犬と雀
犬飼と鈴女の捏造過去話◇2007/12/01 戦国R 過去捏造
今日もまた、伊賀の里に少女が来る。
もちろん、本人が望んで来るわけではない。家族によって売られてくる事すら稀である。
ほとんどの場合、伊賀の忍によって攫われてくるのだ。
くのいちの最低条件は容姿端麗である事。それ以外の点は、養成所でどうとでも出来る。
「また、難しい顔をしているのね、犬飼」
一服盛られているのであろう、虚ろな瞳の少女が若い忍者に連れられくのいち養成所に入っていく。
それを見ていた犬飼に、養成所の校長が声をかける。
「……」
沈黙をもって応える犬飼。犬飼の言葉数の少なさは、校長も慣れていた。
「あの子、くのいちの素質がありそうね、楽しみだわ」
「素質……ですか」
伊賀の次期頭領と目される犬飼は、表情を変えない。
「月光様付きのしのぶのように、あなたの片腕となるかもしれないわよ、本当、先が楽しみ」
犬飼の返事を待たず、校長は少女達を追って養成所へと消えていった。
(片腕、か……)
諜報と暗殺を主に担う忍者とくのいち、両者の大きな違いは、その手段が忍者は力と技であるのに対し、
くのいちは房術であることだ。己の技量である程度生存率を高められる忍者と違い、
身体に含んだ毒物で相手を死に至らしめるくのいちは、どうしても短命に終わる事が多い。
(片腕というより、まるで道具だな)
実際、たった一度の毒殺で命を散らしていくくのいちも多い。先ほど校長の口の端に上ったしのぶは、
何度も暗殺を成功させ敵を混乱させて頭領月光の元へ帰還しているが、彼女はむしろ例外だった。
だから、くのいちは常に人員不足だ。需要が供給を大きく上回っている。
先ほどの少女も、おそらくどこからか攫われてきたのだろう。
これぞと思った少女を攫ってくるのは、伊賀の忍者にとっては訓練のひとつでもあった。
武士の道具として使い捨てられる忍者、そして、忍者の道具として使い捨てられるくのいち。
ものごころ付く前から忍びの里に育った犬飼にとって、それは当たり前の事であったが。
「……ふん」
小さく吐き捨てて、己の術に使うわんわん達の世話をするため、犬飼は養成所の前から去った。
「犬飼様ー」
わずかに癖のある髪をにゃんにゃん耳のようにぴょこぴょこ揺らし、
これまたにゃんにゃんのような金色の瞳をくりくりさせた、くのいちのたまご鈴女が犬飼の後を追ってくる。
「どうした」
「鈴女、もうすぐ養成所を卒業できるでござるよ」
「そうか」
鈴女が伊賀の里に連れてこられた日、くのいち養成所の校長が「素質がある」と言っていた事を思い出す。
確かに、あの日からさほど経ってはいない。これほどの短期間でくのいちの術を極めた者はそうはいないだろう。
くのいちの任務について割り切っているつもりの犬飼だが、この少女が暗殺で命を落とす事を考えると、
胸の中に苦い物が広がるような気がする。
「犬飼様、褒めてくれないのでござるか?」
わずかに不満そうな瞳が、犬飼を見上げている。
「……?」
「犬飼様のわんわん達が頑張ったら頭を撫でてあげるのに……」
「……」
犬飼は無言で鈴女の頭を撫でる。鈴女の瞳から不満の色が消え、にゃはーと表情が緩んだ。
「にしし、犬飼様に褒められたでござるよー」
「……無理矢理褒めさせたのだろう」
こうやって、相手の懐に無邪気を装って飛び込むのも、くのいちの技術のひとつだ。それは犬飼も承知している。
「犬飼様、養成所を卒業したら、もう一つご褒美が欲しいでござるよ」
「何だ」
「最初の任務の前に、犬飼様に抱かれたいでござる」
現在の雇い主である織田信長の元に詰めっぱなしの頭領月光、その代理として里の事を任されているのは、
次期頭領である犬飼だ。そして、養成所を卒業し一人前になったくのいちの『仕上がり具合』を確かめるのは、
伊賀の頭領の仕事。褒美も何も、犬飼が鈴女を抱く事は、確定事項だ。
養成所の卒業証書を持って寝所に忍んできた鈴女を、犬飼は呆れたように見る。
「犬飼様、鈴女を抱くのがいやでござるか?」
「鈴女、お前養成所で何を教わってきた」
「ん?」
「男をその気にさせるのもくのいちの技術だろう」
犬飼の言葉に、ああ、と鈴女は手を打った。
「今日は約束のご褒美だから、そういうのは無しでござるよ」
「……」
頭を抱える犬飼に、鈴女はにじにじと擦り寄っていく。
「くのいちの技術は後で披露するでござる、だから、今は普通に……」
普通に、とはいえ、養成所始まって以来といわれる好成績で卒業した鈴女の事。
任務上それなりに場数を踏んできた犬飼だったが、未経験の少年のように鈴女の技術に翻弄される。
「……あまり普通ではないぞ、鈴女」
「そうでござるか?」
くのいちとなるために、ありとあらゆる性技をたたき込まれている鈴女。
男を惑わす為の精神的な技も網羅しているが、おそらく、情愛に関しては意図的にオミットされているのだろう。
「だが、くのいちとしては悪くない」
鈴女の頬がぷうっとふくれる。
「今は最終テストじゃなくて、普通のセックスでござるよ」
だからお前のしている事は普通ではない、そう言いかけて犬飼は口をつぐむ。
忍者は武士の道具だと教え込まれていた幼い頃、犬飼は自身を含む忍者の待遇に不満を持つ事はなかった。
しかし、ある任務で一般の民と接した時、その、武士にとって都合の良い常識に疑問を持ってしまった。
知らなければ、何も苦しむ事はなかっただろうに。
くのいちにとって情愛は任務の妨げとなる。ならば、かえって何も知らない方がいいのかもしれない。
「犬飼様?」
元々口数の少ない男ではあるが、何か言おうとして黙ってしまった犬飼を、鈴女は不審そうに見る。
「……いや、まあ普通……かもしれないな」
「えー忍術の訓練でござるかー?」
甘いと思いつつも枕を共にした翌朝、犬飼は忍者の訓練場に鈴女を引っ張り出した。
「鈴女はくのいちでござるから、忍術は必要無いでござるよ」
「無駄口を叩くな、房術だけでは切り抜けられない場面もある」
むくれている鈴女に、犬飼は無理矢理手裏剣を握らせる。
「任務の成功率を上げるために、あらゆる可能性を想定しろ」
「もー、犬飼様は仕事熱心でござるなあ」
それは違う、とは、あえて言わなかった。短命に終わりがちなくのいち、
その命をわずかでも延ばせるならと鈴女に忍術を教え込むのは、忍者として正しい事なのか、犬飼には解らなかった。
忍者としても高い素質を持っていた鈴女は、忍術も瞬く間に身につけた。
くのいちの技と忍術を駆使する鈴女は全ての任務を完璧にこなし、姿を消した月光に変わって、
伊賀の若き頭領となった犬飼の元へ帰ってくる。
月日は過ぎ、雇い主の織田信長が代替わりをする。新たに織田と伊賀の繋ぎ役となった武士蜘蛛弾正は、
まさに忍者を道具としか見ていない男だった。蜘蛛弾正の、忍者を人と思わぬ振る舞いに、
かつて一般人との接触で感じた疑問が犬飼の心に満ちていく。
忍者は武士の道具ではない。対等の、スペシャリストとして生きていく事は出来ないものかと。
「犬飼様、蜘蛛弾正にむかついているでござるね?」
金色の瞳が、いたずらっぽくだが真摯に、犬飼の心中を探り当てる。人の心を読むのもまた、くのいちの技術だ。
「だったら、鈴女があの男をさくっと殺して……」
「待て」
繋ぎ役が気にくわないとはいえ、未だ織田は伊賀の雇い主だ。いきなり暗殺というのも、義に外れている。
そして現在の織田は弱体化し、足利、原と、織田を離反する大名が後を絶たない状況だ。
「その前に織田から独立するのも悪くない」
「ひゅーひゅー、犬飼様かっこいいでござるよ」
はやし立てる鈴女をじろりと睨んでから、犬飼は思いをめぐらせる。
忍者とくのいちが使い捨ての道具のように扱われない世界、それが実現するまで、どうか──