11.魔王と魔人
◇2006/07/07
RC1002年。
歴史上類を見ない、変則的な継承によって即位した魔王ランスの任期が終焉を迎える。
魔王交代前後は混乱の時代になるのが普通であったが、人類同士の諍いは多少あったものの、
これもまた変則的な、穏やかな日々が流れていた。
「次の魔王は……まあ、ホーネットちゃんだろうな」
魔人たちに対する絶対命令権が弱体化している事に気付いたランスは、
最後の御前会議の場で、全魔人に次期魔王候補の決定を伝えた。
ここで、次期魔王になりたいものが策を講じれば、
ランスは倒れ、その者が望み通り魔王を継承する事も出来ただろう。
だが、それを実行する者は、魔人にも──人類にもいなかった。
魔王ランスは、あらゆる意味で特異な存在であった。
その筆頭魔人シィル。
戦闘能力が高いわけでもなく、かといって政治手腕に優れていたわけでもない。
ランスの即位直後に人間から魔人となったシィルは、ランスが人間だった頃からのパートナーであり、
それはあらゆる方面に渡っていたとされている。
実力主義の魔人界において、彼女もまた、特異な筆頭魔人であった。
占い師アーシーと予言者ルーシーを筆頭に、非戦闘系の使徒を従えたシィルは、
ランスに欠けている部分を補う存在であったのだろう。
◇◇◇
「シィル様、魔王様の交代時期が判りました」
魔王の執務室には、筆頭魔人シィルと、その使徒である二人の少女、
未来を視る双子のアーシーとルーシーがいた。
「ありがとう、それで、交代はスムーズにいきそう?」
「はい、問題はないと思われます」
「……私は、ランス様と一緒に死ねるのかしら?」
この千年間、シィルが何より望んでいた事。
ランスの懇願を受け入れ魔人となったあの日から、それだけがシィルの望みであった。
「シィル様、死ぬ時期なんて、あんまり知らない方がいいよ?」
「うん、でも……魔王交代の前に、私は死ねるのかなあって」
「それは無理です」
きっぱりと言いきるルーシーに、シィルは顔面蒼白になった。
「不確定要素もありますけれど、魔王様が交代しても、シィル様はすぐには死にません」
「……そんな……」
椅子に座っていなければ、そのまま床に崩れ落ちてしまったかもしれない。
膝の上で組んだ手が、かたかたと揺れている。それでも、使徒に無様な姿を見せるわけにはいかないと、
シィルはぎゅっと唇を噛んだ。
「ん、珍しいな、双子ちゃん来てたのか?」
ぶらりと執務室に現れたランスは、それまでの重苦しい空気など気にもせず、
アーシーとルーシーの頭をぽんぽんと叩いた。
「もう帰ります……行こ、アーシー」
「うん、シィル様、ランス様、バイバイ」
「う、うん……じゃあね」
強張った笑みを浮かべて、シィルは二人を見送る。
ただごとではない顔色の悪さに、さすがのランスもシィルを気遣う。
「……どうしたシィル、あの二人の未来視で何か判ったのか?」
「……っ」
二人っきりになった執務室で、シィルはいきなりランスにしがみついた。
「ランス様、今すぐ私を殺してください!」
それだけをやっと口にすると、シィルはランスの胸にもこもこ頭を押しつけて泣き出してしまった。
事情が飲み込めないランスは、とりあえずシィルの頭を撫でながらも途方に暮れていた。
──ランス様の寿命が来たら私を殺していただけますか?
人間だった頃からこれまで、シィルの方からランスに何かを要求する事は珍しかった。
ほんのささやかな、ランスが突っぱねてしまえるような要求がほとんどであったが、
真摯な願いはランスも出来るだけ叶えてやったつもりだ。
『私を殺して』と、それはシィルを魔人にするにあたって交わした約束。
おそらく、それ以外のどんな願いよりも、シィルが強く求めたこと。
大陸最強の存在であるが1000年の限られた寿命を持つ魔王と、
魔王の命令には背けないが永遠の時を生きる事も出来る魔人。
共に生き共に死にたいというシィルの願いを、その時は確かに叶えてやるつもりだった。
あれから1000年。ふと思い出しては、まだ先の事だとたかをくくっていたランスだったが、
シィルの願いを叶えてやりたい気持ちと、シィルを殺したくない気持ちの間で迷い続けていた。
「ランス様……」
泣きはらした目でじっと見つめるシィルの前で、ランスはなお迷う。
「お願いします、早く……『ランス様の魔人』でいられる間に」
このような願いをシィルが口にしているということは、
魔人に対する強制力、すなわち魔王の血の力が弱まっている何よりの証拠だ。
シィルもそれに気付いているからこそ、ランスを急かしている。
ランスは覚悟を決めた。シィルに軽く口付けして、魔剣カオスを鞘から抜く。
「シィル……」
カオスの刃をシィルの首に押し当てる。シィルは嬉しそうに微笑んで、ゆっくりと目を閉じた。
「……えっ?」
あっさりとシィルの首を落とすはずのカオスが動かない。
「ランス様、どうされたのですか?」
ランスの『魔王の力』は確かに弱まっている。しかし、カオスは魔人を斬れる剣、
ランスがまだ人間だった時に何人もの魔人を沈めてきた剣だ。
なのに、その刃はシィルを傷つける事が出来ない。
「何故だ、何故……」
「お主が嬢ちゃんを傷つけたくないと思っとるからじゃろう」
ランスの疑問に答えたのはカオスだった。
「ば、馬鹿を言うな、俺様はシィルと約束したんだ、この手でシィルを殺してやると」
「それはお主の本心かのう?」
絶句するランス。そして、シィルは先程までの笑顔から一転、力無く俯いていた。
◇◇◇
「すみません魔王様、私にも斬れません」
ランスとシィルに請われ、次期魔王のホーネットがシィルに刃を向けるが、
やはりシィルを死に至らしめる事は出来なかった。
「……物凄く硬いんです、この防御力は全魔人中トップかもしれません」
「どういうことだ?」
がっくりと肩を落としているシィルを慰めてやりながら、ランスはホーネットに問いかける。
「非常に申し上げにくいのですが、魔王様の責任かと思われます」
首を捻っているランスとシィルを交互に眺めながら、ホーネットはため息をついた。
「その……魔王様の伽を勤めますと、能力値が上昇する事がありますでしょう?」
「ん、それは別に魔王の能力じゃない、俺様固有の現象だぞ」
思い当たる事があるのか、ランスは肯き、シィルは耳まで真っ赤にしてさらに下を向く。
「……とにかく、それが原因でシィルさんの防御力が跳ね上がったと思われます」
元々、ランスは度を超えた女好きだった。
それは、魔王になっても変わる事はなく、魔人から使徒、女の子モンスターや人間の女性と、
条件が一致すれば余すところ無く手を付けてきた。
しかし、ある時期から途端におとなしくなる。
全くよそ見をしない、とまではいかなかったが、ランスはほとんどの夜をシィルと過ごすようになった。
曰く『大陸中の美女すべてを味見したからもういい』のだそうだ。魔王の任期の折り返し地点を過ぎ、
シィルと過ごす時間を少しでも増やしたいという気持ちもあったのだろう。
「ホーネットちゃんがカオスを使ったらどうだ?」
「無理じゃな、次期魔王の嬢ちゃんでは儂の威力の半分も出せん」
「では聖刀日光を探し出して……」
「日光さん、女性でも扱えるのですか?」
「む、そうか、日光さんは……」
「魔王の継承が完全に済めば、あるいはシィルさんを斬る事が出来るかもしれません」
「……お願いします、ホーネットさん」
頭を下げるシィルに、ホーネットは曖昧な笑顔で応える。
「せっかく仲良くなれたのに、本当はあなたを殺したくはないのですけど……仕方ありませんね」
◇◇◇
勇者──それは、人類の絶望を糧に力を得る、人類最後の希望。
先日即位した魔王ホーネットは、人類との協調政策を打ち出した。
友好関係を築いたところで豹変するのではないかと恐れる者達もいたが、
さしたる混乱もなく、新魔王の提案は人類側に受け入れられた。
そんな時代の勇者は、無力で無害であった。
JAPANに生まれ、剣の道に秀でていたその勇者は、ある時、聖刀日光を手に入れる。
日光と共に魔王城に乗り込んだ時には、日光が討ちたかった前魔王は力を失った後だった。
そして現在、前魔王はかつての筆頭魔人と共に逃亡中だと、魔王ホーネットに告げられる。
「前魔王と魔人の討伐か……」
魔王城を出た勇者琵琶は、前魔王と魔人が潜伏しているという死の大地へと向かっていた。
「魔王……いや前魔王ランスは、日光さんの仇なんだよね」
人間形態を取っていない日光は、琵琶の言葉には答えない。
ただ、同意を示すかのように、鍔をかたりと震わせた。
「魔王ホーネットは、何故二人の討伐を僕に命じたのだろう」
琵琶も日光もまだ、事情は知らない。
ランスが魔王に即位した頃は死の灰に満ちていた死の大地だが、ランスの浄化命令により、
現在では人間でさえしばらくの間なら耐えられる程度まで汚染レベルが下げられていた。
それでも、魔人領の奥地という事もあり、人間も魔物もめったに近寄らない。
その地に小さな家を建て、ランスがシィルと共に潜伏しているのは、ホーネットの提案だった。
「ここならば、シィルさんの耐久力も下がるでしょう」
「問題は、シィルを殺せるヤツがここに来るまで、俺様が生きていられるかだな」
ホーネットが魔王を継承した事で、ランスは人間に戻っている。
魔王の血の名残で、ただの人間にしてはとんでもない体力を有しているが、
未だ魔人であるシィルに比べれば微々たるものだ。
「聖刀日光を所有している勇者に接触してここに誘導しました、じき到着するはずです」
「ホーネットさん……いえ、魔王様、お手数をかけてすみません」
シィルがホーネットに頭を下げる。
「あなたが謝る事はありません、結局……シィルさんを斬れなかった私にも責任がありますから」
「俺様とシィルが死んだらここにでっかい墓を建ててくれよな、ホーネットちゃん」
「ええ、お墓は一つでいいのでしょう?」
「当然だ、なあ?シィル」
頬を染めるシィルの肩を抱き、ふんぞり返っているランス。
共に死を迎えようとする二人が、ホーネットには少しだけ羨ましく思えた。
「……こんな所に、前魔王と魔人がいるのか」
死の大地の名にふさわしくない、ごく普通の町中にあるような小さな家の前で、琵琶は立ち止まった。
いきなり斬り込むのもどうかと、とりあえずドアをノックする。
「どなたですか?」
ドアを開けて出てきたこれまたごく普通に見えるもこもこ頭の女性に、琵琶の動悸が速まる。
(この女性が魔人シィルか……?)
琵琶が手にしている聖刀日光に気付いたシィルは、口籠もる琵琶に優しく話しかけた。
「……勇者様ですね、お待ちしておりました」
魔人にしてはあまりにも和やかな雰囲気に琵琶は不安を覚える。
いつの間にかシィルの背後に立っていたランスからも、敵意は感じない。
「あの、僕がここに来た理由は解ってますよね?」
「私を……殺していただけるんですよね?」
そう言って微笑むシィルに、琵琶は戸惑う。1000余年に渡って君臨してきた魔王とその筆頭魔人。
時に人間の国家を蹂躙し、人間同士の戦争の裏で暗躍してきた魔人達の頭であったこの二人が、
理由は解らないが死を望んでいる。
「ついでに俺様も斬っていいぞ、日光さんもそれで少しは気が晴れるだろう?」
人間形態に戻った日光が、じっとランスを見た。
守るべき者として定めた美樹を殺された直後は、確かにランスを恨み憎んでいた。
いつかその首を落とそうと、自らの力を最大限引き出せる使い手を捜す事に躍起になっていた。
しかし、幾度か対峙するたびに昔の仲間でもある魔剣カオスに諭され、
また、魔王ランスが君臨したこの1000年が大局では極めて人類寄りだったこともあり、
日光自身の意地と現在の使い手である勇者の使命以外の部分では、ランスを恨む気持ちはなかった。
「何故死に急ぐのです?」
「別に急いじゃいない、ここに留まればそう遠くないうちに俺様は死ぬだろう」
ランスの言葉にシィルがぴくりと震えた。それに気付いたランスは、
手を伸ばしてシィルの頭をぽんと軽く叩く。
「その前にシィルを死なせてやって欲しいだけだ……俺様が先に逝くとシィルが悲しむからな」
「ランス様……」
これから死に往く者とは思えないほど幸せそうに微笑み見つめ合うランスとシィルを前に、
琵琶と日光は何も言えなかった。
勇者琵琶が、前魔王とその筆頭魔人を討伐したという噂は、瞬く間に人類領に広まった。
それと共に流れたもう一つの噂。
──少女を取り戻すために、青年は魔王の力を手にする。
愛する青年が魔王になってしまった事に嘆き悲しみながらも、
少女は魔王に連れ添うために魔人になる。そして、魔王の寿命である1000年を共に過ごし、
最後に二人が選んだ道は、勇者の手によって共に最期を迎える事だった──