胸の鼓動、そして、
うっすらと汗をかいたランスの手が見えるだけだ。
「……お前の……絶対服従を解除するだけだ」
精神集中が必要だからと、パパイアはランスを部屋から追い出す。
扉に鍵をかけ、部屋の奥にある椅子に座っているシィルの前に歩み寄る。
「あの、パパイアさん……」
絶対服従の魔法。
奴隷商人からランスに買われた時にかけられた魔法は、もうとっくの昔に解けてしまっている。
だが、シィルがランスにその事を告げる機会はなかったし、ランスもシィルに問いただそうとはしなかった。
魔法が解けている事をランスも気付いているとばかり思っていたシィルは、先程のランスの言葉に困惑する。
「うん、解ってる、もう絶対服従の効果は切れちゃってるんでしょ?」
パパイアはシィルの耳元で囁く。廊下に追い出したランスに聞かれないように、という配慮だろう。
「ランス君がもこもこちゃんの絶対服従を解除して欲しい、って頼みに来た時、びっくりしちゃった」
「あ、う……」
「ナギの義姉の、えっと、志津香ちゃんだっけ?あの子にも頼んだらしいわよ」
「魔法の解除を……ですか?」
「そう、でね、あっさり断られたんだって」
「……志津香さんなら、絶対服従が切れてる事、知ってのたかも……」
「そうかもね、で、あたしに頼みに来たって訳」
「でも、何で今更……」
「ふっふーん、それは後でランス君にちゃんと聞いた方がいいわね」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、パパイアはシィルが座っている椅子の周りをぐるぐると回る。
「というわけでえー、たった今、もこもこちゃんの絶対服従は解けましたー!」
歌うように大きな声でパパイアが言うと、扉をがんがん叩く音がした。
「ああランス君、もう入ってきていいわよ」
「鍵がかかっていて入れないんじゃー!」
パパイアの研究所を出てランスとシィルが向かったイタリア、そこで取った宿もまたツインの部屋だった。
「……」
あれから二人が交わした会話は「解けたのか」「はい」、そして事務的な打ち合わせだけだ。
夕食を取って部屋に入っても、何を話していいか解らず、シィルは黙ってベッドに腰掛けた。
ランスはシィルをちらちらと見ながら、落ち着きのない様子で部屋の中を歩き回っている。
(ランス様は私にどうして欲しいんだろう)
シィルは膝の上で組んだ自分の手をじっと見ている。
(絶対服従は解けなかったって事にしてもらった方が良かったのかな……)
ランスの異常行動が、絶対服従が解けたシィルにどう接していいか解らない事から来ているのは明らかだ。
絶対服従が解けたらシィルがすぐにでも離れると、ランスは思っていたのだろうか。
それだったら、ここまで付いてきてしまって申し訳ないと、シィルは思う。
組んだ手の上に、ぽつりと涙が落ちた。
「……っ」
それをきっかけに、シィルはとうとう堪えきれずに嗚咽を漏らす。
部屋中うろうろしていたランスがそれに気付いた。
「シィルっ?」
ランスは慌ててシィルに駆け寄るが、どうしていいか解らず、とりあえずシィルの前にしゃがんだ。
ぽたぽたと涙が落ちるシィルの手を両手でそっと包み、シィルを見上げる。
「……ごめんなさい……っ、ごめんなさい、ランス様……」
ぐすっと啜りあげてから、シィルはランスの顔を見てきちんと謝ろうと瞼を無理矢理開けた。
「ランス……様?」
涙でぼやけた視界に写るのは、今にも泣き出しそうなランスの顔だった。
「……シィル、お前はもう自由だ」
絞り出すようなランスの声に、シィルは息が詰まる。
「お前の両親は健在だそうだ、実家に、オールドゼスに帰るなら送っていってやる」
「ランス様っ」
「だが……俺はお前を連れて帰りたい」
ランスはシィルの言葉を遮り、苦しそうに呟く。
「絶対服従ではなくてお前の意思で、それでも俺に付いてきてくれるなら……」
シィルの反応を見るのを恐れるかのように、ランスは目を閉じた。
「お前は……どうしたい?シィル」
シィルはそっとランスの手を解いた。ぎりっと、ランスが歯ぎしりする音が聞こえる。
自由になった手でシィルはランスの頭に触れ、自分の膝の上に乗せる。
驚いて顔を上げるランスに、シィルは精一杯の笑顔を向けた。
「ランス様、私は……ランス様とずっと一緒にいたいです」
「……そうか」
ランスは大きく深呼吸をすると、シィルの膝に顔を伏せる。
小刻みに震えるランスの背中を、シィルはゆっくりと撫でていた。