2.魔王
◇2006/07/07
「ランス……魔王になって……」
後宮の女の一人である魔人サテラ。
かつてのリーザス解放戦線では敵だったサテラだったが、成り行きで保護した魔王リトルプリンセスこと
来水美樹の護衛として再びランスと対面し、決闘の代償としてランスに身を任せる事になる。
人間を一段低く見ているきらいのあるサテラは、当初ランスを快く思っていなかったが、
いつのまにか望んで抱かれるようになっていた。
ランス個人を愛するものの、人間を見下している事に変わりはない。
魔人としての価値観と、女としての情、その折り合いをどう付けるべきか。
妥協案として、ランスに自分と同じ魔人になるように勧めたが、あっさりと断られてしまう。
ならば魔王に……サテラの考えは、いつしかそこに辿り着いた。
「魔王、なあ」
いきなりその話題を振られたランスは、最初あまり乗り気ではなかった。
直前の情事の激しさとは別人のように冷めた態度のランスに、サテラは焦れる。
「例えリーザス王として大陸を統一しても、ランスが手に入れるのは人間の社会だけじゃないか」
しかし魔王は大陸に生きとし生けるもの全ての頂点だ、
ランスにはその地位を手に入れる資格がある。と、サテラは熱っぽく語る。
「全てのもの……」
「そうだ、ランスが探している、あのピンク髪の魔法使いも」
「……シィルの事か?」
「リーザス軍が見つけられないあの子だって、大陸中に無数に存在する魔物を使えば、
すぐに見つけられるだろう」
「その為に、俺様に魔王になれと?」
サテラのまっすぐな瞳に、ランスは苦笑する。
「だってランスは、あの子を探すためにリーザス王になったんだろう?」
「ん……それは」
「だったら、魔王になるのだって同じじゃないか」
胸に頬をすり寄せるサテラの言葉が、不安定なランスの精神を揺さぶる。
「シィルを取り戻すために──魔王になる……か」
「それに、サテラはランスに本当の意味で仕えたいんだ、
こんなリーザス軍の客員じゃなくて、ランス自身の部下になりたい」
それは、サテラの精一杯の愛の告白だったが、ランスに届いていたのかどうかは解らない。
かなみがその場に居なかったのは、幸か不幸か。
ランスはサテラの誘惑に応じ、簡単な打ち合わせを済ませて、眠りについた。
◇◇◇
健太郎とメガラスをリーザス城から遠ざけ、その隙に美樹を殺害する。
未覚醒の魔王とはいえ年頃の美少女をランスが屠るなど、考えられない事だった。
だからこそ、誰に疑われることもなく、その計画はあっけないほどスムーズに進み、魔王ランスが誕生した。
「そうですか、ランス殿が魔王に……」
主の居ない玉座の前で、マリスは頭を抱えていた。
ショックで寝込んでしまったリアの看病を切り上げ、主立った重臣と今後のことを思案する。
マリスの計画は完璧だったはずだ。
焦れたかなみが、独断でシィルを救出するだろう事も、想定の範囲だ。
だが、まさかランスが魔王になるなど、想像も付かなかった。
シィルのことにばかり気を取られて、魔人サテラに注意を払わなかったのは、マリスの手落ちだ。
「……まずは、ランス殿より先にシィル殿を見つけるべきでしょう」
シィルを人質にリアとリーザスの安全を魔王に要求する、それが現在取れる最善の行動だろう。
かなみがヘルマンに向かっているのは、ある意味運が良かったのかも知れない。
『必ずシィルを連れ帰るように』との伝令をかなみに送り、ほっと一息ついてから、
マリスはリアの看病を再開するために玉座の間を後にした。
ヘルマン南東の外れにあるボルゴZの手前で、かなみはマリスからの伝令を受け取った。
ランス魔王化の報せに愕然としたものの、シィル救出公認には素直に喜び、監獄へと向かった。
監獄にはもう何度も侵入しており、迷わずシィルが囚われていた房の天井裏に忍ぶ。
「……えっ?」
だが、そこにシィルは居なかった。狭くて暗いその部屋は既に別の女囚が居て、
シィルが居なくなったのはかなり前だと予想が付く。
「まさか、そんな……」
半月前には、確かにシィルはここにいた。その時は特に健康を損ねていた風も無かった。
「シィルちゃんまで貴族の慰み者に……?」
シィルと共に捕らえられたソウルが姿を消した時、念のため、彼女を連れ去った貴族の館は確認してある。
不安に押しつぶされそうになりながら、かなみは館へ急いだ。
(シィルちゃん……どうか、どうか無事でいて)
連れ去られたソウルは、酷い拷問を受けた挙げ句、今では廃人同様になっているらしい。
ソウルの事は直接知っているわけでもないし、さほど胸も痛まない。
しかしシィルがそんな目に遭っていたら……?
(私のせいだ)
シィルを発見した時、個人的な思惑はひとまず置いて、誰より先にランスに報告すべきだった。
マリスより先にシィルの居場所を知れば、ランスは何を犠牲にしてもシィルを救出に行っただろう。
マリスには後でたっぷりと小言を言われるだろうが、叱られる事には慣れている。
(私がちゃんとランスに報告していれば……)
リアの機嫌は損ねるだろうが、シィルは無事にランスの元に戻っていたはずだ。
ひいては、ランスが美樹を殺害して魔王と化する事もなかっただろう。
◇◇◇
「魔王様、ラング・バウ制圧、無事完了いたしました」
リーザス王だった時はあれほど手こずったクリスタルソード装備のミネバ部隊だったが、
さすがに魔物将軍率いる万単位の魔軍の前には、一週間と持ちこたえられなかった。
ラング・バウで発見されたランス率いる盗賊団を制圧した遺跡守備大隊の報告書から、
あの時捕らえられた盗賊団が収監された場所も数ヶ所まで絞り込めた。
ひとつひとつしらみつぶしに捜していけば、シィルを見つける事もできるだろう。
魔軍の試用も兼ねてのラング・バウ襲撃であったが、その成果にランスは満足していた。
「ねえ、魔王様ぁ」
魔人メディウサが、すりすりとランスに擦り寄る。
「ラング・バウには魔王様が探しているピンク髪の少女は居なかったし、少し遊びたいなあ」
メディウサの言う『遊び』、それはおそらく殺戮と陵辱。
魔軍の襲撃があったとはいえ、軍人以外の市民や政治家はほぼ無傷だ。
その生き残りを嬲らせろ、とメディウサは言っているのだ。
「いいだろう」
シィル救出よりも優先度は低いが、ヘルマンへの復讐もランスの目的の一つだ。
出来る事なら自らの手で蹂躙したかったが、メディウサの要求を無碍に断って造反されるのも困る。
「ただし美女には手を付けるんじゃないぞ、俺様がいただくからな」
「そんなあ、極上ランク以外はアタシが貰ってもいいでしょ?」
「……まあいい、許す」
メディウサは決して弱い魔人ではないし、味方に取り込んでおいて損はない。
そう素早く計算したランスは、メディウサの好きにさせる事にした。
魔王ランス率いる魔軍によるラング・バウ制圧と、それに続く蹂躙。
魔軍の襲撃を受けたラング・バウの惨状は、時を置かずリーザスに伝わってきた。
中央機能の全てを失ったヘルマンは、なし崩し的にリーザスに併合される事になった。
破壊し尽くされた王宮からは、パメラ王妃と宰相ステッセルの遺体が発見されたが、
シーラ王女の姿は見あたらなかった。リーザス側は、シーラを旗印にしたヘルマンの反乱を恐れたが、
実質リーザスを指揮するマリスが魔王対策に重きを置いていたため、シーラの捜索はおざなりになっていた。
「かなみはまだ戻らないのですか?」
シィルの行方をあえて伏せていた事が漏れたら、ラング・バウの惨劇がここリーザス城で
起こらないとも限らない。マリスは努めて冷静さを装いながら、かなみの帰還、
すなわち魔王ランスへの切り札たるシィルの身柄を待っていた。
◇◇◇
「魔王様、ただいまー、お土産持ってきたわよ」
ラング・バウでの殺戮と陵辱を存分に楽しんだメディウサが、魔王城に現れた。
「お土産って、お前なあ……」
上機嫌のメディウサに、魔王ランスは苦笑せざるを得ない。
「ちゃんと極上ランクを残してきたんだから……アレフガルド、連れてきて」
メディウサの使徒アレフガルドが連れてきた女性は、確かに極上ランクであった。
緩いウェーブを描く金の髪に豪奢なドレス、愛らしい顔立ちに深く秘めた憂い。
「シーラ・ヘルマン……ヘルマン王女だな」
シーラは表情を崩さず肯く。
魔物に拉致され魔王の前に引き出されているというのに、動揺した様子はみじんもない。
抵抗したところでどうなるわけでもないが、全くの無抵抗というのも不思議なものだとランスは不審に思う。
メディウサが下がった後、さっそくシーラを味見しようと思ったランスだったが、どうも様子がおかしい。
小声でぶつぶつと呟いたかと思うと、いきなり腕を振り回して暴れる。
ランスの馬鹿力で下手に押さえようとするとそのまま潰しかねないため、
たまたま定時報告に訪れたホーネットに、とりあえず押しつける事にした。
しばしの後、ホーネットがあらためて報告にやってくる。
ホーネットは通常の報告に加えて、シーラの状態をランスに伝えた。
「重度の薬物中毒なあ……魔人に対する恐怖心が無かったのはそのせいか」
「ええ、おそらくは」
「王族として何不自由ない暮らしをしていただろうに、何故薬物に溺れたのだろうな」
ホーネットの報告に、ランスは全く理解出来ないといった顔をする。
「何か理由があるようなのですが、私たちには何も語ってはくれませんでした」
「まあ、聞いたところでどうしてやる気もないしな」
ランスの中で、シーラは『やれない女=価値のない女』に分類されてしまったようだ。
ランスが人間であった頃なら、同情もしただろうし治療の方法を探しもしただろう。
あるいは、かつて縁のあった女であれば、魔王となった今でも、少しくらいは動いてやっただろう。
それが、その先のお礼すなわち身体が目当てではあるだろうが、ここまで無関心ではいなかったに違いない。
「魔王様、シーラ王女の処遇はどうなさいますか?」
「メディウサかケイブリスにでもくれてやってもいいが……」
すっかり興味を失ったらしいランスに、ホーネットは恐る恐る尋ねる。
「お許しいただけるのなら、このまま私に預からせていただけないでしょうか」
「いいだろう、好きにしろ」
シーラへの同情も多少はあるが、今ひとつ魔王ランスに好意を抱けないホーネットの、
それはささやかな反抗だったのかも知れない。